女だからって、甘く見るんじゃないわよ?

「カムイ、あそこ!」


 馬の嘶きが聞こえ、馬は怯えたように暴れている。三人いたようだが一人は既に息絶えているのか道に伏せ、背中から血を流したままピクリとも動かず地面には血だまりがあり、もう一人は地面に座ったまま、腕や足から血を流しながらジリジリと後退していた。それを、剣を持った男がニヤニヤ笑いながら追いかけ、剣を振り上げた。


「カムイ、急いで!」

「承知!」


 スピードを上げたカムイの背中に何とか膝を乗せると片膝をつく。男が剣を降り下ろす直前にその場に着いてカムイの背中を蹴るようにジャンプすると、男に蹴りを入れて吹っ飛ばした。

 カムイは勢いのまま走り抜け、スピードを落としながら私の側に寄ると、地面に座っている人を庇うようにその人の前に立った。剣を持っていた男を蹴り飛ばした私はその反動を利用し、バック転の要領で回転して地面に降り立つ。

 転んで無様な姿を晒さなくてよかった。運動神経が良くてよかったよ、うん。


「あんた、一体何やってんのよ! おじさん、大丈夫?!」

《怖い! 怖い! 逃げたい!》

《落ち着け!》

《あ……孤独な王様……》

《我と桜がいる! 落ち着け! 主人を運べるのはそなただけだ! その誇りを思い出せ!》

《は、はい!》


 剣を持った相手を見据えながら倒れているおじさんに声をかけると、「何とか」という弱々しい声が帰って来た。その横で、暴れる馬を落ち着けるように話しかけるカムイは何とか馬を落ち着かせ、おじさんを踏まないようにしてくれた。

 怯えた馬を落ち着かせたのはさすがだけど、馬にまで孤独な王様って知られてるなんて……。なんて不憫なんだ、カムイ……!


『桜、この者の出血が酷い。早く血を止めねば手遅れになる』

「マジ? そりゃ大変」


 おじさんや男を警戒してか、カムイは肉声で話すことなく念話でその言葉を伝えて来た。全然大変そうな声に聞こえないよなあ、と暢気に思いつつもそのことに小さく頷くと、吹っ飛ばされた男は頭を振りながら怒りの形相で立ち上がる。


「てめえっ! 何しやがる!」

「それはこっちの台詞でしょ?!」

「ふざけんなよ、女風情が!」


 男が剣を振り上げて私に向かって来る。

 ……うん、剣道の師匠や兄弟子よりもスピードは遅い。尤も、兄弟子たちのほとんどは警察官ばかりだったから、身体能力は半端ないんだが。これなら何とかなるかと思い、降り下ろされた剣を避けてその腕を掴むと手首に手刀を落として剣を手放させ、鳩尾に右手の拳を叩きつけてから蹴り飛ばした。

 さすがに漫画のような『真剣白刃取りー!』とかできなかった。まあ、普通はできないよ、そんなもん。掌を怪我する。そもそも刀の刃を取るあれは、どっちかと言えば『無刀取り』だし、取るタイミングが悪ければこっちが頭をかち割られて死ぬ。そんな賭けみたいなことをするのはごめんだ。


「なっ?!」

「女だからって、甘く見るんじゃないわよ?」


 腹を押さえながらも何とか立ち上がった男は、よろよろしながらも懐からナイフを出して私に向かって来る。


「うわー、今度はナイフ? えげつないわねー」

『桜、複数の足音がする』

「あらら。味方だといいんだけどねー」

「何をぶつぶつ言っている?! 死ね!」

「はいそうですか、なんて、そう簡単に死んであげるわけには行かないでしょーが」


 男が繰り出すナイフと拳を避けながら、足元に落ちている剣や街道を見ると、三人の人影が見えた。だが、その姿はやけに大きい。


(三人かー。こいつの仲間だったらヤだな。いざとなったら、おじさんとカムイを連れてとんずらしようかなあ)


 何て考えながら男に軽く回し蹴りを浴びせると、男はハッとなって身体を後ろに反らした。


「なっ!!」

「うーん……しばらく剣道ばっかやってから、勘が鈍ってるなー」

「てめえ!」


 運動不足だ、とぶつぶつ言いながらもう一度街道を見ると、人影の姿が完全に見えた。先頭には犬が走っており、その後ろを馬に乗った兵士らしき装備をした人たちが乗っていた。大きいと思ったのは馬に乗っていたからで、その姿が兵士らしきものだとわかったなら、やることは一つだ。


「あー、面倒」

「煩い! 死ね!」

「さっきから、死ね死ね煩い」


 繰り出されたナイフを避けたあと、今度こそ確実に男に回し蹴りを決めて吹っ飛ばすと、地面に落ちていた剣の隙間に爪先を入れて蹴りあげる。落下地点を見極めてその剣の柄つかを握ると一気に男に詰め寄り、倒れている男が起き上がらないように踏みつけてから剣のきっさきを男の喉笛にピタリと寄せた。


「はい、形勢逆転ねー」

「なっ?!」

「ちょっとでも動いたら、殺すわよ?」


 ドスを利かせ、殺気を込めて男を脅すと男は顔を青ざめさせておとなしくなる。その間にこちらに向かって来た兵士らしき人たちは最後のやり取りの一部始終を見ていたのか、「お見事」と言って剣を抜いてその鋒を男に向けた。

 それを見てから男が持っていた剣をその兵士に渡し、怪我をしているおじさんの元へと駆け寄ると、先頭を走っていた犬がおじさんの顔を舐めたりしながら、心配そうに鳴いていた。


《お父さん、死んじゃう。ボク、間に合わなかった?》

「あの人たちを君が連れて来たの?」

《うん。何かあったら、「騎士か兵士を連れて来るんだよ」って、お父さんに教わったの!》

《お父さん? そなたの主人ではないのか?》

《確かにご主人様だけど、ボクにとってはお父さんでもあるんだ》


 カムイや犬が話しているのを耳にしながら、リュックから水と傷薬を出す。本当なら指輪を抜いて一気に傷を治したいところだが、ここにいるのはおじさんだけではないため、用心して中級の力を使うことにした。

 まず、おじさんに水を含ませてからその中に傷薬を三つ放り込む。それを飲むようにおじさんに言うと、おじさんは躊躇ったように目を泳がせた。


「大丈夫。今口に入れたのは、巫女様が作った傷薬だから」


 安心させるように笑顔で何を口に放り込んだのか教えると、おじさんはホッとしたような顔をして何とかそれを飲みこんでくれたので、今度は傷口を塞ぐ。


「【彼の者の傷を塞げ】」

「え……」


 傷口の上に手をあて、それをなぞるように往復すると傷が塞がって行く。それを傷がある部分全てにしていくと、何とか血は止まった。後ろで驚いたような声が上がったが、今は完全に無視する。


「ふう。これで少しはいいかな。あとは、傷薬が効くのを待つだけね」

「巫女の力……?」

「まあ、ね。ただ、薬草がないから今はこれ以上の治療もできないし、力量もないから無理なの。ごめんなさい。あとはゆっくり眠れる場所が……宿屋とかがあればいいんだけど……」

「ならば、我々に任せていただけませんか?」


 私とおじさんの話に割り込むようにそう声をかけられて振り向く。傷を塞ぐのに夢中で、この人たちの存在をすっかり忘れてたよ。


「あんたは?」

「紹介はのちほど。今はこの場所を離れましょう。それに、罪人も連れて行きたい」

「罪人?」

「ええ、あの男です」


 冷ややかな目をして顔を向けたのは、二人の兵士らしき人たちに簀巻き状態に縛られた男のほうだった。なるほどと頷いておじさんに肩を貸そうとすると、話しかけて来た兵士らしき人がおじさんを抱き起こし、おじさんのものであろう幌馬車に横たえてくれた。犬は心配そうに、おじさんの顔を見ていた。

 兵士らしき人はついでにおじさんに許可をもらったのか、簀巻きにされた男をおじさんの横に転がすも、男は逃げようとしているのか身体を捻りながらじたばたと暴れる。


「あー、もう! このオヤジ鬱陶しい!」

『ならば、我が。【眠れ】』

「おー! カムイ、さすがー!」


 カムイが暴れる男に近寄り男の顔を踏みつけるように前足を乗せて【眠れ】と言うと、男は急に静かになり、そのまま眠ってしまった。兵士らしき人たちはそのことに唖然としていたが、それを横目に見つつも聖獣ってこんなこともできるのかと、思わず拍手してしまった。


『誰かがこの男に向かって起きろと言うまで、この男は眠り続ける』

「そうなんだ、ありがとう、カムイ。あのー、この男に向かって誰かが起きろと言うまで、この男は眠り続けるって言ってる」

「そうか……すまん」


 カムイの言葉を伝えると、兵士らしき人は他の二人にいろいろ指示を出して行く。一人は指示を受けて馬を走らせた。どうやら、死んでいる人のことで別の兵士を呼びに行ったようだった。

 幌馬車は指示をしていた人が、その人が乗っていた馬はもう一人の人が手綱を持って引くことになり、私はその人の横に座るように言われた。カムイはちゃっかり幌馬車の中に入っておじさんと罪人の男の間に座り込んでその躰を伏せたので、それに苦笑しつつも前を向いて、これからどこに連れて行かれるのかわからない不安を圧し殺しながら、走りだした幌馬車の前方を見つめた。



 ***



 それは、遠目でもわかる程俊敏な動きだった。まるで訓練と年月を重ねた熟練の兵士や騎士のようだった。滑らかな蹴りと、蹴りあげた剣を掴むその運動神経。自分の配下にほしいと思うほどの男だった。

 我が国で賞金首となった者を捕らえられたこともフェンリルが側にいたことも驚いたが、男だと思っていた者は女性で、それも巫女の力を有していたことにはもっと驚いた。しかも、動物やフェンリルの言葉もわかるようだから尚更驚く。


 彼の人は言った。


『あの人を、わたくしのところへ連れて来てほしいのです』


 と。その特徴と、いるであろう場所を指定して。かくしてそこにいたのは、彼の人が告げた特徴を持つ女性だった。


 馬に話しかけている隣の女性を横目で見つつも罪人と怪我人を運びながら、この女性をどうやって彼の人の元へ連れて行こうかと頭を悩ませる。だが、正直に話せばついて来てくれる――そんな予感が、頭をかすめる。


(必ずや、貴女のお側へと連れて参ります)


 自分の剣を捧げ、護ると誓った、あの方の元へ。



 ――この時は、まさかあの方があんなことを言い出すとも、この女性が自分の運命を変えるとも思わずにいた。


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