第2話
『野獣』、それは、人間と動物、機械とを掛け合わせた、キメラ生物。
人間と動物とで形成されるキメラ生物は、倫理上の観点……人間と動物の境を曖昧にしてはいけないことから、世界的に規制されている。が、研究者たちの中には、それでも尚、新たな生物の作成に意欲を燃やす者がいる。
柳澤生体研究所の柳澤圭司教授も、その規制を破って、研究を重ねていた一人。いや、柳澤教授だけではない。日本でも、いくつかの研究所で、内密にキメラの研究が行われていた。
柳澤教授は、彼らを外見から、『野獣』と呼ぶ。
それらは普段は人間の
『野獣』は、同じように作成された別の研究所のキメラたちと戦うことで、存在し続けることができる。と、いうのも、キメラ生物を作っている研究所たちは、暗黙のルールを作り、お互いのキメラたちの優劣を争う、「ゲーム」をしているのだ。更に拍車をかけるのは、その資金援助に名乗りを上げる、有名企業や政治家、裏社会の住人の多さ。今や「キメラ・ゲーム」は、世界中の注目の的だった。
ところが、可哀想なことに、そのゲームの中心たる彼ら『野獣』には、権利というものがない。なぜならば、既に「死んだはずの者」たちを使っているからだ。身分証明も、戸籍もない。もしかしたら、今夜にも死んでしまうかもしれない、人間の形をした、ゲームの駒。
交通事故を起こし、死にそうになっていた魁は、柳澤に拾われ、『野獣』となった。『野獣プロジェクト』の第一弾の試験体として改造され、もう、五年も『野獣』を続けている。
事故前の記憶は、何故かキレイに消えていた。自分がどこで生まれ、どこで育ったのか、二十年間の記憶が、すっぽり抜けている。思い出そうとすれば、激痛が走り、頭を抱え、座り込む。
『野獣』に、過去など不要なのだろう。「今、生き残ること」、それだけを考えていくために。
*
魁は前日の戦闘で汚してしまった服の替えを探しに、行きつけの古着屋へ行こうと、商店街を散策しているところを、キメラに襲われていた。鳥人間の形をしたキメラは、白昼堂々、魁を襲ったのだ。
「昼間は攻撃してはならない」ルールを破ったキメラは、人間の心を失っていた。人通りの殆どない、裏通りでの出来事とはいえ、魁の制止を振り切って、攻撃を続けるキメラを、放って置くわけにも行かず、仕方なく、応戦する。
人気のない屋上へと、『野獣』に姿を変えながら、雑居ビルの壁を駆け上った。もうひとつ、「一般人には知られてはいけない」というルールの遵守のため。
「最悪だな。どこの研究所のキメラだよ……。こんな精神レベルの低いものをつくるのは……」
五年のキャリアがあるとはいえ、真昼間に『野獣』になるのは酷く恥ずかしい。日の光の下に、自分の本性──狼の姿が
「予告もなしにキメラが現れるということは、本当に、ただの暴走劇みたいだな。柳澤の奴、処理に間に合うのかよ。真昼間だぜ?!」
バサバサバサッ! 鳥が向きを変え、別の角度から魁を襲う。
ゴオォッ! 嘴から火の玉が吐き出され、魁は慌てて後ろに
「能力だけは一丁前か!」
左手で大きく炎を振り払う。じりじりっと、毛の一部が焼け焦げる。ブレスを終え、隙が出来た胴体に、右手の鈎爪をどすんと食い込ませる。内側に曲がった爪は、内臓を掻き出し、血液が激しく噴射する。
もがき、奇声を発っするキメラ。
魁は
鳥はそれでも尚、バッサバッサと羽をバタつかせ、頭を左右に揺らし、必死に魁に攻撃しようとしている。目は血走り、視界は定まらず、なのに、敵はそこにいると、本能でわかっているかのようだ。
『野獣』となり、戦うにはそれなりの精神力が要る。常に「人間の心」と「獣としての本性」との間で、均衡を保たなければならない。通常ありえないこの殺伐とした戦いの中では、「人間の心」を重視していては、己の命を守ることが出来ない。しかし、もう一方の「獣の本性」に偏れば、目の前のこの鳥キメラのように、人間であったことを忘れ、ただひたすらに攻撃を続けることになる。
魁も、度々、そういう状態に陥るから、よくわかる。澪が彼をなだめなければ、きっとこの鳥と同じ目に遭うはずだ。もう、二度と人間に戻れない、ただの怪物に……。
ブルブルッ。考えるだけでもおぞましい。
(目の前の敵に集中するんだ)
魁は助走をつけて、鳥の上へとジャンプした。背後へ回ると、翼の付け根に爪を食い込ませ、噛み付く。鳥は魁を振りほどこうと抵抗するが、しっかりと引っ付き、離れない。
ボキボキと鈍い音がする。左翼は付け根から裂け、骨が砕けていく。
羽毛が口の中に入ろうが、お構いなしに、魁は何度も鳥の背中を喰いちぎった。腹を空かせた狼が獲物を捕まえるように、耐え切れずうつ伏した鳥の背に上乗りになって、羽を掻き
ギャーギャー大声でのた打ち回っていたそれも、
「し……死んだか……」
体中を鮮血で濡らした魁は、自分の高鳴る心臓を鷲掴みにして、自我を保とうとしていた。ふらふらと立ち上がり、天を仰ぎ見た。
まだ、お昼前。丁度小腹が空いてきたこの時間に、『野獣』になるのはキツイ。まかり間違えば、このままこのキメラの肉を全て食い尽くしてしまいそうだ。
(澪に、「肉は食うな」って言われたばっかりなのに……。もう少しで我を失うところだった……)
荒い息と、頭まで鳴り響く心臓の音。
目の前に広がる、赤い海。
「せっかく買い物しようと思ったのに、台無しだぜ……。また別の日に改めて来るか……」
息耐えた鳥に、ペッと唾を吐き捨てる。
と、
トゥルルルルル……
柳澤からの連絡だ。腰の携帯電話ホルダーから本体を取り出し、電話に出る。
「遅すぎ! ──はいはい、魁だけど?」
『魁、そっちにキメラが行かなかったか? 大峰教授の失敗作が』
「来たよ。いまさっき。倒したから、処理してくれよ。場所は……」
『そんなもんは携帯のGPSでわかる。……「野獣」になっているのか? 一般人には見られなかったか?』
「知らねぇよ! こちとら自分の命を守るだけで精一杯なんだ。人通りの少ないところだったけど、何人か目撃してたかもなぁ。第一、あの鳥、声がデカいんだよ」
『フン。言い訳など聞かぬ。記憶処理……必要か……。通行人が特定できるのか……? まぁいい、なんとかする』
「頼むよ。幾らビルの屋上ったって、昼間じゃ人目に付きやすいだろ。何とかしてくれ」
『早急に処理する。……正確には、もう、そっちに向かっている』
「了解。──あ、ついでにさ。昼飯
『致し方なかろう。待ってろ』
電話が切れると、ニヤッと不敵に笑う。
あの、柳澤に昼飯代を出してもらえるなら、うまいもんが食えそうだ。腹を空かせた狼はぺろりと舌なめずりをした。
「人間の姿に戻っておかないとな……」
携帯をしまい、屋上の隅から、街を見下ろす。よれよれの壊れかけたフェンスに寄りかかり、柳澤の車が来るであろう方向を見つめる。向かっているとは言っても、今回は不測の事態。そう、すぐに到着できるものでもないだろう。
気を集中させ、目を閉じて、顔を空に向ける。体中の毛がざわめき立ち、少しずつ短くなって、人間の肌が見えてくる。狼の荒々しい骨格も徐々に人間らしく、鼻が縮み、避けていた口も小さく、顔から毛が引き……。そして薄っすらと目を開け、自分の身体が人間に戻っていくのを確かめようとした瞬間。
──ドンッ!
背後から鉄砲玉のように、勢いをつけて何かが押した。魁はバランスを崩し、フェンスにぶち当たる。が、その壊れかけたフェンスは、勢いよく外れ、魁とともに宙に放り投げだされた。
鳥だ。あの鳥が、死んだと思っていた鳥キメラが、最後の力を振り絞って、魁に体当たりしたのだ。
まっ逆さまになりながら、魁の目はその姿を捉えていた。
半分人間に戻りかけた鳥男が、宙ぶらりんになった左腕を押さえ、自分を見下ろしているのを。そして、そのまま後ろに倒れこんだのを。
──死ぬッ?!
地上がどんどん迫ってくる。
とっさに受身を取り、──だが、ドシンと、背中をアスファルトに強打する。
激痛が走る……、まだ、生きている。
(『野獣』でなかったら、死んでいたか……?)
身体が動かない。何かに掴まろうと伸ばした腕は、まだ半分毛むくじゃらだった。
(しまった……。変化の途中……。気を張らないと、また『野獣』に逆戻りだ……)
幸い、落ちたのは裏通り。三、四メートル幅の道路の路肩にごちゃごちゃに詰まれたビールケースや、空きダンボール、壁に寄りかかった数台の自転車が見える。大通りからは少し離れているが、かといって、油断していては誰かに見つかってしまう。
懸命に身体を起こそうとする。……力が入らない。
(せめて……、この姿だけでも何とかしないと……)
動くのをやめ、ただ、自分の姿を戻すことだけに集中する。徐々に、徐々に、人間「魁」の姿へと戻っていく。
──人の気配。
魁は恐る恐る、顔を持ち上げた。
自分の視界の先に、一緒に落ちてきたフェンスが見える。
そして、そのフェンスの手前で、魁の姿に、両手で顔を覆う、見知らぬ女性の姿。
(見られていた……!)
だが、どうすることも出来ない。
魁の顔には、狼の部分が残っていた。耳や、牙はまだそのまま。
(終わった……!)
全身から一気に血の気が引いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます