第9話 来訪

 マスターはその麺を、カクテルを作るためのシェイカーに入れる。次に氷、トマトやキュウリ、卵を入れていく。リオンの脳に「冷やし中華」の文字がよぎったが、リオンの思考速度ではもう到底追いつけない。

 マスターはその色々な材料が入ったシェイカーを、胸の前で大きく振り始めた。ここだけ、リオンにとってよく見る光景だったが、数秒前の記憶とその光景は合致しない。やはりリオンには理解できなかった。

 リオンは、レインの顔を伺う。レインはただ平然として、どこかを見つめて集中しているようだった。現状を把握出来ていないこの弟子に、何か一言だけでも説明してくれないかと、リオンは目で訴えかけるが反応はない。バーを、マスターが機敏に振るそのシェイカーの音だけが包む。まるで普通のバーみたいだ、とリオンは感じた。


「あいよ、おまたせ」


 マスターは、いつの間にかグラスにお酒を注いでいて、目の前に出してきた。

(え……?)

 リオンは目を疑った。

 このお酒は、さっきまでマスターが振っていた物の中身だ。おかしい、とリオンは疑い続ける。麺やらキュウリやらがグラスの中に見当たらない。

 リオンはマスターの方を見た。さっきまで使っていたシェイカーを洗っていた。もう何がなんだか分からない。リオンは混乱していた。


 チラと、マスターがリオンの方を見る。不敵な笑みを浮かべ、こちらをまじまじと見つめている。


「イッツ、ゴッドパワー」


 マスターはリオンにそう唱えた。ふっ、と、レインさんが横で笑う。


「いつ見ても凄いな」


 レインはそう言って、出されたお酒を一口飲む。


「……ライム……いや、レモンか? マスター、これは?」


「ん~、惜しいですね。今日はメキシコのコストコで採れた、キーライムを使用しました。日本に滅多に流通していないんですよ」


「ああ、キーライム! 通りで後味が良いわけだ」


 リオンはもう度肝を抜き切られた。

 本当に麺を入れた物から、これが出来たのか?ゴッドパワーって何? いつライムなんて入れていた? あとマスター、急にマスターしか知らなそうな知識出しすぎ。ビビるよ、その見た目からは。

 様々な驚きがリオンの中で生まれる。

 リオンはただその二人の、異様な雰囲気の傍観者になってしまった。

 麺は酒に上手く溶け込んだみたいだが、彼はこの状況に溶け込めないようだ。


 カラン。


「ラッシャッセェーイッ!!」


 一人の男が店の中に入ってきた。黒いロン毛で、面長。アメリカでロックやらをやっていそうな、見慣れない顔立ち。身長はレインと同じくらい。黒いコートに身を包み、手には銀色のアタッシュケースを持っていた。


「やあ、レイン。遅くなってごめんよ」


「おお、ラウディ。いいんだ、俺らも来たばかりだ。座れよ」


「……そっちの子は、もしかして」


 ラウディは椅子に腰を掛けながら、リオンの方を覗いた。3人、レインを真ん中に挟んで座っている状態だ。


「ああ、弟子のリオンだ」


 レインはラウディに紹介する。


「うんうん。話は聞いてるよ」


 と、ラウディはリオンの方を見て頷いた。リオンは、「あ、どうも」と返しながら、深々と会釈する。ラウディの声はどこか心地よくて、穏やかで優しい人そうだと、リオンは感じた。


「マスター、俺にもいつもの」


「あいよ」


 リオンの顔は、また曇る。リオンはマスターを見ないようにレイン達の方を向くが、それでも視界の端のほうで、麺らしき物を持っているように映る。

 リオンはそのしかめっ面で、とうとうヤケクソにそのお酒の一口目を飲んだ。


(……おいしい)



「で、レイン。早速本題に入るが……言われた通りプロミス社の内部地図を盗ってきた。でも何だって? 報酬金はあげないってどういう事だ?」


「言っただろ。情報の等価交換だ。いや、もう俺が持ってるのは、今回の依頼の核心を突く情報だ。内部地図とは比べ物にならないかもな。」


「……ほう?」


 レインはラウディに、例の書類を見せた。

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