第10話「ラグナロク機関」
あの戦いから数日。
何かを話すわけでもない。かと言って気まずい雰囲気なわけでもない。ただ二人で一緒にいることを楽しんでいるだけだった。
大きなゾウを型どったすべり台で遊んでいた子どもたちが、母親の呼び声に答えて立ち去ると、公園には、小鳥のさえずりと遠くから聞こえる車の音以外、何の音も無くなる。
ライガンドに入る瞬間みたいだな、と思った大雅だったが、チラリと撫子に目を向け、今この瞬間の静寂は、あの全てを分断してしまうかのような時間圧縮とは違うと思い直した。
「
ふと思い出した大雅が、撫子に疑問を投げかける。
あの戦いの後、それまでほぼ毎日会っていたと言うさくらにも連絡がなく、SNSにも返事がない。
最後まで友人同士の戦いに手を出すことが出来ずに立ち尽くし、現実世界に戻って来てからもその表情が変わることのなかった菜花を思い出し、撫子は
「……まぁ友達同士が戦うって言うのはキツい状況だもんね」
木の梢に目を向け伸びをした大雅は、ベンチに座り直した。
撫子は呆れたような困ったような顔で大雅を見つめる。
「気付いてないの? まったくもう、大雅は鈍いのね。菜花さんは
「え?! マジで?!」驚きを隠せない様子で、大雅は飛び起きるように体を起こす。
「僕は、菜花さんもさくらさんも
「嫌いではないと思うわ。でもそれは友達とか、バスケットボールの好きな選手って言う意味で、好きの好きとは違うのよ」
「好きの好きと違う……?」
「もう、わからないかな。私が大雅を好きなのと、お兄ちゃんを好きなのが違うのと一緒よ」
「うん……なんとなく分かった。……かな」
頼りない大雅の答えを聞いて、撫子はベンチについた大雅の手に自分の手を重ねる。
その手のぬくもりを感じた大雅は、言葉では納得できなかった疑問が全て理解できた様に思った。
二人の視界の端、公園の入口付近に黒塗りの車が止まるのが目に入る。住宅地の中、袋小路のようになっているこの公園まで車が入ってくるのは珍しく、大雅は何気なく視線をそちらに向けた。
後のドアが開き、黒いドレスを着た女性が黒いレースの日傘を差してゆっくり身を乗り出すと、その瞳にECNレンズがカーソルを表示した。
〈LIGAND-0012-菜花-07〉
「菜花さん……?」
立ち上がる二人の元へ、まるでフランス人形のような、しかし漆黒のドレスを着た菜花が優雅に歩み寄る。その顔は、血の気のない真っ白な肌に、大きな瞳を飾るまつげも、可愛らしい唇も真っ黒に塗った、まるで骸骨を思わせるような化粧だった。
可愛らしい曲線の輪郭、丸く大きな瞳はそのままなのに、笑顔の輝く菜花の面影は無く、無表情な菜花は本当に人形のように思われた。
「こんにちわあ」
軽く腰をかがめて菜花が挨拶をする。その声とふんわりとした語り口は、間違いなく菜花のそれだった。
「菜花さん、今までどこに――」
言いかけた撫子の手を握り、大雅が撫子の前に体を出す。
菜花の背後にサングラスを掛けた体格のいい黒服の男が二人、いつの間にか並んでいた。
「菜花はあ、黒の武器を持つ貴方達を迎えに来たんですう。
表情を全く変えない菜花を見て、大雅は危機感を募らせる。
撫子は確かにあの戦いの後、
「迎え……って、どこにですか?」
「もちろん、私たちオーディン、ラグナロク機関の仲間としてですよう」
さも当然のことのように言い切る。
大雅は撫子をもう一歩自分の後ろに押し込めた。
戦いの最中、蒼紫が名前を明かしたオーディン。大雅たちも、あの後ネットや学校で色々調べてみたが、オーディンという名前で検索できたのは、北欧神話の神と、最近業績を伸ばしている複合企業だけだった。
企業の方はECNレンズ事業にも手を伸ばしているが、まさかそんな名の売れた企業が、ライガンドのような人の命を奪うアプリに手を出すとは思えないし、蒼紫たちとの関係性も全く浮かんでこなかった。
何の返事も返さなかい大雅たちを菜花はじっと見つめる。
「オーガナイゼーション・オブ・ディスコネクテッド・イノベイターズ・ネイション、ODIN。私たちの組織はあ、圧縮世界へと行き来できる、革新者たる
行儀よく両手をへその上で組んだまま、まるで会社のパンフレットでも読み上げるようにそこまで一気にまくし立てると、菜花は大雅立ちの反応を待った。
「……世界を統一って……僕には、まるっきり悪の組織が世界征服しようとしてるようにしか聞こえないんだけど……菜花さんの格好も、後の人達も」
精一杯のつよがりを込めて、大雅はそう答える。その顔には何とか不敵そうに見えるうっすらとした笑顔が浮かんでいた。
その答えを待って、菜花は小さくため息をつく。
「しかたありませんねえ。それでは、ごきげんよう」
たっぷりとしたレースのスカートの端を軽くつまみ、腰をかがめて挨拶をした菜花がくるりと後ろを向くと、そこに並んでいた黒服の男2人が、大雅たちに手を伸ばした。
大雅は恐怖で身をすくませる。
そのいかにも格闘技でもやっていそうなゴツゴツした手に服を掴まれそうになった瞬間、視界の端に恐怖に顔をひきつらせる撫子の顔がチラリと見えた。
――撫子が、傷つけられてしまう
その考えが頭に浮かび、左手に電気が走ったかのような衝撃が伝わる。一瞬にして世界は色を失い、そこに居た黒服の男は。まるでゴルフのスイングチェックでもしている画像のように、これからの動きが数秒先まで重なって表示されていた。
「なんだっ?! これ?!」
驚きながらも、もし黒服がこの映像通りに動くのなら……と、大雅は対処法を頭の中で組み立てる。その大雅の思考にあわせて、表示される映像は刻々と変化を見せた。
やがて、ECNレンズの表示がカウントダウンを始め、その数値が0を示すと、世界は動き始めた。
外側から振り回されるように掴みかかろうとしている黒服の袖を大雅は掴み、そのまま逆側へと押してやる。
大雅の力は黒服とは比べ物にならないほど弱いが、相手の力を利用したこの動きで、撫子を狙うもう一人の黒服に相手をぶつけることが出来た。
黒服たちがもたつく隙に撫子の手を取り、大きなゾウのすべり台の足の間、体の大きな黒服にはくぐれないトンネルを潜り、そのまま大通りへ向かって走り始めた。
「ああん、もう。逃しちゃだめですよう」
菜花の指示が聞こえる。
しかし、人通りの少ない奥まった公園だとはいえ、周囲は住宅地だ、おおっぴらに誘拐をする訳にもいかない黒服たちはすぐに諦め、菜花とともに車に戻っていった。
〈今日は帰りますけど、またお誘いに来ますね〉
手に手をとって走り続けていた二人のECNに、菜花からのSNSメッセージが表示される。
やがて二人は足をゆるめ、人の多い大型商業施設の駐車場のベンチに座り込んだ。
「大雅、さっきのあれ、何だったと思う?」
まだ大雅の手を握ったまま、もう一方の手で動悸を押さえるように胸に手をやっていた撫子が、ゆっくりとそう問いかける。
その表情には、逃げ切れた安堵感よりも、現在置かれた状況と、未知の事象に遭遇した不安感が大きく現れていた。
「あれって?」
「大雅にも見えたんでしょう? 世界がこの後どう動くかの予測映像が」
撫子にもあの映像が見えていた。
しかし、あの未来予知のような映像が何なのか、それは大雅にも全く分からない。
ただ二つだけ分かることは、あの映像がライガンドに由来する能力だろうと言うこと、そして、ライガンドの事ならば、純に聞くのが最も確実な問題解決方法で有ろうということだった。
「それは、純さんに聞いてみよう。それから、僕達と同じ『黒の武器』を持っているさくらさんも危ない。注意するように連絡したほうがいいと思う」
大雅の提案に撫子も頷く。黒の武器の一つである
「はい、ええ、菜花さんが……」
さくらに連絡が取れて安堵の表情を浮かべる撫子と目配せして、大雅は純にメッセージを送る。純からの返信は数秒と経たずに帰ってきた。
〈その現実へのECN
通話中の撫子にさくらとの合流連絡をしてもらい、40分後に大学の正門前で落ち合うことに決めた二人は、そこでやっと今まで手をつなぎ続けていたことに気づいて、顔を赤くしながら手を離した。
しかし、大雅の手がもう一度撫子に触れる。
二人はまた指を絡め合うと、大学行きのバス停へと歩き始めた。
「インスタントしか無いけど」
そう言って純が並べてくれたコーヒーは、色も形もバラバラなマグカップに入っていたが、いい香りを漂わせている。
あちこちに汚れの染み付いた白衣を羽織った純は、あの戦いの時と同じような実験机の横にパイプ椅子を引いて腰を掛けると、静かに話し始めた。
「まず、ライガンドについて、私が予想していなかった事実が分かった。それについて話したいと思う」
廊下からはガヤガヤと賑やかに人が行き来する音が聞こえる。
純は同じようにパイプ椅子に座った三人の目を順番に見回すとコーヒーを一口、口に含んだ。
「ライガンドのECN
純の説明に、大雅は喜びを隠せない。この能力があれば、圧縮世界の中だけではなく、現実の世界でも撫子を守ることが出来る。そう考えていた。
「嬉しそうだね、石動くん。しかし、そう単純に喜べたものでもない。この力はライガンドとは違ってフェイトを一方的に失うだけの力だし、現実世界で違法な組織……オーディンに付け狙われる原因になる。私も、
扉の外の雑踏とは対照的に、部屋の中は静まり返る。大雅も、事の重大さに気づいて撫子を見つめた。
「……付け狙われるって、私たちをどうするつもりなのかしら? いえ、それよりも、そもそもそのオーディンと言う組織はどう言う組織なの? それも説明してもらえるんでしょう?」
今まで口を閉ざしていたさくらが口を開く。
大雅たちから聞いた菜花の変貌ぶりに、一番心をいためていたのは、子供の頃からの付き合いがあるさくらだった。
菜花を替えてしまった原因は、オーディンに、その組織に居る
「オーディンは、元々中東の製薬会社で、今では日本に本社を置く世界有数のコングロマリットだ。……僕も下っ端として所属していた、この大学の研究室と共同で、ライガンドの元になる基本理論を打ち立てた。しかし、脳内麻薬の過剰放出、命を削る
純は最後の言葉を苦々しく吐き出す。その表情は苦悩に満ちていた。
口を挟むことも出来ずにただ静かに待つ3人に、純はやはり静かに続きを話す。
それは、余命三ヶ月と診断された幼なじみの蒼紫を救おうと純が作り上げたシステム、『ライガンド』誕生の物語だった。
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