第20話 人格1-②

家に帰った時には、時刻はもう夕方五時を過ぎていた。キッチンで夕飯の支度をしている母さんに「ただいま」を言って、二階の自分の部屋にこもる。

パソコンを開き、ググールの検索ボックスに『トライ・』と打ち込む。するとすぐに予測変換で『トライ・グレース』と出てきたので、これだ、と思いクリックした。

それからは、色々なサイトを見て回って、『トライ・グレース』の大まかな内容は理解出来た。考察サイトまで立てられているようで、そのページにも入ってみたものの、原作を読んでいない自分にとってはチンプンカンプンだった。

ネットの説明的文章だけでは、俊介が言っていたキャラの魅力というものが伝わってこない。親はこの物語を知ってるだろうか。


「透ちゃーん! ご飯よー!」


下の階から、母さんが俺を呼ぶ。


「はーい! 今行くー」


気が付くともう時計の針は六時を回っていた。父さんも帰ってきていたみたいで、家族三人で食卓を囲む。今日はエビフライが主菜か。

父さんはある貿易会社の社員を勤めている。近頃大きいプロジェクトが始まるなどと、母さんとそんな話をしていた。


「残業とか、続いちゃう?」


「かもな。出張も有り得るかもしれん」


「やだー」


やだー、と、少し軽いノリで話している母さんも、もう四十代だ。父さんももうすぐで四十歳になる頃だ。仕事も、骨を折る時期に入るのは仕方ないと思う。

僕は隙を見て、例の話を振った。


「ねぇ、〝トライ・グレース〟って、知ってる?」


二人とも、さっきまで談笑して安穏な雰囲気だったのに、急に場は凍りつく。


「トライ……グレース? 何言ってるの? 透ちゃん」


ん? 母さんは知らないのか?


「いや……うちのクラスがさ、文化祭でその劇をやるんだよ。で、俺だけその〝トライ・グレース〟って物語のこと、知らなくて」


「へぇ~……」


興味無さげに、母さんはエビフライを頬張る。母さんは知らないみたいだ。

父さんは……どうなんだろう。


「まっ、私にとっちゃあんな物語、どうでもいいな」


えっ?

視線を父さんに送っていたのに、横から思いがけない言葉を母さんが発した。何だ? 知ってるのか? 母さん?


「ああ、別に知らなくてもいいだろう。心配しなくていいぞ、透」


父さんも母さんの言葉に便乗している。俺は二人が何を言っているのか分からなかった。


「えっ?……どういうこと? 二人とも分かるの? 〝トライ・グレース〟」


「分かるから言ってるんでしょ。私はあの物語嫌いだから、こう批判してるわけで。……透ちゃんがどうしても読みたいとか言うなら、読んでみてもいいんじゃない?」


何だ? 母さんには響かない物語なのか? それに、父さんも母さんの意見に便乗しているのを見るに、父さんも〝トライ・グレース〟を良く思ってないらしい……。

クラスの皆との温度差が激しくて、僕はすぐには母さん達の言葉を受け入れられなかった。年代の差もあるのだろうが、こんなにも意見が割れる作品を、僕は一度、偏見の目を持たずに読みたくなっていた。


夜、床に就く前にやっている習慣がある。自分にとって、とても大事な習慣だ。

僕は『人格日記 14』と書かれたノートを開いて、今日の日付、3020年9月12日(火)と書く。


「今日の自分は、『楽』だった。特別なことはしていない。他人格に伝えたいことは、文化祭の準備が本格的に始まったこと、トライ・グレースを読むこと、だ。」


「よし、これくらいでいいかな」


僕は本を閉じ、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。

今日の僕は、『楽』だ。明日は誰だろう。上手くやってくれるといいな。

僕のこの身体は、自分一人のモノではない。僕の頭の中に、様々な人格が住みついているせいで……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る