第11話「ストラグル・オブ・ライガンド」
企業の製品としては採用の忌避された「命をやりとりする」と言う倫理的な枷を外してしまえば、純たった一人でもシステムを完成させることが出来るほどに完成された、一部の隙もない理論だった。
純の手によりライガンドは生まれ、始まりの
やがて「命の平均化」が平等な社会、つまり誰もが幸せになれる社会に必要だと考えた純によって、ライガンドは公開される。
しかし、ライガンドは、扱えるものを自ら選択した。
ライガンドを扱えるだけの神経伝達物質を許容できるレセプターを持たない人間には、そのプログラム自体を見ることすらかなわなかったのだ。
それでも両手で余るほどのヴィタライザーが誕生し、蒼紫はその手に持ったリア・ファルによって、次々とフェイトを勝ち取っていく。
その中にはもう一つの黒の武器、クラウ・ソラスを持つ双葉 虎太郎、そう、双葉
虎太郎も蒼紫以外のヴィタライザーには次々と勝利を収め、そのフェイトを増してゆく、しかしある日、虎太郎の突き刺した剣により現実の生命を失うものが現れた時、虎太郎の戦いは終わった。
「お兄ちゃんが……人を……?」
愕然とする撫子に、純は頷く。
「虎太郎はそれでもライガンドをやめられなかった。君たちの中にも感じている人も居るかも知れないが、ライガンドは脳内麻薬を高濃度で放出する。つまり……中毒症状が発生する事があるんだ」
ライガンドにコネクトすることをやめられない虎太郎は、それでも人のフェイトを奪うことは出来ず、結局は蒼紫や純とばかり戦うことを続けた。
純は最後に
そして、運命のあの日は訪れる。
虎太郎が純と蒼紫に
余命が1年を切った。
それがわかった時、純はもう一度虎太郎に数年のフェイトを渡すことを望んだが、虎太郎は拒否をする。
もう何万倍にも圧縮された世界で、十分に友達と過ごすことが出来たと。これ以上人の生命を奪って生き長らえたくないと、涙を流した。
フェイトを奪ってくれと懇願する純にクラウ・ソラスを譲渡し「俺の生命をお前とともに生きさせてくれ」と頼む虎太郎を、しかし純は斬ることは出来なかった。
蒼紫が近づき、リア・ファルが虎太郎の心臓に突き刺さる。
無表情のまま「お前の生命は俺が受け継いでやる」と剣を引き抜いた蒼紫に、消える直前、虎太郎が笑顔で何かをつぶやいたのを純は呆然と見つめていた。
「その後、蒼紫はオーディンの一部の人間が組織した『ラグナロク機関』へと所属した。私も誘われたが、常識を持ち合わせた人間なら……私がそうだとは思わないが……断るに十分な話をされたよ。フェイト工場や世界の実効支配の話をね」
長い話を終え、純はコーヒーを一口飲み込んだ。
兄の最後を聞き、撫子は呆然としている。
さくらは何かを考えこんでいる様子だった。
「その、フェイト工場って……」
撫子の手を握ったまま、大雅がそう尋ねる。
「その名の通りフェイトを生産する工場さ。……
「……健康な人間……ですか?」
答える大雅に、純は首をふった。
「健康な……赤ん坊さ」
息を呑む三人に見つめられ、純はカップを置く。その手が小刻みに震え、目には怒りの色が浮かんでいるのがハッキリと見えた。
「ヴィタライザーの遺伝子を受け継いだ赤ん坊を大量に生産して、生まれた端から
「そんなことが許されるわけがないわ!」
保育士として、普段から沢山の小さな命と関わっているさくらが叫ぶ。
小さくうなずき「当然だ」と呟く純に促され、さくらは椅子に座り直した。
「ただ、ラグナロク機関の計画には問題がある。ライガンドに適性を持つものは、何故か20代前半より若い世代に集中していて、その年代でも適性のないものが9割を占める。現在、金や権力を持つ大多数の年寄りや非活性者への求心力は、あの計画には存在しない」
少しホッとした三人は、それぞれに椅子に体重を預けた。
「……だがそれも君たちが力を得る前までの話だ」
「どういうことですか?」
力を抜いたところへの不意打ちで、咄嗟に大雅がそう聞き返す。
チラリと撫子を見た純は、立ち上がると窓際へと歩いた。
「黒の武器によって圧縮世界の外へとその影響を広げることが出来たのは、君たちも経験したとおりだ。つまり、ECNアーカイヴもフェイト理論も、世界を問わずに影響をあたえることが出来る触媒が、君たちの持つ黒の武器なんだよ。ラグナロク機関の計画には、黒の武器は必須だ。諦めることは無いだろう。生命が惜しいなら、今度のお迎えに乗って、空木さんと一緒にラグナロク機関に所属してしまうのがいいだろう」
窓枠に手をつき、そう言った純の顔は、眩しい外に向けられ、こちらからは見えなかった。
「……じゃあ僕たちは、ずっとオーディンに怯えながら生きていくしか無いんですか? それを分かっていて、純さん、あなたは撫子にクラウ・ソラスを渡したんですか?」
立ち上がりかけた大雅を撫子が押さえる。
「お兄ちゃんの形見を望んだのは私。純さんは黒の武器がなくても、ライガンドの開発者としてオーディンに狙われるわ。それでも大きなアドバンテージになるはずの黒の武器を私に譲渡してくれたのよ」
撫子にそう言われてしまえば仕方がない。大雅としてはどんな理由があれ、彼女を危険な状況に置いてしまうことは本意ではなかったが、兄を思うその気持を考えれば、彼女が
それに、大雅が黒の武器、
いざという時に撫子を守るための、今の大雅が頼ることが出来る唯一の武器。
しかし、それを持っているということはラグナロク機関を呼び寄せ、一緒にいる彼女をも危険にさらしてしまう。
どうせそうなるならば、確かに撫子も黒の武器を持っている方がいいのかも知れないと、大雅は思った。
「私は今、ライガンドを消滅させる為のウィルスを開発している」
くるりとこちらに体を向け、純は窓枠に腰掛けた。
その表情はスッキリしたものだった。
「ただ、これは黒の武器によるシステム
「僕らは無いにしても、それじゃあすぐに蒼紫……さんに阻止されちゃうんじゃないですか? 意味ないじゃないですか」
大雅の疑問に純は声を出さずに苦笑いをする。
「君は正直だな。……そうなんだ。でも、黒の武器のシステム割込は、システム上で動くプログラムを緊急措置的に停止させるためのものだから、プログラム側からの制御ではどうしようもない。手詰まりだよ」
両手のひらを肩の上に向けて、純はお手上げだとでも言うような大げさなポーズを取った。
「余裕が有るのね、何か手立てがあるんでしょう?」
純の表情を読み取った
何かを予感しているその顔には、諦めとも未来への希望ともつかない、曖昧な表情が浮かんでいた。
「余裕なんて無いさ、黒の武器のシステム割込を防ぐ手立てはない。ただ、同じ黒の武器でそれを上書きすることは出来る。それでも、圧縮世界でそれを使われたらおしまいだ。ミリ秒単位の時間で上書きのボイスコマンドを発行することは不可能に近い。だから、蒼紫と圧縮世界で戦っている最中に、蒼紫を牽制しながらウィルスを散布すると言う綱渡りのような方法であれば……もしかして」
「僕らが手伝います」
我知らず、大雅はそう答えていた。
ほとんど同時に撫子が、一瞬遅れてさくらも同意を示す。ここまで聴いて、自分たちにしか出来ないことを放棄できるほど、大雅たちは子供でもなく、ラグナロク機関に協力して自らの地位を確立しようとするほど大人でもなかった。
「……蒼紫の力は知っての通りだ。君たちの持つ黒の武器とライガンド自体の存在を秤にかけ、ライガンドの存続を再優先と判断されれば、それこそ三対一でも一瞬でとどめを刺されることも考えられるぞ」
大雅はあの戦いを思い出し、身震いする。しかしつないだ右手から伝わる撫子の温もりに力をもらい、真っ直ぐに純を見た。
「戦ってみせます」
つなぐ手に力を込めて、心の中で「撫子のために」と付け加えると、大雅は心に力が流れ込んでくるのを感じる。
この力があれば、どんな苦境でも戦える。大雅はそう確信していた。
純に見送られ、三人は帰路についた。
ウィルスが完成した暁には、純から連絡を取ることを約束していたが、その予定日は約1ヶ月後。
その後、蒼紫と
バスに揺られ、大雅は純の語ってくれたラグナロク機関の世界征服についての予想を思い返している。それは大雅にとって、まるでアニメか何かの世界の話のように聞こえた。
ライガンドの戦闘時には、大量の脳内麻薬が発生している。
その状態で、日常とは違う閉鎖された圧縮世界に放り込まれ、生と死を身近に感じる体験をさせられる。
そこには自分を越えた強大な力を持った者が居り、圧倒的な力を見せつけられる。
今までの常識を覆されたヴィタライザーたちは、容易くその強大な力を持つものに心酔してしまう可能性が高いという。
これは、新興宗教やテロ組織などのマインドコントロールに使われる手法と非常に似通っていて、実際に今も使われている方法だ。
マインドコントロールを施された人間は、その組織やリーダー、理念などのために、自らの命をかけることも厭わなくなるという。
蒼紫を頂点として、マインドコントロールされたヴィタライザーが、少しずつラグナロク機関側に所属するようになってきた事を聞かされ、大雅は菜花を思い浮かべた。
まるで性格が変わってしまったかのようなあの表情。
以前の太陽のような笑顔の菜花を奪ってしまったというなら、それは悪いものだと、大雅は考えた。
「大雅?」
難しい顔で考え事を続ける大雅に、撫子が声をかける。
大雅の右手を自分の膝の上に乗せ両手で包み込むと、撫子は心配そうに大雅の顔をのぞき込んだ。
笑顔で「大丈夫」と言葉を返した大雅に、同じ笑顔を向けてくれる撫子を見ると、やはり大雅の心に力がみなぎるのを感じた。
「黒の武器を同時に使うと、ラグナロク機関に場所を特定されやすくなるらしいから、今後はなるべく別々に、もしくは黒の武器以外の通常武器を使って経験を積むべきね」
その二人の様子を微笑ましそうに見つめていたさくらが、そう提案する。
蒼紫との戦いまであと一ヶ月。
三人のレベルを上げるのは急務と言えた。
レベルアップ以外にも、ライガンドでの戦いをこなすべき理由がある。
ライガンドへの接続を繰り返すことによって、視覚だけでなく、体全体の感覚を擬似的に創りだす『クオリア・コネクト』が何度も脳幹を中心とした神経系全てに大量の圧縮された神経伝達物質を送る。
これを繰り返すことにより、圧縮世界内の強化だけではなく、現実世界での、視神経、及び反射神経などの強化が発現する事が確認されているのだ。
黒の武器を持つもののみに起きうるこの現象は、現実へのECNアーカイブの発現と共に、犯罪をも躊躇なく犯す組織との戦いに、重要な意味をもつはずだった。
「撫子、さくらさん。僕は単純にオーディンが……ラグナロク機関の計画が許せない。ただ、危険であることはわかってるつもりです。僕が強くなれば、二人がその戦いに身をおく必要がなくなると思っています。僕は……強くなります」
撫子と手をつなぎ、二人の世界を作り出す大雅を見ていたさくらが、その顔にムズムズとした表情を浮かべ、もう我慢できないとでも言うように大雅の頭を抱きしめる。
「あぁ、もう! かわいいわね! 撫子ちゃん、大雅くん私にも分けて!」
「え? あの、さくらさん?」
さくらの腕の中で、その大きな胸に顔を押し付けられた大雅は、撫子の手を握ったまま顔を真っ赤に染める。
「ダメ! さくらさんダメ!」
必死に大雅を取り返そうと、その体に抱きついた撫子の感触を感じた大雅は、もっと顔を赤くした。
こんな風に撫子に抱きつかれたのは初めてだったのだ。
車内放送で運転手に諌められた三人は、椅子に深くかけ直す。
相変わらず大雅の右手は撫子に握られていたが、左手には、軽くさくらの小指が触れていた。
大雅はそっと撫子の顔を見、次にさくらの顔を見る。見るともなしにチラリと視線を落として、先程まで顔を埋めていた柔らかい胸が目に入ると、慌てて天井へ視線を向けた。
ウィルスが完成する頃には夏休みに入っている。
――今年の夏休みは、世界を救うための戦いになるんだ。僕が、世界を、撫子を……さくらさんを救うんだ。
大雅は、新たなる戦いに向けて決意を固めた。
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