マヤ・ファンタジー 六の巻

三坂淳一

マヤ・ファンタジー 六の巻

六の巻


 メシーカの本隊が襲来するとの報に、部落に緊張が走った。


 部落は竜王丸の全体的な指揮の下、臨戦態勢に入った。

 老人、年少者、婦女子といった非戦闘員は竜王丸が新設した緊急避難所に退避した。

 戦士は部落の入口に整列した。その他の戦闘員は正面入口の門、背後の入口門、及び柵の要所要所で、予め決められた戦闘配置についた。


 メシーカの本隊は部落の入口にある密林を抜けたところに広がる草原に陣を張って、マヤの出方を待った。

 中央に、天幕を張って、隊長である貴族と神官が座っていた。そして、傍らにはおどろおどろしい姿をした戦いの神の偶像が輿に載せられて鎮座していた。


 降伏か、全面的に闘うか、いずれかの選択しか無かった。


 全面的に闘う場合は、メシーカと対峙する形で草原に陣を張り、首長のアーキンマイと神官である、ナチンの父、マーシェクが座り、やはり戦いの偶像を載せた輿が傍らに控えることとなり、その後双方の闘いが始まるというのが戦争の形式であった。


 マヤの戦士が行列をつくって、行進し、メシーカの陣と対峙する形で戦いの陣を張った。

メシーカの陣は広大に見えた。草原の端から端まで、戦士で満ち溢れているように見えた。中央の貴族の周囲には、猛獣の毛皮を被った戦士と鷲の頭と羽毛を纏った戦士がそれぞれ百名程度整列していた。これらの戦士が最強の戦士とされた。総勢は、捕虜が言った数字、千三百人より多いように思われた。一方、マヤの戦士は総勢で二百人足らずであり、装備も貧弱であり、戦闘が始まったら、すぐにでもメシーカの軍勢に呑み込まれてしまうかのように思えた。しかし、ホルポルの指揮の下、士気は高かった。


メシーカから、隊長と思われる貴族が立ち上がり、降伏を勧めた。

マヤの陣からは、アーキンマイが立ち上がり、否と答えた。

双方の弓の戦士が前に出て、矢を空中高く相手の陣目掛けて打ち込んだ。

それが闘いの始まりだった。


空中から飛来した矢を盾で受けてから、マヤの戦士軍はすばやく撤退し、部落の入口から中に入った。出口から急に現われた戦士を見て、槍を持った村人が色めきたった。

「あわてるな。俺たちだ。味方だよ」

マヤの戦士に言われて、照れくさそうに槍を下ろす村人がおり、付近は笑いに包まれた。

弥兵衛は高らかに叫んだ。

「今は、我々の戦士が中に入ってくるが、全員入ったら、その後は、敵が来る。その時は情け容赦無く、三人がかりで仕留めるべし」

弥兵衛の声に応じて、百人ばかりの村人が槍を上げて歓声を上げた。

これなら、勝てると弥兵衛は確信した。


マヤの戦士を追いかけて来たメシーカの戦士は入口で逡巡した。周辺を確認しながら巡回した。周辺は全て、塀に囲まれていた。塀は高く、そのままでは入れそうに無かった。 

はしごを作る余裕は無かった。やはり、入口から入るしかないか、そう判断して、入口に戻り、次々に中に躍りこんで行った。


門の出口から、メシーカの戦士が一人飛び出すように出て来た。弥兵衛が首を一突きした。二人目が出て来た。村人が囲んで、槍で足を突き刺した。その二人目の戦士は地面に倒れ、転がった。その首筋に三本の槍の穂先が突き立った。三人目も村人に倒された。四人目も同じ運命を辿った。運よく、村人の槍の穂先にかからなかった者は弥兵衛の槍の餌食となった。


一方、裏門からもメシーカの戦士が侵入してきた。多くは、村人の槍にかかって果てた。

村人の手に余る者は義清の刀の餌食となった。義清の刀を受け止めようと黒曜石の刃を付け

た棍棒を出した者はその棍棒共に体を分断されて地面に無残な骸をさらした。義清の刀を止めるものは何も無かった。全て、真っ二つに断ち斬られた。その圧倒的な斬れ味を目撃した村人は義清を神だと思った。まさに、全能の神、ククルカンが下界に下しおかれた軍神と映った。


 門の入口から入らずに、門を登ろうとした者は待ち構えていた村人に突き落とされ、やはり三人がかりの槍の餌食となった。

 

 メシーカの第一陣はこのように全滅した。部落は静まり返った。

 あまりに、静かな部落の様子に不審を感じたメシーカは、第二陣を送らずに、遠くから矢を射込むこととした。矢は何百と空中から飛来したが、竜王丸の案で新設した屋根付き通路に隠れた戦士たちへ損害を与えることは出来なかった。

 その内、火矢が空中から飛来した。家は燃え上がったが、土の屋根を持った避難所に退避した村人の被害は無かった。

 但し、燃え上がる家の火の粉を見て、効果ありと踏んだメシーカの貴族は第二陣の突入を命じた。第二陣が投入された。また、百人ばかりの戦士が入口から躍りこんで来たが、前と同様に次々と討ち取られて行った。


 暫く、喧騒が続いた後、また静けさが戻った。

 第三陣が襲って来た。今度は殆どの部隊が襲って来た。入口から突入する者、塀を破って侵入しようとする者、門を乗り越えて突入して来る者など全軍挙げての突入であった。

 塀の近くには、落とし穴が設けられてあった。落ちた者を待っているのは、地面に刺した槍の鋭い穂先であった。また、魔術師スキアが一週間の間に密林や草叢で集めた毒蛇も穴の中で、落下して来る哀れな戦士を待ち構えていた。辛うじて、塀を乗り越えようとする者には矢の洗礼が待ち受けていた。竜王丸、弥平次の弓の腕前が十分に発揮された。乗り越えようとした者の胸を、首筋を竜王丸、弥平次、そして村人が放った矢が貫いた。


 メシーカの軍は惨憺たる敗北を喫し、幾多の戦死者を残して退却した。退却していく軍にマヤの部落から矢が浴びせかけられた。メシーカは打ちひしがれて退却して行った。


 マヤの大勝利だった。討ち取ったメシーカの数は三百人近い数となっていた。一方、マヤの死者は十人にも満たなかった。


 メシーカの場合は、闘いで討ち取った敵の首を切り落として、側頭部に大きな穴を開け、その穴に木の杭を通して、ピラミッドの傍に飾るという残酷な風習がある。これは、少し離れた、チチェン・イッツァというマヤの嘗ての盟主でも行っていたという話をホルポルが苦々しい表情でしていた。


 闘いが終わった後、神官の息子のナチンがこれを言い張った。

 「この三百の死体の首を斬り落として、杭に通して、ピラミッドの前の広場に飾ろうではないか。神々もきっと喜ぶに違いない。この次の闘いでも神々の助けがあるに違いない」

 「ナチンよ。思い違いをしてはいけない。今回の勝利は一重に、ここに居られる竜王丸さまたち、ククルカンの軍神の助けがあったれば、のこと。竜王丸さまの意見を聴こうではないか」

 ホルポルがたしなめるように言った。


 「それでは、ククルカンの戦士を代表して申し上げる。ククルカンは人身供犠に反対をしておられた。これは、ククルカンの神話の中で皆さんもご承知のことである。ククルカンは今でも健在であり、人身を生贄にすることには反対しておられる。今回の勝利は、この部落の全員がそれぞれ戦って勝ち取った勝利である。神々の助けなど、今回は不要であった。従って、神々に生贄などを捧げる必要は無く、ククルカンもナチン殿の提案を喜ばないと存ずる」


 ナチンが冷たい眼で竜王丸を睨んだ。次の闘いで勝てば良し、負けた場合は生贄を行わなかったが故に負けたと言うことが出来る、ナチンなりの計算が働いた発言であり、提案であった。 

ナチンは心の冷たい男だと竜王丸たちは思った。


 夜は勝利の宴会となった。竜王丸は油断をせず、義清、弥兵衛、弥平次に二、三人の戦士を付けて、交代で周辺を見張らせた。


 しかし、宴会で竜王丸には苦手なことがあった。前回の宴会でもそうだった。来ないで欲しいと思ったが、今回も竜王丸の願いは叶わなかった。

 「竜王丸さま。今回の大勝利、おめでとうございます」

 ウツコレルが傍に来た。花の香りがした。竜王丸にとっては、一番の苦手がウツコレルだった。竜王丸にとって、女性(にょしょう)という異性は春日だけだった。春日は竜王丸にとっては乳母で母のような存在であった。ウツコレルのような若い娘が傍に座っているという経験はこれまでの人生では無かった。まして、ウツコレルは眩しいほど美しい娘だった。


 「いや、村人の力です。協同で事に当たれば、どんなに困難な事にでも対処出来ます」

 話しながら、つまらないことを話している己が嫌になった。もっと、ウツコレルが喜びそうなことを話してあげたいという気持ちにさせられた。

 「でも、竜王丸さまが居なければ、村人の心は今のように一つにはなりませんでした。竜王丸のお力は素晴らしいわ」


 ウツコレルはますます竜王丸に近づいてきた。竜王丸は座をずらして、ウツコレルから遠ざかろうとした。竜王丸のそのような仕草はウツコレルを悲しませた。やはり、竜王丸さまは醜い私をお嫌いなんだ、と思い、うつむいて竜王丸から離れて行った。


 下座で二人の様子を弥平次はやきもきしながら見ていた。ウツコレルが悲しそうな顔をして去って行った時、弥平次は思い切って、竜王丸のところににじり寄った。

 竜王丸は微笑みながら、弥平次を見た。


 「弥平次。本日の働き、まことに見事であった。特に、弓の働きは抜群であった」

 「お褒めにあずかり、ありがとうござりまする。ただ、一つ、竜王丸さまに申し上げたき儀がござる」

 「ほぉ、何じゃ?」

 「今の娘、ウツコレルさんのことでござる」

 「ウツコレル殿が何か?」

 「竜王丸さまから冷たくされて、今、おそらく、あの樹の下で泣いておりまする」

 「泣かせるようなことはしておらぬが」

 「ウツコレルさんは自分を醜いと思っており、その醜さ故に、竜王丸さまから嫌われていると思っていますのじゃ」

 「醜い? ウツコレル殿の顔が醜いと? 誰が申しているのじゃ、そんな愚かなことを」

 「竜王丸さま。ならば、行って声をかけなされ。お前は醜い娘ではないと。すぐ、泣きやみまするによって」


 ウツコレルは弥平次が指差した樹の陰で、すすり泣いていた。

 竜王丸はおずおずと近づいた。

 ウツコレルは竜王丸に気付き、顔を伏せて、泣くのを堪えた。

 「ウツコレル殿。弥平次から聞いたが、自分を醜いなどと思うのはおよしなされ」

 ウツコレルは顔を上げ、竜王丸を涙で潤んだ眼でじっと見詰めた。


 「私の顔をよく見て欲しい。ウツコレル殿と同じ、額は変形しておらず、生まれた時のままだ。また、眼も生まれた時のままで、別に寄り目にはなってはおらぬ。ウツコレル殿の顔は私たちククルカンの戦士の顔と同じなのだ。醜いなどと思ってはならぬ。それに、私は、・・・、ウツコレル殿を、・・・、どうもうまくは言えぬが、私がこれまで見た娘の中で一番美しいと思っているのだ」


 竜王丸のこの言葉を聞いて、ウツコレルは一瞬信じられないという顔をしたが、その後、明るく輝くような微笑に変わっていった。


 「本当? 本当なの、竜王丸さま?」

 竜王丸は思わず、ウツコレルの手を握った。

 「本当だ。本当だとも、ウツコレル殿。そなたは美しい娘なのじゃ。醜いなんて、とんでもない話だ。そなたは美しい。可愛く、綺麗で、美しい娘ぞ」

 「嬉しい。本当に嬉しいこと」

 ウツコレルは竜王丸の胸に顔を埋めた。


 「来年、私は十五になります。十五になったら、私もシュタバイのように、腰に飾り紐を付けます。結婚出来るという印です。その時、竜王丸さまのお気持ちが変わらなかったら、私に求婚して下さい。お気持ちが変わっていたら、私は一生を神々に仕える巫女となります」

 早口でこう言い残して、ウツコレルはすばやく竜王丸の唇に接吻して走り去って行った。


 「アーキンマイさま。今回の勝利をどのようにお考えで?」

 ピラミッドの頂上の神殿で葉巻タバコを吸っていたアーキンマイにナチンが話しかけた。

 「ナチンか。わしは、竜王丸殿たちのご尽力が大きいと思っている」

 「では、竜王丸殿たちがククルカンのところに戻ったら、いかがなさるか?」

 「しかし、竜王丸殿たちは暫くこの部落に留まってくれるとのことだが」

 「今はそうでも、何ヶ月、何年も滞在するという保証はございませぬ」

 「それはそうじゃが。ナチン、お前は一体何が言いたいのじゃ」

 「お分かりなさらぬか? 私はメシーカとの和睦を望んでおります」

 「和睦? 和睦とな。愚かなことを軽々しく言うべきではないわ。あやつらとの和睦は降伏ということじゃぞ。降伏した部族に対して、あやつらはやりたい放題のことをするのじゃぞ」

 「それは、闘わずに降伏した部族、闘って脆くも敗北した部族のこと。我々は本日の闘いに勝っております。勝っている内に、和睦した方がアーキンマイさまも安泰というもの。よくよく、お考えなされ。いつまでも、竜王丸殿たちはこの部落に滞在するということはありませぬ。竜王丸殿たちがここを去ってから、メシーカが何回か襲ってきたら、いかがなさるおつもりか。メシーカはまだまだ、各地に戦士軍を残しておりますぞ」

 アーキンマイは葉巻タバコを咥えたまま、じっと眼を閉じた。

 「一時の勝利に酔ってはなりませぬ。今回の勝利は、竜王丸殿たちが居ったればの勝利。竜王丸殿たちが去ってからはいつまでも勝利するものではありませぬ。戦えば、戦うほど、メシーカの憎しみは増します。特に、首長であるアーキンマイさまへの憎しみは増していくのですぞ」

 アーキンマイは何も言わず、眼を瞑ったままでいた。

 「勝っている内に和睦した方が賢い選択ですぞ。部族を安泰に繁栄させるのが、首長たるアーキンマイさまの手腕でございますよ」

 ナチンは囁くように言って、神殿を降りて、深い闇の中に消えた。


 竜王丸が戻って来るのを待ちかねたように、ホルポルが話しかけてきた。傍らに、ホルカンとホルカッブが控えていた。

 「竜王丸殿。少し、お話があります」

 竜王丸は、先ほどのウツコレルの大胆な行為で半ば茫然としていたが、ホルポルの言葉を聞いて、我に返った。


 「ホルポル殿。何なりとお話し下され」

 「今後のメシーカ族とのことです」

 竜王丸は耳を傾けた。


 「今回は、竜王丸殿たちのお力を賜り、勝つことが出来ました。しかし、竜王丸殿たちが当地を離れてから、メシーカが数を頼んで何回も戦いを挑んできたら、今回のように、敵をおびき寄せて討ち果たすというような戦いはいつまでも通用するとは思いません。今後、どのようにしたら良いのか、お教え戴きたい」


 ホルポルのみならず、ホルカン、ホルカッブも真剣な顔をして竜王丸の言葉を待った。


 「メシーカとは、宗教も異なり、本来相容れない部族と思いますれば、和睦という姑息な手段は論外。和睦は相互共存という保証があればこその和睦であり、上に立つ者の一時しのぎの安泰のための和睦であってはならない。仮の和睦は早晩滅亡に繋がるということを先ず認識して戴きたい。メシーカのような軍事国家とは断固戦わなければなりません。そのためには、この部落が盟主となって、近隣の部落を纏め、連合軍を編成することが必要かと思います。この部落が盟主となるのが無理な場合は、マヤパンの王に盟主になってもらい、とにかく、マヤの連合軍を編成し、メシーカに戦いを挑むということが必要でしょう。部落毎の個別の戦いでは、いつしか個別に撃破されてしまいます。部落連合によるマヤ連合軍の編成と兵士の訓練で勝ち味は自ずと見えてきます。とにかく、軍事国家は後顧の憂いを絶つためにも、早めに滅ぼさなければなりません」


 一夜明けた、翌日のこと。


 アーキンマイは部落の貴族、神官たちを一同に集めた。

 メシーカ撃退後の今後の部落の対応を協議することとした。

 会議では、早期和睦を進めるべしとする神官側と徹底抗戦を主張する戦士側と二つに別れて議論が闘わされた。いずれにしても、決定は首長であるアーキンマイに委ねられることとなるが、アーキンマイは双方の議論を黙って聴いただけで、何の発言も無かった。

 結局、双方の意見が繰り返されただけで、会議では何も決まらなかった。

 今は、メシーカの再度の襲撃に備え、部落防衛の柵及び城門の修理は進めておくということだけが確認されたに止まった。

 アーキンマイは会議の後、一人呟いた。ホルポルはわしの敵か。


 竜王丸は一人、部屋に籠もって、瞑想していた。

 義清と弥兵衛は柵の補強のために、森に樹の切り出しに行った。

また、弥平次は弓の製作を村人に指導していた。


 いつまでも、この村に滞在しているわけには行かない。そろそろ、村を離れて見聞を広める修行の旅に出かけなければならない。ウツコレルを連れて旅をするわけにはいかない。かと言って、旅の後、ウツコレルを連れて国に帰るわけにもいかないだろう。どうすれば良いのだ。

これが、竜王丸の煩悶の種であった。ウツコレルに初めて会った時以来、ウツコレルの存在は日増しに竜王丸の心に中で大きな比重を示すようになっていた。女性(にょしょう)とは厄介なものだとは思いながらも、どこか心の中では軽やかな思いも感じていた。春日ならば、どうすべきか、教えてくれるに違いない。ふと、春日の顔と共に、東郷金明、西田重蔵の顔がなつかしく浮かんで来た。少し、胸の奥が切なくなってきた。


 ふと、外を見た。誰か、居たように感じた。村人が私たちの様子を見に来たのであろう、と思った。また、眼を閉じて、瞑想に耽った。


 やはり、家の戸の蔭に隠れているものの、誰か居た。


 花の香りがしてきた。ウツコレルの香りだった。稀有な体質で、息は甘く芳しく、体からは花の香りを発散させている娘だった。


 声はかけなかった。かけなかったと言うより、かけられなかった。

竜王丸は自分の胸の高まりが嫌だった。これは、どうした感情なのだ。


 その内、人の気配が消えた。立ち去ったのであろう。竜王丸は、ほっとした。

その反面、ウツコレルに無性に会いたくなった。


 ウツコレルは部落の道をとぼとぼと歩いていた。竜王丸に会いたくて、竜王丸たちが居る家の戸口にまでは行ったのだが、中に入ることは出来なかった。昨夜の大胆さは消えていた。

自分でも歯がゆい位、内気で臆病になった。歩きながら、泣きたくなった。


 ふと、物音がした。音のした方を見た。木陰で誰か、佇んでいた。

ウツコレルの顔は急に明るくなった。竜王丸がそこに居たのである。


 竜王丸がすたすたと、立ちすくんでいるウツコレルのところまで歩いて来た。

 二人は黙って、明るい日差しの下、褐色の道を並んで歩いた。

 

 「私たちは、もうそろそろこの部落を去らなければならない」

 ウツコレルは黙って頷いた。

 「ウツコレル殿を連れて行くわけにはいかない」

 ウツコレルは静かに竜王丸を見た。

 「必ず、帰って来る。その時まで、待っていてくれるか」

 ウツコレルは黙って頷いた。

 竜王丸は太刀の下げ緒に付いていた翡翠の玉を外して、ウツコレルに渡した。

 「これを、あげよう。私だと思って、持っていて欲しい」

 ウツコレルはその翡翠を両手で大事そうに包み込んだ。

 ウツコレルの家に着いた。竜王丸は踵を返して、ウツコレルに背を向けて歩き出した。

 ウツコレルには竜王丸の姿がうっすらと霞んで見えた。いつまでも、見送っていた。


 「アーキンマイさま。ご決心はつきましたか?」

 深夜、ナチンが訪ねてきて、ぼんやりと葉巻タバコを吸っていたアーキンマイに訊ねた。


 「ナチン。和睦するには邪魔する者が多すぎる」

 「分かっております。闘うしか、能のない阿呆がおります」

 「その者たちが、メシーカに対する徹底抗戦を唱えているのじゃ」

 「現実的ではありませんな」

 「且つ、マヤパンか我が部落が盟主となって、部族連合軍を編成して、先制攻撃をすべしと言っておる」

 「ますます、現実的ではありませんな」

 「お父上からもう聞いておろうが、先日の会議では、和睦組より、この徹底抗戦組が優勢であった」

 「あやつらは、一時の勝利に酔い痴れて、戦いを終える潮時を知りません。猪武者の馬鹿者ばかりです。戦いは止め時が肝要」

 「ナチンはどうすべきと考えるか?」

 「アーキンマイさまに決定権がございます。アーキンマイさまが邪魔者とご判断されたら、その者たちを排除すべきと心得ます」

 「排除? 排除とは、・・・、殺すことか?」

 「アーキンマイさま。私ごときの者には何とも申し上げられません。アーキンマイさまのお心次第でございます」

 アーキンマイはまた、タバコを吸い始めた。かなり、せっかちな吸い方となった。

 紫煙の中で、ナチンは冷たく微笑んでいた。


 二人が密談している館の屋根の上に黒い影があった。

 その黒い影は音もなく、地上に下り立った。

忍びの弥平次であった。

 竜王丸の指示で、アーキンマイの動きを探りに忍び込んでいたのであった。

 弥平次は音もなく、家の蔭伝いに歩き、竜王丸一行の宿舎に辿り着いた。


 「弥平次、ご苦労であった。やはり、懸念した通り、そのような動きがあったか」


 弥平次の報告を黙って聴いていた竜王丸は、弥平次の話が終わった時にぽつりと呟いた。

 「このままでは、ホルポル殿たち戦士軍の命が危ない。さて、何としようぞ」

 「ナチンは毒虫にて候。秘かに、亡き者にしてはいかがでござろうか?」

 「いや、義清殿。早まるものではない。ナチンのような者はどこの国にも居る。忠臣面をして、実は国を売る輩よ」

 弥兵衛が珍しく強い口調で言った。

 「ナチンごときはともかく、首長のアーキンマイ殿の腹が弥平次から聞いた通りとすれば、これは容易ではない。心苦しいが、ホルポル殿、ホルカン殿、ホルカッブ殿、この三名には告げておいた方がよかろう」

 「主君の非を臣下に告げるのは如何かと思われますが、こと、ここに至っては止むを得ない仕儀かと存じまする」

 「それでは、早い内が良かろう。明日、ホルポル殿たちに伝えることとしよう。弥平次、ご苦労であった。今夜は、夜も遅くなった故、皆早く休もうぞ」


 「弥平次殿。そなた、何を笑うておる。少し、気味が悪いぞ」

 「義清殿。竜王丸さまのことじゃ」

 寝そべっていた弥兵衛も聞き耳を立てた。

 「竜王丸さまのこと。気になる。承ろうぞ」

 「ウツコレルさんとのことじゃ」

 「ウツコレル? ああ、あの混血の美しい娘のことか。竜王丸さまと?」

 「さよう、竜王丸さまと恋仲になってござる」

 「まことか? 驚きでござるな」


 弥兵衛も起き上がって、話に入り込んできた。

 「竜王丸さまも、おんとし、十七になられる。女性と何かあってもおかしくは無い年齢よ、のう」

 「さようでござる。さりながら、ウツコレル殿を我が国に連れて帰るとなると、これはまた、話は別でござるな」

 「義清殿もそうお思いでござろう。金明殿、重蔵殿、春日さまが腰を抜かしてしまうでござるよ」

 「弥平次殿、難儀ではござるが、そなたはアーキンマイ殿、ナチンの動きも然ることながら、竜王丸さまとウツコレル殿の動きも抜かりなく、探っておいた方が良かろうと存ずる」

 「分かりもうした。承ってござる」

 竜王丸さまも一人前の男じゃもの、と三人はなぜか嬉しくなった。

義清は義清で、自分のことを、昔の恋をなつかしく思い出していた。



六の巻 終わり

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マヤ・ファンタジー 六の巻 三坂淳一 @masashis2003

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