第20話 導かれる運命

 すらりと引き締まった脚がアスファルトをリズミカルに蹴る。その度に、ポニーテールに結った長い髪が弾むように揺れる。

 Tシャツにスパッツというスポーティな出で立ちのヴァルアリスは、眩しく照りつける夏の日差しの下、湖畔の道をひた走っていた。


 ここは福島県、耶麻郡猪苗代町。

 ヴァルアリスが関東を脱し東北地方を訪れるのは初めてのことであったが、漠然と空気の違いのようなものを感じ取れる。

 実際に温度や空気成分に大きな違いがあるわけではなく、言語化し難い雰囲気の違いであろう。

 遠く見える磐梯山の威容、立ち並ぶ緑の木々、そして猪苗代湖の水面が陽光を返して美しく輝くのを、ヴァルアリスは好ましく感じた。

 「うつくしま、ふくしま」をキャッチフレーズに掲げる県だけのことはある。


 ところで今回ヴァルアリスがこの場所を訪れランニングに勤しんでいるのは、決して観光のためではない。いよいよ人類を根絶する時が近づいている今、その儚い栄華を胸に刻むという重要な意味があるのだ。


 長き戦いの日々の終わりに、人界の姿を目に焼き付ける。

 このような感傷を無意味と揶揄する者もあるかもしれない。そういうのは勝ってからやればいいのでは、と疑問に思う声もあるかもしれない。


 だがしかし、この行動はヴァルアリスの覚悟の表れ、自らへの追い込みでもある。身体を動かすことで空腹を煽り、食事の喜びを最大限に高めようとしているのだ。

 未来予知による絶対勝利という手段を取った以上、そこまでやって初めてフェアな勝負とヴァルアリスは考えているのである。


 あえて魔力による体温調節もオフにし、ヴァルアリスは既に炎天下で三時間近くも走り続けている。結果、爽やかに汗が弾け、心地よい適度な疲労と喉の渇き、空腹感が湧き上がりつつあった。

 念のため記しておくが、脆弱な人類はこのような無茶を試みてはならない。もっとこまめな休息と水分補給を心がけるべきである。


「そろそろ頃合いか……!」


 ヴァルアリスの双眸が怪しく危険な輝きを帯びる。

 調べたところでは、福島の名物は実に多彩。大きなカツを甘めのソースにくぐらせたソースカツ丼、ちぢれ麺の特徴的な喜多方ラーメン、薬味を乗せてさっぱり頂く小名浜のカツオのたたき。渋いところでイカ人参というのも気にかかる。


 様々な美食を夢想するヴァルアリスは迂闊にも交差点へ飛び出し、しかも右折してくる一台の軽トラックに対し注意を怠った。

 そしてヴァルアリスはスローモーションのように鈍化する感覚の中、悲鳴を上げる運転手の女性の顔を見た。急ブレーキ、急ハンドル、いずれの操作も間に合わないだろう。このままでは激突する!


「フッ……」


 ヴァルアリスは慌てず掌を前方へと突き出し、咄嗟の無詠唱ナンモイワンによる魔法の二重発動を行った。

 まずは気流柔制動テザワリフワットにより空気をクッション状に変化させ、激突の衝撃を優しく受け止める。

 さらに覇空式ウイトルナ風精飛身ジャッカンナによってヴァルアリスの身体は地面から数センチほど浮遊し、車体に押されるまま平行に数メートル滑った。

 そして着地。当然、無傷。些かの問題も無しである!


 念のため記しておくが、脆弱な人類は車道に飛び出したりしてはならない。交通ルールを守り、信号の変化や車の接近には十分注意すべきである。


「ああああっごめんなさい! ぶつかっちゃっ、た……あれ、今ぶつかったよね?」


 車を降りて駆け寄ってくる運転手の女性に、ヴァルアリスは余裕の微笑で応じた。


「確かにぶつかったが、しかし気にすることはない。私が迂闊であった」

「あっ、やっぱりぶつかってた! えっ、なんで平気なの!?」


 はねられたヴァルアリスは落ち着き払っており、はねた方は慌てふためいている。


(し、しまった。この対応は不自然であったか)


 ヴァルアリスにとってはごく自然な力の発揮であったが、人類にとってはそうではない。

 いくら後は滅ぼすだけとは言っても、ここで正体が露見し騒ぎになってしまうのは好ましくないのだ。


「いや、少し痛いかな。ぶつかったので少し痛いかもしれない。無論、人類の乗り物にぶつかった程度で怪我などはしていないがな」


 今さら白々しく痛がるヴァルアリスに、女性は尚更混乱した。

 この女性の名は大竹ゆりか。今年成人したばかり、免許も取りたてで車には若葉マークが付いている。

 元来そそっかしい性格の彼女は努めて安全運転を心がけてきたが、慣れによる余裕が生じてきたところでこの事態に直面し、気が動転しているのだ。


「とっ、とにかく、念のため病院さ行った方が……!」

「いや、そういうわけにはいかん。私にはこれから福島名物を食べに行くという使命があるのだ」

「何言ってんだあんた!?」


 冗談でも錯乱しての発言でもなく心の底からの本音なのだが、いよいよ正気を疑われてヴァルアリスは焦れた。


「くどい! 私はこの世界の、存在の証に相応しい美食を求めてやって来たのだ。それ以外の事など全て些事!」


 ヴァルアリスの目的はあくまで滅界儀式ホロボシタルの下準備。全人類を焼き滅ぼし、その魂を魔界の贄として、魔界の王として君臨する。

 そのために福島県にやって来たのである。


「そ、そんなに大事なことなの……?」

「無論だ!」


 決然と言い放つヴァルアリスの真っ直ぐな目を見つめ、大竹ゆりかは不思議と落ち着きを取り戻していた。

 まるで食に対し異様な拘りを持つ人物に、日頃から馴染みがあるのように……!


「そう……本気なんだね。覚悟が出来てんだね」


 深く頷くヴァルアリスは、まるで運命の糸に導かれるように事態が進行している事に気がついていた。

 この不慮の事故、偶然の出会いにもおそらく意味がある。


「じゃあ、乗って。いい場所に案内するから」

「乗るとは、その車にか?」


 その軽トラックこそが、ヴァルアリスを決戦の地へと運ぶ運命なのか。

 やはりオルガナインの占星術に狂いはない。戦いの終わりはもはやそう遠くない筈である。


「んだ。さっきぶつかっちゃったお詫び……福島に来て美味いうめぇもん食いてえなら、私、一番いい場所知ってっから!」


 結果として破滅への水先案内人を担ったとして、誰が大竹ゆりかを責められよう。

 目の前の存在が、人類を淘汰するために襲来した魔界最強の存在・竜魔神姫トンデモナイゼである事など、一般市民には知る術もないのだから……!

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