第08話「フェイト」

 上弦の月に淡く照らされた薄暮の海岸に、くぐもった悲鳴が響く。

 肋骨の下から斜めに背中まで突き抜けた刀身は、夜空の深淵よりも暗く、それでいて滑らかな光を放っているようにも見えた。

 ゆっくりと引き抜かれたその黒い刀は、その身に鮮血を受け、まるで喜びを表しているかのように震える。

 打ち寄せる波が敗者の足元を掬い、飛沫を上げて崩れ落ちると、光の粒子に変わったそれは消え去り、世界は収縮を始めた。




「最近、黒い刀を使うライガンド活性者ヴィタライザーがあ、手当たりしだいに個人戦闘シングルエンカウントを申し込んで、虐殺してるみたいですよう」

 限定品のバナナ&チョコレート・フラペチーノを飲みながら、菜花なのはが話を切り出した。

 駅前のコーヒーショップに集まった撫子なでしこ達臣たつおみ、さくらの視線が一斉に大雅たいがの元へと集まる。

 大雅は慌てて両手を胸の高さに上げると、大きく首を横に振った。


「大雅くんで無いとは菜花も思ってましたよう。だってそのヴィタライザーは、トドメの大技を使って2百から3百もの超過被害オーバーキルポイントを奪うって言われてますから。……大雅くんにはそんな技無いですしねえ」

 菜花の言葉に達臣が小さく吹き出し、大雅は少しムッとする。

 確かに大雅はまだ5レベルで、特殊攻撃が行える10レベルには大きく及ばない。

 しかし、そうは言ってもこの仲間の中では、同じ黒の武器を使うさくら以外に負ける気はしなかった。


「技がどうとか言う前に、大雅はそんなことしませんから」

 撫子が涼しい顔で断言する。

 救われた気持ちになった大雅は、余計なことを口走りそうになった自分の口をダークチョコレート・フラペチーノのストローで塞いだ。


「でもでも、黒の武器がもう一本現れたのは洒落にならないですねえ」

「ん? そいつはこの前の純ってやつじゃないのか?」

 達臣が「普通のコーヒー」と注文したドリップコーヒーをすすりながら菜花に聞く。

 菜花は、少し体を固くして一瞬口ごもった。


「あの人じゃないと思う」

 大雅は口を挟む。


「あの人は、少しずつなます切りにするような酷い攻撃の仕方をしてまで、オーバーキルを最小にする努力をしてたんです。そんな人がいきなり数百のオーバーキルポイントを奪うような戦い方をするとは思えないですよ」


 ――超過被害オーバーキルポイント。


 ライガンド内での戦いで、死亡時に0を下回ったダメージと同量の生命フェイトを奪われるシステム。

 最初に賭けることを同意したフェイトが1ポイントでも、死亡時のHPがマイナス300であれば、その者は301日の生命を奪われることになる。

 苦痛を増やす、まるでなぶり殺しにするような戦い方であったとしても、大雅は「オーバーキルを最小限に抑える」と言う考えと、あの戦い方全てを否定することは出来なかった。

 そしてその気持は、奇妙な信頼のようなものに昇華していた。


「そうか……じゃあもう一人の黒の武器持ち、行方不明のヴィタライザーは――」

「蒼紫くんはそんなことしませんよお」

 今度の達臣の言葉は断固とした菜花の言葉に遮られる。


「蒼紫くんはやさしいですからねえ」

 さくらに向かって笑顔とともに続けられた言葉に、何故かさくらは表情を曇らせ、不思議そうに見つめる菜花から目をそらして、ただ黙り込んだ。


「……ところで菜花さんはどこからそういう情報を持ってくるんですか? ヴィタライザー同士の交流なんて、ギルドくらいしか無いのが普通なのに」

 沈黙を破って撫子が口を開く。沈黙に焦りを感じ始めていた達臣は、小さく胸をなでおろした。

 ライガンド活性者ヴィタライザー、つまり「ストラグル・オブ・ライガンド」をプレーする者同士は、そのフェイトを直接奪い合うと言う特異性から、友達フレンド登録も滅多に行われず、複数人戦闘マルチエンカウントを有利に進める為の組織ギルド以外の人のかかわり合いも殆ど無いのが一般的だった。

 大雅たちのようなグループが出来たのは、例外中の例外と言ってもいい。

 それは黒の武器がもたらした奇跡かもしれなかった。


「うふふ、菜花はですねえ……大学のサークルで情報を仕入れているんですよお」

「え? それって何のサークル!?」

 大雅が驚きの声を上げる。

 ライガンドはヴィタライザー以外には全く知られていない。適性を持ち、ECNレンズを通して登録を行った者のみが、初めてそれを見て感じることが出来る。

 例えヴィタライザー以外の者に存在を説明したとしても、存在を証明することは全く出来ない、ライガンドとはそういう物のはずだった。


 菜花の言う「サークル」とは、数少ないヴィタライザー同士のつながりを辿って、大きな情報網を創り出そうという「始まりのヴィタライザー」水占みずうら 蒼紫あおしの遺産だった。


「――と言うことで、蒼紫くんは居なくなっちゃったけど、サークルにはヴィタライザーが4人居ますう。……活動は飲み会がメインですけどお、友達の友達の友達の……って辿ると、色々な情報が入ってくるんですよお」

 自慢気に話す菜花を半信半疑な目で見ていた大雅とさくらの視界に、見慣れないライガンドのメッセージが表示される。


会敵インターセプト - イベント戦闘コンタクトは自動的に開始されます〉


 同時にエンゲージメントパートナーの撫子にも戦闘開始の表示が浮かび上がり、素早くECNレンズを操作したさくらの機転により、達臣と菜花の視界にも〈友達フレンドからの共闘要請 - さくら〉の文字が表示される。


 ボイスコマンドの入力もないまま、色の消えた空間がガラスのように砕け散る。その破片が溶けるように消え去ると、様々なガラスの実験器具が所狭しと並べられた、薄暗い実験室のような風景が目に入った。


「……黒の武器を持つもの同士、無用な被害者を出さずに話をしたかったんだけどね」

 どこからか、聞き覚えのある声が風に乗って聞こえてきた。


「最初に言っておく、私の力はもう分かっているだろう? 冷静に話を聞いてくれれば手は出さない。いいね?」

 落ち着いた声で「ライガンドの創造主」綾小路あやのこうじ じゅんは脅しとも取れる言葉を投げかけ、武器を持たぬままドアの影から姿を表した。


 その姿を見てブルッと身震いをした撫子の肩を、大雅がそっと支える。以前には我を忘れてしまった撫子だったが、大雅の支えに気を取り直すことが出来た。


虎太郎こたろうの妹と蒼紫あおしの友人にはあとで話がある。その前に、丹羽にわさんと石動いするぎくん。黒の武器の所有権を私に譲渡してくれないだろうか」


「そう言われてホイホイと譲渡できるようなもんでもねぇだろうが」

 完全に一人だけ無視された形の達臣が無理やり話をねじ込む。


「こうしている間にも蒼紫に気づかれてしまう危険性がある。前回は場所を特定されかけているんだ。あまり時間をかけさせないでくれ」


「無理やり圧縮世界に引っ張りこんだのは、純さん、あなたでしょう?」

 全員の気持ちを代弁する。純の要求は理不尽すぎるように大雅には思えた。


「……私は現実世界で5人相手に勝てるほど力が強くないのでね。それに短時間で済めばそれに越したことはない。アドミニストレータ権限を使って所有権を無理やり引き剥がす事もできるけど、それはキミ達の脳に重大な損傷を与えることにもなってしまうんだ。聞き分けてくれないか」


「だから、理由を教えて下さい」

 食い下がる大雅に、純はため息をつくと、実験机の一つからガラスの実験器具を払い落とす。

 床に落ちて粉々に砕ける破片へは目も向けず、机に腰を下ろした。


「……黒の武器は、生命フェイトを効率良く奪うために、システムが作り出した、言わば公式チート武器みたいなものだ。死ぬ定めの者達にとっては確かに有効な装備だけど、武器自体もフェイトを吸収して成長してしまうと言う特性があって、所有者が武器を押さえ込むのには限界がある。黒の武器は持ち主をも殺す、システムの……バグなんだ」

 純は「バグ」と言う言葉を苦々しげに吐き出す。

 机の上に片膝を立て、それを包み込むように抱えると、あご先を載せた。


「死ぬ定めの者達って?」

 今まで静観していた撫子が質問する。

 純の言葉に幾許いくばくかの真理を見た撫子は、大雅と同じように、この男を信用してもいいような気持ちになっていた。


「言葉の通り、もうすぐ死ぬ人って事さ。黒の武器が発生する条件は、ライガンド登録時にフェイトの残量が365ポイント未満であることなんだから」

 絶句する大雅たちを見て、純は首を傾げる。


「あれ? 少なくとも丹羽さんは知ってると思ったんだけど……。知ってるからこそ黒の武器がそんなに成長するまで、手当たり次第にフェイトを奪い続けたんじゃないのかい?」


「知らないわっ!」

 さくらは絶叫する。その声は普段から一緒にいる菜花が聞いたこともないような大きさだった。


「……まぁ知っていようが知らずにやったことだろうが、丹羽さんはレベルから考えるに20年くらいのフェイトを吸収しているだろう。それに加えて死神の鎌ダグザ・ダーザが吸収したフェイトが6年ほどか。本来なら平等に分け与えられるはずのフェイトが、生命のない物に吸い取られている。良く抑えているけど、ダグザ・ダーザそれはもう限界だよ」


 ライガンド開始時の余命が1年未満。

 それでは1ポイントのベットで、ほとんどオーバーキルを発生させずに戦ってきた大雅の生命は後どれほど残っているのか。

 撫子は急に地面が無くなったかのような浮遊感を覚え、その場に崩れ落ちた。

 純の言葉に呆然としていた大雅は、撫子を支えることも出来なかった。

 ノロノロと撫子を抱え上げ「大丈夫?」と囁く。

 意識のない撫子の顔を見ていた大雅の双眸から、ポロポロと涙がこぼれた。


「……僕……死ぬんですか」

 撫子を見つめたまま、誰にともなく、大雅はそう言った。


「そうだね」

 膝の上に乗せた光の剣クラウ・ソラスを撫でながら、純はそう答えた。


「石動くん。キミも……たぶん丹羽さんも、虎太郎や蒼紫と同じ病気だと思う。受容体レセプターの異常増殖に伴う脳神経の異常活性化。私たちライガンド活性者ヴィタライザーは元々正常でない遺伝子を持った欠陥品なのさ。中でも黒の武器を産んだキミ達は恐ろしいほどの量の神経伝達物質ライガンドを処理する能力を持っている。それは脳への負担を増加し、寿命を縮める諸刃の剣でもあるんだ」


 純の言葉の最中、大雅の涙を顔に受けた撫子が、ゆっくりと目を覚ます。


「大雅……」

 そっと大雅の顔に手を触れ、涙を拭う。

 それでも溢れ出す涙に、撫子はそっと顔を近づけ、唇でそれを止めた。


「撫子……僕……もう君を守ってあげられない……」

「そんなことないわ。大雅、黒雷の剣ブリューナクを呼び出して」

 言われるがままにブリューナクを呼び出した大雅の手を、そっと撫子が握り、切っ先を自らの胸の中心に添えた。


「私の生命フェイトを大雅にあげる。私のフェイトが何年あるのか分からないけど、半分を大雅にあげるわ。何年も大雅の居ない世界に生きるなら、私は半分になっても大雅と過ごす時間が欲しいの」

 まっすぐに見つめ合う二人を、周りは息を呑んで見つめる事しか出来なかった。

 圧縮された時間の中、更に時間が圧縮されたかのように、二人の周囲の時間が止まる。

 かすかに震えるブリューナクの切っ先が触れた純白の鎧の隙間に、薔薇の花弁のような真紅の染みが現れたのを目にした時、大雅はブリューナクを取り落とし、ただ撫子を抱きしめた。


「……なぜだ!」

 二人の姿をじっと見ていた純が、突然立ち上がる。


「石動くんも! 虎太郎も! なぜ周りの気持ちを受け入れない?! 私はただ生き永らえるだけの生命なんか望んでいないんだ! 黒の武器で貫かれる程度のことで生命を分け与えることが出来るなら、そんな簡単な事は無いのに!」


 悲痛な叫び声を上げる純の背後で、灰色のノイズが空間を引き裂き、何者かが身を乗り出す。

 悠然と構えたその手には、大雅の持つ黒雷の剣ブリューナクによく似た、しかしなお一層邪悪な気を放つ、一振りの黒い武器が握られていた。

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