第14話 もう一人の魔神姫
魔界の乾いた大地を揺るがす、万醒鼓と呪鐘の音。並び立った数万の九節馬は蹄を鳴らし、黄金の紋章を記した旗が掲げられる。
これは
ここまで開催が遅れたのは現王ザドゥムがあれこれと注文を付け、再三にわたって工程の練り直しを強いられたためである。形式的なものに過ぎないからと、ヴァルアリスも対策を怠った。それが災いした。
当のザドゥム本人は簡易な挨拶を述べてさっさと城内に引っ込み、長大な闇の祝詞、褒賞の授与などは全て人任せである。ヴァルアリスは苛立ちながらも粛々とそれらの務めを果たしていた。
異変が起きたのは、式典も佳境に差し掛かった頃であった。
ヴァルアリスは戦功を称える杯を授けるべく待ち構えていたが、視界の端に小さな閃きを捉えて顔をしかめた。
稲妻であった。ただし、それは天から地に下るのではなく、地平の彼方より真っ直ぐに迸り、ヴァルアリスの座す壇上へと向かっている。
「ヴァルアリス様!」
叫びながら盾になり庇おうとするグレミアに、ヴァルアリスはやや感心した。反応の速度といい、恐らくは防ぎきれぬ殺傷力の攻撃に対し迷わず飛び出す胆力といい、見上げたものである。
しかしヴァルアリスはそのような感情はおくびにも出さず、ただ気怠げに言葉をかけるのみである。
「構わん。当たりはしない」
その予告通り、雷光はあわや国旗の中央を貫くかというところで突然四方へ散った。ヴァルアリスが弾いたのではなく、最初からそのように定められた軌道である。
呆然とするグレミアの傍には、いつの間にか強張った表情の
「……ヴァルアリス様。今の雷は」
「
そう言い終わるか終わらないかの内に、風を切り、黒い羽根を舞わせながらその者は現れた。
肩にかかる跳ねた亜麻色の髪。けばけばしいとすら感じられる、随所に羽根飾りのついた威圧的な戦装束を纏うのは、美しく均整のとれた体躯。
荒々しく野生的ながらも、どことなくヴァルアリスに似通った目鼻立ち。それは紛れもなく王族の血を引く者の証。
慣れた手つきで剣を鞘へと納めるその者は……
この魔界において、
「何のつもりか」
ヴァルアリスは立ち上がりもせず問う。
「何がだ?」
対するインフェリスはわざとらしく大きく首を傾げ、ぞんざいな口をきいた。
ヴァルアリスに対してこのような態度を取れる者は、魔界に二人と居ない。
「厳粛なる式典に横入りし、あまつさえ国旗を狙うとは何のつもりか、と聞いている」
「祝いの花火代わりさ。見事なもんだったろう」
ひらひらと手を振りおどけてみせるが、ヴァルアリスの表情は動かない。快も不快も、怒りの一欠片さえ表には出ていない。
「くだらん事をする」
「そう言うなよ。
インフェリスは魔法よりも魔剣によって猛威を振るう、魔族の中でも異端の戦士である。だが、それよりさらに特異なのは彼女の身分であった。
明らかに王家の血を引きながら、それを証明する手立てが無いのである。故に、扱いが宙に浮いている。誰の部下とも言えぬ微妙な立ち位置で魔族の軍に所属し続け、しかし活躍の機会は与えられない。
誰もが彼女を扱いかねていた。付き従うには奔放に過ぎ、手懐けるには凶暴に過ぎ、誑かすには聡過ぎるのである。
周囲の腫れ物に触るような態度を感じ取り、インフェリスはいつも苛立っている。今もまた、次第に語調に熱が篭り始めていた。
「いつまでこういう事が続く? 王位の継承権はオレにも与えられて然るべきだ。違うか?」
ウェリゴースは固唾を飲み、グレミアはおろおろと二人の魔神姫を見比べるばかりである。
「オレとお前の何が違う。ヴァルアリス」
インフェリスは上体を屈め、前髪が触れるかというほどの距離に近付いてヴァルアリスを睨みつける。
「簡単な事であろう」
優雅な微笑さえ浮かべ、ヴァルアリスは告げた。
「私は
無言のインフェリス。だがその全身からは怒気が膨れ上がり、大気を揺らがせるかのようであった。
インフェリスは無理矢理に口の端を曲げ、凄絶な笑顔を形作った。
「その言葉……いずれ後悔させてやるよ」
「祈るのは自由だ。止めはしない」
あくまで辛辣、冷徹な対処。
インフェリスは鞘から抜いた剣を振り、自らが生み出した斬撃に乗って風のようにその場を後にした。
ばらばらと黒い羽根が散らばるのを見やり、ヴァルアリスは珍しく声を張り上げる。
「ウェリゴース!」
「は」
畏まって膝をつく巨漢に、容赦のない叱責が飛ぶ。
「何故、私があれの相手をせねばならんのだ。お前がやるべきであろう!」
この指摘は正しい。いかに強大な力を持っていようとも、インフェリスの公的な身分は
階級にして二つ上の
「申し訳もございません。いかなる処罰も受ける覚悟」
平身低頭するウェリゴースの前に、グレミアが割って入る。
「お待ちください、ヴァルアリス様。ウェリゴース様の考えをお聞きになってからでも……」
「止さぬか!」
ウェリゴースの怒号がグレミアの言を遮り、その剣幕に彼女は我に返った。
ヴァルアリスは無言である。この場合は無言であることがかえって恐ろしい。
斬首刑、絞首刑、火刑、石化刑、いずれとなるものか……もはや項垂れ、ただ震えながら沙汰を待つばかりとなったグレミアの脳裏には、生を受けてよりこれまでの日々、僅かな思い出が走馬灯となって駆け巡っていた。
だが、続くヴァルアリスの言葉は誰にも予測できない意外なものだった。
「もうよい。これにて閉会とする!」
「えっ」
呆気に取られるウェリゴース、グレミア、そして万を超える魔族軍の面々を尻目に、ヴァルアリスはダッシュでその場を後にしていた。
「ヴァルアリス様……?」
赤く乾いた魔界の風が吹き、はたはたと間抜けな音を出して国旗をはためかせた。
(あああああああー!)
光に近い闇の速度で、ヴァルアリスは無人の廊下を駆ける。使用魔法は
あらゆる障害物をショートカットして一直線に自室へと向かう。
(
扉の前で素早く肉体を再構成、掌をかざして認証を解き中へ滑り込む。そのまま流れるように鍵付きの金庫を開け、資料を再確認。
店名よし。所在地よし。開店時間、もう間も無く。
(おのれ……これでもしも限定スイーツが売り切れていたら呪ってやる!)
それは先日、式典の調整作業に疲れ、気分転換に人類の食物を調査していた時のこと。
ヴァルアリスは実に興味深い広告記事を発見したのである。
"食べる芸術品"
"一日五十名まで、極上の限定スイーツ"
"夢のような体験をあなたに"
これまでの食事で、ヴァルアリスは人類のデザートというものを食べていない。そして、このデザートにこそヴァルアリスは勝機を見出していた。
確かに見た目こそ豪勢であるが、過度に外見を飾り立てたものは往々にして実を伴わない。食事というものは、美味しければそれで良いのだ。五十名限定などという触れ込みで希少価値を煽るのも胡散臭く感じられる。
ここには間違いなく付け入る隙があると、ヴァルアリスはそのように判断したのである。
「待っていろ、人類の作り出した食べる芸術品とやら。必ず私が食し、落胆して食べ残してみせる!」
もはや誰にも理解できぬ謎の宣誓と共に、ヴァルアリスは転移を開始する。
今回も一応人類に希望はなく、ただ滅亡の時を待つばかりに思われた。
だが、忘れてはならない。
この物語の題名は、
そう、これは魔界の頂点にして至宝、戯れに竜をも屠る、絶対無敵、最強不敗の
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