2.茶髪の美少女現る

 山井は今日もバイトだ。昨日も一昨日もバイト。明日も明後日も。

「一体いつになったら……」

 つぶやいたわたしに、真横から「何が?」と低い声が返ってきた。ひええ、と飛び退いたわたしを、声の主である澄香は驚いた様子もなくじっと見据えた。何でここにいるんだ。あんたは隣のクラスだろう。

「ホームルーム終わったから、迎えに来た」

「そんな友達がいのあるタイプだったっけ?」

 澄香は無言で立ち上がり、「ついといで」とまるで女山賊のような言い方をする。しぶしぶついていくと、着いた先は校門の近くの繁みで、何でこんなむさ苦しいところにいなくちゃいけないんだと思っていたら、校門の先に山井がいて、へらへら笑いながら女の子としゃべっていた。

 何で? さっき「バイトに遅れる!」って叫びながら教室を出てったじゃん。何で女の子と話してるわけ? さっきのはパフォーマンス? この間わたしにした話はどうなったの?

 頭の中で言葉がぐるぐる回る。山井は女の子と話し終え、真顔になって歩き出した。女の子もくるりと振り向き、きれいに手入れされた新品の十円玉みたいに輝く赤茶色のセミロングの髪をふわふわとたなびかせ、その整った西洋人形のような白いかんばせをこちらに向け、学校に戻ろうとする。

 なーんだ、単なる知り合いか。あるいは道を訊かれただけかも。あの山井だもん。女の子にモテてどうこうなんて話はないない。

 と思っていたら、女の子はくるりと山井に振り向き、「山井せんぱーい! 約束ですよ!」とかわいい甘い声を上げた。山井も振り向き、にっこり笑って手を振った。女の子は夢見るような目をさ迷わせ、甘やかな笑みを浮かべながら小走りに校舎へと戻っていった。

 無言になり、女の子でも山井でもない中間の空を呆然と眺めていたわたしに、澄香は「おい花子」と低い声をかけた。

「今見たことは、どういう意味だと思う?」

「わからない……」

「早くしないと今の一年に取られるぞ、花子」

「取られるとか取られないとか関係ないし……」

「声が弱々しいぞ花子」

 わたしは澄香をきっとにらみ、

「花子と呼ぶな! バドミントン部に入ったとき約束したじゃん! わたしのあだ名は『花ちゃん』だってえ!」

 それからばっと立ち上がって猛烈な勢いで校舎に駆け込んだ。振り返ると、澄香はレスリング部員と言っても充分通用しそうな立派な体格をこちらに向け、手をあごに当てて「さてどうしたものか」と考えるかのように立ち止まっていた。

 山井はこの間冗談を言ったのだ。「デートしようぜ」なんて、一向に実現しない冗談、いや嘘だったのだ。嘘つき山井! この間も生徒指導の坂口先生に「天パーです」って言ってた。ごくごく自然に見える言い方で、わたしも「そうなんだ」って思ってた。でも山井の友達の金子君は「お前嘘上手いよな」って笑ってた。山井は嘘が上手いんだ。嘘つき! 嘘つき! 嘘つき!

 気づけば廊下を走っていて、担任の花村先生に捕まった。先生は完璧に化粧した大人の色気むんむんのマリリン・モンローを東洋人にしたような美しい顔を困った表情にして、「怪我したら部活に行けないわよ」と言った。

 わたしは唇をぎゅっと結んで「はい」と答えた。花村先生が首を傾げてわたしの顔を覗き込む。その動きがとてもきれいで見とれるくらいで、山井もわたしがこういう美人だったら嘘をついてあとで笑うなんて真似はしなかっただろうなと思って何だか泣けてきた。

「ちょっとちょっと」

 花村先生が驚いてわたしの肩に触れる。やまいは、と言葉が漏れた。

「山井は嘘が上手いんでしょうか」

 先生はますます首を傾げた。

「まあ、上手いとは思うわね。校則を破ったときのあの嘘のボキャブラリーの多さには驚くわ」

「山井は嘘つきです。騙されました」

「どうしたの? 何か言われたの?」

「何でもないです。ありがとうございました」

 わたしは花村先生の手からするりと抜け出し、その視線から逃れ、部活に行くために教室にまた戻って、金子君が爽やかな笑顔を女子たちに向けて実のない話をしているのを尻目に部活に向かった。

 澄香はわたしを待っていた。わたしは彼女を避けて無言で部活をやった。澄香が悪くないのはわかる。わたしを心配してのことだろうと思う。でも、あんな残酷な場面を見せるなんてひどい。このお節介焼き!

 夕暮れが近づいた。わたしは帰るしかなくなった。山井がバイトしている花屋の前を通って。通る必要なんかない。道なんていくらでもある。でも、あの道は交差点が多いし、あの道は遠回りだし、あの道は人気がなくて変質者が出そうだし……とたくさん自分に言い訳をして、わたしは山井の前に姿を見せた。当てつけたい気分だったのだ。嘘つきやがって。わたしが恋愛経験のないブスだからと侮ってくれちゃって。さあ、罪の意識を抱け! とばかりに。

「お、花子」

 山井は階段状に並んだミニバラの鉢植えを並べ直しているところだった。わたしはじろりと山井をにらんでつんと無視した。

「今日は不機嫌モードかあ? 何かあったんだろー」

 からかうような山井の言い方に、お前のせいだろう、と心の中で突っ込みを入れる。

「山井は機嫌いいね」

 じとっとした声が出てきて、気づけば山井に話しかけてしまっている自分にびっくりした。無視して罪の意識を抱かせて帰るだけの目的だったのに。

「かわいい女の子に話しかけられてたもんね。嬉しいよね」

「女の子?」

 山井は首を傾げる。しらばっくれるな! と胸ぐらを掴みたくなる。

「茶髪の美少女」

「ああ!」

 山井はにっこり笑った。

「一年のカレンちゃんね」

 ずーずーしー! 下の名前で呼んでる。あんたなんかあの美少女に釣り合わない。あの子が白雪姫ならあんたは白雪姫の周りの小人Bだよ! 白雪姫との仲のよさは七人の小人の中で一番最低だよ! 空気だよもはや。

 などと考えながら無表情を貫いていると、

「髪切ってくれって言われてさ」

 と山井は言った。へっ、と間抜けな声が出た。

「あの子お母さんがドイツ人でさ、髪が生まれつき茶色いんだって。生徒指導の坂口先生に黒く染めたほうがいいって言われたらしくて、悩んでて。染めるなら短いほうがすぐ済むし、値段も安いもんな。だからショートヘアにしようかなって言ってて」

「もったいない! すごくきれいな茶髪だったのに」

 わたしは思わずそう言った。山井はにっこり笑うと、そうそう、とうなずく。

「おれもそう言った。そんなの生まれつきだからって突っぱねればいいじゃん、おれなんていつも校則破ってるけど口八丁でどうにかなるよって」

「そしたら?」

「納得して、そうするって言ってた」

「へえ」

 山井、感心じゃないか。

「で、髪切ってくれって言われた」

「は?」

「おれが美容師になるってこと言ったら、いつか切ってくれって。短くしなくていいから切ってほしいんだって」

 わたしは何だかもやもやし始めた。この間、山井はわたしの髪をアレンジしたいと言って、わたしはいいよと答えた。それとあまり変わらないことをカレンちゃんに約束している気がする。

「でも、やらないよ」

「え?」

「おれは花子の髪のほうが興味ある」

 顔がぼっと熱くなった。

「ななな、何を言って……」

「カレンちゃんの髪は美容師になったときに仕事として切る。おれはまずとにかくお前の髪をアレンジしたい」

 この言葉をどう捉えればいいのか? わたしはおたおたと手を意味なく動かし、山井を見られずにいた。

「それで、この間言ってたデートだけどさー」

 ばっと彼を見る。凝視する。相変わらず冗談や嘘を言っている顔に見えない。山井はにこにこ笑っていかにも楽しみみたいな顔で、

「次の日曜、うち来いよ」

 と言った。

「いきなり?」

 あれは嘘だった、と言われるのを覚悟していたわたしは、びっくりしすぎて虚脱しながら答えた。

「うん。あ、もちろん家族はいるよ。母さんと妹たちに会ってもらいたい」

 本当にいきなりだ。わたしはもじもじしながら、

「どうしてもって言うんなら」

 とぼそぼそ言う。山井は満面の笑みになって、

「どうしても!」

 と言った。わたしは頭の中がもやで白くなってきて、何も考えられなくなってきた。山井とお家デートか。思ったよりすごい勢いで進んでいる。

「じゃ、行く」

 おそらく真っ赤であろう顔でうなずくと、山井はハーフアップにした長めの髪に指を差し入れ、恥ずかしそうに掻いた。

 嘘、かな? からかってるんなら殺す。

 そう思いつつも、わたしは笑みを噛み殺しながら、ミニバラの花弁のピンク色を眺めていた。

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