第21話 人格2

 ジリリリリリリ!


「ああああああああ!!!」


 俺は叫びながら目覚まし時計を止めた。勢いよくベッドから起きたせいで、目眩がする。

 朝からうるせえ……。あー、イライラする。


「透ちゃん、大丈夫ー?」


 母さんの声が部屋の外から聴こえた。


「ああ、大丈夫だ」


 そう言って俺は背伸びをする。背伸びをしても、ムカムカは収まらない。胃が痛いのは、朝の空腹からだろうか。いや、今は絶対に別の事が原因だ。

 部屋のカーテンを開けてみる。今日は晴れていた。日が眩しくて、俺はすぐにそのカーテンを閉める。

 陽気な朝とは反対に、憂鬱な心から放たれる毒気で、俺の部屋は湿っていた。こんな所に居たくもない筈なのに、俺はまたベッドに篭もりたい気分だった。

 机のノートを手に取って読む。前の人格が何を書いたかチェックするのだ。


「昨日は……『楽』の日だったか……ふん」


 俺は『楽』が嫌いだ。いつも自分は常識人ぶって、この身体が本当は自分のモノなんだと独り決めしてやがる。奴を今すぐにでもこの身体から追い出したいが、それが中々出来ない。

 俺ら人格達は、毎朝『神崎透』の身体に交互に入れ替わっている。どの人格が始めたか分からないが、その様々な人格をお互いに知ろうとした奴が、このノートを書き始めたのだろう。

 二つの人格が同日に透の身体を操ることは無い。それ故に、その透の身体を操った人格にしか、その日の出来事を記憶出来ない。つまり、『怒』の人格の俺は、昨日、『楽』の人格が過ごした透の生活を全く記憶していないのだ。どんな人格が透の身体にいるのかという確認と、それに加え普通の生活をする為の記憶補助の役割が、この日記にはあるのだ。

 だが、俺は先程も言った通り『楽』が嫌いだ。奴はいわゆる楽観的主義者だ。緊張せずに自然体のまま過ごせば、何の変事も無く一日を終えれるだろうと思っているのだ。だから、ありのままで過ごせるこの『楽』という人格が、『本当の神崎透』を表していると、その人格は言い張っている。……どこでこれを知ったかというと、それは『人格日記5』に書かれてあったかな。人格の主張大会をしよう、と、またもやどの人格が先に書き出したか分からなかったが、その大会での『楽』の主張では大体そのようなことが書かれていた。皆して、この多重人格の現象が起きていることに対して多種多様な考え方を書き並べていたが、俺はこの『楽』の主張を読んでから、こいつにはこの身体は渡したくねぇな、と思ったのだ。

 俺は『楽』の〝他人格に伝えたいこと〟に見向きもせず、朝食を摂るため一階へ下りて行った。

『神崎透が多重人格者』というのは、家族も知っている。病院にも一度行ってみた。問診というものがあって、精神科医と面接のようなものをした。そう。したのだ。この俺、『怒』がその日、病院に行ったのだ。俺はふてくされながらも、自分の知っている限りの身に起きていること全てを話した。医者は確か、弱った顔をしていたかな。はぁ、と、俺が話している最中に何回か溜息を洩らされた。ブチ切れそうになったが、その時の俺はなんとか堪えた。

 そして、その診断結果は予想外なものだった。多重人格というものには、立派な『解離性同一性障害』という病名がある。だが俺は、『神崎透』は、その病気であるとは診断されなかったのだ。しまいにその医者は、『神崎透』に多々内在する人格全てが、ただのイマジナリーフレンド(神崎透が想像で生み出した遊び仲間)であると言い切った。これを聞いたとき、俺は怒り狂ったね……心の中で。

 親に後から問い詰めた。何があったのか、と。

 親は、『怒』の人格だけでなく、別の人格が現れている日も同様に病院に連れて行ったらしかった。医者も、日に日に人格が変わる人間というのには半信半疑だったらしいが、それも日を重ねるごとに確信に変わっていたと言う。

 だったら何故? 何故『神崎透』は解離性同一性障害でないと言われたのか。

 この俺、『怒』にとっては、もしその病気であると診断されたら真っ先に治療をしてもらい、他の人格を消し払おうという算段だったのに。勿論、俺がこの『神崎透』の身体に残らない可能性もあるが……それは俺だけがこの身体に居座れる可能性もあるということ。俺はこのままこの不自由な身体で生きる気はさらさら無いのだ。一生治療出来ませんと言われたら、もう他の人格ごと自殺してやろうと思うくらいだ。

 ……そんな俺の煮えたぎる思いを、踏みにじる〝ある人格〟がいた。

 その〝ある人格〟が病院に行った日、そいつは全てを〝記憶〟していると言ったらしい。『神崎透』のことを全て、今までの人生の全てを記憶していたらしいのだ。『怒』、『楽』、それ以外の人格が『神崎透』を乗っ取っていた日も、その人格は全てを記憶していた……そして、


「これは僕の趣味です。だから、病気でも何でもありません。記憶もしっかりしてますし、他の人格がここに来ても、相手にしないでくださいね」


 と……医者に言ったらしいのだ。親に、お前はそんなことを言ったのか、と逆に聞かれたが、勿論『怒』である俺にそんな記憶は無い。そもそも、他の人格も病院に行ったこと自体俺は知らなかったのだ。だがその全てを記憶している人格は、今までの、そしてこれから病院に来る人格についても言及している。俺が病院に行った時、医者に溜息をつかれた理由はこれにあったのだ。医者は趣味だと思いながらも問診をしてくれていた。これは、俺にとって衝撃な事実だった。もう、セカンドオピニオンを受ける気も削がれた。

 他の人格は、気付いているのだろうか。全てを記憶している、おそらく真の『神崎透』がこの身体に潜んでいることを。

 病院に行ったのはおよそ数ヶ月前の話だ。その時から俺はずっと怯えている。真の『神崎透』の手のひらの上で俺達は転がされていて、いつでもそいつの意思で俺は消されるんじゃないか、って。

 それは嫌だ。消えたくない。むしろそれは、死ぬことと一緒だ。死にたくない。死にたくない。今までずっと死にたいくらいこの不自由な身体が嫌いだった。でも、ついにこの身体の完全な主導権を持つ存在の影が見えると、こんなにも死は怖いものに変貌するのか。

 信じられない。だって俺は、生まれた時からずっとーーーーーーーー


 ご飯を食べる箸が止まる。


 あれ? 生まれた時からの記憶なんてあったか? 小学校に……行ったことあるよな? 俺。


「透? どうしたの?」


 ーーーーぼーっとしてた俺に、母さんが声を掛ける。


「えっ? あっ、いや、何でもない。……あれ?」


「ん? どうしたの? ホントに」


「いや、何だろう。なんか、考え事してた気がするんだけど…………忘れた」


「あらあら、おホホ。透ちゃん、疲れてるんじゃない?」


「かもな。あぁ、ストレス溜まる」


 俺は朝食を食べ終えて、いつも通り登校をした。

 何だったんだろう。

 今日は、気付いたらご飯を食べていた。ノートも、見忘れた。

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