第15話 渋谷区原宿のパンケーキ(前)
原宿は"個"の街だ。原宿駅から竹下通りの喧騒などはその最たる部分で、目に痛いほどの色彩と自己主張が常に化学反応を起こしながらぶつかり合い、流れて行く。
場にそぐわぬ服装など一つも存在しない。ここはありとあらゆるファッションが活きる場所なのだ。
そんな喧騒からやや先へ進み、地下鉄明治神宮前の駅にほど近い、細い路地。
カフェ・アビーファームの待機列に並ぶヴァルアリスは、由緒正しきゴシック・ロリータ様式のワンピースに身を包み、日傘をくるくると回していた。何をどう調査したのか、原宿にはこの服装が最も相応しいという結論に達したが故である。
ビスクドールのごとく整った美貌の少女が黒いレース付きのワンピースで物憂げに佇む姿は、列を作る集団の中でも極めて強い存在感を放っていた。
とうのヴァルアリス本人は苛立ちが頂点に達し、今にも暴れ出したい心持ちである。
限定50名の枠にギリギリ間に合いはしたが、前方には数十人の先客。列は遅々として進まない。
これを破壊にも殺傷にも当たらないとして良いものかは、
微妙ならば、ヴァルアリスはそれを良しとしない。彼女は完璧主義なのである。
(おのれ人類……この私に、このような無為な時間を過ごさせるとは……!)
もし仮に人類を滅ぼす時は、まず渋谷区から滅ぼす。ヴァルアリスはそのように決意していた。
怒りのあまり自分の背後に立つ人物を気にする余裕すらなかったのは、彼女にしては珍しい失態と言えよう。
耐えに耐え、ようやく入店の時は来た。ダンディなウェイターが一礼してヴァルアリス を迎え入れる。
「お客様、何名様でいらっしゃいますか」
「二人だ」
一名だ、と即答しかけた瞬間に背後から響く、聞き覚えのある声。
ヴァルアリスは表情を殺し、努めてゆっくりと振り返る。恐怖を見せてはならない。驚愕を悟られてはならない。他ならぬこの相手にだけは。
案の定そこには、勝ち誇った笑みを浮かべる
スタッズ付きの革ジャンにガーゼシャツ、タータンチェックの巻きスカートという典型的パンク・ファッションである。
「……何のつもりか」
「そりゃこっちのセリフだ。ま、とにかく座ろうぜ」
そう促され、ウェイターに案内されるままヴァルアリスは宿敵と共に席に着いた。
後方にはまだ何名か順番待ちの客が列を作っており、ここで騒ぎを起こせばせっかく訪れた機会を逃す事になる。
否、もはや重要なのはそんな事ではない。
無敵の
インフェリスはどこまで知っているのか。わざわざ密かに同行してきた以上、何も知らぬと言うことはないはず。場合によってはこれが人界最後の食事になるかもしれないと、ヴァルアリスは悲壮な決意を固めた。
ヴァルアリスの対面に座ったインフェリスは勿体ぶって水を一口飲み、そのグラスを揺らして氷をからから鳴らした。
「
「お前には関わりのない事だ」
ヴァルアリスは必死に平静を装っているが、その背中を汗が伝う。対面の相手にいつ爆弾が投げつけられるかわからない状況の会話である。
「お前アレだ……何かしているんだろう。ええ?」
漠然とした問いかけに、ふと疑問が浮かんだ。
「……何かとは何だ」
「知らねえが、何かだよ」
ヴァルアリスは安堵と若干の拍子抜けで、長い長い溜息をついた。
(……こいつ、さては何も知らんな)
インフェリスには昔からそういうところがある。異様に勘が鋭く重要な局面に飛び込むのだが、自分でも何がしたかったのか、何をしたらいいのか分からず、そのまますごすご帰る羽目になる。
今回もそのパターンのようである。
なれば、ヴァルアリスの取るべき態度は一つ。胸を逸らしてふんぞり返り、シラを切り通すまでである。
「教えて欲しければ、相応の態度というものがあろう」
「何だとォ……!」
「もっとも、説明したとてお前に理解出来るかどうかは怪しいところだな」
「何だとォ……!」
インフェリスのリアクションの語彙が貧困過ぎるため、ヴァルアリスは疲れてきた。
半ば無視する形で卓上のメニューを広げ、ぱちぱちと瞬きをする。
(な……なんだこの茶の数は……?)
カフェ・アビーファームでは産地別のコーヒー、紅茶に中国茶、ハーブティー、各種フレーバーティーまで豊富なラインナップを取り揃えている。
(アッサムというのはあっさりした茶なのだろうか……ウバとは乳母のことか?)
半端な日本語の知識が、かえって紅茶の銘柄の理解を困難なものにしていた。そうこうしているうちに、先ほどのダンディなウェイターが軽やかな足取りで接近!
「ご注文はお決まりですか?」
「いや、ちょっと……茶の種類が多くて……」
「じゃあオレ、これで」
「なっ……!」
インフェリスの指は茶ではなく、ヴァルアリスが注文しようとしていたクラッシュナッツキャラメルバナナリコッタパンケーキを指差していた。
(こ……こいつ……!)
ヴァルアリスは直前まで迷っていたのである。この日用意された限定スイーツのパンケーキは二種類。一つはダブルベリーヨーグルトクリームリコッタパンケーキ。もう一つはクラッシュナッツキャラメルバナナリコッタパンケーキ。
この店の情報を得た時から、待ち行列に並んでいる間もずっとどちらにするか迷い続け、この席に着いた際ようやく心が決まったところであったというのに。
(よりによって、何故。同じものを頼めば真似と思われてしまう……何故そちらを選んだ……!)
悔やんでも呪っても、もはやどうにもならない。止むを得ずヴァルアリスはダブルベリーヨーグルトクリームリコッタパンケーキを注文した。何も知らぬウェイターは笑顔で快く応じるのみである。
「よろしければこちらで、パンケーキに一番合ったお茶をご用意させて頂きますが?」
「じゃあ、それで」
「……任せる」
低く、押し殺したような返事を不審に思って顔を向けたインフェリスは、思わず息を呑んだ。
どす黒い憤怒の炎がヴァルアリスの全身から立ち上っていた。これほどまでに激情を露わにする
「な……何?」
「何、じゃない……!」
どのタイミングで何が逆鱗に触れたのかわからず、インフェリスは狼狽した!
そんな二人のやり取りを知る由もなく、厨房ではチーフの尾野上雪彦が必死にメレンゲを泡だてていた。
「ハァッ!」
恐るべき泡立て器の回転数!
この神業で泡だてられたメレンゲを使用する事で、カフェ・アビーファームのパンケーキは未曾有のふわふわ感を生み出すのだ!
「ソウーラッ!」
さらに契約農家の新鮮な卵、香り高いバター、そして味の決め手となるリコッタチーズを投入し攪拌!
ギャラリーからワッと歓声が上がる。
この店では厨房の調理過程をガラス越しに見学出来るようになっており、甘いマスクを持つ尾野上のパンケーキ作りはファン垂涎のショータイムなのである。
その様子を少し離れた場所から見守るのは、先ほどヴァルアリス達から注文を取ったダンディなウェイター。
このウェイターの名は伊達真。かつては尾野上と腕を競い合い、将来有望と目されたパティシエであった。
しかし尾野上に敵わない自分を自覚し、伊達はあえて調理の現場を離れ尾野上をサポートする道を選んだのである。
そもそもカフェ・アビーファーム自体が、尾野上の腕を存分に振るわせるために伊達が作り上げた城であった!
再びテーブル席!
しどろもどろのインフェリスは必死にヴァルアリスとの会話を試みている。
「お、オレはただ、オレとお前のどちらが上かをはっきりさせたくてだな」
「そんな下らん理由で貴様はここに来たのか……!」
「ひっ……!」
ヴァルアリスのテンションが明らかにおかしい。インフェリスはもはや涙目になりながら、精一杯の反撃を試みる。
「お……お前と違って、オレは
インフェリスは店内の人間全員を人質に取った形である。が、対するヴァルアリスはその程度のことには一切動じない構えであった。
「馬鹿め。お前こそ勘違いをしているな。私は別に人界に拘ってはいない」
これは嘘である。
「やりあう気なら全力でやる。
これは本気である。
一度怒りに火がついたヴァルアリスは、たとえ同じ魔族、遠く同じ祖先を持つ者であっても容赦がない。
ヴァルアリスとインフェリスの間に、散発的に青白い火花が散った。互いに防護結界を展開しながら同時に相手の結界へ侵食を繰り返し、領域を上書きしあっているのである。
ああ、しかし!頼みの綱であるパンケーキは未だ鉄板の上。低温で時間をかけてじっくりと焼き上げる事により、夢のようなふわふわ食感をお届けしようというのだ。
このままではパンケーキが焼きあがる前に渋谷区が焼きあがってしまう……まさに万事休すの事態であった!
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