第14話 海舟とイゾーのポルカ

 どんどん詰め寄られて壁際に追いつめられた勝の手足が、じたばたと妙な具合に動き始める。


 ……いつの頃からか、学問所で、直参グループの陰湿なイジメを受けていた頃からか……何かに追い詰められ、逃げ場がなくなると身体が自然に動き始める。勝の頭蓋にドラムンベースのリズムが反響して、勝は狂ったように踊り出した。脳味噌の芯から熱が広がり、五体を侵して行く。魂が真っ白に熱して周囲の何もかもが消え去り、虚空の中で勝はひたすら踊り続けた……小半刻も踊っただろうか……ようやく動きを止めた勝の視界に、周囲の景色がゆっくりと戻って来る。


 心地好い疲労感が全身にゆったりと満ちて、勝は長い息を吐いて辺りを見回した。後方から寝息が聞こえる……イゾーが猫のように丸くなって寝ていた。


 可愛い寝顔だ。


 子供とはこういうものだ……子供が安心して眠っていられる時代を我々の世代が創らなくては……脈絡もなくそんな事を思った海舟が、座布団に腰を降ろした瞬間、眼前に白刃が光った。


「勝安房守海舟、覚悟!」


 覆面の刺客が振るう鋭い太刀先が、上段から勝の頭を両断しようとした刹那、イゾーが跳ね起き、腰の脇差しを斜め上方に一閃させた。刺客の刃が勝の背後の襖にめり込む。胴から上の上半身が勝の肩先をかすめ、襖にぶつかって落ちた。下半身はしばらく立っていたが、やがて腸がごぼごぼと覗き、ゆらりと崩れた。


 勝が慌てて畳を這いながら、刺客の両断された死体を庭に蹴落とした途端、死体の切り口から血が噴き出した。庭の土にどす黒い血溜りを作ってゆく。


 振り返ると、イゾーは横になり寝息を立て始めていた。

 ごろごろと寝返りをうって近づき、正座した勝の膝に頭を乗せる。

 天使の様な寝顔だ。

 勝は、こわごわ髪を撫でてやる。

 勝の頬を涙が伝い、イゾーの髪に落ちた。


「EDOの勝海舟さんからのお手紙の続きです……」


 如月屋のセットが暗転して、ジョン万次郎にスポットが当たる。


「『という訳で、私は命を救われましたが、私は自分の事より、その子供の為に涙が溢れて、仕方ありませんでした。この時代というものが、こんな幼い子供を殺人者にしてしまった。そして私たちは『時代のせいだ』と簡単に言い、自分自身がその時代を作っている責任を放棄してしまう。どんな形であれ、人が人を殺す事を一方で認めておいて、一方で禁止する事は、間違っている……槍も刀も鉄砲も、おおよそ、人を殺す為の全ての武器を捨て去るので無ければ、平和を叫ぶ事は間違っている……私は夢想家と呼ばれる事を恐れず、そう叫びたい……そう思いながらも私は、自らの思いを封じ込めて幕府の海軍奉行を仰せつかりました。せめて、この曲をあの子に贈りたい、そう思います』……リクエストは、9月に出た私、ジョン万次郎のソロ・アルバムからの曲でした……『夢想』」


♪夢みてごらん

 地獄 極楽も

 国境(くにざかい)も無い

 侍もいない

 来世を誓う前に

 くちづけをしよう

 この世を愛で満たし

 手と手をつなごう……


(EDO著作権協会承認:ほの二十二番)



 この静かなバラッドの後半が、いきなり、『ドゥヴィドゥヴァー ヴァヴァヴァヤー♪』と、ポルカのリズムに変わるのは納得できないんだよなぁ……と、甚五郎が考えていると、曲は、そこまで行かずにフェード・アウトした。選曲の宮さんもそう思ったのだろう。場面はイゾーと武市のアジトへと変わった。


バンっ! いきなり凄い音がした。


 ラジオが蹴飛ばされ、イゾーの頬に激痛が走った。見た事もないくらい恐ろしい顔をした半平太が、イゾーの視界でゆっくりとにじんだ。右手にくしゃくしゃにした手紙を握っている。


「"勝先生にイゾーはどうでしたと聞いたら一言、怖かった、と言うちょった。その後、でも命の恩人だ。EDOに帰ったら芋羊羹を送る。と、言うちょった。イゾーは本当に凄いぜよ。今回は、まっこと助かった。礼を言うちょってくれ……半平太へ……お前の幼なじみ、世界の、坂本竜馬 "」


 半平太は怒りのあまり手紙を食いちぎった。イゾーが泣いて取り縋る。


「やめてよ!おっ父……やめてよ!」

「うるせえ!」


 半平太に突き飛ばされて、イゾーの後頭部が箪笥にぶつかり酷い音を立てた。


「お前があの時斬ったのはな!長州の柏谷日世吉といってな、土佐勤王党のお友達、同志だったんだ!おかげで長州藩から呼び出され、半日もグダグダ文句言われてな、スポンサーの姉小路公知って公家さんからもな、"土佐は見境いが無い、何でもかんでもバンバン殺しすぎだ、当分謹慎しやれ"って、畜生、あいつに目をつけられたらもう攘夷派の中では浮かびあがれねえ!……ったく!馬鹿なことをしやがって、大体、あんな幕臣の護衛につけるたあ、竜馬も何てことしやがるんだ!元々勤王党だったくせに、公武合体派なんぞに成り下がりやがって……」


「……わかんない……」


 頭のこぶを撫でながら、イゾーがぽつりとつぶやいた。身体が小刻みに震えているのか歯の根が合っていない。


「何が!」

「……おっ父の言ってる事がわかんないよ…竜馬おじちゃんは、おっ父の幼馴染みだったんでしょ……なのに、どうしてコーブガッタイなの?……アネコージキンタマって、おっ父より偉い人なの?……おらが斬ったのは、宇宙人じゃなかったの?わかんないよ!おら、なんか悪いことしたの?……おら、おら、……もう、おっ父の言ってることが…何もかも、わかんないよ!」


 イゾーの眼から、静かに涙があふれて落ちた。小さな肩が震えている。

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