第21話 福島県福島市の桃のパフェ(前)
軽トラックは安全運転で福島市の西部へ入っていく。吾妻連峰の麓に位置するこの近辺は俗にフルーツラインと呼ばれ、季節の果物狩りを楽しめる果樹園の多い地域だ。
ヴァルアリスの鋭敏な嗅覚は、風に乗って果実の甘い香りが漂ってくるのを感じ取っていた。
(なるほど、人界での最後の一食がフルーツというのも乙なもの。この戦いをフルコースに例えるならば、これはまさしく締めくくりのデザート……)
感慨に浸っている内に、車は果樹園の一つ、暁果樹園へと到着した。
ヴァルアリスはてっきりここで果物狩りを行うのものと思ったが、大竹ゆかりは果樹園ではなく併設のカフェへと駆け込んで行く。
(ふむ……? 店の外にまで行列ができているのは一体どういうわけだ)
山の麓の果樹園、そこに隣接するカフェという辺鄙な場所に不釣り合いな大勢の客が、行列を作り何かの順番を待っている。
「お母さん! お母さーん!」
大竹ゆかりは行列を尻目に、カフェの客席を通り過ぎて調理室へ呼びかけ始めた。
カフェの店員が驚きながらも制止することなく見過ごしたのは、彼女が週四でこの店のアルバイトとして働いているからである。
そして調理室の扉は開き……眩い後光を放ちながら、その者は静かに現れた。
ヴァルアリスは思わず息を呑み、目を疑った。
「馬鹿な……人界に、体が光る料理人が存在するというのか!?」
魔界ではそれほど珍しい存在ではない。しかし、まさか人類にそのような特性を持つものが居るとは。
絶句するヴァルアリスであったが、その正体はすぐに明らかになった。
後光が放たれているように見えたのは、清潔感溢れる白のコックコートとコック帽、背後から差し込む逆光、そして何よりも本人の凛とした佇まいがもたらした錯覚である。
彼女の名は大竹いずみ。大竹ゆかりの母にして、このカフェのデザートを製作する
ヴァルアリスは一度安堵したが、すぐさま気を引き締め直した。
実際に光を放っているかどうかは問題ではない。
もしかしたらその錯覚も、限界を迎えつつあるヴァルアリスの空腹のせいかもしれないが。
「騒がしいですよ、ゆかりさん。それから、職場でお母さんと呼ぶのはやめなさい」
声を張り上げているわけでもないのに、騒がしい店内によく通る声である。
「ご、ごめんお母さ……いえ、大竹パティシエール。だげんども、どうしてもこの人にうちのデザート食べさせであげたいの」
この訴えに大竹いずみは顔をしかめ、小さな子を諭すように優しく言った。
「……順番待ちのお客様が見えないのですか。例えあなたの知り合いであっても、公私混同は厳禁ですよ」
「うっ……そ、それは」
気まずそうに黙り込んだ大竹ゆかりを見るに見かねて、ヴァルアリスが会話に割って入る。
「まあ、知り合いというほどのものではなく、ちょっと車でぶつかられただけだ」
「はい?」
目を丸くした大竹いずみは、娘の袖を引いて問いただした。
「車でぶつかったって、……何? ちょっと擦ったとかそういうこと?」
「ううん、結構正面からがっつり行った」
「何言ってるの!?」
「だげんど、なんかこの人平気なんだもん!」
ヴァルアリスはあらぬ誤解を生じぬよう、再び母子の会話に割り込む。
「いや、ちゃんと痛かったのだぞ。だが私は車などには負けていない。それは主張しておく」
アピールするポイントが完全にズレている。大竹いずみは眉間にしわを寄せ、考え込んだ。
はっきり言って、この事態は彼女の理解を超えていた。ただでさえ朝から晩まで菓子作りに没頭していて世間の風潮に疎いのだが、娘よりも年齢が下の若者の文化となるとてんで分からない。
しかし分からないなりに、娘の不始末について詫びねばならないという気持ちはあった。
「どうも、うちの娘が大変なご迷惑をおかけしたようで……よろしければ、こちらで食事を用意させて頂けますか?」
「し、しかし、順番が」
ヴァルアリスは順番待ちの行列を気にした。
今からこの列に並んで待つのは空腹度合いから考えても御免被る。
しかし横入りは明らかなマナー違反。しかも店側関係者とのコネクションを使った特権的な優待など、暴動が起きてもおかしくはない。
だがこの時、ヴァルアリスには想像もつかない事が起こった。
「あんだ、大変だったんだなあ。俺は抜げっから、ここ入りな」
比較的列の先頭付近に居た中年の男性が一人、ふらりと列から抜けて順番をヴァルアリスに譲ろうとしているのである。
「なっ!? し、しかしそれではせっかく並んだ時間が無駄になるではないか!?」
「俺は暇人だがら、いいのよ。
この中年男性の大らかな対応には理由がある。
彼にとって、生まれ育った福島という県は福の島……すなわちハッピーアイランド。アンハッピーな思いを土産に帰しては、福島の名が廃る。
そのような思いから、事故にあったというヴァルアリスに要らぬ世話を焼きたくなったのだ。
「あ……あり、ありが」
魔界ではあり得ない不意打ちの優しさにヴァルアリスは狼狽し、慣れない感謝の言葉もうまく告げることはできない。
中年男性は照れ臭そうに笑い、振り返らずに手を振って去っていった。史上初、
周囲の人々もこのやり取りには思わずほっこりと心和み、暖かい雰囲気で談笑が始まった。
そして予期せぬ出来事の連続に戸惑いながら、しかしその一方でヴァルアリスの中では次第に期待が高まり始めていた。
ここにあるのは、車にぶつかられた事がチャラになるほどの美食だというのか。
それが本当ならば、是非とも食べてみたい。そして、それほどの美食に対し勝利する事が出来たならば、今までの敗北など全てチャラにしてもお釣りがくるはずだ。
大変自分に都合のいい論理展開であった。
「問おう。一体私に、何を食べさせようというのだ?」
臨戦態勢となったヴァルアリスに、大竹いずみより厳かに告げられるメニュー名。
「それは当店の看板メニュー……この私が手がける最高傑作。桃のパフェを、是非とも召し上がってください」
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