不思議な夢

柊 潤一

第1話①

 海外からの研修生を迎えての飲み会が終わり、俺は最終電車を降りて駅の改札を出た。


 酔いで火照った頬に春の夜気が心地良かった。


 駅前からタクシーに乗るつもりだったが、急に気が変わり歩いて帰ることにした。


 30分程の家への道を、夜気の香りを楽しみながら帰りたいと思ったからだ。


 明日は休みだし急いで寝ることもない。


 俺は大きく夜気を吸い込んでからのんびりと歩き出した。


 街は終電で帰る時のいつもの風景だった。


 商店はシャッターを降ろし走る車も少なく、街灯が夜の滑走路の様になだらかな上り坂の国道を照らしていた。


 俺は目を閉じてもう一度春の夜気を深々と吸い込んだ。


 鼻腔に潤いを含んだ若芽の香りが満ち、それを堪能したあと俺は息を吐き出しながら目を開けた。


 夜の風景が心なしか広がった気がした。


 国道を上りきり脇道へ逸れると並木の続く小道があり

 、その突き当たりが俺の住むマンションだった。


 前にも後ろにも人はいない。


 俺は脇道へ入った。


 暫く歩くと急に街灯がなくなる場所がある。


 街路樹と植え込みで巧妙に隠されてはいるが、両側が大きな霊園だった。


 いわば霊園を突っ切る道なのだが、おどろおどろしい雰囲気はなく、知らない人が通ると霊園とは気付かないくらいだった。


 その霊園にさしかかる頃に珍しく霧が出てきた。


 霧はどんどん濃くなり目の前しか見えなくなってきたが俺にとっては歩き慣れた一本道だった。



 そのうちふと不思議な気持ちになった。


 今歩いている道がひどく懐かしいものに思えてきたからだ。


 そうだ。


 この道は俺の生まれ育った家の近くの商店街の道だ。


 目を凝らすと、両側に商店街のシャッターがぼんやりと見える。


 俺はおかしいなと思ったが怖さはなかった。


 怖さより懐かしい家を見たい気持ちでいっぱいだった。


 もう少し歩くと右角の服屋の前に煙草の自販機がある筈だった。


 やっぱりあった。


 ここを右へ曲がり少し歩くと店の前にショーケースの冷凍機が置いてある魚屋が見える。


 すぐ向かいが電気屋だ。


 また少し歩くと『ヤマザキ』と書かれた赤い看板のあるパン屋が左にある。


 そしてもう少し先の左側に酒屋と民家に挟まれた路地の入り口があるはずだ。


 あった。


 俺は門構えになっている路地の入り口を見上げた。


 そこには門の細い屋根の下で裸電球に照らされて並んでいる木作りの名札がある。


 俺はそれを一つ一つ見ていった。



 懐かしい名前が並び最後から三番目に親父の名前があった。


 昔に亡くなった懐かしい名前だ。


 俺と父親は名字が違う。


 なぜかと言うと俺は私生児として母親の籍に入っていて認知をした実父は韓国人だったからだ。


 俺が三歳の時に母が家出をしてからは父と、同居していた母の叔父と暮らしていた。


 今思えば俺とは違う実父の名前を見る度に、俺は一人ぼっちの人生を自覚していたのかもしれなかった。


 俺は門をくぐって中に入っていった。


 この辺りの長屋の入り口は、門から家の奥行きの分だけ低い天井が作られていて、そこはまるでトンネルのようになっていた。


 中へ入ると、右の真ん中に酒屋の勝手口があり、両脇に酒やビールのケースがうず高く積まれている。


 トンネルのような入り口を抜けると、正面が飯本さんの家で、一階に機械を据えて紙の裁断をし、二階が住居になっていた。


 俺と同じ父子家庭で、一歳年下の娘と五歳位の頃にお医者さんごっこに付き合わされた事があった。


 彼女は細かくちぎった紙をパンツの中に入れてくれと言い『何でこんなことするん?』と尋ねる俺に『気持ちええねん』と言っていた。


 俺は気持ちの高ぶりもなく言われた事をしていた。


 ある日それが相手の親に知れてしまい、俺のいない間に『○○ちゃんに無理矢理された』と娘が言っていると家に怒鳴り込んで来た事があった


 親父はその事を俺に言い、俺はキョトンとしながら説明したのを覚えている。


 高校生の頃に、引っ越ししてしまったが、あの娘はどうしているんだろうか?


 そこから右へ曲がると、正面が高田さんの家だ。


 右側に、酒屋の後作りの物置が張り出していて、小さい頃遊んでいたスーパーボールがこの中に紛れ込んで見付からなかったっけ、と思いながら高田さんの家の前に立ち止まった。


 小さい頃は、毎年この家の前で長屋の全員が集まって大晦日に餅つきをしていた。


 子供達はつき上がったお餅を餡ころ餅にして配ってくれるのを楽しみにしながら餅つきを眺めていたものだった。


 ここを左に曲がると、両側に長屋が七件づつ続いていて、左側の一番奥が俺の生まれ育った家だった。


 俺は逸る気持ちを押さえて歩いた。

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