その名は忍耐

おかぴ

第1話

 港から出て数分歩いたところにあるコンビニの喫煙所でタバコを吸っていたら、俺の足元に黒毛のミニチュアダックスがとことこと歩いてきた。俺の靴の匂いを興味深そうにクンクンと嗅いだそいつは、顔を上げて俺を見上げる。


 口からモクモクと煙を吹き出していた俺の顔を見た途端、そいつはしっぽを元気よく左右にふりふりと振りまくり、犬のくせに『あ、笑顔だ』と分かる人間臭い表情で、俺の宮城来訪を歓迎してくれた。


「こんばんは」


 続いて姿を表したこのミニチュアダックスの飼い主と思われる、妙齢の女性の丁寧な挨拶を受け、俺も反射的に頭を受け下げた。


 季節は冬で時刻は夕方五時。東北と言っても差し支えない宮城のこの地は、海沿いということもあって風が冷たく、そして寒い。女性はオレンジ色のジャージを着ていたが、服がもこもこと盛り上がっていて、赤の他人であるはずの俺から見ても、何枚も重ね着しているであろうことが見て取れた。


「こんばんは。この子の名前は何ですか?」

「はなといいます。女の子です」

「へぇ〜。はなちゃ~ん。おいで~」


 俺は、咥えていたタバコを灰皿に投げ入れ、片膝を付いてしゃがみ、タイミングよく『ワン!』と自己主張してくれたはなちゃんに両手を差し出した。左手の手の平の匂いを興味深げにすんすんと嗅ぐはなちゃんを見て、『ヤニ臭い右手じゃなくてよかった』と安堵し、女性との会話を続ける。


「聞きたいんですが、中野栄駅はこのそばですか?」

「少し離れてます。今からなら、あっちのタクシー乗り場からタクシーで行ったほうがいいですね。観光ですか?」

「ええ。静岡からです。フェリーで来ました」

「へぇ〜……わざわざ静岡から……」

「はい」


 俺の左手の匂いがお気に召したのか、はなちゃんは俺の左手をぺろぺろと舐め回し始めている。犬とじゃれつくのは大好きだけど、すでに夕方のこの時間。ぐずぐずしていては、ここに来た目的の一つ、ヤツに会う時間がなくなってしまう。


 はなちゃんから左手を離し、俺は立ち上がった。はなちゃんが俺の左足にしがみついているが、気にしない。そんなはなちゃんの様子を微笑ましく見つめる女性に別れを告げ、俺は先ほど教えてもらったタクシー乗り場へと足を運び、人のいい運転手に中野栄駅へと運んでもらうことにした。



 2年ほど前、俺は、当時プレイしていたオンラインゲームで、ヤツと出会った。


 本名は知らない。そいつがゲーム内で使ってた名前も、俺が元ネタを知らないキャラクター名だったから、まったく興味がわかなかった。そのオンラインゲームも今ではサービスが終了していて、確認することもできなければ、思い出すこともできない。


 でも、そいつのアダ名はよく覚えている。なぜなら、ヤツのアダ名の名付け親は俺だから。


 そいつは、アダ名を『忍耐』といった。


 そのオンラインゲームは、自分のアバターの頭上に、簡単なメッセージを看板のように表示させることが出来る。例えば誰かに回復して欲しい時は『回復してください』とか、探しているアイテムがあるときは『〇〇を譲ってください』と言った具合だ。ちょっとした自己主張をしているやつもいるし、その看板をのれん代わりにして、売店を開いているヤツもいた。


 そんな中、ひときわ異彩を放つ看板を掲げるヤツがいた。


 当時、そのゲームは大盛況で、街の大通りに出れば、それこそたくさんのアバターたちが所狭しと並び、たくさんの看板が目に入った。『Lv120剣士募集!!』『ギルメン募集中!!』『薬草1つ100ゴールド〜』などなど。それこそあの時は、たくさんのアバターたちとその看板で、画面の八割は埋め尽くされるほどだった。にも関わらず、その看板は、その奇妙な字面と雰囲気で、俺の目を釘付けにした。


――Lv13忍耐


 画面の片隅で、そんな意味不明な看板を掲げて佇んでいる奴がいた。アバターの服装を見るに、職業は俺と同じ魔法使いで、レベルは俺よりも高い。俺のアバターと同じ青いローブを身にまとい、黒いとんがり帽子を被って、魔王が持ってそうな杖を装備している、傍目で見てとてもいかついアバターだった。服こそ俺と同じだったが、帽子ではなくひまわりの花飾りを装備していた俺とは、根本的にアバターに求める方向性が異なっていたようだった。


 だからこそ、悍ましいアバターと『Lv13忍耐』のギャップに、俺は違和感を感じずにいられなかった。端的に言えば、その看板を見た瞬間、俺は画面に向かって、飲んでいたコーヒーを盛大に吹いていた。


『あ、あのー……』

『はい』


 気がついた時、俺はフラフラとキーボードを叩き、そいつにコンタクトを取っていた。普段は誰ともパーティを組まず、一人でこのゲームを楽しむことが多い俺だったが、魅惑の『Lv13 忍耐』の意味不明さには、好奇心を抑えることができなかった。


『え、えーと……その“Lv13 忍耐”てのは……?』

『忍耐ほしいんですか?』

『いや、そういうわけではないですが』

『では何か?』


 当たり前ではあるが、ファーストコンタクトの忍耐はこんな感じで、非常に素っ気ないものだった。当たり前か。いきなり意味不明なやつに話しかけられたんだから。


 その後、本人に詳しい話を聞いてみたところ、『忍耐』というのは、アイテム『忍耐の輝石』のことだそうだ。このゲームでは『〇〇の輝石』というアイテムが数種類ある。ある程度レベルが上がったキャラクターは、自身のジョブに合った輝石を持つのが必須らしく、『忍耐の輝石』というのは、そのアイテムの一つだそうだ。そんなこと、このゲームをやってて初めて聞いたのだが……忍耐が言うには、常識レベルの知識だったらしい。


『そんな話、初めて聞いたんだけど……』

『いやwikiを見ましょうよw』

『はい……』


 後に俺に『忍耐』という妙なアダ名をつけられる運命にあったそいつは、そう言って、笑うアクショングラフィックを表示させていた。


 その後、プレイ歴が長くなっていくにつれ、ソロプレイがメインの俺に、少しずつ仲間ができはじめた。高校の同級生らしい二人の男の子『黒猫』と『ヒカル』……本人は男だと豪語しているが、その発言内容から女であることがバレバレな中学生の『チエ』……年長者にして社会人の俺と、同じく社会人の忍耐……気がつくと、この五人で、ゲーム内でつるむことが増えてきた。


『やっべーwww 昨日2時間しか寝てねぇからつれーwww』

『だから授業中に寝てたのか……』

『ウチ、今年高校受験なんだけど、ゲームやってていいのかなwww』

『お前らちゃんと勉強しろー』

『若いって素晴らしいね爺様』

『次それ言ったら張り倒すぞ忍耐』


 夜な夜なそんなくだらない会話で盛り上がり、気が向けば狩りに出かける……そんな日々が続いた。ゲーム外のメッセンジャーのIDも交換しあって、ゲーム外でも連絡を取り合うこともあった。


 ちなみに“爺様”というのは、忍耐から俺につけられた、俺のアダ名だ。本人曰く、『忍耐とかいうケッタイなアダ名をつけられた仕返し』らしい。冗談で『俺は年金生活を営んでいる』と言ってみたら、忍耐のやつが『爺様』と呼びはじめ、それがみんなに定着した。


 特に忍耐とは年齢が近いこともあって、話をする機会も多く、仲間の中でも特に仲が良かった。そんな中で少しずつ、忍耐の人となりを知ることができた。


『んじゃ、私はそろそろ落ちるね』

『忍耐はいつも落ちるの早いよねー』

『マジwww たまには俺みたいにwww 夜通しプレイしようぜwww』

『私と爺様は仕事あるし、朝5時に起きて朝ごはん作らなきゃいけないから』

『なんでwww そんな朝早くwww』

『おじいちゃんがその時間に起きてくるからねー』


 まず、忍耐は自分の祖父を大切にする奴だった。聞けば、毎朝早起きの祖父のために、朝5時に起きて朝食を作っているらしい。詳しい話は聞かなかったが、家族は祖父だけらしく、長生きしてもらうためにも自分が食事を作っている、と忍耐は言っていた。


 次に、忍耐はとても真面目な奴だった。


 ある時から俺達はギルドを立ち上げ、俺がギルマス、忍耐がサブマスターになっていたのだが……ある日、黒猫が強引に他のギルドからメンバーを引きぬこうとし、ギルマスの俺のもとに苦情が入ったことがあった。その話を聞きつけた忍耐は、黒猫を俺と自分の元に呼びつけ、黒猫に対して説教を食らわせた。ギルマスの俺は、その様子を横から眺め、ひたすらに茶化しているだけだった。


『まったく……他のギルドに迷惑かけたらダメだよ?』

『そうだーいいかげんにしろー』

『すみませんwww』

『ちゃんと反省してる?』

『そうだー反省をしろ反省をー』

『マジでwww ごめんなさいwww』

『黒猫が悪さをしたら、ギルマスの爺様のところに苦情が来るんだからね?』

『そうだー。もっといってやれーにんたーい』

『ちょっと爺様は邪魔だから黙ってて』

『すみません忍耐様』

『爺様ももうちょっとギルマスとしての威厳を出してよ……爺様がそんなんだから、私がしっかりしなきゃいけないんだからね?』

『はい。頼りないギルマスで申し訳ございません忍耐様』

『ちょwww ギルマスwww マジでかっこわるいwww』


 ギルマスでありながら無責任な俺と違い、忍耐はサブマスターとしての重責を全うしようとがんばっていた。いまいち頼りない俺や、中高生の他のメンバーをたしなめ、時には大人の威厳を出して苦言をいい、悩んでるメンバーには的確な助言をする……まさに、大人のお手本のような奴だった。


 やがて過疎化の一方だったそのオンラインゲームはサービスが終了したのだが……それでも俺達五人の関係は続いた。時には五人でメッセンジャーで夜通しチャットで話をする機会もあったが……


『んじゃ、私はそろそろ落ちるねー』

『はーい』

『おやすみwww 忍耐www』

『また明日ねー』


 それでも忍耐は、相変わらずメンバーの中で一番大人で、相変わらず誰よりも早くログアウトしていた。


 ある日の夜のことだった。進学する高校も決まり、部活は何をやろうかと悩んでいたチエに誘われ、俺はチエと二人でメッセンジャーでチャットをしながら、ミニゲームのジグソーパズルを二人でプレイしていた。年明けも近い、12月の下旬のことだった。


『ねー爺様』

『ほいほい?』

『忍耐ってさ。男の子なの? 女の子なの?』


 難易度最上級のジグソーパズルを二人で解きながら、チエがそんな疑問を俺に投げかけた。ジグソーパズルはまだ、四分の一しか出来上がってない。角っこすら、まだ4つ揃ってない状態だ。


『知らんなぁ』

『忍耐と一番仲いいのに?』

『聞いたことないし』

『ふーん……』


 チエが動かしていると思われるピースがひとりでに動き、パズルのピースの山から弾かれた。そういや、忍耐は以前に『好きなゲームはアーマードコア』と言っていた。あんな硬派なゲームが好きな奴なんて、男以外にありえないだろう。いや、ありえなくはないが、男の可能性の方が高いはずだ。


『一番仲いいかどうかはしらんけど、俺は多分あいつは男だと思う』

『そうなの? でも、お菓子作りが趣味って言ってたよね?』


 『多分やつは男』の俺の予想を聞き、チエがそう切り返す。確かに、忍耐は以前『お菓子作りが好き』だと言っていた。チーズケーキやマドレーヌ、スコーンといった洋菓子の話題がよく出てくるし、『昨日はいちごショートを作った』とうれしそうに、自作ショートケーキの写真を見せてくれたこともあった。


『まぁなぁ』

『男の人でお菓子作りが趣味って珍しくない?』

『んなこと言ったら、好きなモビルスーツはゾックとかいう女子もそうはいないと思うぞ?』

『でも私もジム・ストライカー好きだけど』

『ありゃスタイリッシュだから、わからんでもない』


 二人でパズルを組みながら、互いに忍耐への疑問を口走る。パズルは少しずつ形をなし、だいたい半分ほどが組まれていた。


『でも女の人だったら、爺様とお似合いだね』

『そか?』

『うん。だって私たちの中で一番仲がよかったもん。二人ともすごく楽しそうだったし』

『ほーん……』


 選んだピースがハマる場所がないことに小さな憤りを感じつつ、チエからのメッセージを再び読み返す。今まで忍耐の性別なんて気にしたことなかったが……言われてみれば、会話の中で性別がわかりやすかったチエやヒカル、あからさまに女性アバターのケツを追っかけていた黒猫と違い、忍耐の性別は見破ることが出来なかった。


『私は、忍耐って女の子だと思うけどなぁ……』

『なんで?』

『なんかね。お母さんって感じがするから』

『それ、絶対に本人に言うなよ』


 言われてみれば妙に気になる話だ。その時おれは仕事の退職が決定していて、年明けには少しフリーな時間が出来る。会いに行こうと思えば、行けなくはない。


 ジグソーパズルは知らず知らずのうちに、四分の三ほど組み上がっていた。


『だったら、ちょっくら忍耐に会いに行ってみっかな』

『おっ。まじで?』


 チエのそんな発言と共に、パズルの最後のピースがハマり、上空から見た東名高速道路の景色という、ニーズがどこにあるのかよくわからないパズルが完成していた。



 次の日、俺は忍耐に携帯のメールで連絡を取ってみた。この頃になると、すでに俺と忍耐は互いに携帯のメルアドを交換していて、時々下らない話題で盛り上がることもあった。


『ねー忍耐?』

『うん?』

『年明けにさ。忍耐に会いに行こうと思うんだけど、いいかな?』

『え!? 爺様は静岡じゃなかったっけ?』

『いえーす』

『私が住んでるのは宮城だけど? 遠いよ?』


 予想外の返答を送ってきた忍耐。きっと首都圏近郊だと勝手に思っていたのだが……予想が外れた。


 改めて、ネットで静岡から宮城への行き方を調べてみた。新幹線……いやそれは大変だ……飛行機で……いやそこまで大げさじゃなくても……


 忍耐への返事をそっちのけで、俺は宮城への行き方を調べる。パチパチとキーボードを叩き、一つ、面白そうな道順を見つけた。


「……名古屋からフェリーが出てる……だと?」


 静岡から見た名古屋は、同じく静岡から見た宮城の、ちょうど反対方向になる。それに、静岡から名古屋に向かうには、新幹線を使うしかない。本末転倒もいいところだ。宮城への陸路が大変そうだから、他の道順を探していたのに。それなのに、わざわざ新幹線で一度名古屋に向かい、そこからフェリーで一晩かけて移動するなど、非効率すぎる。体力も使うし、金もかかる。


 だが『フェリー』という単語が、俺の心を掴んで離さなかった。俺には、移動手段の中で唯一、フェリーに乗った経験が無い。別に乗り物が好きだと言うわけではないが、今まで乗ったことのない乗り物には乗ってみたい。そんな、小学生男子のようなワクワクが、俺の胸に去来しつつあった。


『行く』

『ホントに?』

『うん。行く。だから忍耐の最寄り駅を教えて』

『石巻だけど』


 忍耐の最寄り駅の情報をメモし、仙台港からの移動手段をパソコンで検索する。仙台港のそばには中野栄という駅があり、そこから仙石線の電車で一本で行けるようだ。


 中野栄から石巻までの所要時間は約一時間……イケるっ。充分現実的な時間だ。俺は心の中で、自分でも意味がよく分からないガッツポーズを決めていた。


『大丈夫。イケる』

『ホントに来るの?』

『行く!』

『うわーw 爺様に会うのかー緊張するなーwww』

『俺もーwww』

『当日はよろしく爺様―w』

『おーうw』


 忍耐とのやりとりを終わらせた後、俺はその日のうちに、急いでフェリーの予約を取り、宮城の旅館を調べた。宮城の土地のことがまったく分からない俺は、その時、一泊1万円の秋保の旅館に2泊の予約を入れた。


「到着予定日……2007年……2月……11日……そこから2泊……よし取れた」

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