アウトローに捧ぐ

シメサバ

第一章 みー君ですが、なにか?

第一章 みー君ですが、なにか? 1

「いつまでも初恋の人に縋りついてるんじゃなくて、彼氏の一人や二人作った方がいいんじゃないの?」

 なんて綾香あやかが言うもんだから私もちょっと流されてしまい、丁度良く声をかけてきた吉住健よしずみたけると試に半日遊んでみた。元々、クラスの猿みたいな男と付き合う気なんて全くちっともなかったんだけど、これも一つの経験かなって思ったから。

「遊んだほうがいいって! 愛ちゃん、可愛いのに損だよ損!」

 綾香の言うように私の器量は決して悪い方ではなかった。周りの女の子たちも、ちらほら「誰かと付き合い始めた」だとか「誰と誰が付き合ってる」だとかそういう話をしていたので、私もこっそり気にはしてたのだ。

 でも私は、あの時綾香の意見に同意をし吉住の誘いに頷いてしまった自分を心の底から呪っていた。

 吉住健は最低だった。ネックレスやらピアスやらをごてごてと無駄につけていて、剃りすぎた眉毛は殆どゼロに等しい。制服のズボンは引き摺りすぎてボロボロだし、腰パンをし過ぎてパンツは半分見えている。『焼けている方が格好いい』らしい吉住は日焼けサロンで焼いて焼いて焼きまくって、汚い肌には刺青代わりのシールが貼られていた。髪を伸ばせばいいと勘違いをしているらしく、邪魔くさく伸びた髪の毛を時々掻き揚げるその仕草はナルシスト感ばりばりで吐き気さえ模様してくる。

 吉住健は自己中心的で気が利かなくて、遊び始めて三十分で私は帰宅をしたくなる。「何のテレビ見てるの?」「どのタレントが好き?」「どんなシャンプー使ってんの?」なんで私の使っているシャンプーをあんたに教えなきゃいけないのよ!

馬鹿!

 連れられて入ったカラオケショップでは、可愛くもないカチューシャをつけた吉住健が最近流行の対してうまくもないのに売れているアイドルグループを歌っている。元の歌手もそんな対してうまくないのに、吉住健はそれ以上に下手くそで、こんな歌い方をされては歌手もカラオケボックスも使われているマイクさえも可哀そうだ。

 テーブルの上に置かれたディスプレイで適当に曲を探しながら、私は吉住の濁声を聞き流していた。歌うのも嫌だしそのうち吉住の濁声を聞くのも飽きちゃって、あーあ。そろそろ帰りたいとか思っていたら、吉住健に押し倒されてキスをされた。世界の終わりが来たかと思った。それくらい驚いたのだ。地球に隕石が衝突をして人類が滅亡したときと同じくらいのショックを受けたのだ。

 あまりのショックに私は身動きが取れぬまま固まって、何か勘違いをした吉住の下が私の唇を割り私の口内に侵入をしてくるまで私は放心状態だった。

 吉住の舌が私の舌に触れて、私のブラウスの一番上のボタンに手を掛けたとき、わたしはそいつの股間を思い切り蹴り上げた。うぐぅ! という悲痛の声を出し股間を抑える吉住。私は緩んだ瞬間に奴の下から逃げだして、テーブルの上に置いてあったマイクを手に取って、殆ど中身の入っていない奴の頭を殴りつけた。上と下と両方から強い衝撃を受けた吉住は、まるで芋虫のようにソファの上に蹲っている。

わたしは急いでテーブルの上の財布とスマホを手に取って、カラオケボックスを逃げ出した。

 梅雨を迎えたばかりの六月の空はたくさん雨を降らしていた。もうすぐお夕飯の時間だから、仕事帰りのお父さんとか、買い物帰りのお母さんとか、塾帰りの小中学生とかたくさん人が歩いていて、皆が皆とっても幸せそうだった。

 わたしはとても惨めでとても格好悪かった。

 こんなにたくさん雨が降っているのになんで傘を持っていないのだろうだとか、なんでこんなに髪の毛がぐしゃぐしゃになっているのだろうだとかそういうこと。でも、その中でのトップはやっぱり吉住健であって、それ以上に馬鹿なのは他の誰でもない私なのだ。

 馬鹿馬鹿馬鹿! なんで誘われたとき、「うん」なんて頷いちゃうのよ! 普通に考えてみればこうなるってすぐにわかるでしょ! なんであんな奴と二人っきりになっちゃうのよ!

 自分自身に叱咤して呪いながら、雨の降り続ける街を走る。これだけ見るとまるで悲劇のヒロインみたいだけれど、走っているのは私なのだ。可愛くて綺麗な女優ではなくて、あくまで私のことなのだ。情けなくて恰好悪くて悔しくて堪らない。涙が出そうだ。道端で止まって叫びだしたい衝動に駆られるけど、必死で堪えて私は走る。

 けれど、途中でうっかり躓いて顔面からすっ転んだ。漫画みたいだった。転んだ拍子にポケットの中に突っ込んでおいた定期と財布が飛び出てしまい、水分を含んだ地面に転がった。雨が地面を叩きつける音に紛れて、わっ、と周りの人が驚きの声を上げるのが聞こえた。本当に恥ずかしい。

 目の前には同じ年くらいの男の子が立っていて、その子は私の財布と定期を拾ってくれる。赤いポロシャツを着て青い傘を差したその男の子は、自分のシャツで濡れた定期と財布を拭くと、「大丈夫?」と言って片方の手を差し出してくれた。私はそれが嬉しくて、でもすごく情けなくて、そしてそれが男の子だというのが嫌で、差し出された手を振り払う。

「触らないでよ! 馬鹿!」

 私は財布と定期を引っ手繰ると、お礼もいわず走り出した。





 家には誰もいなかった。

 お父さんとお母さんは今日は二人で外食だといっていたし、妹は友達の家に泊まり込み。それがちょっとだけ寂しくて、でも少し安心をした。

 お風呂に熱めのお湯をたっぷり張って、いつもは使わせてもらえない高めの入浴剤を入れてみる。ボディーソープはいつもの奴をちゃんと使い、いつもよりちょっと丁寧に念入りに洗う。だって、吉住健に触られたのだ。なんだかあいつに触られたところから腐っていくような気がしたのだ。歯磨きだっていつも以上に念入りにした。肩までゆっくりお湯に浸かって、私は今、自分がちゃんと自分自身でいることを実感して、いつも通りの日常にいることを確認する。ドライヤーだって念入りにするし、お風呂上りのスキンケアだって欠かせない。私は筋金入りの癖っ毛だから、ちゃんと乾かさないと明日の朝には爆発をしたみたいな髪形になるのだ。

 お気に入りのバスタオルを使って、ちゃんとアイロンのかかったパジャマを着込む。自分の部屋で柔軟体操をしていると、綺麗に拭いたスマホがブブブブという音を立てた。確認すると、こともあろうに吉住健。そこには、私の攻撃がいかに暴力的であったかということとさすがにちょっと性急すぎたということと、その他色んなことが延々と綴られていたのだが、私はそれをたった一言で終わらせることに決める。

『死ね』

 それから暫くの間、私のスマホは私のことを呼び続けていたのけれど、私は華麗に電源を落とす。

 終わらせることに決めたのだ。わたしは。






 私の初恋の話をしよう。

渋谷道彦しぶやみちひこ」という男の子がいた。ぐりぐりとしたまぁるい瞳と自己主張の激しい眉を持った愛嬌のいい子だった。

 みー君はとても元気で人見知りをしない子供だったが、とても自由奔放な子供でもあった。

 幼稚園のお昼寝の時間。他の皆が寝始める中、トイレに行ったはずのみー君だけが見当たず、先生が様子を見に行くと、トイレは蛻の空になっていた。みー君はトイレから脱走を企てたのだ。先生が総出でどこを探してもいなくて、自宅に電話をしても家に帰っていなくて、幼稚園中が大騒ぎになった。

 警察に電話をするかしないかという事態になったとき、近隣の神社から連絡が入った。みー君は鶏に囲まれながら鶏小屋で寝ていたのだ。いわく、「もうすぐヒヨコが生まれそうだったからどうしても気になった」らしい。これは今でも幼稚園の伝説である。

 プール開きに一人浮き輪とアヒルのおもちゃを持ち込んだのも彼だったし、スイカを持ち込んでプールサイドでスイカ割りを始めたのも彼だった。

 先生たちは名だたる問題児であるみー君を徹底的に監視して、マークをした。そして周りの子供たちは、そんなみー君のことを慕い尊敬していた。

 みー君には不思議な魅力が存在した。

 みー君はとても寛容な人間で、みー君の近くにいればみんながみんな友達だった。みー君はとても気まぐれで、ときに強引で、飽きっぽい面もあったけれど、みー君の傍にいればみんなが楽しかったのだ。

 わたしはとても我儘な子供だった。自分の気にいらないことは意地でもやろうとしなかったし、そのせいで周りの友達と亀裂が入り、しょっちゅう喧嘩をしていた。

「あいちゃん、なにしてんの? おにごっこしないの?」

「いや。わたし、お人形遊びがしたいの」

「ふぅん。でも、ひとりでやって楽しい? あっちでみんなでおにごっこしたほうがたのしいよ? お人形遊びはまた今度にしようよ。それでみんなで遊ぼうよ」

 わたしはとても意地っ張りな子供だったけど、みー君がいればみんなと仲良くすることができたのだ。

 そのうちみー君がふらっといなくなることも何の前触れもなしに突飛な行動をとることも当たり前のこととなり先生たちも特に何の疑問も持たなくなって、さすがにそれはまずいよなぁということになった時、わたしはみー君と共に脱走を企ててひと騒動を巻き起こす。企てるといっても、いつものようにお昼寝の時間にふらっと起きて幼稚園を出て行ったみー君を追いかけただけなのだけれど、私とみー君2人揃っていないことに気が付いた幼稚園の先生は首が切られることを確信した。

 手を繋いで歌を歌いながらついた場所は幼稚園から歩いて十分くらいの場所にある小さな小高い丘だった。冬が過ぎ春を迎えてすぐだったから、暖かさの中にもほんの少しの肌寒さが残っていたのを覚えている。暖かい地面に若草色の草が生えて、とても綺麗だったのだ。

 みー君は卒園をしてすぐに遠いところに引っ越しをしてしまったけど、わたしはずっとみー君のことが好きだった。吉住の汚いパンツになんか興味がないのだ。みー君は私のヒーローなんだ。

 綾香は私がみー君のことを好きなのを知っていて、恋愛の話になるたびに色んなことをいってくる。

「あのね、愛ちゃん。幼稚園時代の美しい思い出を大切にするのはいいことだけど、でも、未来を見つめることも大事なんだよ?」

 うん、知ってる。

「幼稚園の頃いくら可愛くて優しくても、もう髭も生えてるかもしれないし髪も伸びてるだろうし眉毛も細くなってるかもよ」

 そうかもしれない。

「だから、新しい恋を見つけなって!」

 そうかもしれないけど、でも、それを行ってみた結果が今日のこれなのだ。

 大体綾香にも責任がある。吉住に声を掛けられたとき、あからさまに嫌がっている私の隣で勝手に返事をしやがって。まったくもう。

 私の机の引き出しには、学芸会の時に撮ったみー君とのツーショット写真が入っている。二人だけの写真はこれ一枚しか持っていない。これは綾香にも秘密なのだ。大事だから。

 壁に貼り付けてある鏡を覗き込む。いつもより少しだけ眉の下がったわたしの顔。それを両手でぱちん! と叩いて、自分で自分に喝を入れる。

 こんな情けない顔をしていてどうするんだ。私には明日も明後日もその次もあるんだから。

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