8.境界と調和(坂田直也)
連日、台風が南の海の上で生まれては日本列島を通りすぎていきます。この一週間でもう三つくらい発生してる。でも、うちの県はなぜかたいてい進路から逸れます。なんでだろ、嫌われてんのかな。台風で学校が休みになったこと、一度も無いです。何もないのが一番いいと分かってはいても、いつもちょっとだけ期待してはがっかりするんだよね。
夏休みの宿題はだいたい終わりました。あとは俳句と税の作文と家庭科の自分史だけ。あれ? けっこう残ってるな。まあ、夏休み中には終わると思います。受験勉強もそれなりに進められてるし。ただ、別の方向からややこしい課題が降ってきちゃって、それがいま地味に引っかかってる。
どこから書けばいいのかな。ことの発端は、花火大会でした。
僕は三谷たちと、那智さんは芳根さんと花火を見て、最後にふたりで落ちあう予定のはずが、そのまえに会場でばったり会っちゃったの。なんか気まずかったです。富士野は「浴衣女子! 浴衣女子じゃん! すげぇ縦ロール!」ってデカい小声で連呼するし、三谷は那智さんに「うちの坂田がお世話になってます」なんてわざとらしく畏まるし。那智さんも「こちらこそうちの直也が」とかペコペコしちゃって。もうほんとやだ。三者面談かよ。
で、三谷が「坂田はもうここで引き渡していいんじゃね?」って言いだして。
引き渡しなんて人質みたいに言わないでほしいですよね。悪ノリした中林が後ろから僕の両肩をやんわり抱えて「どうぞどうぞ」って那智さんに差しだすし。何がイヤって、あのふたり背ぇ高いから挟まれると僕がこどもみたいに見えるわけ。芳根さんに「幼稚園のお迎えみたいね」って笑われちゃった。那智さんも「あ、いいんですか?」なんてちゃっかりさぁ、もー、嬉しそうな顔すんなよ。
とはいえ、三谷たちとは午前中から一緒にいるし、きゅうちゃんとこのリニューアルあんみつも食べられたし(お姉さんのご厚意で白玉倍増あんこメガ盛りでした)、ここで別れてもいいかなぁと僕も思っておとなしく引き渡されました。若干寂しい気もしたから、
「いいのね? 俺と花火見なくてほんとにいいのね?」
ってめんどくさい恋人みたいに絡んだら、
「おなじ空の下だべ」
って三谷にほほえまれた。腹立つわぁ、J-POPの歌詞みたいなこと言いやがって。
そんなわけで三谷たちとはそこで別れて、僕は那智さんのグループに合流しました。
芳根
それはそうと、ふたつめのイレギュラーは、芳根さんのほかにあとふたり女の子がいたことです。
「えっと、おなじ学校の
那智さんのぎこちない紹介に、小柄で丸顔の女の子のほうが一歩前に出た。
「福富優芽花です。フクトメじゃなくてフクトミ。よろしくね」
二重まぶたの大きな目がパチパチッと瞬きして、人懐っこい感じの人だなと思った。逆に五味渕さんは、福富さんの後ろに隠れたまま小さく会釈しただけだった。白い肌にするんとした黒髪のおかっぱで、浴衣を着てるとまるで日本人形が人間になったみたいだった。そのミステリアスな雰囲気と五味渕という苗字、叶と書いてカノと読む名前に、記憶の蓋がパッとひらいた。
「あの、もしかして、絹川中で少年の主張コンクールに出てませんでした? たしか、神様とか、信じるとはなにか、みたいな内容で……」
五味渕さんは弾かれたように顔をあげて、
「あ、はい。それ、私です」
ソプラノのかぼそい声で、はにかむように笑った。
「三年生のときの作文です。まさか覚えてる人がいたなんて」
「いえ、内容は忘れちゃいましたけど、聞いててすごいなって思ったので」
「あ、ありがとうございます。あの作文は……」
「はい、ストップ!」
何か言いかけた五味渕さんと僕のあいだに、福富さんが割って入った。
「小難しい話はまた今度。それよりなんか食べよ。ほら、カノの好きなチュロスが売ってるよ」
背中を押されるまま、そのあとは花火が始まるまで屋台を見て回りました。福富さんはデジカメで写真をパシャパシャ撮ってて、マメというか、気合入ってるなぁって感心しちゃった。女の子の方がそういうの大事にするのかなぁ。修学旅行でも志田さんや坂本さんがたくさん写真撮ってたのを思い出した。
空がだんだん薄暗くなるころ、ゆるやかな人波に乗るようにして、花火の見える川の土手へ移動した。那智さんと芳根さんはお手洗いに寄っていて、僕と福富さん、五味渕さんの三人で先に場所を取っていました。
初対面の人と取り残されるのって、話しても話さなくてもけっこう緊張しますよね。早く那智さん帰ってこないかな、なんて思いながらボケッと川を眺めていたら、
「坂田くん、坂田くん」
となりでデジカメをいじっていた福富さんが、僕の肩を叩いた。
「メールアドレス教えて。今日取った写真、坂田くんにも送るから」
「あ、はい。ありがとうございます」
那智さん経由でいいのにな、とはチラッと思いました。でも、断るほどのことでもないし、深く考えずに連絡先を交換した。
画面に表示されたアドレスをしっかり確認してから、
「そういえばさ」
福富さんは、僕の顔をのぞきこむようにしてささやいた。
「坂田くんって、君嶋くんとそういう関係なんでしょ?」
「え?」
「君嶋くんから聞いたよ。ふたり、つきあってるって」
……那智さん、俺たちのこと話したの?
そんなはずない、って頭のどこかでは直感的に思ってたんです。その違和感をきちんと拾えばよかった。だけど、福富さんの高性能カメラみたいなくるんとした目に気圧されて、
「あ、いや、まあ……」
おまえは嘘をつくのがたまにすごく下手。
こないだ菊地にそう言われたばっかりなのに。なんでもっとうまくごまかせなかったんだろう。肯定してるも同然の返事をしてしまった。
「やっぱり!」
福富さんはビンゴゲームでもしてるみたいに「よっしゃ、当たった!」とガッツポーズした。
「え?」
「ごめん、さっきのウソ。君嶋くんには聞いてない。でも、たぶんつきあってるんだろうなぁと思って、カマかけてみただけ」
音が消えた。
周りのざわめきも川のせせらぎも全部聞こえなくなって、無重力の空間に放りだされたような、轢き潰されてゼロになるような感覚だった。長い一瞬のあと、真っ黒い何かが異常発生した生き物の大群みたいに押しよせてきた。どうしよう。那智さんとだれにも言わないって約束したのに。この距離じゃ五味渕さんにも聞こえてる。いまから否定する? だめだ、なおさら嘘っぽく聞こえる。え、うそでしょ。まって。
どうしよう。
「あ、大丈夫、大丈夫!」
福富さんは慌てて両手をひらひら振ってみせた。
「私、そういうの偏見ないから。だれにも言わないって約束する」
じゃあなんで聞いたんですか?
頭のなかではいち早くその一言が湧きあがったのに、口から出てきたのはほとんどため息みたいな「あ、はあ」だった。
「私ね、社会科研究部っていう部活に入ってて、いろんな社会問題について勉強してるの。今年はジェンダーをテーマにしてて、まだまだ勉強不足だけど、普通の人よりは知識あるから。ちなみにカノも同じ社研部。カノは宗教や国際問題をメインに研究してるんだけど、なぜかジェンダーにも詳しいし、私より口堅いから。そういうわけで、ご安心ください」
福富さんはよどみなくしゃべった。見せたくない何かをことばで覆い隠そうとするように。その肩越しに、「私はなにも聞いてません」という顔で黙々とかき氷を食べる五味渕さんが見えた。
「私ね、坂田くんや君嶋くんのような人たちのことが世の中にもっと知られればいいのに、って思ってるの。世間に理解してもらえない苦しみを抱えつづけるってものすごく孤独なことでしょ。そういう人の痛みが少しでも軽減されるように、微力ながら何かお手伝いできたらなと思ってまして」
「へえ。すごいですね」
なんかおかしい。
本当に小さな違和感なんです。石を打ちあわせて一瞬だけチリッと生まれた火の粉みたいな。あるいは微妙にパースの狂った絵を眺めてる感じ。どこが歪んでるのかは分からない。分からないけど、なんか、気持ち悪い。
「えらそうにベラベラしゃべってごめんね。でも、坂田くんはひとりじゃないよってことだけはどうしても伝えておきたかったんだ。抱えこまないで、私たちに協力できることがあったら遠慮なく言ってもらえると嬉しいな」
「あ、はい。ありがとうございます」
「あと、あとね、差し出がましいお願いかもしれないんだけど、私たちとしてもLGBTの人と出会える機会ってすごく貴重でして。もしよければ、今後も色々お話を聞かせてほしいなぁ、なんて思ったりするわけですよ」
「あー」
「取材とか堅苦しい感じじゃなくて、座談会みたいな、ゆるーくまったりジェンダーについて語りあう感じの企画を考えてて。あと、これはまだ理想というか構想の段階なんだけど、ゆくゆくはLGBTの人たちが安心して集えるあったかい居場所テキなものを作れたらなぁ、とか。いや、ほんとざっくりした青写真なんだけどね? なので、そのときは坂田くんにも声かけさせてもらっていいかな?」
「あ、まあ、それは……俺なんかでお役に立てるかは分かんないですけど」
「やった! 交渉成立!」
とっさにほっぺたを手で押さえた。自分でも怪訝な顔をしたのが分かったから。さいわい福富さんはもう僕から視線を外して、やたら大きなリュックからノートを引っぱりだし、嬉しそうに何か書きつけていた。
花火はきれいでした。
ごめんなさい、小学生の日記みたいになっちゃった。きれいだったし、楽しかったけど、火薬のにおいといっしょに福富さんとの会話がずっと引っかかってた。
なんなんだろう、この違和感の正体は。福富さんは正しいことを言ってて、正しいことをしてるはずなのに。
もうひとつ気になるのは、五味渕叶さんのこと。
花火を見てるとき、五味渕さんのケータイから音楽が鳴ったんです。聴いたことあるようなないようなクラシック音楽。次の花火が打ちあがるまでのしんとした夜の河川敷で、管弦楽のメロディが不つりあいに華やかに響いてた。
五味渕さんは竹かごのバッグからケータイを取りだして、無言で音楽を切った。その慣れた手つきと福富さんの、
「お祈りの時間?」
と尋ねるささやき声に、着信音じゃなくてアラームだったんだなとぼんやり思った。そしてさらにぼんやり、当然の疑問が頭のなかを通りすぎていった。
“お祈りの時間”って、なに?
白い龍のような光が夜空を昇り、大輪の花を描いて散っていく。一呼吸遅れて轟音が河原を震わせる。だれもが頭上を見あげ、空を指さして、きれいとかすごいとか言って笑ってる。そのなかで五味渕さんはただひとり目をつむり、両手の指を組んで、祈っていた。
『人はなぜ信じることをやめられないのでしょう』
思い出したの。五味渕さんが読んだ作文の一節を。
『自らを解き放つための信仰が、なぜいつしか自らを閉じこめ、縛るものになってしまうのでしょう。なぜ一番近くにある幸せから目を逸らし、虚像にすがってしまうのでしょう』
次の花火が打ちあがるころには顔を上げていたから、お祈りの時間は三十秒もなかったと思います。それでもその時間、五味渕さんと世界のあいだに見えない切りとり線を見たような気がして、行きの駅前で見かけたチラシを配る白い日傘の女の人が嫌でも脳裏をよぎった。
――カルト宗教だよ。
まるで公園のすみにあるゴミ箱のことみたいに、当たり前のように話す中林の声がリフレインした。
分かんないよ、それは五味渕さん本人に聞かないと分からない。ただの敬虔なクリスチャンかもしれないし、何か別の理由があるのかもしれない。
ただ、花火に照らされた青白い横顔が、どうしてかまぶたの裏にこびりついて離れないんです。
祈らせるだけの何かがあの人のなかにあるんだ。五味渕さんは何を信じてるんだろう。だれに向かって、何を祈ってるんだろう。
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