森のなかの物語

ルカカ

出会い

ここは、名もない森。

森のなかには、大きなお屋敷がポツンと建っています。

お屋敷の主人は病で亡くなりました。お屋敷の主人は魔法使いだという噂が流れて、町の人とはあまり関わらなったと聞きます。

主人が亡くなり、今では廃墟であるはずのお屋敷。しかし、誰かが管理しているかのように綺麗な状態です。春になれば庭に花々が咲き乱れます。夜になれば部屋に光が灯ります。人の気配がしたと語る人もいます。

町では不気味なお屋敷と言われ、近づく人は誰もいません。


森のなかの大きなお屋敷。

主人のいないお屋敷には、一体誰がいるのでしょうか。


それは大雨の日のことでした。

森のなかを身一つで走る女の子がいました。

「まさか、お使いの帰りに雨が降るなんて。届け物の手紙が濡れなくて良かった」

女の子はマントで頭をかばっていましたが、雨は強い横降りで、マントの意味はなく、女の子はずぶ濡れになっていました。

女の子はしばらく必死に走っていましたが、

「……どうしよう。雨で道が分からない」

と途中で立ち止まってしまいました。

しばらくそのままで立ちすくんでいた女の子でしたが、どうやら意を決したようです。八の字に曲がっていた眉がキリッと上がりました。

「真っ直ぐ行こう!」

女の子は真っ直ぐに走り出しました。

道は左に折れているとも知らずに。

女の子が進んだ先、そこには大きなお屋敷がありました。また女の子の足が止まります。

「……え。これって、もしかして噂の屋敷……?」

お屋敷の部屋から明かりが見えます。誰かいるようです。

女の子は考え込みます。雨は冷たいですが、すでに十分濡れてますから、今更気になりません。

「この屋敷が見えるってことは、私迷ってるんだよね。このまま迷走してても、森を抜けられるわけないよね。でも……」

女の子はお屋敷を見上げます。

「このお屋敷に人がいたら、それはそれで怖いなぁ」

と、その瞬間。

ザアアアアアァァァァァァァァァァアアアアア

雨がさらに酷くなってきました。

ピカッ…………ゴロゴロゴロゴロ

雷も鳴り響きます。

「仕方ない、かな」

女の子は先ほどと同様の、覚悟を決めた表情をしました。

早足でお屋敷に近づきます。そして恐る恐る門扉を開き、そろりそろりと庭を通って、玄関にたどり着きました。

「はぁー、ふぅー、はぁー、ふぅー」

何度か深呼吸をした女の子は、ドアノッカーに手をかけます。

とても小さくノッカーで叩きます。

コンコン

もちろん反応はありません。

もう少し大きく叩きます。

コンコンコン

反応はありません。

もっと大きく叩きます。

コンコンコンコン

反応は……

キィィ

ゆっくりと重々しく扉が開きました。

「どちら様ですか」

姿を現したのは、燕尾服に身を包んだ、煌めく金髪の執事でした。


女の子は驚いたように目を大きく開きました。それから我に返り、あたふたと口を開きます。

「あのっ、少しの間だけ、雨宿りをさせては、いただけませんか!」

びしょ濡れて頬を紅潮させた女の子を、じっと見つめた執事は

「溝鼠の如き貴女が、この屋敷に自分を入れろと仰るのですか」

相手の胸に刃を突き刺すような冷たい声で、そう言いました。

「そんなことをしては、この屋敷の品格が落ちてしまいます。お引き取りください」

「え、ちょ、ま、待ってください! お、お願いします! 本当に少しの間だけでいいんです!」

女の子の必死の頼みに、耳を貸す様子なく

「お断りします」

執事は頭を丁寧に下げると、扉を閉め始めました。女の子は無我夢中といった体で、扉の隙間へと叫びます。

「な、なら、私は、この屋敷の前に、ずっと座ってますからね! その方が、この屋敷の品格が落ちちゃいますからね!」

バタン

扉は閉まりました。鍵をかける音も聞こえました。

「そんな……」

女の子はその場に座り込んでしまいました。

呆然としていた女の子は、少しずつ顔を怒りに歪め始めて

「もう! 本当にずぅっと座っているんだから!」

ヤケクソ気味に言いました。

ザアアアァァァァアアア

雨は弱まる気配を一切見せません。

ぼんやりと女の子は雨の世界を見つめます。

しばらくの時が経って、女の子が寒さに震え出した頃。

キィィ

閉ざされていた扉が、またゆっくりと開きました。

「……え?」

驚く女の子の視界に、金髪の執事が映りました。女の子を見て、呆れたように溜息をつきます。

「本当に座り込んでいる人がどこにいますか。まったく、貴女はただの鼠ではなく、馬鹿な鼠ですよ」

「あ、な、えと……」

「なんですか、口もきけなくなったんですか」

「じゃ、じゃなくて、な、なんで……」

執事は女の子を鋭く睨みながら言いました。

「このお屋敷の品格を落とさせる訳にはいきません。仕方ないですから、お屋敷に入れて差し上げます」


ザブンッ

熱いお湯に肩まで浸かった女の子は、まだ目が点のままです。

それもそうでしょう。

金髪の執事は、口悪くではありましたが、女の子をとても優しく扱いました。

お屋敷のなかに案内し、温かい飲み物を与え、お風呂を沸かし、女の子の為の服を揃え、そして今に至ります。

執事曰く

「そんな姿のままお屋敷を彷徨われては、ここがお化け屋敷と化してしまうでしょう。いいから黙ってお風呂に入って、身を綺麗にして下さい」

ということらしいです。

女の子はとても大きな湯船に一人です。執事にはゆっくり浸かるように言われていますが

「無理! ゆっくりできない! 落ち着かない!」

女の子はすぐに湯船を飛び出してしまいました。

身体を拭いた女の子は、用意されていた服に袖を通します。

それは女の子にお似合いの黄色のドレスでした。サイズも女の子にピッタリ合っています。

「わわわわわ。こんなお洋服着るのは初めてだよ」

女の子は嬉しそうにクルクルと回ります。

クルクルクルクル

と、その時。

「ご夕食の準備が整いました」

扉の向こう側から執事が呼びかけました。

「あ、は、はい!」

女の子は顔を赤らめると、乱れたドレスの裾を整えて、部屋を出ました。


まだ桜色の頬の女の子を迎えたのは、豪華すぎるほどの夕食でした。

「ふわぁ!」

女の子は目をキラキラと輝かせます。

「これ、全部食べていいんですか!」

「えぇ、構いません。ではごゆっくり」

執事は頭を下げ、ダイニングを出ようとしました。

「え? あなたは食べないの?」

女の子は不思議そうに首を傾げます。

「私は食事を必要としない体ですから、ご心配なく」

「そうなの…………ん?」

女の子は何か引っかかるものを覚えました。

「食事が必要ない? どういうことですか?」

そこで女の子は初めて、執事の人間らしい表情を見ました。

執事は明らかに動揺していました。

女の子は追い打ちをかけます。

「そういえば、この屋敷の主はすでに亡くなってますよね。あなたは一体?」

そう、女の子はこの執事に出会った時から、この疑問を持ち続けていたのです。

じっと見つめる女の子に

はぁあ

執事は溜息をつきました。

「仕方ないですね。変な噂を流されても困ります。本当の事をお話して差し上げましょう」

しかし、と執事は言葉を続けます。

「冷めないうちにご夕食を食べてはどうでしょうか」


さて、お腹は落ち着きましたか?……それは良かったです。

では、どこからお話しましょうか。

そうですね、まずは私の素性からにしましょう。

私は人間ではありません。……いえ、幽霊でもありません。

私は人形なのです。

このお屋敷の主人は魔法使いでした。……えぇ、魔法使いは本当にいます。

片付けの苦手な主人は、お屋敷を掃除してくれる人形を造ることにしました。生活面では何も出来ないような役立たずではありましたが、主人は魔法の腕はとても良かったのです。

そうして造られたのが、そう、私です。

え? この夕食ですか。それは庭で育てている野菜などを使って作ったんです。私は食べませんが、育てるのが趣味なんです。

まぁ、それはそうとして、話を戻しましょう。

完成したばかりの私は、埃だらけ煤まみれのお屋敷の掃除に明け暮れましたね。貴重な掘り出し物も多くありましたよ。

それからの事は「幸せ」という言葉がピッタリですね。

主人は私をとても可愛がってくれましたし、私もズボラで優しい主人を尊敬していました。

主人は魔法の研究に没頭すると、他のことを何も手につけなくなるので大変でした。でも、目を子供のように輝かせながら研究する主人の姿が、私は好きでした。

おおよそ、百年前の昔のお話です。

主人は、貴女の言う通り、病で亡くなりました。

最期に主人は言いました。

「この屋敷を頼む」と。

そして、人形にしか看取られないまま亡くなりました。

私は主人の最期の願いを聞き入れ、今でもこうしてお屋敷を綺麗に保ち、守っているのです。


「長いお話に付き合わせてしまって、すみません。今日はぜひお屋敷に泊まって下さい」

何事も無かったかのような執事。

その執事の手首を、パッと女の子は掴みました。

「私と、ディーナ様の屋敷に行きましょう」

「え?」

「私はその屋敷の小間使いなんです。私がお願いしてみますから、一緒に行きましょう」

「何故です」

執事は女の子の手を引き剥がしました。

「だって、ここに一人じゃあ、寂し……」

「ご遠慮させて頂きます」

冷たく、執事は突き放します。

「私は主人の命に背きません。それに、ここにいることが寂しいかどうかは、私が決めることです。貴女に決める資格は無い」

「でもっ!」

「それに、私は人形です。人間とは交れません」

「それはっ!」

「ありがとう」

「……え」

「貴女は優しいですね。人間でもない私を、心配してくれるなんて。でも本当に大丈夫なんです」

フッと切なげな笑みを浮かべ、執事は言いました。

「私は本当に、このお屋敷が大切で、主人との思い出がたくさんのお屋敷が好きなんです。私もいつかは動けなくなります。その瞬間は、やっぱりこのお屋敷で過ごしたい」

そう言う執事は、誰よりも人間らしい表情をしていました。


次の日の朝。

快晴の空の下、女の子は屋敷を出ました。

「また、いつか来ますから!」

そう言い残して。

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森のなかの物語 ルカカ @tyura

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