第2話 土産
ただようコーヒーの香り。ツヤのある丸い木のテーブルと、イス。床も壁も同じ木造で、安心感を持たせるその純朴な部屋に、優雅に読書をする少女が一人。ピンク色のボブカットが、彼女がコーヒーを飲むたびにやわらかく揺れて、本を読む彼女の目は凛とし、ぱち、ぱちと瞬いて透き通るように美しい。静かな癒しの空間にただパラリ、パラリと、彼女の白く長い指が紙をめくる音だけする。そんな彼女の絶対空間を、天井から大きなシーリングファンが見守っていた。
彼女の世界に一つ雑音が混じる。バタバタと騒がしく、徐々にその音がこの彼女の部屋に近づいているのが分かった。彼女はハッとその音に気付くと、そそくさと読んでいた本を閉じ、近くにあった本棚に戻して、足と腕を組んでイスに座り直す。そして部屋の壁の方の暖炉に目線を置いた。なにも、火すら灯っていないその暖炉に。眉に力を入れ、さっきまでのリラックスした柔らかい顔の面影が無くなっていく。口をちょっとばかり固くつぐんで、部屋に来るであろう人物をじっと待っていた。
ガチャ!
「ふぅ~、ただいま」
バサバサとジャケットの音を立てながら、一人の青年がその部屋に入ってきた。
「遅かったね。何しに行ってたの?」
女は、少し強めの口調で問う。
「んー……、ちょっとコンビニまで」
「……何も買ってきてないようだけど?」
男は見た所、荷物らしい荷物を持っていなかった。「あー……」と、男は戸惑いながら他の言い分を探している。女は続ける。
「そもそもあんたが一人で外に出ること自体珍しいよね。仮面も持ってってなかったし。あと、朝まで帰って来ないなんて思わなかった」
男は頭を掻きながら下を向き、何も言わない。女はここで完全に、彼が何かを隠していることを確信した。また間髪入れずに、女はテーブルの上にあった新聞を手に取って、
「ほらこれ見てよ。また載ってるよ? 今朝の号外に、あんたが。むやみに外に出るのホント危ないんだからね?」
と、まるで小さな子供を叱るようにキツく言う。
「分かってるよ、それぐらい……」
少しふてくされたように言って、男はジャケットを脱ぎ、扉のすぐ横のポールハンガーにそれを掛けた。女はそんな彼の動作の一つ一つを、こまごまと観察する。
「何で濡れてるの?」
女は彼の服の異変に気が付いた。
ジャケットはあらかた乾いていたようだが、ズボンばかりはまだビショビショだったようだ。
「マンホールの穴に落ちたんだ」
男は即答して、何もなかったかのような素振りをするも、それは女に驚きを与えるのに十分過ぎる言葉だった。
女は口をパクパクさせたが、呆れ返って、その何か言いたそうだった口を無理やり閉じた。
「……あれ、リオンは?」
男が問う。
「ああ、情報収集。ほら、あのプロミス社とかいう会社の」
「お~ん」
男は気の抜けた返事をしながら、女と向かい合わせに座った。一瞬、彼の顔の左に笑みがこぼれる。女はそれを不気味に思いつつも、気のせいかと思って話を続ける。
「で、ホントに何しに行ってたの?」
その質問をした瞬間、男は待ってましたと言わんばかりに、今度は満面の笑みを浮かべた。と思うと、また急に真顔を取り戻し、コホン、と一つ咳をして、
「聞きたいかい?」
と言う。
ああ、鼻につく。と女は思っても、至って冷静に、彼の顔を白い目で見つめた。いいから早く答えろという女の恐嚇の念が、お構い無しに男の心に突き刺さった。
男はやれやれ、と席を立ち、ハンガーに掛かっていたジャケットの内ポケットから一つの封書を取り出して、また元のイスに座った。そしてスッとテーブルの中央に、その封書を重々しく差し出す。「何これ?」と女が聞くまでもなく、男はすぐにその封書の正体を明かした。
「プロミス社の企業秘密だ」
「……嘘でしょ!?」
女はとうとう立ち上がってしまった。さっきのマンホールの話で面食らってた自分が馬鹿らしい。
男は俯いて、クク、と笑った。そして再び顔を上げる。
「サニ、俺を誰だと思ってる。世界に名を轟かせるスーパーエンターテイナー、“霧雨 レイン”だぞ。」
女にその決め台詞を聞ける余裕は無かった。
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