第10話 坂本の世界

 ジョン万次郎が、紙芝居風に拵えた場面の錦絵を手に、ここまでの粗筋をざっとおさらいしてから、生ドラマの続きが始まった。始まる前とか、後とかではなく、ドラマの途中で、慶喜出演の政府広報を挿れさせろというのが、大江戸TV→MTHKに対する、新政府側からの、この生ドラマの放送許可条件だった。なんとか、初めの方で終わらせたいというのが現場の希望だったが、いずれにしても『異物感』は拭いようもないな……と甚五郎は思った。気を取り直してカメラに向かう。


 武市半平太と待ちあわせた橋の下で、イゾーはキャンディーを舐めていた。厚みが半分ほどになったところで布を巻き、とっておくことにした。雷兎が笑っている……半兵太の足音にイゾーは慌ててふところにしまった。


 夕焼けを背負って影のように滑り込んできた半兵太は、イゾーの顔を見るとニッコリと笑った。


「お疲れ様。新兵衛から聞いたよ、どうしたんだい?」

「おっ父……あいつは血の色が赤かった。"痛い、痛い"って……おら、驚いた。後は新兵衛の兄ちゃんが助けてくれた。」


 武市は表情を変えずにイゾーの肩に手を置いた。


「そうか……やつらの手口も巧妙になってきたな。イゾーを混乱させるために、そんな小細工までするようになったのか……大丈夫、あいつが宇宙人に違いないことは新兵衛にも確かめた。まずはお手柄だ。」


 イゾーの顔がぱっと晴れた。


「そうか……宇宙人も考えてるんだな……!……あー……おら、びっくりしてしまって、"てんちゅー"って言い損ねた…。」

「次は、ちゃんと言えるように頑張ろうな。さあ、今日はもう終わりだ。お腹もすいただろ?美味いものでも食べに行こう。今夜は良いところに連れて行ってやるぞ。」

「おっ父、お金は大丈夫か?昨日みたいに橋の下でもいいぞ。」


 武市が懐から、ずしりと重く、厚みを増した財布を取り出して見せた。


「……宇宙人を退治するとな、ご褒美のお金がもらえるんだ。だから、もうそんなことは、心配しなくてもいい。」

「いいのか……おら、本当はお腹がぺこぺこなんだよ!」


 イゾーの顔がくずれる。

 太陽のような笑顔を浮かべた少年を武市は思わず抱き上げた。

 作り笑顔ではない本当の表情が自分の顔に浮かんでいる事に気付く。


『俺らしくもない……』


 だがこいつを見ていると何だか嬉しくなってくるのだ。


「いいとも、腹が破けるくらい食わせてやるぞ!」

「わーい!」


 イゾーのすべすべした腕が半平太の首に回された。

 おのが胸の鼓動を感じて武市は狼狽した。


「……よしよし、刀を取ってこい。」


 イゾーは武市の腕から飛び出し、土手の石垣の隙間から筵にくるんだ備前長船を取り出した。片手で胸に抱え、もう片手を差し出す。


『子を持つというのはこんな気持ちなのだろうか……』


 その小さな、だがしっかりした骨格の手を握ろうとした時、半兵太の耳に聞き覚えのある話し声が飛び込んできた。急いで手をつかみ橋の下に引き込む。


「……まずい奴が来た……静かにしてろよ。」

「誰?」

「わしの…幼なじみじゃ……」


 頭上を土佐弁の野放図な声と足音が歩いて行く。

 寄り添うように女の足音が続く。


「ほいでのー、そん時、徳川家茂の一行に高杉が"いよっ、征夷大将軍!"ゆーて大声だしよったんじゃ!天下の将軍がへこへこ天皇の行列についていきよる時にぜよ!お供の、一ツ橋慶喜なんちゃ顔が引きつっちょったきに。まっこと痛快な話ぞね。わしゃ、日本に新時代が来て新しい政府ができた時には、あん男にリーダーになってほしいんじゃ。ほいでゆうちゃるのよ、"いよっ!大統領"ゆうての…」

「いやあ、かなんわ。また……落とし噺どすか……」


 茶屋から覆面の浪士が二人の前に躍り出て、刀を構えた。

 竜馬は丸腰に見える。


「土佐の坂本竜馬と見受けた!覚悟!」

「おまん、間違ごうちょる…。」


 ちっちっちっと舌打ちをして、土佐の生んだ幕末のスーパースターは露骨に嫌な顔をした。


「何だと!」

「わしゃ、”土佐の坂本竜馬”じゃのうて、"世界の坂本竜馬"じゃきにのう。……ほいでこれが、高杉晋作からもろうたスミス&ウェッソンのペストルぜよ。ほれ、いんだ方が身の為じゃ。」


 懐から取り出したピストルを構える。


「短筒が怖くて攘夷ができるか!」


 うわずった声で叫ぶ浪士に向けて、竜馬は威嚇射撃をしようとした。素人が撃って簡単に当たるものではない。だが、銃口を向けられるのは理屈抜きに怖い。


 浪士は引き金を引くタイミングで、弾を避けようとすばやく這いつくばった……間延びしたカチッという音を聞いて片眼を開ける。


「いかん、弾、入れ忘れちょる!」

「そんなぁ!」


 おりょうの悲鳴が響く。


 跳ね起き、斬りかかろうと構えた浪士の傍らを稲妻が走った……と、見えたのはイゾー……浪士は三枚におろされてゆらりと倒れた。イゾーは血の色の赤さにも、もはや驚かなかった。


「……竜馬。大丈夫か?」


 思わず飛び出してしまった武市が、仕方なく声を掛ける。


「半平太ぁ!!!ひっさしぶりじゃのお……!!!」


 竜馬の大声が武市のこめかみに響いた。


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