クロやん、アイドルやめるってよ
史郎アンリアル
前編
アイドルとは、不思議な存在だ。
派手な格好をして、歌ったり踊ったり、時には人前で他愛もないような世間話をしたり……。それだけで周りが笑顔になれるのだから、なおさら不思議な話だ。
こんな素敵なことを、いつ誰が、何のために始めたのか。それは誰も知らない。ただ一つ、確実に言えるのは、それがそう簡単なことではないということだ。
ジャパリパークにも、そんなアイドルのグループがいくつか存在する。中でも代表的なのが、五羽のペンギンで構成されるペンギンズパフォーマンスプロジェクト、通称PPPと、とある記念祭でその公式ライバルとして結成されたサバンナガールズである。
だが、初ライブとなった記念祭から半年と待たずして、サバンナガールズにある重大な事件が起こる。今回は、その事件についてお話ししよう……。
「みんなー! 今日もありがとー!」
みずべちほーに設置してある大ステージ。サーバルを中心とするサバンナガールズの五人は、その日のライブを終え、大喝采の中大きく手を振って舞台袖に降りた。
「今日もお客さん、すごい数だったねー」
オカピが設置してあるベンチに腰掛け、ため息をついた。よく見ると額にはかなりの汗が浮かんでいる。
「オカピさん、まだ終わってませんよ」
「そうそう。今日はこのあと握手会もあるんだから」
その両肩を、タヌキとマンモスが軽く叩いて元気づける。しかしその手は先ほどまでマイクを握っていたせいか、じっとりと汗に濡れていた。一方リーダーのサーバルは、準備が整うのを待ちきれない様子で、ステージに近い場所でそわそわしていた。
「あれ? そういえばクロヒョウさんは?」
いつも五人一緒のはずのメンバーが、その場には四人しかいないことに気付いたタヌキが、きょろきょろと辺りを見回す。
「クロヒョウなら、風にあたって来るって外に行ったわよ。心配しなくても、握手会までには戻って来るわよ」
そう答えるマンモスは、メンバーの中で最もクロヒョウとかかわりが深い。彼女が他のフレンズに比べて恥ずかしがり屋で、時折照れ隠しに強い態度をとってしまうことも知っていた。今回もおそらく、ライブと握手会の緊張に耐えかねたのだろう。
舞台袖から廊下をまっすぐ歩いた扉の向こうには、心地よい風が吹いていた。ふと横を見ると、ステージやおひさまシステムを支える柱がむき出しになっていて、全体的に白や銀色のそれは、所々が茶色や黒になっている。この向こう側だけに岩山のような壁があり、ステージを挟んで大勢の観客が自分を待っている。その光景を思い出すと、彼女の心は不安に震えた。
「あかんなぁ、この後握手会やってのにこんなんじゃ」
誰に言うでもなく、柱の陰に溶け込みそうな黒い影がつぶやいた。
「うち、ちゃんとアイドルできてるんやろか……?」
影は空を見上げる。視線の先はどこまでもただ青く、どれだけ風が吹いても動く様子はなかった。
その時、彼女が閉めたはずの扉が勢いよく開いた。
「クロやーん、そろそろ出番だよ」
扉の向こうから、黄色い大きな耳がぴょこんとのぞく。サーバルだ。
だが、元気いっぱいのその声に対して、影は少し考えるように間を置いた。
「……おう。すぐ行くで」
影は一度だけ外の空気を思い切り吸ってから、ステージに向かって走り出した。
ステージの向こうでは、すでに多くのフレンズが列を作り、握手会を今か今かと待っていた。そこへサーバルを先頭にサバンナガールズの五人が姿を現すと、ざわめきは歓声に変わり、五人を派手に迎えた。
手伝いに来た数人のフレンズが列を動かし、一人、また一人と順番に各メンバーと握手をし、短い挨拶をしてステージを降りていく。
特に緊張するようなことはない。むしろここで緊張した様子を見られては、楽しみにしていた観客に失礼だ。そんなアイドルとしてのプライドが、五人を元気づけた。
「クロヒョウさん、今日もキレッキレでしたよ!」
「鋭いツッコミ、いつも楽しませてもらってます!」
先ほどまで影のように壁の裏に溶け込んでいたクロヒョウも、この時ばかりは光り輝いていた。
「おおきにー。次のライブも来てなー」
多くのフレンズから、彼女はツッコミ担当や関西弁キャラなどと言われているが、彼女自身はそれを良いとも悪いとも思っていない。いつも通りの、アイドルになる前からサバンナでやっていたようなサーバルたちとのやりとりをしているだけだ。それが最も自分らしいということも、別に無理してキャラを作る必要がないということも、彼女は充分理解していた。
その日も特に変わったことはなく、一通りのイベントが終わった。
「いやー歌った踊った。楽しかったね!」
楽屋に戻った五人の中で、サーバルはまだ興奮冷めやらない様子だった。
「サーバルさん、なんだかイワビーさんみたいになってますよ」
タヌキが置いてあったじゃぱりまんを食べながら笑う。
「でも、今日もすごい盛り上がりだったから、いいんじゃない? ほら、プレゼントもこんなに!」
そこへマンモスが大きな箱を抱えて来た。箱の中には様々な色のじゃぱりまんやメンバーへのファンレターなど、たくさんのプレゼントが詰め込まれ、メンバー別に分けられている。
「そんじゃ、うちは一足先に帰らせてもらうわ」
サーバルやオカピがその中身を確認しようとするのを押しのけて、クロヒョウが自分の箱を袋に入れ、帰り支度を進めた。
「どうしたの? 何か用事?」
「あー、せやな。この後ちょっと他の子と会う予定があってな」
首をかしげるサーバルに、クロヒョウは目を合わせることができなかった。
「ま、そーいうことなんで。またなっ」
他のメンバーの返事も待たず、彼女はそそくさと楽屋を出て行った。
「そんなに急ぎの用事なのかなぁ?」
「さあ……」
マンモスも、さすがにクロヒョウの個人的な予定までは知らない。
さばんなちほーの縄張りに戻ったクロヒョウは、プレゼントの箱からファンレターだけを取り出し、一言一句見逃さないようにじっくりと眺めた。
そしてすべて読み終えると同時に、彼女はその束をまき散らすようにして放り投げ、重力のまま仰向けに倒れた。背の低い草がクッションとなり、大の字に寝転がる彼女の体を優しく受け止める。
「今回もかぁ~」
ため息のようにその口から漏れた言葉には、深いわけがあった。
確かに、彼女は自分の立場や役回りについて理解しているし、変えるつもりもない。
だが、それが他人に言われるとなると話は別だ。彼女が気にしていたのは、ここ数回のファンレターが、すべて関西弁とツッコミの内容だったからだ。
贅沢な話かもしれないが、クロヒョウがサバンナガールズに入った理由はあくまでもアイドルをやりたいからだ。自分の個性を活かすと言っても、漫才をやるためにアイドルを始めたのではない。だが、周りからの評判に彼女のアイドルらしさを褒めるものはほとんどなく、それが彼女の最近の悩みだった。
「やっぱうち、アイドル向いてなかったんかな……」
クロヒョウは寝転がったまま散らばったファンレターを元の箱に戻し、同じ箱からじゃぱりまんを取り出して食べ始めた。
「……いや、そんなこと言うたらあかん。うちだってサバンナガールズのメンバーや」
彼女は足を振り上げ、下ろす勢いでしゃきっと立ち上がると、拳を握って気合いを入れ直した。
確かに、アイドルの活動というのは時に言いようのない不安に襲われたり、他と比べた時に自分の無力を感じてしまうこともある。だがその分、仲間やファンに楽しい時間を提供し、分かち合う楽しみもある。思い通りの評判が来なかったからといって気を落としていては、アイドル失格だ。サバンナガールズの一員として、いちクロヒョウとして、自分にできることをしよう。彼女はそう決意した。
それに、楽しみにしていることだってある。実は一週間後、クロヒョウの誕生日を祝うパーティーを企画しているとオカピから話があったのだ。具体的な内容はサプライズのため秘密と言っていたが、こんなに素敵な居場所があって嬉しくないはずがない。
だったのだが……。
パーティー当日、オカピの言っていた集合場所の小屋に来たのは、オカピとクロヒョウの二人だけだった。小屋の中には五人分の椅子と大きめのテーブル、そして二人の荷物と明らかに何か隠してある大きな箱だけ。
「なんか、みんな、来るの遅ない?」
不安になったクロヒョウが、我慢できずオカピに聞く。
「そ、そうだね。一応みんなにはここに来るよう言っておいたんだけど……」
オカピは目を合わせようとしない。しかし突然、クロヒョウに向かって縞々の手を合わせて頭を下げた。
「ごめんっ! サプライズにしすぎた!」
「そ、それはどういうこと?」
涙ぐんだ瞳が、許してくれと言わんばかりにクロヒョウを見上げる。
「本当は五人でやるつもりだったんだけど、みんなにもサプライズにしようと思ってて、クロヒョウのこと言ってなかったの……」
「それで、なんで来ないんや?」
「みんな、他に予定があったみたいで……」
オカピの話によると、今日はちょうどPPPのライブが予定されていたらしく、マンモスはその設営に、タヌキは観賞に行ったらしい。
「で、サーバルは?」
「ここに来る途中で『狩りごっこだね!』とか言ってどっか行っちゃった……」
クロヒョウは一瞬自分の誕生日をないがしろにされたのかと考えたが、そもそもサーバルたちがそのことを知らなかったのであれば仕方ない。だが、せっかくオカピが企画してくれたパーティーに誰も来ないというのは、誕生日のこと以上に納得いかない部分があった。
「ったく。マンモス姉さんとタヌキはともかく、何しとんねんあの狩りごっこバカは……」
「ご、ごめん! あっ、でも明日みんなで集まるイベントがあるから、その時にあらためてやろうよ!」
サーバルを責めているにもかかわらずなぜか頭を下げたオカピに、クロヒョウは反応に困った。しかしそれ以上に疑問に思ったのが、その次の言葉だった。
「イベント?」
そう言われるとオカピは顔を上げ、ショートパンツのポケットから一枚の紙を取り出した、。
「そう。じゃぱりびんから届かなかった? 今度のPPPとのトークライブ」
「……ちょっと見せて」
何か怪しげなものを感じ取ったクロヒョウが、オカピから奪うように紙を取る。そこには確かに、PPPとサバンナガールズのトークイベントの要項や出演者一覧が書かれていた。クロヒョウは紙の下部に書かれている名簿をじっくりと眺める。
サバンナガールズ(サーバル、オカピ、マンモス、タヌキ)
何度見ても、書かれている名前が変わることはなかった。そしてそれがわかった時、クロヒョウはすべて理解した。
「……クロ、ヒョウ?」
クロヒョウは持っていた紙をオカピに押し付けるように返す。その後、パーティーのお礼に持って来た荷物をまとめ終えるまでの間、彼女は何も言わなかった。
そして、小屋の扉に手をかける時、今にも泣きだしそうな顔をオカピに向けて言い放つ。
「あんたらが、みんながうちのことどう思っとるか、ようわかったわ」
「クロヒョウ?」
何がかはわからないが、何かとてもまずい気がして、オカピはクロヒョウを追いかけようとした。
しかし。
「うち、アイドルやめる」
言い終えると同時にクロヒョウは扉を少しだけ開け、その隙間をすり抜けるように出て行ってしまった。
「クロヒョウ……」
クロヒョウの足の速さを知ってか、オカピはその後を追おうとはしなかった。ただ小屋の中で一人、サプライズの予定が書かれたイベントのチラシを持ったまま立ち尽くしていた。
やはり、自分にはアイドルなど向いていなかった。それどころか、一緒にいたせいでオカピに辛い思いをさせてしまったし、そのことを知ったら他の三人も嫌な気分になるだろう。そんな思いがクロヒョウの心を支配し、今すぐにでも逃げ出したくなった。
そして、思い立ったらすぐ行動する彼女の性格が、この期に及んで強く働いた。
「マンモス姉さん、ごめん。うちやっぱ無理やわ。みんなに迷惑かけてしもた。悪いけどサバンナガールズは明日から四人で頑張って……」
彼女はその場にいないフレンズに別れの挨拶をしようとしたが、どうにも最後まで言葉が浮かばなかった。
最低限の食料だけを箱に詰め、チーターを真似したようにひもで棒にくくりつけると、彼女はそれを持って立ち上がる。誰にも会わずに逃げるためには、サーバルが戻って来る夜までにこのさばんなちほーを出なければならない。
「……けど、どこ行ったらええんやろか……?」
みずべちほーはフレンズが多いし、じゃんぐるちほーにはタヌキのねぐらがある。少し遠いが、みずべちほーの先にある湖まで足を延ばすことにした。
「……さいなら、さばんなちほー」
「えぇっ? クロやんが?」
遅れて小屋にやって来た三人の中で、最もそのことに驚いたのがサーバルだった。
「どうして止めてくれなかったの!」
彼女は頬の膨らんだ顔をオカピに近づける。
「いや、だって私じゃ走っても追いつけないし……」
「でもクロヒョウの誕生日が今日だったなんて、私もうっかりしてたわ」
うなだれるオカピの横で、マンモスが自分の額に手を当てる。
「それで、これを見て出て行ったんですよね?」
タヌキがイベントの紙をじっくりと読む。クロヒョウ以外の四人は全員じゃぱりびんから同じ紙を受け取っているのだが、オカピの物だけ何か間違いがあるかもしれないからだ。しかし、クロヒョウの名前がない所も含めて、他と違う所はひとつもなかった。
「PPP側が主催だからって、油断してたわ……」
「待ってください」
マンモスが近くの椅子に倒れるように座ろうとするのを、タヌキが止めた。
「PPPの皆さんが、悪意でこんなことをするはずがありません。きっと何か考えがあるはずです」
アイドルへの情熱に関しては誰にも負けないタヌキの強い眼光が、マンモスを起き上がらせる。それを見てから、タヌキは紙を裏返した。そこには当日の予定とサプライズ計画中の文字だけが書かれている。
「もしかして、これって……」
「どうしたの?」
タヌキの目が留まった部分を、サーバルが後ろから覗き込む。しかし四人に同じ紙が配られたということは、全員がサプライズのことも知っているはずだ。
「このサプライズの内容ですよ。もしかしたら私、わかっちゃったかもしれません!」
予想外の言葉に、タヌキ以外の全員が一瞬固まった。
「え、えー? なになに? どんなことやるの?」
サーバルの期待に光る瞳が、タヌキをとらえて離さない。だがタヌキは彼女を押しのけて、全員に言った。
「それを確かめるためにも、行きましょう! みずべちほーに!」
「おー!」
何かを察したのか、あるいは何も考えていないのか、やはり一番に駆け出したのはサーバルだった。オカピとマンモスも、その後を追って出て行く。
「せっかくここまで考えてくれたんですから、ただでは終わらせませんよ……」
最後に残ったタヌキは、テーブルにそっと紙を置きながらつぶやいた。
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