崩落図書館
韮崎旭
崩落図書館
図書館の閉館が相次ぐ。彼は図書館を好んだ。そこには無責任に借り出して無責任に読むことのできる(書物自体の管理に気を遣う限りにおいて、そして規則正しく貸し出し・返却手続きを行う限りにおいて)本が数えきれないくらいあるような気がしたものだった。そこにはもう絶版となって久しい本が当然のように置いてあった。『パラケルススの薔薇』(ボルヘス)は国書刊行会の「バベルの図書館」シリーズから刊行。それが絶版かはともかく、例えばボリス・ヴィアン全集(早川書房)なども完備。その上ヴィクトル・ペレーヴィン『虫の生活』も。それから、ゾラン・ジヴコヴィッチもあれば、『あまりにも騒がしい孤独』も、『ハルムスの世界』もある。それに『肉骨茶』を借り出したのは葉山の響きが似合う夏の頃で、その頃には『きことわ』を借りて読んだことが思い出され、完全なフィクションが溢れかえる鉄道で区画された街で僕は懐中電灯を探している。
できれば文字でできた奴。できれば僕に言葉をどうか教えてほしい。忘れたままで腐ってゆく僕がその破片をばら撒く先に残る空虚から目を背けることができるだけの十分な量の、偽物の安息を見せてほしい。
古いSF映画みたいに、未来を美しく悲観してほしい。第三次世界大戦の荒廃をオルゴールと鉄琴の音色で教えてほしい。もう生まれることのない世界の断片に墓地を与えて、病むことを止めた人類にせめてもの墓標を与えてほしい。
広田修の詩集、山田亮太の詩集、広田修『vary』。高埜圭『ここはいつも冬』。最果タヒ『十代に共感する奴はみんな嘘つき』。南原魚人『微炭酸フライデー』。図書館で出会った。恋するあなたにタイプライターを与えたなら、タイプライターが古すぎて使い物にならなかった。あなたの恋はあなたを台無しにしたし、その上。
中原昌也『こんにちはレモンちゃん』とは図書館の書庫から持ち出してもらった貸し出し可能な図書で、それらの図書館がやがて複数の図書館の総体的有様を持ち出すのはもう時間の問題で、書庫を持ち運ばずにはもう自分は外出できないのだから、水たまりを飛び越える前に、気が狂ってはいないだろうか? そう、確かめはしないのか?
小出は気象情報で気温が氷点下になるのを確認したので、避寒地への恒例の旅行の準備を始めた。そこまでは電車で2時間ほどかかる。ひとつきの滞在において、小規模な私的図書館の持ち運び無しに、どうして言葉に飢えないでいられようか。もう辺りが荒野だって、それが日常で標識が飾り物以外の価値を持たなくて、世界観が『METRO2033』(小説)になっても、君を繋ぎとめるのはきっと文字だ。正気で興味を探し続けるなら、君はやがて自分の正気に耐えられなくなるだろうから、崩落する正気が道連れにする君から残された残骸が、火葬に怯える架空の図書館であることは想像に難くない。だから小出は慎重に慎重を期して、持ちだす本を選び取る。もしくは、持ちだそうとする本たちに選び取られている。その先にはまだ暖かな菜の花畑での避寒地生活が待っている。死ぬほど退屈しながら。
指先が凍り付いてしまう前に、自分の脳が分散していないことを必死で確かめ、離人感を苦労して噛み殺す。僕の脳がおしゃべりを続けるのは頭痛と雨がやまないからか、都は滅んでしまったか。それとも都は、地下に、ほかの星で、また融資意向を続けて健在か。骨が軋んでは路線図を描いて、目に見えない図書目録を探し続ける。死人であるような気分から離れるための薬剤に、どうか、『コールド・スナップ』を、『巨匠とマルガリータ』を、『チャパーエフと空虚』を、それらすべてと出会えるはずの図書館を、その入り口を、まだ忘れていたくはない。
崩落図書館 韮崎旭 @nakaimaizumi
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