第13話 大阪府大阪市のたこ焼き(中)

「あんなあ、お嬢ちゃんらがバタバタしとるせいでお客さんがドン引きして帰って、店が潰れてまうやろ? そしたらうちのたこ焼きで生きとる大阪の人間も全滅、なんやかんやで日本沈没、行き着く先は人類滅亡や! それでええんか!」


 怒涛の勢いでまくしたてる店主・開田花子の剣幕に、ヴァルアリスとインフェリスは思わず顔を見合わせた。ええんか、と言われても二人は最終的には人類を滅ぼすためにこの地を訪れているのだ。

 しかしそれ以前に、店主の話はにわかには信じがたい内容である。


「たこ焼き屋が潰れると人類が滅ぶ……そんな事ってあるのか?」


 眉をひそめて小声で囁くインフェリスに対し、ヴァルアリスは慎重に言葉を選んだ。


「常識的に考えてあり得ない……が、しかし。たこ焼きとはこの大阪を象徴する食べ物の一つであったはず」


 人類の特性を見誤ったがために重ねた敗北は一度や二度ではない。故に、ヴァルアリスはあらゆる可能性を想定し、警戒する。


「我々魔族ならばともかく、愚かな人類の事。一地方の食文化を代表する飲食店をきっかけに、経済崩壊を招くような脆弱性が無いとは言いきれまい」

「それは困るな。滅界儀式ホロボシタルを済ませないうちに勝手に滅亡されちゃたまらな……はっ!?」


 インフェリスが滅界儀式ホロボシタルの儀式名を口にしたその瞬間、二人の魔神姫の思考は一つに収束した。


「店主。その、たこ焼きというのは何個入りだ?」

「うちは六個入りやね!」


 六個のたこ焼きを二人で分ければ、単純計算して一人三個。

 しかし誘惑に耐えきれず三個全て食べきってしまうようならば、当然魔界の指導者たる資格はない。

 あくまで滅界儀式ホロボシタルの下準備として同じものを食し、完食せずに耐えきることができるかどうかの勝負……直接対決の方法としては申し分ない。


 ヴァルアリスとインフェリスの視線がかち合い、空中で火花を散らすほどに空気が焼けついた。


「インフェリスよ。この店のたこ焼きをもって決着をつけるとしよう」

「望むところだぜ。そもそも、そのために大阪に来たんだしな」

「は?」


 ならば、さきほどまでのツッコミ合戦には何の意味があったのだろうか。

 ヴァルアリスはインフェリスを問い詰めたい衝動に駆られたが、必死に堪えた。勝負の方法がたこ焼きに決した以上それ以外の点で争うのは控えるべき、という個人的美学に基づいての判断である!


「店主。たこ焼きを一つ貰うとしよう」

「毎度! 順番で待っといてくださいねえ」


 ヴァルアリスとインフェリスは大人しく列の最後尾についた。

 大たこはじめやの店主・開田花子は慣れた手つきでたこ焼きを焼き、並んだ客に渡していく。

 客足が途絶えないだけに、常にたこ焼きを焼き続けて次々と提供する必要があるのだ。


 店主がたこ焼きを作る姿はガラス越しに店外からでも見えるようになっており、鉄板の窪みに落とした生地が千枚通しによって目にも留まらぬ速さでくるくると裏返されていく様は壮観。

 裏返されたたこ焼きは一つ残らずきれいな球形を形作っており、この技術にインフェリスは強く興味を示した。


「ふうん、なかなかの手際だぜ」

「おおきに。この道一筋、四十年やからね」

「その程度の鍛錬で済んだのか。やるじゃねえか」


 人類にしては、という評価を飲み込んでインフェリスは素直に称賛した。

 一方、ヴァルアリスの観点は少し異なる。


(確かに見事な手際だが……やはり、このたこ焼きという料理。以前食したお好み焼きによく似ている)


 形状こそ異なるが、構成材料と調理法は似通っている。

 ここに勝機がある、というのが竜魔神姫トンデモナイゼの鋭い分析結果であった。


(よく似た料理ゆえ、新鮮味はなし。さらに言えば具材のバリエーションに欠けるたこ焼きは、お好み焼きのいわば下位互換。負ける要素が無い……!)


 いよいよ順番が巡ってくる。

 焼き上がった六つのたこ焼きにソースをたっぷりと塗り、上からふわりと花がつおを散らす。

 湯気を立てる熱々のたこ焼きを差し出し、店主・開田花子はにこやかに価格を告げた。


「はい、二百円」

「な……六個で二百円だとォ!?」

「馬鹿な。安過ぎる!」


 二人の魔神姫は一気に警戒を強めた。

 幾度とない敗北の最中で、ヴァルアリスもインフェリスも人界のまともな金銭感覚を身に付けつつある。故に、この価格設定が通常ではあり得ないものだと即座に判断したのだ。


「端数切捨てと考えても、一個当たり三十三円! 人類の命運を担う店がそのような赤字覚悟の価格設定とはどういうことだ!?」


 異常なテンションのヴァルアリスにも、開田花子は全く怯まない。


「そこはそれ、うまいもんが高いのは当たり前でおもんないやろ。安くてうまい、毎日でも食べられるんがウチのたこ焼きよ。さあさあ、焼かせておいて今更買わんはナシやで!」

「そ、それは道理だけどよ……」


 思わずチラリとヴァルアリスの様子を伺うインフェリスもまた、戸惑いを隠せていない。


(くっ、読めん……この店主の考えが!)


 実際のところ、この価格設定は常軌を逸したものではない。

 大たこはじめやのたこ焼きは、交通の便に優れた梅田という立地を考えれば確かに安価。しかし大阪市内という括りで探せば、更に安くたこ焼きを提供する店舗はいくらでも存在するのだ。

 しかしコストパフォーマンスの追求に妥協をしない大阪の商人気質を、魔界生まれ魔界育ちのヴァルアリスとインフェリスが知らぬのも無理からぬことであった。


 そして尻込みしているヴァルアリス達の背中を押すため、店主・開田花子は持ち前の会話技術トークスキルを発揮する!


「そうや。お嬢ちゃんら、ツッコミがどうのこうの言うてたやろ。ウチのたこ焼き食べたら、ツッコミも出来る様になるで」

「何!?」

「何だとォ!?」


 ヴァルアリスは驚愕し、インフェリスは狼狽した。


「馬鹿な! たこ焼きとツッコミに何の関係があると言うのだ!?」

「適当なことを言うんじゃねえ!」


 至極当然の疑問を口にするが、店主・開田花子は不敵な笑みを浮かべ余裕の態度を崩さない。


「嘘かほんまか、そら食べな分からんよ」

「……いいだろう。そこまで言うのであれば、試させてもらおう!」


 ヴァルアリスとインフェリスは百円ずつ支払ってたこ焼きを購入。近くのベンチに腰を下ろし、たこ焼きを一つ爪楊枝で持ち上げ、慎重に吹いて冷ましてから口に運んだ。


(この程度の熱ならば、いちいち魔法を使って対処するまでもあるまい)


 二人は今や人界の食べ物に関して素人ではない。熱々のたこ焼きをそのまま頬張って口中を火傷するような失敗は侵さないのだ。


「は……はあっふ、はふっ!」

「ふ、ふーっ、あふ!」


 想像以上の熱! 

 二人は涙目になって口から湯気を吐き出しながらもたこ焼きを咀嚼し、そして予想外の衝撃に眼を見開いた。


 まず舌を喜ばせるのは、ひらひらとした花がつおにたっぷり絡むソース。

 大たこはじめやでは地元大阪市のメーカーで作られた二種のソースをブレンドして使用。

 果実や野菜のコクが生きる濃厚な甘口ソースを、スパイスの効いたぴりっと辛口のソースで程よく引き締め、バランスを整えて、独自の味わいを完成させている。


「はふっ……ふー!」

「あっふ!」


 そして肝心要の、焼き立て熱々のたこ焼き生地。

 生地の主要な原料である小麦粉は、十分な熱と水分を加えることで澱粉がとろりとした糊状に変わる。この状態に持っていけなければ生焼けだ。

 かといって、熱を通し過ぎればたこ焼き内の水分が失われパサパサの固い仕上がりになってしまう。

 ふんわりトロリとしたたこ焼きの生地は、澱粉の状態が移り変わる中から一瞬を切り出した芸術アートと言えよう。

 

 そしてソース、生地を抜けたその先に核心が待っている。たこ焼きをたこ焼きたらしめる存在、タコである。

 歯を立てれば、ぐっ、と軽く抵抗した後にぷつんと小気味よく噛み切れる。

 たこ焼きの中で際立ち、しっかりと存在を主張をしながらも、決して過度な負担となる事はない。そんな絶妙な瑞々しさの歯応えであった!


「……なるほど。理解した!」


 たこ焼きがお好み焼きの下位互換、などという考えは改めなければならない。

 そしてこの味わいの中から見つけ出した真実についても、認めざるを得ない。

 ヴァルアリスは立ち上がり、腰に手を当てて、忙しくたこ焼きを焼き続ける開田花子に向かい朗々と語った。


「生地がふんわり、トロッとしているからこそ核心たるタコのぷりっとした歯応えが活きる。同様に、ツッコミとはボケを攻撃することではなく、むしろボケを活かし際立たせるためのもの……ということだな!」


 開田花子はニヤリと微笑み、頷いた。


「その通りや。よう気づいたね。いや知らんけど」

「「知らんけど!?」」


 したり顔で解説していたヴァルアリスは、突然梯子を外されて驚愕した。

 神妙な顔で頷いていたインフェリスも同様である。


「し、知らんけどとはどういうことだ! 自分の発言に最後まで責任を持て!」

「今のは完全に正解にたどり着いた流れだったじゃねえか!」


 食ってかかる二人を前に、店主・開田花子はからからと笑った。


「ほら、二人ともええツッコミや。ウチのたこ焼きのおかげやね」

「あっ、本当だ……たこ焼きのおかげでツッコミが出来るように……!」

「信じるなインフェリス! そんな馬鹿な話があるか!」


 ヴァルアリスは憤慨しつつ二つ目のたこ焼きを口に運び、インフェリスもそれに続いた。


「ちょっと待て、ふぁふっ……な、何故二つ目を食べた!?」

「いや、お前だって食べてるだろうが! はふ!」


 ツッコミ論議に気を取られた際の、わずかな気の緩みが招いた失態!

 

(バカな……いくら美味しかろうとも所詮はジャンクな濃い味の食品。一個食べれば満足のはずだ。それが何なのだ、この中毒性は!?)


 迂闊!

 たっぷりソースのかかった見た目に気を取られ、ジャンクな濃い味などと判断したのが運の尽きである。

 ふるふると震える柔らかなたこ焼きの生地にはしっかりと出汁が効いており、まるで濃厚なクリームのように舌の上で熱くとろけて旨みを広げる。

 このだしの地力こそが、もう一つ、あと一つと食べ進めたくなる魔性の魅力の正体なのだ!

 大阪は古くからだし文化を重視する都市であり、その地で長年鎬を削ってきた名店がソースの味に頼りきった貧弱なたこ焼きなど出すはずもない。


 残るたこ焼きは、わずか二個。

 湯気と共に立ち上るだしとソースの香りは依然容赦なく食欲を刺激してくる。

 誘われるままに二人は残るたこ焼きに爪楊枝を突き刺し、既に持ち上げてしまっていた。


「こっ……このままでは、二人そろってたこ焼きに敗北を喫することに!」

「ど、どうする! どうすりゃいいんだ!」


 絶体絶命の危機に、ヴァルアリスの脳内パルスが加速していく。

 魔界最高の演算回路はありとあらゆる知識を総動員し、0コンマ数秒の内にこの窮地を脱する唯一の解を導き出した!

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