第9話 試練! その名は――「はじめてのお買い物」!?
「…………あちい…………」
真夏の早朝。部屋に篭る熱気に耐え切れず、俺は自室のベッドから起き上がった。
エアコンも全開、扇風機も元気に稼動しているがそれすらも超える暑さと熱気が部屋に満ちている。まだ朝の六時過ぎだが、こんな状態じゃ二度寝も出来ねぇ。
「シャワーでも浴びてくるか……」
汗びっしょりのTシャツに顔をしかめながら部屋を出ると、俺はのろのろとゾンビのように風呂場に向かう。
前回の戦いからはや数日。今日は全国の学生待望の休日だ。もちろん俺もこの日を待ち望んでいた。全国の学生たちとは多分違う理由で。
「ブラスの奴……滅茶苦茶しやがって」
洗面所の扉を開けながら、最近の頭痛の種を思い出す。
結局、ブラスは転校生としてクラスに受け入れられた。正義のヒーローうんぬんは本人の妄言として処理されたので大した問題にはならなかったんだが……そのブラスそのものが大問題だった。
自称正義のヒーローとしての正義感と怖いもの知らず、そしてそのハイテンションを武器に、ブラスは問題を見つけるとその片っ端から突撃して行った。それはラブレターの代筆から迷子の子犬探し、クレーターになった校庭の補修や窓ガラスの交換、果ては銀行強盗の説得まで、たった数日でよくもまぁと言えるほどの問題を見つけては頭を突っ込み、そしてその数倍の新たな問題を生み出した。当然、その全てを解決したのは俺だ。お陰でこの数日間はロクに寝た記憶すら無い。
「今日は洗濯しねーとな……」
ぼんやりした頭で洗濯機を開くと、俺は着ている服も下着も全部脱いでぶちこんだ。ついでに隣の籠に入っている姉貴の衣服やら下着やらもまとめて放り込んでいく。
中にはどう見ても俺に見せ付けるためだけに買った派手な勝負下着とか、スケスケのネグリジェとか、やばいデザインのベビードールなんかもあるが、別に汚れていないので全部無視する。どこからか舌打ちが聞こえてきた気がしたが、ざまぁみろだ。
改めて汚れているものを選別して洗濯機に放り込むと、俺は風呂場の扉を開けた。
とにかく汗を流したら今日こそ家事をしないとな。ブラスのせいで滞りがちだし、布団を乾して掃除機をかけて台所を掃除して……そうだ、買い物にもいかねーと。
「あ、おはようございます、徹さん。先にお湯貰ってます」
「おう」
先に湯船に入っていたブラスに挨拶すると、俺は椅子を引き寄せて蛇口の前に座った。そしてシャワーの蛇口を捻って。
「――――って、はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ばきん、と小気味いい音を立てて蛇口をもぎ取った。冷水が頭から滝のようにぶっかかるが、それどころじゃない。
「なっ、ななななんでおまっ、お前がここにっ!?」
「ここで待っていれば徹さんが起きてくると有紗さんに言われました!」
「姉貴ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
扉に向かって絶叫するが、返事は無い。
「さぁ、徹さん。二人で一緒にお風呂に入りましょう! 裸の付き合いこそこの国伝統の絆の深め合いだと有紗さんに聞きましたし、何やらうまくやれば私の中に新しい何かが宿るかもしれないそうです!!」
「俺は絶対にヤらねぇし、認知しねぇからな!! って、そうじゃねぇ! なんでお前は裸なんだよ!?」
子供のようにわくわくした顔で湯船から立ち上がるブラスの姿に俺は全力で後ろを向いた。我が家の狭い湯船に浸かっていたこの非常識生命体は当然の如く――全裸だった。
濡れてほんのりと赤くなった素肌も、巨大な二つの隕石も、その下に広がる滑らかな腹も、そしてさらにその下の未成年お断りの禁断の場所も全部が全力全開で大開放だ。
「ですが、お風呂場で服を着ていてはおかしいのでは?」
「お前に常識を語られるとは思わなかった!!」
きょとん、と首を傾げるブラスに反射的に突っ込み――何とか顔を向けるのだけは踏みとどまる。いいか、こんな何も分かっていない子供のようなアホの裸をこれ幸いと眺めるほど俺はゲス野郎じゃねぇんだ!
…………いや、確かにこいつは見た目だけなら好みど真ん中だし、黙って息をしなけりゃ美少女だし、そもそもこういうのはもっとこう状況と雰囲気ってのが重要で、できればき、キスぐらい済ませてから――って、違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!!
「いいですか、徹さん。古来より衣服を纏わず精神空間に行けば人間は誤解のない相互理解が可能だと言われています! なので、我々もそれを実践して新たなる人類の進化の可能性を試しましょう!」
「お前の認識には誤解しかねぇよ! おいやめろ、こっちにくるな! くそ、なんで扉が開かないんだよ!?」
怪獣よろしく風呂から上がってにじり寄るブラスから俺は股間を隠しつつ必死に逃げ出した。だが、何か重たいものが向こうにあるのか風呂場の扉はびくともしない。
『あらごめんなさい。うっかりと洗濯機をお風呂の前に移動させちゃった☆』
「姉貴ぃぃぃぃっ!? そのわざとらしい理由もムカつくが、どうやって移動させたんだよ! あんた、洗濯籠にすら手が回らないだろうが!?」
『ほら、可愛い子には地獄を見せろって言うじゃない』
「答えになってねぇ! あと児童相談所呼んで来い、このネグレクト野郎!!」
「さぁ、徹さん。一緒にお風呂に入りましょう! そして私と好感度を上げて新必殺技を獲得するのです!!」
「お前の脳みそはどこのギャルゲーだ!? いいから、ここから出て行けぇぇぇぇぇぇっ!!」
「なんで朝からこんなに疲れねぇといけないんだよ……」
何とか風呂場から脱出した俺はリビングのソファーでぐったりとしていた。くそ、ぶっ壊した蛇口と風呂場の扉は後で直さないとな……。
「ああ……精神的疲労でぐったりしてる徹ちゃん可愛い……」
そんな俺の姿に欲情する見た目は子供、頭脳はピンクな変態姉貴を無視して視線を動かすと、そこには何事も無かったかのような顔でせんべいを齧りながら朝のスーパーヒーロータイムを見ている湯上り姿の宇宙人がいた。ちなみに今回はやたらと派手な姉貴のパジャマだ。……なんでこいつのサイズぴったりのものを持ってんだ……?
「おおっ! 今週は新キャラクターの登場回ですね! 徹さん、私たちにもやはり仲間は必要かと!」
「お前みたいなのがこれ以上増えてたまるか!」
こいつの大群を想像して頭痛を覚えた俺は、勢いのまま立ち上がるとブラスを怒鳴りつけた。
「大体、お前は何をしてんだ。毎日毎日問題起こしてアニメ見て問題起こして飯食って問題起こして寝てるだけじゃねぇか! この無駄飯ぐらいのアホ宇宙人が!!」
「ああっ、それは楽しみに取って置いた白ゴマなんです、返してください! あと、私は超機生命体です!」
「うふふ、本当に二人は仲がいいわね」
「姉貴にはこれがどう見えてんだよ」
愛しい我が子(白ごませんべい)と引き離された母親のように縋り付くブラスを足で押しのけながら、俺はため息をつく。ちなみに、こいつがここまでだらけているのはひとえに敵の襲撃がここ最近まったく無かったせいでもある。あの学校での戦い以来、悪の宇宙人は襲ってきていない。
まぁ、こいつの起こす問題でそれどころじゃなかったからありがたいと言えばありがたいんだが……それとこいつを甘やかすのは別問題だ。
「大体、何もしてねぇ割にはよく食いやがって……」
「これはエネルギーの補給です。超機生命体は有機物を取り込んで自分を回復させるのでこれは必要不可欠な行為なのです!」
「なら有機物ならなんでもいいんだな。今日からお前の飯は卵の殻と手羽先の骨とにぼしの出汁ガラだけだ」
「カルシウムだけがたっぷり過ぎます! それに徹さんの作るご飯は大変美味しいのでそれは嫌です! あと今日の夕食はクリームシチューを希望します!」
周囲にジャンクフードの空袋を撒き散らしながらブラスが叫ぶ。
ったく、自称正義の味方が素直に欲望垂れ流してんじゃねぇ。いいか、うまいクリームシチューを作るにはまず小麦粉を炒ってホワイトソースを作るところからやらなきゃならねぇんだよ。結構手間もかかるし、材料だって揃えなきゃならねぇ。これから買い物に行って肉を買って野菜も補充してついでにトイレットペーパーも買って……まぁ、何とか夕食には間に合うか。
「――って、そうじゃねぇだろ!!」
「今からクリームシチューはいけませんでしたか?」
「違う! 夕飯から離れろ!!」
不思議そうに見上げるブラスの顔に白ごませんべいを叩き付ける。くそ、家族以外に料理を褒められたことなんて無かったからちょっと浮かれちまった。
「でも、お買い物は必要よね。ブラ子ちゃんのものとか色々と」
「そりゃそうだけどよ……はぁ、仕方ねぇな。先に買い物済ませてくるか」
「お買い物……ですか!?」
その言葉を聞いた瞬間、ブラスのアホ毛がぴんと立った。そして輝く瞳で後ろにジャンプすると、くるくると空中で回転してそのまま座布団に正座した。
「な、何やってんだお前?」
「徹さん、お願いがあります! これは非常に重要なことなんです。これからの我々の戦いを左右するほどに!!」
いつになく真剣な顔でブラスが俺を見上げる。方向と力加減と勢いはともかく心意気だけは真面目なブラスの言葉に、俺も真剣な顔でその場に胡坐をかいた。
「取りあえず、言って見ろ」
「はい!」
真剣な顔のまま頷いたブラスはやはり真剣な声で――こう切り出した。
「私と、付き合ってください!!」
さて、突然だが俺の住んでいる玉鋼市を紹介しよう。
この街は名前の通り玉鋼――刀の材料を作る街として大昔に栄えた。けど、刀を作らなくなった今じゃ歴史だけが古い何も無い街だ。刀鍛冶の見世物とか歴史博物館ぐらいならあるが、どれもちょっとした観光地程度のものでしかなく、しかも人口の減少や高齢化に伴って街は衰退して、今じゃ町おこしで頑張るどこにでもある地方都市だ。
つい、この間までは。
「はいはい、巨大ヒーロー饅頭はこっちだよ!」
「巨大ヒーローペナントはこれだよ! 限定品だよ!!」
「巨大ヒーロー足跡巡りは、こっちに並んでくださーい」
「なんだこりゃ……」
久々に商店街にやってきた俺は一瞬目を疑った。
最初の巨大狼に破壊されたはずのそこでは、商店街のおっちゃんやおばちゃんが総出で観光客を相手に商売していた。まだ午前中だってのにあちこちに人だかりが出来ていて、とてもこの前までシャッター街一歩手前だったとは思えない。
「凄い活気ですね! ほら、徹さん見てください。私たちのパネルがありますよ!」
はしゃぐブラスが巨大ヒーロー――ブラストールの等身大パネルから首を出していた。これを作った人も、まさか中の人が顔を出すとは思わなかっただろうな。
「商魂逞しいな……」
出店に並ぶブラストールのピンバッチやらペナントやらを眺めながら呟く。元々この辺は駅前のデパートに客を持っていかれて閑古鳥が鳴いていたからな……おっちゃんたちにとっちゃ悪の宇宙人は幸福の女神様だったらしい。
正直、少しは俺も破壊した場所があったりもしたので引け目を感じてたんだが、この状況を見たらそんな気持ちもふっとんだ。
「いやー、勇気を出して徹さんにお付き合いを申し込んでよかったです!」
「ただの買い物ならそう言えよ」
瞳を輝かせて飛び出そうとするブラスの首根っこを掴まえながら俺はため息をついた。言われた時はマジで焦ったんだよ、ちくしょう。
その後、姉貴にからかわれながらも誤解だと知った俺は、しつこくせがむブラスに根負けしてこいつを連れて来る事になった。まさかバスに乗せるだけであんなに大変だとは思わなかったが、それでもこの無軌道生命体を一人で野に放つよりはマシだろう。
「ま、この調子ならセールとかやってそうだしな。せっかくだし恩恵にあずかるか」
俺は姉貴から頼まれたメモを取り出した。丸っこい子供みたいな字で書かれたそれにはノートやレポート用紙の他にパンストやストッキング、生理用品などの男が一人で買うには非常に辛いものが書かれている。
……まぁ、いつものことだし、下手に恥ずかしがると調子に乗るから黙って全部買っていくことにする。ええと、他に買うものは――。
妊娠検査薬。
コンドーム。
荒縄と手錠。低温蝋燭があるとなおグッド♪
俺は黙ってメモを破り捨てた。帰ったら『お仕置き☆』という名の拷問をされるだろうが、そっちのほうがマシだ。煉獄と地獄程度の差しかないけどな。
「ったく姉貴のやつ……取りあえずお前の買い物を済ませるぞ。その後にトイレットペーパーと夕飯の買出しをだな――ブラス?」
気がつけば手の先にブラスの姿が無かった。周囲を見渡した後、さっき顔を出していたパネルの裏も覗いてみるが、あの目立つ白い頭は見当たらない。
『と、徹さん! 早く、早く来てください!』
その時、突然脳内にブラスの声が響いてきた。
「ブラス? お前どこに――」
『二丁目の曲がり角……こ、これはっ!? あ、あ……あああああああっ!!』
「おい、どうした! ブラス!?」
ぶつりと嫌な音を立てて脳内通信が切れる。繋ぎ直そうにも、俺には脳内通信のやり方はさっぱり分からない。
「くそ、あのアホいきなり何に巻き込まれてんだ……!」
商店街のど真ん中で呟いた俺は、人々を掻き分けると二丁目に向かって走り出した。鬼気迫る俺の姿に、驚いた観光客たちが波が引くように道を開けてくれる。正直、喜びたくは無いが今はありがたい。
やがて息を切らせて二丁目までやってきた俺は、とある店のショーウィンドウの前でへたり込んでいる白い髪を見つけた。あの長いアホ毛は間違いない!
「おい、ブラス! 無事か!?」
「あ、徹さん……これを、これを見てください……」
ゆっくりと振り返ったブラスは、その瞳から綺麗な涙を流しながらショーウィンドウの中を指差した。こ、これは――っ!?
「ただの玩具屋じゃねぇか!?」
「そうなんですよ! 見てくださいこのラインナップ! 現在流通している商品はもちろん、各種限定版や市場で中々流通しない地方限定版までも網羅しているんです! 有紗さんに予め聞いてはいましたが、本当にこんな宝島が存在していたとはなんて素晴らしい……って、あれ? 何故そんなにぐったりしてるんですか? 何故無言で拳を振り上げてるんですか? 何故そんな鬼のような形相で私を睨み付けて…………ア――――――――ッ!!」
悪は、滅びた。
お騒がせな脳内放送をかましやがったアホ生命体への躾を終えた俺は、ふとブラスが大事そうに抱えているフィギュアの箱に視線を向ける。
「おい、それはなんだ? まさか万引きしたんじゃないだろうな……?」
「違います! 正義の味方である私がそんなことをするはずがありません!」
その手にヒーローフィギュアの箱を抱きしめながら、この前戸籍の改ざんという立派な犯罪をやってのけた宇宙生命体が堂々と宣言する。
「これは確保です! この貴重な物品が他人の……いえ、悪の手に渡らないように!」
「そうかそうか。ちなみに店の外に出た時点でアウトだし、そもそも他の客の邪魔になるからとっとと元の場所に戻してこい、この強欲生命体!」
「痛い痛い痛い!! ちゃ、ちゃんと買うつもりだったんです! まだ在庫はあったんです! これは見本用のカラ箱です! あと、私は超機生命体です!」
律儀に訂正するアホ生命体のアホ毛を掴んで引っ張ると、俺は店の中に入った。からんからんと来客を知らせるベルに奥から店の主人が顔を見せる。
「いらっしゃい……おや、徹君じゃないか。久しぶりだねぇ」
「どうも、お久しぶりです」
「お知り合いなのですか?」
「ガキの頃はよく来たからな」
ブラスの言葉に店長が懐かしそうに頷いた。どこかの配管工みたいな立派な髭がトレードマークのこの人は昔からの知り合いで、俺の顔を見てもびびらない良い人だ。店のロゴが入ったエプロンをした姿は昔のままだが……流石にちょっと老けたな。
「お姉さんは元気かい? 君がここに来るなんて何年ぶり……おや、その子は?」
「ええと、こいつは――」
「初めまして。私、ブラスと申します!」
するりと俺の手から逃げ出すと、ブラスはアホ毛を立たせて礼儀正しく頭を下げた。
「ははっ、今どき珍しく礼儀正しい子だね。どうだい、うちの感想は?」
「もう最高です! ここは銀河連邦に保護されるべきだと思います!」
「銀河連邦?」
「すいません。こいつ、大のアニメファンで!」
素早くブラスを押さえつけるとついでに脳内で何発か殴っておく。『どうして通信もロクに出来ないのに精神攻撃が!?』などと騒いでいたが、そんなもん気合だ気合。
「そうなのかい。まぁ、こんな店でよかったらゆっくり見ていっておくれ」
「いいのですか!?」
その言葉にアホ毛をぶんぶん振り回してブラスが振り返る。正直、こいつを一分たりともここに置きたくは無いが……店長にここまで言われちゃ仕方が無い。
「……礼儀正しくしろよ」
「私は礼儀正しい超機生命体です! では行って来ます!」
言うが否や、ブラスが鎖を解かれた犬のように飛び出した。そして店内のあちこちで喜びに満ちた声を上げる。
「こ、これはファイナルマン・グレートの変身アイテム! 必殺カードも全種類コンプリートされていて、まさに完璧です! こっちは
「もちろんさ。けど、それはちょっと値が張るよ?」
「大丈夫です、資金ならここに!」
そう言ってブラスは自分の胸からガマ口財布を取り出した。ちらりと見えた下着の色はやはり白……ではなく。どっから取り出してるんだよ、お前は。
「財布はちゃんとポケットに入れろ、主に俺のために。あとお前、金なんて持ってたのか?」
「有紗さんからいただきました!」
嬉しそうに見せられたがま口には俺の小遣いの半年分が。くそ、俺には金をくれるどころか毟りとって行くくせに……!
「本当にありがたいことです。これで身体を売る必要も無くなりました」
「ぼふっ!? い、いきなり何を言ってんだお前は!?」
いや、確かにこいつならかなりの額を稼げ……あああ、何考えてるんだ俺は!?
「ですが、警備員などの肉体労働は時給はいいのですが深夜アニメが見られなくなりますし、私の身体能力は常人の五倍以上なのでさすがに目立つと思いましたので」
さも当然のように述べるブラスに、俺は脳内に浮かんでいたピンク色の妄想を投げ捨てた。ちくしょう、何だかすげぇ馬鹿みたいだぞ俺……!
「ちなみに稼ぎ方を調べている時に女性なら一日で数十万を稼げるという広告を見つけたのですが、あれはやはり素晴らしいお仕事だったのでしょうか?」
「忘れろ」
俺は帰ったら子供用のインターネット閲覧制限をつけようと固く心に誓った。
「ははっ、面白い子だね。こんな子が徹君の彼女なんて長生きはするものだ」
「はぁぁぁぁ!? ちょ、ちょっと待ってください。こいつはそんなんじゃ――」
「そう見えますか!?」
「うん、見えるよ」
その心外過ぎる評価に愕然とする俺とは正反対に、ブラスは両手を天に掲げると「やりました!」と喜んだ。
「聞きましたか、徹さん! これはつまり私たちが唯一無二の素晴らしいパートナーであることが客観的に証明されたということですよ!」
「………………お前、彼女って言葉の意味分かってるか?」
「はい! 人間同士のベストパートナーのことですよね! 常識です!!」
心底嬉しそうな顔でブラスが答える。
ああ、何一つ間違ってない。根本から完全完璧に間違ってるけどな。
「息もあってるし、いい彼女を見つけたね。ヒーローが好きなところなんて昔の君にそっくりじゃないか」
「ちょっ!?」
「なんと!? 徹さんもヒーローが好きだったんですか!?」
「うん。いつも店の前で君のように目を輝かせていたよ」
さりげなく投下されたその巨大な爆弾に、ブラスがまるで伝説の勇者を見つけたお姫様、あるいは新しい仲間を見つけたゾンビのような顔で振り返る。
「む、昔の話だ、昔の!」
「昔でも前世でも構いません! まったくもう、そういうことでしたらもっと早く言って下されば私も変身アイテムとか加速装置とか脳改造とか色々とご用意致しましたのに!」
「マジで何をするつもりだよお前は!? 俺の身体をこれ以上弄くるな!!」
「ははは、息子が嫁さんを連れてくるのはこんな気分かな。おや、他のお客さんだ。それじゃ、ゆっくり見ていっておくれ」
「これを嫁にするぐらいなら俺は二次元と結婚する!! ま、待ってくれ店長――っ!!」
俺は必死に叫んだが、店長は世にも恐ろしい誤解をしたまま行ってしまった。後には愕然とする俺と、うきうきした顔で限定品に頬ずりする宇宙生物が残される。
「いやー、やはり地球は素晴らしい星ですね! 宇宙全てを見渡してもこんなに素晴らしい星は滅多にありません!」
「そうか? 宇宙から見たら年がら年中戦争やってる危険な星じゃないのか」
よくあるSFの設定を思い出しながら答えると、ブラスは「とんでもない!」と首を横に振った。
「確かに争いも戦争も悲しいことです。ですが、それだけが地球の人々の全てではありません。悪意があれば、それに等しいだけの善意がある。誰かが誰かを殺すつもりで傷つける一方、誰かが誰かを命を賭けて守る時だってあります。そしてそれは、とても尊いことだと私は思います」
ふんす、と鼻から息を吐いて限定品をチェックしながらブラスが続ける。
「力無き人々を守り、正しい義を貫き通す……それは決して間違ったことなどではありません。そう、正義とは決して綺麗ごとでも幻想でも思い込みでもなく、誰の心にも必ずあるものなのです!!」
やがてチェックが終わったブラスは満足げに箱を小脇に抱えると、ぐっと拳を握り締めた。その顔にはやりきった漢の笑みが浮かんでいる。
「……………………そうか」
そしてその言葉に俺は小さく頷いた。正直、俺は驚いていた。
今まではただのヒーローマニアな宇宙人だとばかり思っていたが、こいつはこいつでちゃんと考えていたんだな……。
「正義とはそういうものだと、この前のフウライガーで言っていました!」
「受け売りかよ!? 俺の感動を返せ!」
少しでも感心した俺が馬鹿だった……っ!
「ですが、受け売りでもそれは私の本心です」
え、と顔を上げると、ブラスが俺を見つめていた。
どこまでも真っ直ぐな輝きをその瞳に宿して。
「この地球を素晴らしいと思うのも正義が尊いと思うのも、全て私の本心です。だからいつか……私も本当の正義のヒーローになりたいんです!」
そう言ってこれ以上ないほど堂々と――夢が叶うと信じて疑わない顔で宣言すると、ブラスは笑顔を浮かべた。そして「では、お会計をしてきます!」と叫ぶとレジカウンターへと走っていく。
ちらりと見るとレジ前には何人かのお客さんが並んでいた。暫く掛かりそうだと判断した俺は、何となく手持ち無沙汰になって外に出る。
正午を回った真夏はやっぱり暑い。俺は近くの自販機でスポーツドリンクを買うと、適当な路地裏に入ってプルタブを開ける。
「……正義のヒーロー……か」
ひんやりとした壁に寄りかかりながら、ちびちびと冷たいドリンクを流し込む。
あの店に最後に行ったのは確か小学四年生になったぐらいだ。その頃の俺は正義のヒーローに猛烈に嵌っていた。弱者を守って邪悪に立ち向かい、卑怯な罠や強大な敵にも決して屈せず、どんなピンチにも決して諦めない理想の英雄……そして俺はそんなものに憧れる普通の少年――だったはずなんだが、今じゃ近隣に名の知れた不良だ。いや、自分から不良になったつもりは無いんだけどな。
ふと、近くを通りかかった子供が俺の顔を見て母親の後ろに隠れた。昔、同じような展開で手を振ったら警察官を呼ばれそうになったことがあるので、気づいていない振りをしてやり過ごす。
……ま、しょうがねぇよな。正直、自分でもこの悪人顔はちょっと引く。昔からどんなごっこ遊びでも自分は悪役だったが、今じゃ納得の配役だ。
「……少なくとも、正義の味方って顔じゃねぇよな」
「そんなことはありません!!」
いきなり聞こえたその声に振り向くと、いつの間にか戻ってきたブラスが俺を見つめていた。握った拳と反対の腕には綺麗にラッピングされた大きな箱を抱えている。
「確かに徹さんは、この星の一般基準で言うところのイケメンではありませんが!」
「殴っていいか?」
「その志は十分に正義を名乗るに相応しいです!」
白昼堂々とブラスが叫ぶ。その大声に周囲を歩いていた人々が振り返るのを見て、俺は慌ててブラスを路地裏に引き込んだ。
「大声で叫ぶな。みんな見てるだろ!」
「何故ですか、私は間違ったことは言っていません! 正直、最初ははずれを引いたと思いましたが!」
「ほう」
「あ、痛い痛い痛い! で、ですから最初だけです! 徹さんは確かに凶悪なお顔で誤解されますが、本当は人のことを思いやれる素晴らしい方です!」
涙目になりながらもブラスは俺を見上げた。狭い路地裏の中、他の奴みたいに怯えたり視線を逸らしたりすることなく、ただただ真っ直ぐに。
「何故なら徹さんはなんだかんだ言いながらも私と一緒に戦ってくれています! そして私とぶつかったのも、傍にいたあの悪人を助けるためでした。融合を承諾してくれた時だって、家族を助けたいという想いからでした!」
「……そこまで考えたわけじゃねぇよ」
「そうです。深く考えていないからこそ、あの行動は本音なんです。徹さんの本質は正義なんです! そんな徹さんが、私は大好きです!!」
そうしてブラスは笑った。俺でも分かる――心からの笑顔で。
「…………」
「ですから、最初は偶然でも今は徹さんが私のパートナーでよかったと思って……あれ、どうしました徹さん? 凶悪なお顔が赤いようですが何かありましたか?」
不思議そうに顔を覗き込もうとするブラスから俺は必死に顔を逸らした。多分、今の俺の顔は色々と形容できない感じになっているに違いない。
……落ち着け、落ち着くんだ竜ヶ崎徹。こいつの言う「好き」ってのは普通の好きじゃない。きっと野球のボールとラグビーのボール以上に違う。
けど……今のは正直、完全に不意討ちだった。
くそ、これだから自覚の無いアホは困る……!
「大丈夫ですか? 霊柩車を呼びましょうか?」
「火葬場にでも送るつもりか。なんでもねぇ、さっさと残りの買い物して帰るぞ」
心配そうに覗き込むブラスにそう言うと、俺は残ったドリンクを一気飲みしてゴミ箱に放り込んだ。そして路地裏から出ようとして――不意にブラスのアホ毛がびんと逆立つのを見た。まさか――!?
「レーダーに感あり! 一時の方角です!」
びしっとブラスが空の一点を指差した。その先には真昼なのに煌々と輝く光が真っ直ぐこちらに向かって落ちてきている。
「こんなところでかよ……! ブラス!!」
「はい!! 〈決闘空間〉展・開!」
俺の叫びにブラスはアホ毛を立てながら〈決闘空間〉を展開した。
灰色の空間は一気に広がると、グッズを売るおっちゃんやおばちゃん、そして賑わう人々の姿を消して敵と俺たちしかいない決闘場を造り上げる。
その灰色が地平線の向こうまで広がった直後――商店街目掛けて巨大な光が落下した。咄嗟にブラスが張ったディフェンスフィールド越しにでも感じるその巨大な爆発に、当然ながら灰色の商店街が一瞬で吹っ飛んで更地になった。
おっちゃんたちが見たら泣くだろうな、これ……。
「やりました! セーフです!」
「よーし、よくやった。後で頭撫でてやる」
大喜びで報告するブラスに適当に答えると、俺は商店街に落ちた輝きを睨み付けた。
落下してきた巨大な光は俺たちの前でふわりと浮かび上がると、一瞬でその姿を変えた。その姿は――。
「今度は合体怪獣かよ……!」
予想を斜め上にいったその姿に俺は呻いた。それはいつもの動物シリーズではなく、複数の動物が合体したような正真正銘の怪獣だった。
全体的な姿は最初に戦った巨大狼と同じだが、何故かその首が三つに増量されていた。しかも背中には剣山の代わりに鋼で出来た大鷲の翼が生えている。スポンサーでも変わったか?
「あ、あれはまさか……!?」
「何か分かったのか?」
三つの首から咆哮をあげて空へと飛び上がる強化巨鋼獣の姿に、ブラスはわなわなと肩を震わせたかと思うとくわっとその目を見開いた。
「強化再登場の敵ですね!! つまりパワーアップイベント!!」
「………………は?」
「かつての強敵がパワーアップして再登場するのは、パワーアップイベントへのフラグですよ!」
きらきらと瞳を輝かせてブラスが語る。すまん、何を言ってるのかさっぱり理解できない。
「…………再生怪人って逆に弱いんじゃないのか?」
「最近はそうでもありません。このように一体のみ、しかも堂々と出てくる場合はきちんと強化されていてヒーローが負けることが多いのです!」
「負けてどうする。大体、そのパワーアップとやらは今すぐできるのか?」
「……………………無理です」
寂しそうに呟くブラスのアホ毛がへにょんと垂れ下がった。
そしてそんなアホな会話をしている間にも、強化巨鋼獣は攻撃準備を整えていた。三つの首が吼えると同時に翼が開き、その中からどう見ても爆弾のような物体が現れる。
「おいおいおい!? くそ、さっさと変身するぞ!」
「はい!」
俺が慌てて手を繋ぐと、ブラスが大空に向かって高らかと叫んだ。
「天を駆け、大地を走り、海を行く! あまねく命と自然を救い、全ての世界に希望の明日をもたらす
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