第14話 山梨県南巨摩郡のかぼちゃほうとう(後)

「うどんではない……?」


 たしかに、その麺は以前食べたうどんよりも幅広で平べったい形状をしている。しかし、だからなんだというのだろうか。


(形状はともかく、このタイプの麺を食したことはある。味付けはおそらく味噌か……味噌味の汁も既に経験済みだ。具材もシンプルな肉、野菜と見える)


 素早くほうとうの分析を行ったヴァルアリスは割り箸を魔法で二つに断ち、口角を上げた。


(郷土料理などといってもさほど特色は無し。負ける要素は……無い!)


「いただきます!」


 鉄鍋で煮られたほうとうは、見るからに熱々。ヴァルアリスはそれを箸で持ち上げ、ふう、ふうと慎重に吹いてから啜って、もぐもぐと噛んで飲み込む。


「ふうん。なるほど」


 おたまを使って、汁を一口飲んでみる。


「なるほどな」


 続いて、具材を次々に口に運ぶ。


「な……なる……ほ……!?」


 既に、ヴァルアリスの食事には止まらぬ勢いがつき始めていた。


 美味しいのだ。

 麺は柔らかく、小麦の味わいの上にたっぷり纏った味噌味の汁がよく合う。

 人参はほくほくと甘く、大根や長葱のほのかな苦味も味の広がりに一役買う構成となっている。

 ホロリと甘く崩れるカボチャ、繊維質な牛蒡の歯ごたえ、ぷるんとした蒟蒻とバリエーション豊かな食感も嬉しい。

 煮え具合を絶妙にコントロールされた豚肉は柔らかく、噛みしめるたびにぎゅっと旨味が染み出す。

 そして、それらを立て続けに口にしたヴァルアリスを驚かせた点があった。


(この、この一体感は何なのだ!?)


 たくさん入った具材が、各々の個性を主張しながらも見事に調和がとれているのだ!


 その一体感の秘密は、ほうとうの麺にある。

 ほうとうの麺は、うどんのようによく練ってコシを出すという過程を経ない。さらに打ち粉の付いた生麺をそのまま煮込むため、粉と麺が溶け出して汁全体にとろみがつくのである。

 やわやわと柔らかい麺が汁と一体になって生まれる、優しい味わいがほうとうの特徴なのだ。うどんとは似て異なる存在!


「ヒッヒッヒ……」

「ヒッヒッヒ」


 一心不乱に食べ進めるヴァルアリスを見て、吉村多江が怪しげな笑い声を漏らす。

 吉村寛二郎もまた、同じ笑い声で眼鏡を光らせた。


(いけない。これ以上は……これ以上食べては!)


 ヴァルアリスは必死の抵抗を試みるが、その意思とは裏腹に手は止まらない。


 無理からぬことであった。

 ほうとうの味の決め手となるのはカボチャである。この硬い野菜は、柔らかくなるまで煮込む事で汁に溶け出し甘みを加える。

 味噌の塩気とカボチャの甘み……相反する二つの力が、不思議と融和する。

 甘みが塩気のある食べ物の美味しさを引き立てるのは先日ヴァルアリスも牧場にて思い知ったところだが、かぼちゃほうとうは一つの料理内でその力を発揮する!


 そして、郷土料理よしむらで使用しているのはただの味噌ではない。

 武田信玄の時代より代々製法を受け継がれ、時折改良も加えながら完成させてきた秘伝の甲州味噌である。

 米麹と麦麹を合わせて作る甲州味噌が煮干し出汁と合わさり、さらに麺と具材が溶け込む。

 こうして出来上がった汁はまろやかにして奥深い旨みを持ち、一度口を付けたら完食不可避の、伝家の宝刀となるのだ!


 そう、これはヴァルアリスが幼少の頃から慣れ親しんだふるさとの味。

 遊び疲れて帰ってきた夏の日に、手を洗って食卓に着くとおばあちゃんが食べさせてくれた、あのかぼちゃほうとうの味……


(違う違う違う!)


 ヴァルアリスは無詠唱ナンモイワンにて破幻覚醒唱チャントセナを発動させ、捏造された過去の記憶から脱した。

 破幻覚醒唱チャントセナはあらゆる幻覚や精神干渉を弾く精神防御魔法である。もっとも、術者自身が完全に精神を支配された後では唱えることも叶わない。

 危ういところであった。あと一歩でヴァルアリスは、魔族の誇り、竜魔神姫トンデモナイゼとしての矜持、全て根こそぎ奪われるところだったのだ。


(とはいえ……間に合った、というわけでもない)


 ヴァルアリスの眼前にあるのは、既に空になった鉄鍋。

 完食……それは敗北を意味する!

 敗因を分析するならば、一度極限の弛緩に振ったにも関わらず緊張を維持できなかったこと。

 それほどまでに郷土料理よしむらの空気、そしてかぼちゃほうとうの味わいに優しさがあったためだろう。


 かくして世界の平和は守られた。

 美食の集う地は何も東京、神奈川、千葉だけではない。山梨県もまた、竜魔神姫トンデモナイゼを討つだけの力を持っていたのだ!


「ヒッヒッヒ……おかわりするかい? それとも、貰い物のお菓子があるんだけどねえ。食べるかい?」

「ヒッヒッヒ。お茶をもう一杯淹れようか?」


 笑顔で詰め寄る吉村夫妻に、ヴァルアリスは思わず後ずさる。


「お……お勘定をお願いしたい!」


 これ以上この場に留まれば、敗北以上に取り返しのつかない事態となるのは明白。


「ご馳走様でしたぁあああ!」


 ほうとうの代金を支払ったヴァルアリスは影化疾走術アルクノハエーナによって山の斜面を駆け上り、瞬く間にその場を後にした。

 ヴァルアリスは一夜明けて翌朝、旅館の朝食にも舌鼓をうち更なる敗北を重ねるのだが、その様は割愛しよう。



 そして、ヴァルアリスが去ったのとほぼ入れ違いに、一台の車が郷土料理よしむらの駐車場へと停車した。


「あー、やっと着いた。何、まだ店閉めてなかったの?」


 車を降りて店に入った運転手は吉村夫妻の孫娘、吉村貴恵である。


「閉店間際にお客さんが来たもんでね。それより、大丈夫だったのかい貴恵」

「ああ、平気、平気。事故っていっても、バンパーをちょっと擦られただけだから」


 吉村多江は、遠路はるばる訪ねて来る孫娘の車が事故にあって遅くなるという報告を受け、気が気でなかったのである。

 ヴァルアリスを店内に招き入れる際にやたらと外の様子を気にしていたのもそのせいであった。


「なら、良かったけどねえ。あまり心配させないでくれよ。ヒッヒッヒ……」

「心配症だなあ、おばあちゃんは。ヒッヒッヒ」

「ほりゃあ、家族だもの。ヒッヒッヒ」


 特徴的な笑い声を持つ吉村一族は、互いを思いやる気持ちを感じ取り、和やかに笑いあった。


「ああ、そうだ。貴恵、お腹減ってないかい。ほうとうがあるよ」

「やった! おばあちゃんのほうとう、大好き!」


 吉村貴恵にとっては、真実、幼少の頃から慣れ親しんだふるさとの食べ物である。

 それは時に別人にさえ温もりの風景を垣間見せてしまうほど、愛情が込められた味なのであった。

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