もしかして……リーチェ、なの?

 屋敷を出て一時間ほど走ったころ、小さな川を見つけた。私も水が飲みたかったし、アストに疲れが見え始めたので休憩を入れることにした。


「申し訳ありません、サクラ、カムイ様」

「いいよ。私も水が飲みたかったしね」

「我も休みたいと思っていたから構わぬ」


 二人で大きめの石に座り、浄化した川の水を飲みながらながらそんなことを話す。尤も、カムイは疲れなんか全く見えないほど元気に水の中に潜ったりしてるから、アストに合わせたといった感じだった。


「そう言えばアスト。レーテがこの国……ボルダードに嫁いだって言ってたけど、レーテが嫁いだのって隣のセレーノじゃなかったっけ?」

「ああ……そう言えば、サクラは知らないのでしたわね。リーチェが亡くなる前後くらいでしたかしら……レーテがセレーノの王宮に入るか入らないかぐらいのころ、セレーノの王太子殿下が流行り病にかかり、亡くなられてしまいましたの。もちろん、王太子殿下が病弱だったというわけではなく、当時セレーノの王都で流行っていた病だそうですから、急にというわけではなかったそうなのですが。……レーテがセレーノに行くのが遅れたのは、病が流行っていたからと聞き及んでいますわ」


 その辺りのことはご存知ですかと聞かれ、首を横に振る。朧気な『リーチェ』の記憶を探ってみても引っ掛からないから、多分知らなかったかゴタゴタしてる時期だったんだろうと思う。

 当時のレーテを思い出しているのか、アストは悲しげに目を伏せて続きを話す。


「セレーノには王太子殿下の他に王子がいませんでしたし、姫君もいましたけれどだいぶ前に他国に嫁いだあとでしたの。王弟殿下もいらっしゃいましたけれど『私に王は務まらぬ』と仰ったらしく、側室様にも王子がいらっしゃいましたけどやはり同じ病で既に亡く、誰も王になる方がいなくてセレーノの存続自体が危ぶまれてしまって」

「え……」

「セレーノはもともとボルダードから別れた国で謂わば兄弟国のようなものだったらしく、血筋が耐え、他国に嫁いだ姫君の夫や見ず知らずの者が王になるくらいならばボルダードにまた統治してほしいと、当時の王や重鎮たちが懇願なさったと聞いていますわ」

「てことは、今の現状からすると、セレーノの要望を聞いたボルダード側がそれを受け入れ、セレーノ自体が無くなったってこと?」

「ええ。ちょうどボルダード側にもセレーノの王太子と同じくらいの年の立太子前の王子がいましたし、でしたらレーテはそちらに嫁いではどうかというのでレーテもそれを承諾し、ボルダードに嫁いだんですの。ああ、今は立太子しましたから、レーテは王太子妃になりますわね」


 うえ……、そんなことになってるなんて知らなかった。


「でも、よく周辺の国がそれを許したよね」

「もともとセレーノもボルダードもすごく小さな国でしたし、二つ合わせてもユースレスと同じか少し大きいというくらいの国でしたから、それほど問題にもならなかったと聞いていますわ」

「そうなんだ……。レーテも何気に苦労してるよね」

「……そうですわね」


 地球とかならあり得ない展開だよねー。中世あたりなら、下手すりゃ侵略戦争くらい起こってそうな感じだ。


「……『リーチェ』がいたら、その王太子殿下を助けられたかな」

「どうかしら。わたくしですらセレーノに行かせてもらえなかったんですもの、リーチェが生きていたとしても、同じように行かせてもらえなかったんじゃないかしら」

「そう……」


 婚約者であったレーテはきっと辛かっただろう。過去の『もしも』や『たられば』を今言ったところで、きっと結果は変わらないのだ。


「まあ、とりあえず、レーテがなぜボルダードに嫁いだかはわかったけど……」

「けど?」

「あの夢のシルエットの女性がレーテだったとして、なんで王太子妃のレーテが塔に閉じ込められてんの?」

「わかりませんわ。何か失敗をしたという話も聞いておりませんし……」

「そっか」


 二人で溜息をついてから黙り混む。夢の中の女性が本当にレーテかどうかはわからないし、二人で話したからと言って何がどうなるというわけでもない。なるようにしかならいかー、と思いながら立ち上がって伸びをする。


「アスト、そろそろ大丈夫そう?」

「ええ」

「なら行こうか。カムイも大丈夫?」

「無論」

「じゃあ、よろしくー」


 休憩を終わりにしてまた二人でカムイの背に乗ると、その場をあとにした。



 ***



「ここだ」


 川から出発して三十分ほど行った場所に、夢の通りの雰囲気の塔があった。


「うわ……」

「夢の通りですわね……」


 塔から少し手前の場所で立ち止まったカムイに言われて、塔をまじまじと見上げる。塔自体は夢の中ほど高くはないものの、それでもそこそこの高さはある。


「着いたはいいけど、どうやって近付こうか。特にあのてっぺんに行くとか、どうする?」

「我が。【不可視】、【消音】、【浮遊】」

「へ?」


 カムイがいつも使う言葉とは違う言葉を唱えた途端、カムイの躰がふわりと持ち上がるとそのまま塔へ向かって歩き始める。びっくりしてアストと二人で固まっているうちに塔のてっぺんに着き、鉄格子の嵌まった窓から中を覗くことができた。一つ一つの格子の大きさは、大人の男の握り拳一つ分よりも大きいくらいだ。


「レーテ……!」

「ええー……マジですか……」


 一緒に中を覗いたアストがそう叫ぶ。うわあ、何かまた巻き込まれたっぼいよ、とガックリしながらも中の様子を見ると、夢の通りの光景が広がっていた。

 男性が二人と女性が一人と、なぜか夢には出ていなかった男性が部屋の隅にいて三人を心配そうに見ていた。寝ている男性二人はどうやら怪我をしているらしく、裸の上半身には包帯が巻かれてはいるものの、そこから血が滲んでいた。

 女性……レーテは二人の看病をしているのか、横顔しか見えない。

 二人の男性の様子に眉を寄せる。あの血の滲み方の傷では、すぐに塞がないとまずい。何かないかなと考えていると、傷薬が残っていたことを思い出した。


「アスト、私のリュックに黄色い巾着が入っているの。それを出してくれる?」

「わかりましたわ」


 アストにお願いして巾着を出してもらい、鉄格子の隙間から手を入れて窓を叩く。その音にレーテは私たちのほうを見るのだが、首を傾げてまた横を向いてしまう。


「カムイ、何か向こうから見えてないみたいなんだけど……」

「塔の外にいる人間に見つかってはまずいと思ったから、姿隠しを少々、な」

「ほんのちょっとでいいんだけど、姿を見せることはできる?」

「ああ」


 頷いたカムイがまた何やら呟く。それを聞いてからもう一度窓を叩くと、レーテはまたこっちを見たあとで目を見開き、慌てて窓に寄って来て窓を開け、アストのほうを見た。


「アスト……!」

「しっ! 静かに!」

「あ……ごめんなさい」


 レーテはそう呟いて、目を潤るわせ始める。


「なぜこのような場所に……」

「それは……」

「アストリッド殿、話はあとだ」

「ああ、そうでしたわね……」


 話し始めようとしたアストとレーテをカムイが遮る。明らかに男性の声に首を傾げたレーテはさらに窓際に寄って、鉄格子に顔をくっ付けるようにして覗き、目を丸くしながら「まあ!」と小さく叫ぶ。


「フェンリル……!」

「それもあとで。これを貴女に渡すわ」


 鉄格子から離れたレーテに、私は鉄格子から手を入れて巾着を渡すと、レーテはそれを受け取る。そこで初めて私の顔を見たレーテは、不思議そうな顔をしながら首を傾げる。


「貴女は?」

「桜と言うの。呼びにくかったら、セレシェイラでもシェイラでもいいわ。そこに水はある?」

「ありますが……この袋、でいいのかしら? この中身は?」

「傷薬よ」

「サクラが作ったものですわ」


 補足したアストにレーテは怪訝そうに眉を寄せ、私とアストと巾着を見ている。そりゃ、見ず知らずの人から傷薬なんか渡されたら、私だってそんな反応するわなーなんて思っていたら、後ろから悪戯したっぽいような感じの含み笑いをしたアストがレーテに話しかける。


「レーテ、貴女ならサクラが誰かわかりますでしょう?」

「え……?」


 それを遮るように、カムイの冷静な声が響く。


「桜、そろそろまずい」

「わかった。アスト」

「ええ。レーテ、必ずまた来ますわ!」

「あ……!」


 カムイのよくわからない言葉とレーテの焦ったような声を聞きながら塔から離れ、その場をあとにする。その時後ろから「リーチェ……!」というレーテの声が聞こえたような気がした。



 ***



 いきなり目の前から消えてしまった、聖獣フェンリルに乗っていたアストとサクラと名乗った女性。いくら目を凝らしてもその姿はもう見えない。


「もしかして……リーチェ、なの?」


 窓際で外を見ながら彼女の姿を思い出す。姿も声も、何もかもが違う。でもあの女性を見た時、確かに懐かしい感じと微かな女神の神気を感じた気がしたのだ。


 渡された袋の口を開けて中を覗くと、中には丸薬が入っていた。その丸薬から、女神の神気が溢れている。それを感じることができるのは、最高位の巫女のみ。

 丸薬自体は、作り方さえ習えば初級巫女ですら作れるし、誰が作っても飲むことで傷を癒すことができる。だが、丸薬に女神の神気を込めることができ、最高位の巫女や上級巫女が使う癒しの力を増幅し、少ない巫女の力でも……癒しがあまり得意ではなかったわたしやアストが瞬く間に癒すことができるこの丸薬を作れるのは、わたしが知っている限りたった一人だけだ。


「リーチェ……!」 


 貴女なの? 亡くなった貴女が、助けを求めるわたしに答えてくれたの?

 わからない。わからないけれど、もし本当にリーチェが作った傷薬なら、わたしでも傷付いた二人を癒すことができる。


 窓を閉め、水差しを持って二人の側に行く。怪我の具合がひどいヤグアスにまず薬を飲ませてヤグアスを癒すと、次にクレイオンに薬を飲ませてクレイオンを癒す。見る間に呼吸が落ち着き、そのまま眠る二人に安堵の息を吐く。


「ああ……! フローレン様、感謝いたします……!」


 彼女をわたしの元に連れて来てくれたことに。二人が助かることに。


 歴代の最高位の巫女――その誰もができなかった、傷薬を使わずに瞬く間に傷を癒すことができたリーチェ。きっかけは自分の侍女の怪我という痛ましいものだったけれど、たくさん努力をして来たその姿を、わたしとアスト、当時の神官長様や上級巫女だけが知っている。

 故に、リーチェは『癒し姫』と呼ばれたのだ。


 助けは来ない。逃げることもできない。もう二人に会えないかも知れない。それでも。


 聖獣フェンリルと二人に会えたことは、わたしの心に少しだけ希望の火を灯した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る