第8話

 突然の魁の登場に、和泉は息を呑んだ。

 柳澤は待ってましたとばかりににやにやと薄気味悪く笑っている。


「和泉に何を話した……?! 何をしたぁ……?!」


 全身汗まみれで、息も整わず、つんつんした髪を逆立てて、魁は柳澤を睨みつけた。はぁはぁと、荒い息は、彼の殺気を現しているようだ。


「何を? たいしたことは話していないよ。まぁ、『野獣』が何なのか、軽く説明はしたがね」


 柳澤は実験台の並ぶ室内を悠々と歩きながら、入り口から飛び込んできた魁と澪をちらちらと見た。

 室内には実験器具と思われるものが整然と並べられ、不気味な雰囲気をかもし出している。顕微鏡や試験管、フラスコ……。学校の理科室のような部屋。ブラインドで昼間の光は殆ど入らず、軽く冷房がかかっているが、決して涼しすぎない。壁面に並ぶ、小動物の籠。キーキーと妙な声で鳴いている。


「君と澪が『野獣』で、戸籍から抹消された、死人同然の存在で、私はそれを利用させてもらってるってこと。あとは、『野獣』が、キメラ生物であるということと、『ゲーム』が行われていること……なんかをね」


 淡々と話す柳澤。


「それだけ喋りゃぁ……、十分じゃねぇかぁ……!」


 実験台の机に、両手の拳を載せ、怒りをあらわにする魁。


「どうして和泉に、そこまで話す必要がある?! こんなところまで連れてくる必要がある?!」


 腹の奥底から、柳澤に対する憎悪が、コレでもかと噴き出してくる。この、ニヒルな眼鏡の奥で、一体どんな悪巧みをしているのか。頭が燃えてしまうくらい、憎らしい。


「私が……! 私が知りたいと思って、訊いた部分もあるのよ……! ごめんなさい、魁!」


 入り口から一番遠い実験台の机の付近に、和泉が立っている。

 柳澤の言うとおり、「話はしたが、何もしていない」状態であることが確認できる。少し、ほっとする魁。


「彼女がね、私の研究というのが、気になるというもんでね。少し……、私があおった部分がないとは言わないが。──奇遇なことに、彼女は、私の大学の後輩に当たるらしくてねぇ。彼女の父、橘病院の院長さんとも、普段から仲良くしていただいてるし。縁があった、ということだよ」


 鈍く光る眼鏡の下で、ニヤニヤする柳澤の顔が、ますます憎らしくなっていく。


「面白い話をしてあげよう。和泉君、君のお父さんも、『野獣プロジェクト』に、加担している一人なんだよ……。多額の融資と、実験体の提供……。感謝しているよ。本当に。お陰で、私は『野獣』を『キメラ・ゲーム』の中で、ひとつのブランドにすることに成功したんだからね」


 和泉は驚いて、腰を抜かした。実験器具の並ぶ棚によろよろと寄りかかり、その振動で起こった、ガシャガシャと音が、狭い室内に響き渡る。


「自分の親は、そんな人間じゃない、とでも? 橘院長は残酷な方だよ? 君もその血をひいているんだ」


「もう、やめろぉ! 柳澤! 彼女にそれ以上、何も言うな!!」


 襲いかかろうとする魁を、澪が必死に止める。腰に手を回し、離さない。

 汗が飛び散る。額に血管が浮かび上がり、両腕に、力が入る。


「澪、離せ! あいつは非人間だ! いつか殺さなきゃならない男なんだ! それが今なんだよ!」


 振りほどこうと、身体を揺するが、澪の細い手が解けずに苦戦する。


「駄目、駄目なの! 魁!! 柳澤が幾ら嫌いでも、私たちは彼を殺したりしちゃ、駄目なの! 柳澤がいなくなれば、私たちは、生きていくことが出来ないんだよ! 忘れたの?!」


「俺たちの命なんて、とっくの昔になくなってた! 死んだも同然だ! ──『野獣』にされたときに、俺は死んだんだ……! こんな命、今更、惜しくねぇんだよ!!」


 怒りが一気に開放され、全身の毛が逆立った。


「お前は、最低ヤローだ……! 柳澤ぁぁぁ!! どこまで性根が腐ってるんだ……。許せねぇ……!!!!」


 カッと大きく見開いた目は、ぎらぎらと薄暗い室内で驚くほど不気味に光り、食いしばった歯には大きな牙が。皮膚という皮膚から、灰色の毛が生え、隆々と盛り上がる筋肉。どこからともなく現れた防具が、彼の衣服と毛を覆い、腕には鉤爪を装備している。

 魁の顔から、人間らしさが消え、飢えた狼が姿を現した。

 はぁはぁと、血肉を欲するかのように、よだれを垂らしながら、荒く息をする。

 澪は変化した魁を抱えきれず、思わず腕を離した。


「魁……、やめて……!」


 しかし、澪の声は魁には届かない。

 突然の変異に一番驚いたのは、和泉。変化の途中までは目撃していたが、完全な『野獣』の姿になっている魁を見たのは初めてだった。元が人間だったとは、とても思えない。あの、優しい魁の面影は、どこにもない。ただの獣が、そこにいた。

 和泉は両手で顔を覆い、直視できず、うろたえた。


「アレは、何……? 魁は? 魁は一体、どこに行ったの?!」


 信じたくない、ありえない。何も見たくない。

 頭が真っ白になる。


「見たまえ、素晴らしいだろう。これが『野獣』と『他の研究所のキメラ』との一番の違い。普段は人間の姿をしているが、感情や戦闘状態をスイッチにして、いつでも獣に変身できる。……この技術、決して、簡単なものではないんだよ?」


「それに、武具。身体に動物だけでなく、機械を融合させることによって、その能力に合わせた武器、防具になる。最高だ、そう思わないか?」


「ただ別の生物と融合させるだけのキメラなど、美しくはないからね。ここまで辿り着くのに、どれだけの犠牲を払ったことか……」


 柳澤の一人舞台だ。自分の技術に陶酔した、狂人がいる。大きく両手を開き、時折魁を指差し、自慢げに和泉に語りかける。

 柳澤はあざけるように和泉の傍に歩み寄り、ぽんと肩を叩いた。


「自分の愛しい男の正体に、やっと、気付いたのか?」


 恐怖の涙で顔を濡らす和泉に、畳み掛けるように卑劣な言葉を浴びせる柳澤に、魁は我を失った。


「ぐるるるるるる……!!!!」


 実験台の上に飛び乗り、四つん這いになって牽制する。

 間合いを計っているのか、右へ左へ、ゆっくりと身体を揺らし、実験台の上を移動しながら、柳澤へ近づいてくる。


「魁……、私を殺そうなんて、馬鹿なことを考えるんじゃない。やめるなら、今のうちだぞ?」


 柳澤は冷静だった。

 ゆっくり立ち上がると、魁に、隠し持っていたライフル型の麻酔銃の銃口を向けた。実験台の陰に、こういう状態になることを想定して、隠しておいたようだ。照準を合わせ、引き金に手を掛ける。


「大事な商品を傷つけたくはないが、私も死にたくないのでね……」


 ──バァン!!

 銃声。

 とっさに魁の身体は大きくジャンプした。麻酔が右足に当たり、バランスを崩してしまう。柳澤の背後の、実験器具の並んだ棚に激突。ガラガラと音を立てて崩れ去るガラス扉。棚の上から下から、さまざまな物体が雪崩れ落ちる。

 何が起こったのか、和泉は一瞬の出来事に理解できず、悲鳴を上げ、頭を抱えている。

 柳澤は身体を丸め、回避していた。崩落が落ち着くと、ニヤニヤした顔をそのままに、魁に再び銃口を向ける。

 床に打ち付けられ、それでも体勢を立て直した魁。右足に激痛が走ったが、それどころではない。垂れそうなこうべを必死に持ち上げ、柳澤を見る。

 魁を撃とうと構える柳澤の前に、白い、メスの虎。柳澤を守るように、魁を見据えている。


「れ……澪……」


 思ってもみない敵に、魁はひるみ、後退ずさりした。

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