3.山井の家・前編
山井の言葉に半信半疑のまま、日曜日がやってきた。わたしは前日に用意した一番新しい服を着ていた。ふくらはぎまであるくすんだピンク色のフレアスカートに、白いシャツとデニム地のジャケットを合わせて。男子にはピンクが受けるという先入観があった。清楚な格好も反応がいいとわたしが読むティーン向けファッション誌には書いてあった。それを真に受けての服装だ。長い髪は下ろして前髪だけ上げてピンで留めていた。髪を褒めてくれるからにはそのままの髪はもっと褒めてくれると思ったからだ。
要は計算づくだった。だって女子だもの。
わたしは山井の住む団地の近くにあるというコンビニエンスストアを目指していた。コンビニなんてありふれたものを目印にするとは、山井はアホなのか。そう思っていたが、この辺りはだだっ広い公園とずらりと建物が並ぶ団地があるばかりで、コンビニは公園の向かいに一軒しかなかった。コンビニ以外の店も、シャッターが下りていたりあまり繁盛していない雰囲気だったりする。
山井はコンビニの前でスマホをいじっていた。わたしが近づくと、ぱっと立ち上がり、にっこり笑う。今日の山井は私服で、特におしゃれに感じた。髪を切ったらしくさっぱりしていて、前髪はかき上げられている。服装も、長身に似合った細身のダメージジーンズと男子のおしゃれに無知なわたしには何やらよくわからない変わったトップスに、グレーのかっちりしたジャケットを合わせていた。よくわからないが、気合いを入れてくれたんだな、と感じた。
山井はわたしに近づくと、無言でにこにこしながらわたしの頭のてっぺんから爪先まで見つめた。何だか照れ臭い。目を合わせることができずに山井のジーンズのひざのダメージ箇所をにらみ続けた。
「へー!」
「へー! って何よ。何の感想なわけ」
わたしがつっけんどんに言うと、山井はにやにや笑い、
「かわいいじゃん」
と述べた。動揺を隠せずに「な、なななになにを」とどもってしまった。計算してそれが当たっただけだというのに何でこんなに頭が真っ白になってしまうのだろう。
「髪もかわいいじゃん。ちゃんとブローしてさー」
山井が指をわたしの髪に差し入れようとするので思いきり後ろに避けた。何でいきなり触ろうとするんだ!
「ブローは毎日している……」
「どんな風に?」
「タオルで拭いたあと、ドライヤーの温風で乾かしてから、冷風で締める感じ……」
「おお、正しいやり方! 花子の髪は少し硬めだからな。丁寧にブローするとハリがしっかり出てきれいに光るし、しなやかになるんだ」
何故そこまでわたしの髪の状態を把握しているんだ。毎日弾いているだけなのに。
山井はあれからも毎日わたしの髪を乱していた。諦めてされるがままになっているつもりだったけれど、わたしもどこか心待ちにしていた。まさかここまで髪質を理解されているとは知らなかったけれど。
「じゃ、行く? おれんち」
「いきなりだね」
山井はにこにこ笑う。
「妹たちは楽しみにしてるよ。母さんもご飯準備してくれてるし」
「ご飯まで? 悪いよ!」
わたしが尻込みすると、山井は上機嫌な笑みを浮かべたまま「まーまーまー」と言いながら手招きをして歩き始めた。わたしが少し遅れると、「まーまーまー」と言いながらわたしの手首を掴んだ。そして引っ張りながら歩き出す。わたしは仕方なく、山井の手の固さと大きさにどぎまぎしながらついていった。
山井の一家が住む部屋は、三階にあった。階段をひたすらぐるぐる回り、青い鉄のドアの前に着くと、彼は「ただいまー」とドアを上げた。途端に、わっと声が弾けた。
「おにーちゃんお帰り!」
「おみやげ!」
「彼女は? 彼女は来てる?」
大騒ぎの中、わたしはこわごわと中を覗いた。狭い玄関には女の子の小さな靴が散乱し、山井が大きなスニーカーを置くといっぱいになった。わたしの靴を置くために山井は妹たちの靴を重ね始めた。どうにか作ったスペースにわたしの新品のスニーカーを並べる。廊下に押し寄せてきた妹たちをそっとうかがうと、恐ろしいことに三人の女子小学生たちは無言でわたしを観察していた。
「ふーん」
ふーんって何よ! と心の中で叫ぶ。そもそもわたしは山井の彼女ではない! まだ! 多分。
「これが、詩織、これが、歌織。双子なんだよ」
そっくりな女の子二人がわたしを見ている。ほっそりとした小学四年生くらいの美少女だ。髪は山井にやってもらったのかかわいくアシンメトリーにお団子にしてある。左にお団子があるのが詩織ちゃん、右にあるのが歌織ちゃん、と覚える。
「小さいのは花音。小学一年生になったばかり」
頭のてっぺんにお団子があるあどけない女の子がわたしを不満げに見つめる。
「こんにちは」
わたしは一応笑顔を作って明るい声を上げた。スクラムを組んだかのような前のめりだった妹たちはゆっくりと体をまっすぐにした。どうやらテンションが下がったらしい。わたしをじっと見つめたまま、笑顔を見せない。
わたしが特に美人ではないのはわかっている。でもこのあからさまながっかりした態度は少しショックだ。わたしは笑顔を保ちながら、山井に誘われるまま中に入った。台所からいい香りがする。どうやらお母さんがご飯を作ってくれているというのは事実らしい。わたしのことを気に入っていないらしい山井の妹たちに囲まれて食事するのは何だか嫌だなあ、と思いつつ、わたしは山井の家の居間に通された。八畳ほどのフローリングの部屋に、箪笥やテレビ台やローテーブルやらでいっぱいになっているが、狭いスペースに五人家族を収めていることを考慮すれば片付いている。
「母さんは?」
山井が歌織ちゃんに訊く。歌織ちゃんはわたしを見ながら「買い物ー」と答える。何故わたしをそんなに見る。
「何か材料が足りなかったんだな。すぐ帰ってくると思うから、待ってようぜ」
山井はどっこいしょとテーブルの前に腰を下ろした。わたしも隣に座る。山井はわたしを横目に見て、微笑む。
「詩織ー、花子に何か訊きたいことある?」
山井が歌織ちゃんと目を合わせたまま黙っている詩織ちゃんに訊いた。何にもないに決まっているからやめてほしい。と思ったら、詩織ちゃんはおずおずと切り出した。
「花子ちゃんは、お兄ちゃんの彼女だよね」
「ち……」
「うん」
わたしが否定しようとした瞬間、山井がうなずいた。何を、何を何を何を!
「どこが好きなの? お兄ちゃんの」
えー、困る。別に山井はいいところなんてないし、勝手にわたしの髪を触るし、自由奔放でついてけないし……、と思っていたら、言葉が口をついて出てきた。
「いつもにこにこしてるところ、かな……」
何を言ってるんだ! 何照れて赤くなってるんだ! 誤解される! 家族公認のカップルになってしまう!
「じゃあ、お兄ちゃんは花子ちゃんのどこが好きなの!」
一番下の花音ちゃんが、どん、とテーブルを叩いて山井に訊いた。山井はにっこり笑い、わたしや妹たちが取り囲む真ん中でこう答えた。
「髪」
「は?」
「だから、髪だよ髪」
何だ、その顔だよ顔、とか言ってしまう自称面食いみたいな言いようは……。
「花子、髪きれいだろ? この艶とハリとコシ! 学校全体で一番きれいだと思う」
嬉しいと思う。学校で一番きれいな髪だなんて、誇らしいと思う。でも、一つだけ訊いておきたい。
「山井、わたしの他のいいところは?」
わたしの静かな質問に、山井は考え込む。そこはあっさり何か言うべきだろう!
「髪の手入れをちゃんとしてるところ」
それは「理由:髪」と何ら変わらない!
そうかそうか。要は山井はわたしのことを自分が好む髪の付属品くらいにしか見てないんだ。もしくは髪を手入れする自動機能付きドライヤーくらいにしか思ってないんだ。何だか不満になってきた。不機嫌が顔に出てきた。
「でも、花子ちゃんはかわいいんだって、この間言ってたでしょ」
歌織ちゃんが唇を尖らせて言う。え、とわたしは山井を見る。彼はへらへら笑いながらできるだけ自然に見えるゆったりした動きで歌織ちゃんの体をホールドして口を塞いだ。何なに? もっと聞かせてくれないかなあ。
「お花を見つめる横顔がかわいいって」
今度は詩織ちゃんが言い出したので、山井は歌織ちゃんを解放して詩織ちゃんの口に手を伸ばした。
「花子ちゃんが大好きって言ってた! わたしよりかわいいかもって言ってた!」
花音ちゃんが苛立たしげに叫ぶ。手が三本ない山井は諦めて中空を見つめてフリーズした。それからわたしを盗み見て、はあっとため息をついた。
「――というわけです」
「どういうわけ?」
わたしは赤くなりながら今一度訊く。山井はあぐらのままわたしに頭を下げた。
「好きですつき合ってください」
わたしは彼に向き直り、言葉を探した。でも、何も浮かばなかった。代わりに、シンプルに答える。
「いいよ」
山井は顔を上げる。それからぱあっと明るい顔になる。わたしの両手を勢いよく掴み、「よっしゃありがとう」と言う。何だか色気のない告白成功だ。
「えー、まだつき合ってなかったのー?」
「お兄ちゃん嘘ついてたのー?」
「裏切者!」
妹たちが騒ぎ出した。もうわけがわからない。
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