消えない飛行機雲
小葉
プロローグ
セミの抜け殻を見つけた。
学校の裏庭、白い花をつけたナツツバキの幹に、べっこう飴で作ったような生き物の殻がくっついていた。
薄茶色に透きとおったちいさな構造物は、複雑で、精巧で、どこか生々しい。まだ六月も始まったばかりなのに、ずいぶんと早く出てきたものだ。触れようと手を伸ばしたとき、
「
遠くから友人の呼ぶ声がした。
第二体育館のまえで
三谷は両手をメガホン代わりに顔の端にあて、
「どっか行くのー?」
よく通る声をはりあげる。
「ゴミ、出してきたとこ」
「あー?」
「ゴ、ミ、出、し!」
ジャージ姿の女子たちが、ふたりのやりとりにくすくす笑いながら体育館へ入っていく。
そういえば、女子バレー部は今日も練習していいんだっけ。
毎週水曜日は部活動の休養日だが、実績のある部は特別に練習を許可される。大会を目前に控えた運動部、とりわけ三年生は、加速する夏にふりおとされまいと皆どこか顔つきが険しい。もっとも部活動の幕があっけなく下ろされたとして、余韻に浸るまもなく今度は高校受験の荒波が押しよせてくる。中学三年生の十二か月間は目まぐるしく、立ちどまることを許してはくれない。
「部室、行くべ」
三谷が親指を立てて後方を指さす。今日、剣道部の新しい部長を決めるのだと同じクラスの
「いま行く」
駆けだそうとして、ふと足もとに黒く丸みのあるかたまりが転がっているのに気づいた。
ああ、やっぱり。
ただの物体になってしまった昆虫をまえに、無意識に膝を折り、土をそっとかけてやる。裏庭の土はひんやりと冷たく、すこし湿っていた。太陽に早く会いたかったのかな。青い空を一番乗りで飛びたかったのかな。次はあせらないで、うまく出ておいで。
こんもり盛られた土のうえに、落ちていたナツツバキの花びらを添える。土を削った爪のさきが黒ずんでいた。夏の木陰はやさしくて悲しい。じわじわと高まる暑さも、まぶしい新緑もあふれる音も全部やわらかくぼやかして、鳴けずに終わった命まで静かに包みこんでしまう。
「坂田ぁー?」
すこし焦れた三谷の声に引き戻されて、
春はもう跡形もない。
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