戦禍の魔女
三八式物書機
第1話 終戦の日
「艦長、時間です」
狭い潜水艦の発令所内で副官が艦長にそう告げる。
「潜望鏡深度まで浮上」
ポンプで排水をして伊四○一号潜水艦は浮力を得て海面近くに浮き上がる。
日下艦長は制帽のツバを後ろに向け、潜望鏡を覗いた。そして、潜望鏡を操作する。彼は潜望鏡を海面から出して周囲を見渡す。そこは何処から海で何処から空かわからない程の漆黒だった。
「波は穏やか。月灯りすらなく真っ暗で周囲の状況は掴めない」
まだ日の出には時間がある。
「奴等には我々よりも優秀な水上電探がある。多分、浮上すれば此方を見付けるだろう」
日下艦長は冷静にそう告げる。
「万が一、罠だったら我々は終わりですね」
副長が少し笑いながら、そう呟く。
「罠か。ここまで来て罠だったら俺は後悔しないよ」
「すいません」
副官は申し訳なさそうに頭を軽く下げる。
「気にするな。浮上させろ」
伊四○一号潜水艦はその巨体をゆっくりと漆黒の海原に現した。
セイルのハッチが開かれ海軍士官が姿を現す。
「真っ暗だ。探照灯が無ければ何も見えないぞ」
二人の士官はそれでも周囲を見渡した。数分後、遠くに光が見えた。
「6時の方向に光です。光を確認しました」
士官は光を凝視する。光は点滅している。彼はそれがモールス信号だとわかる。
「光はモールス信号であります。ワレ、アメリカ合衆国海軍所属巡洋艦ミネアポリス。応答サレタシ。であります」
発令所で艦長は安堵の溜息をする。
「予定通りだな。発光信号を送れ。ワレ大日本帝国海軍所属伊四○○号潜水艦。合流ヲ求ム」
セイルから発光信号が送られる。向こうからは了解の返事があった。暫く待機していると巨大な船体が暗闇の中に姿を現した。
重巡洋艦ミネアポリスだ。
セイルに居た士官は緊張した面持ちでその姿を見た。相手は重巡洋艦だ。幾ら伊四○○号潜水艦が巨大でもこのまま衝突されたら沈没する。数十メートル離れた場所に停船したミネアポリスから連絡艇が降ろされる。
連絡艇は潜水艦の傍に寄せられ、士官が潜水艦に移乗する。
「海軍少佐のロジャー=カーチスです。長旅ご苦労様です」
流暢な日本語で彼は挨拶をしながら、潜水艦に乗り込んできた。
その頃、発令所には二人の男が姿を現した。外務大臣の重光葵と大本営参謀総長の梅津美治朗だ。
「死ぬ覚悟を決めて港を出たが、賭けに勝ったな」
重光はそう笑った。
「閣下、これからが本番ですぞ。内容次第では我々はここで海の藻屑であります」
彼等はアメリカ軍の士官に誘導され、連絡艇によりミネアポリスに移る。甲板に上がるとすぐに会議室へと通される。古い艦だけあって、中は狭い。
重光と梅津、彼等に従事する二人の外務省官僚と三人の海軍士官は会議室で待つ。アメリカ海軍の将兵に囲まれるのはあまり気分の良いものではない。そこにミネアポリス艦長と数人の男達が入ってきた。その中の一人はパイプを咥えたマッカーサーである。まさかこんなところで会えるとは思っていなかった重光達は大変驚いた。そしてチェスター=ミニッツがアメリカ側の代表として彼等の前に現れた。
「今回の密談は今後の世界を作るであろう重要なものです」
チェスター=ミニッツはそう話し始めた。
「極秘事項ではあるが、実は連合国内ではすでにドイツと日本の分割統治が決定している」
重光達は苦渋の表情を見せる。このことはすでに情報として得ていた。だが改めて言われると緊張する。
「ドイツは危険な思想を持つヒトラーだった。故に事前の申し合わせ通りに分割をした。だがスターリンは欲が深い。戦前より我々は共産主義を敵視してきた。それが現実。いや、それよりも遥かに最悪だ。奴等は我々の援助を受けて強大な軍事力を手に入れてしまった。そしてあなた方が戦っている毛沢東。すでに国民党の蒋介石は勢力を低下させ、このままでは中国は共産国家になることは必至。大統領は決断された。共産主義から世界を守るために日本と講和を結び、この国を助けると。幸いにして日本は戦前より近代化に力を入れ、天皇制ではあるが、政治は民主主義、経済は自由経済である。天皇陛下の考えも我らなりに理解し、とても人格者であるとわかっている。我らはあなた方を味方として受け入れることにした。そのための講和条約だと理解して貰いたい」
重光達はミニッツを凝視していた。そして静かに立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「ミニッツ閣下。我らはこの素晴らしい提案に立ち会えて光栄であります」
そう一言を述べた。
アメリカ側の官僚がアタッシュケースから書類を取り出した。講和条約の文書である。それを重光に渡す。英語で書かれた文面を重光はゆっくりと読む。それはこれだけの大きな戦争をしたにも関わらず寛容な内容だった。文章は梅津に渡され、外務省官僚へと渡されて最終確認が終った。簡単な協議をして重光が返答をする。
「条約の内容を我が日本国家の代表として受け入れます」
ミニッツは右手を差し伸べた。重光は答えるように手を出し、堅く握手を交わした。
その場で簡素な調印式が行われた。
条約に重光と梅津が署名し、ミニッツとマッカーサーが署名した。これで太平洋を巡った戦争は終わりを告げた。
重光達がミネアポリスの甲板に出ると朝日が出ていた。眩しい日差しの中、巨体を浮かべる伊四○一号があった。甲板上に居た大勢のアメリカ水兵はその巨大な潜水艦に驚いていた。そして甲板に出てきたマッカーサーも驚いた。
「潜水艦と聞いていたが、あの巨体は何だ?まるで巡洋艦だ」
マッカーサーの言葉に梅津は口元を緩めた。
「日本海軍が誇る最新鋭潜水艦伊四○一号であります。ちなみに水上攻撃機も搭載しております」
梅津の言葉に更にマッカーサーは驚き、中を見たいと要望した。梅津は彼を案内して潜水艦へと移った。すでに日下艦長から艦内の水兵達には終戦が連絡されている。涙を流す者も多かったが概ね安堵した雰囲気だった。だが、重光達と一緒にアメリカの将校が来た時は彼等も驚いた。このまま捕虜になるのかとも思ったに違いない。だがアメリカの将校達は笑顔で彼等と接した。中にはチョコレートをまだ子どものように若い日本兵に渡すアメリカ軍将校も居た。彼等は潜水艦の中を案内されながら驚いていた。
講和条約の内容は暗号電文にて本国に報告された。内容を知った総理大臣は日本の降伏が決まった事に涙した。同様に閣僚達も涙を流した。総理大臣はすぐに皇居へと出向き、陛下に講和条約の内容を報告した。陛下は涙を堪えた。そしてすぐに国民の安全を確保しなさいと命令した。大本営ではアメリカ軍と交戦中の部隊に停戦命令が下された。
4月1日夜
国民に敗戦の事実を知らせ、連合軍の指示に従うことを知らせることが必要なため、国営放送協会の職員が皇居に録音機材を持って訪れた。
まだ民間人が直接陛下に会える時代ではなかった。陛下が入られる録音室には侍従長だけが入った。職員達は隣の部屋で録音機材を動かす。侍従長に合図を送ると録音が始まる。陛下は幾度も練習したのだろうか。とても良い発音で一度も噛まずに録音を終えられた。録音盤は二枚作られ、一枚は何か不測の事態が起きた時のために侍従長に渡された。
この動きを察知した第一師団の青年将校を中心とした部隊は録音盤を奪い、玉音放送を妨害することを画策した。これはあまりにも衝動的な行動だった。すでに講和条約は締結されており、玉音放送が流れなかった事はあまり意味のあることでは無いからだ。しかし、情報が錯綜する中で青年将校達は苛立ちを反逆という形で暴走させた。青年将校に率いられた30人余りの将兵が皇居に向かった。
公共放送の録音技師達を乗せた車は青年将校達の検問に引っ掛からないように放送局に向かった。何とか放送局に入ることは出来たが、青年将校達は放送局を占拠した。録音技師達の持っていた録音盤は彼等の手に渡り、破壊された。
皇居に侵入した青年将校の部隊と近衛兵とが衝突。陛下は安全のために建物内で避難された。近衛兵との戦闘をしながらも青年将校達は録音盤を探したが録音盤を託された侍従長はそれを侍従待機室に隠したために発見されなかった。
大本営はこの事態を反逆として憲兵隊だけでなく、都内に配備された部隊を動かした。夜明け前に反逆は鎮圧された。青年将校の一部が自決して事態は収束した。それから侍従長の隠していた録音盤が放送局に届けられた。これにより2日午前8時丁度に玉音放送が流れた。多くの日本人が涙を流しながらこの放送を聴いた。
4月2日にアメリカによって世界に発表された日米の講和条約締結にソ連と中国は大いに激怒した。当然、ヤルタ会談の一方的な破棄だとして抗議をしたが、アメリカはそれを無視した。結果、ソ連は日ソ不可侵条約を破棄して対日戦争に突入した。
4月3日午前7時
満州国境を越えたソ連軍は呆気に取られていた。以前から小競り合いを続けていた日本軍の姿が無かったからだ。すでに民間人を守りながら日本まで撤収するように命令が下されていた関東軍は国境の防衛線を捨てて、移動していた。移動に負担になる大砲などは破壊され、その場に放棄されていた。日本軍は小銃と機関銃を持って闇夜に乗じて民間人を守る形で朝鮮半島へと移動していた。
満州や朝鮮半島に移住した日本人は最低限の財産を持って必至に闇夜の街道を歩いていた。朝鮮半島では日本が敗北したことを知った朝鮮人が日本人排斥運動を始めようとしていた。それは朝鮮半島を日本支配から取り戻すという建前の下、日本人の財産を略奪することを目的することが多かった。時には朝鮮人の富裕層を襲うことさえあった。日本兵は彼らから民間人を守りながら釜山、仁川を目指した。日本軍は日本から引き揚げを支援するために未成艦まで狩り出して引き揚げを行った。
日本軍が撤収している間に満州国境を越えたソ連軍は満州占領を目指して侵攻していた。だが彼等の目の前に日本軍を追って満州へと侵攻してきた中国共産党軍があった。彼等は戸惑った。何故なら連合軍として彼等は同盟状態にある。当然ながら、睨み合いになった。両軍の現場指揮官達は突然、現れた勢力を前に混乱した。
ソ連軍と中国共産党軍が膠着状態にあるのは日本人の引き揚げには都合が良かった。日本人の引き揚げは二週間掛かったが、損害は軽微で済んだ。日本人排斥運動をした朝鮮人も強力な日本兵が警備していることで手出しは出来ずに終った。
大陸から日本人が引き揚げている最中、蒋介石が率いる国民党軍は中国共産党に追われていた。彼等の多くは清王朝時代の資産家であり、多くの資産を持って移動していた。蒋介石は裏で日本と通じていた。彼等が共産党に比べて被害が少なかったのもその為だった。
米国は蒋介石を中国の反共産主義の要とすべく、日本軍に彼等の救出を要請した。大本営は彼等を救出して台湾へ脱出する計画を立案した。大陸に残る日本軍の一部に特命が与えられた。彼等は国民党幹部が拘束されている拠点を強襲して彼等を奪還、台湾へと脱出させることになった。台湾へと渡るために台湾に駐留していた日本海軍艦艇が中国沿岸部へと移動した。
中国共産党軍は国民党幹部を拘束し、裁判に掛けるつもりだった。
毛沢東は見せしめのために蒋介石の処刑を望んでいた。だが、ソ連が満州へと侵攻する事態を受けてその対応に追われていた。国民党の処罰を後回しにしてスターリンへの対応を急いだ。下手をすれば強大な軍事力を手に入れたソ連と戦争になる危険性があるからだ。このことによって生じた隙は日本軍にとって大きな好機だった。
日本軍は国民党幹部が拘束されるホテルへと暗闇に乗じて乗り込んだ。警備の共産党軍兵士の練度も士気も低い。これは大戦を通じて同じだった。日本軍は銃剣にて兵士達を次々と刺し殺す。音も無く警備の兵士を皆殺しにし、国民党幹部は救出された。精鋭揃いの日本兵達は彼等を連れながらも共産党軍の包囲の脆弱な部分を潜り抜け脱出に成功させた。沿岸部においては日本艦隊が艦砲射撃によって支援した。三日間掛けて国民党全員が台湾へと脱出を果たした。獰猛なスターリンの相手をしていた毛沢東は怒り狂ったと聞く。
4月8日未明
ウラジオストックにソ連陸軍一個旅団が集結した。彼等はドイツで戦っていた精鋭達だ。彼等はシベリア鉄道に載せられて送られてきたばかりだった。ウラジオストックの港には掻き集められた貨物船や客船が並ぶ。兵員は客船に乗せられ、装備は貨物船に載せられた。兵士達はこれからサハリンの奪還だと思っていた。
ウラジオストックにある太平洋艦隊司令部ではセルゲイ艦隊司令が作戦立案を進めていた。スターリンからの勅命で彼等は北海道を侵略しなければならなかった。すでにオホーツク海全域に潜水艦を派遣した。この北海にいる日本軍の艦隊は僅かな海防艦と練習のために動いている鳳翔という旧式の空母だけだ。恐れる者は何もないはずだった。
彼等が出港準備を進めている間、鳳翔を旗艦とする小規模な艦隊が北海道沖を進んでいた。鳳翔の甲板上には旧式な機体である九六式艦攻が並ぶ。
「昨日より哨戒任務に当たっている海防艦からソ連潜水艦の確認報告が相次いでいます」
参謀が海図の上に確認された潜水艦の駒を置いている。
「海防艦にも被害が出ているな。かなりの潜水艦の数だ」
「ソ連の侵攻は間違いないでしょう。我々の哨戒能力を削るのが目的だと思われます。この艦隊も狙われているでしょう」
参謀の言葉に緒方艦隊司令は険しい表情をする。
「だが今、この海域には我々しかいない。ソ連艦隊をいち早く見つけ、その動きを阻止する」
朝日が昇り、空が明るくなった時、九六式艦攻が飛び立った。ソ連艦隊を探すために毎日、飛ばし続けているのだ。
同様に朝日が出る頃にウラジオストックから輸送船団が出航した。海図を望むセルゲイ艦隊司令は参謀達に指示を出す。
「輸送船団は船足が遅い。航路の安全を確保することが重要だ」
セルゲイ艦隊司令は先に出港していた太平洋艦隊第1艦隊旗艦に乗船していた。巡洋艦二隻、駆逐艦五隻、支援艦二隻の艦隊は北海道へと進路を向けていた。参謀がセルゲイに向かって現状を報告する。
「セルゲイ艦隊司令、潜水艦数隻が定時連絡を絶っていると報告があります」
「日本軍に食われたか。だがこの海域では我らの方が量的に勝っているはずだ」
「その通りであります」
セルゲイは艦橋の窓から外を見ていると、直衛の戦闘機が翼を振って去っていく。陸上から来た彼等の航続距離が限界に達したのだ。ここから先は航空支援を望めない。
「奴等にとってまともな戦力は潜水艦だ。潜水艦を輸送船団に近付けさせるな。そのために駆逐艦艦隊を輸送船団の護衛につけているのだからな」
輸送船団を囲むように駆逐艦が配備されている。
4月8日午後4時04分
夕刻迫る時、巡洋艦の監視員が雲の切れ間に飛行機を発見した。
「十一時の方向に複葉機を発見。翼に日の丸です」
監視員が叫ぶように報告する。
艦長はすぐに総員に対空準備をさせる。
「敵の哨戒機だ。落とせるか?」
セルゲイは艦長に尋ねる。
「距離があり過ぎます」
「陸上からでは距離があり過ぎて戦闘機は出せない。もうすぐ夜だ。進路を変えて国後に向かうように見せよう」
艦隊は進路を変えた。日本軍の飛行機は30分程で姿を消した。そして夕闇となった。セルゲイは全てを確認した上で、暗闇に乗じて進路を北海道に戻した。
鳳翔にある艦隊司令室では敵の目的が北海道だと考えた。
一時的に進路を変えて欺瞞したが、夜の内に北海道に迫るつもりだ。二日で北海道に到達するという推測を本国に打電する。そして敵艦隊の座標はこの海域中に超長波通信で流した。
伊168号潜水艦は超長波通信によって伝えられた座標から割り出した予測地点に急行した。そして暗闇の海面に潜望鏡を上げる。
「敵艦隊を確認。数は多数。艦種不明」
艦長は潜望鏡を下げる。夜間で艦種は不明だが船団を発見した。
「敵は腐る程いる。撃ったら転進。駆逐艦が出てくるまで繰り返すぞ」
酸素魚雷の調定が終わり、魚雷発射管に挿入される。そして注水。発射口の扉が開く。
「1番から6番まで発射」
魚雷が扇状に放たれる。
ソ連輸送船団の最後尾に配置した駆逐艦の甲板監視員は海面を凝視していた。夜が一番危険なのだ。下手に探照灯は使えない。月明かりの中で暗い海面に出る潜望鏡を探すのだ。だが、彼は迫る魚雷を発見することが出来なかった。
突如、激しい衝撃が駆逐艦を襲う。一本の魚雷が艦尾に命中する。駆逐艦を外した魚雷は海面近くを進み輸送船に命中した。客船や輸送船の防御力では魚雷を一発受けただけでも撃沈するには充分だった。同時に3隻の輸送船が沈む。
魚雷が命中した駆逐艦も大きな損害を受けていた。
「機関室から応答がありません!」
副長が叫ぶ。
「すぐに補修材を持って機関室に向かわせろ」
艦は右側に傾き始める。
「左舷に注水!」
艦長は何とか立て直そうとする。艦橋内は敵の発見と艦の修復に追われた。
輸送船団を護衛していた駆逐艦艦隊から連絡が届く。セルゲイは完全に日本軍に位置を察知されたことを恐れた。
「潜水艦か。待ち伏せされたのか?」
「ソナーに掛からなかったということは多分」
駆逐艦が陣形から離れて敵の攻撃位置と思わしき場所に機雷を投下していく。
「セルゲーホフより打電。機関室水没。航行不能」
損害は大きかった。沈まなかっただけでも奇跡だった。
「セルゲーホフを放棄する。乗組員を回収後、撃沈しろ」
「司令、撃沈された輸送船の救難に手間取っています」
「急がせろ。十分以上、留まることは出来ない」
駆逐艦三隻にて十分間の機雷攻撃が行われたが、敵潜水艦を撃沈したかどうかまでは確認出来なかった。
十分後、別の方向から魚雷が放たれる。一本がかなり離れた位置で爆発したが、三本の魚雷が駆逐艦の右側面に命中して一瞬にして駆逐艦を沈めた。その報告を受けたセルゲイは怒鳴るように指示を出す。
「輸送船団を守れ!」
巡洋艦を守るように配置された五隻の駆逐艦も輸送船団の護衛へと回った。
夜の間に彼等は幾度も進路を変えて敵からの発見を避けようとした。
だが、日本軍の潜水艦は執拗に位置を変えて魚雷を放ってくる。輸送船は次々と食われていく。駆逐艦は右往左往しながら敵潜水艦を探して機雷を投下していく。朝になる頃には搭載した機雷が尽きようとしていた。
4月9日午前7時11分
再び日本軍の飛行機がソ連艦隊を視認する事が可能な距離に現れた。
セルゲイの作戦である進路を変えるという小細工は通用しなかった。こうなれば本格的な攻撃が始まる前に上陸するしかない。
「忌々しい飛行機だ。奴のせいで、また、潜水艦が集ってくる」
セルゲイは苛立った。
午前8時45分
確認されたソ連輸送船団の損害は18隻。3割が沈んだことになる。
「同志少将!輸送船団が甚大な被害を受けているぞ!どうにかしろ」
政治将校が怒鳴る。セルゲイは政治将校に怒鳴りそうになるのを堪えた。
「同志大佐、駆逐艦は最大限努力しています。だが日本の潜水艦は我々の想像以上に精強であります」
「努力では駄目だ。結果を示せ!このままでは北海道を占領出来ないぞ」
セルゲイは政治将校が嫌いだった。こいつ等は軍服を着た官僚だ。戦争のことなど何も知らない。党の決定を実行することにしか頭がない。そして偉そうだ。何が哀しくて少将にまでなって、大佐ごときに怒鳴り散らされなければならないんだ。俺はこの若造よりも長く戦争をしてきたんだ。
政治将校の怒号を聞きながら海図を見据える。すでに5隻の駆逐艦も沈められ、このまま北海道まで行くことは絶望的だった。
「転進だ。ここから国後に向ける。奴等は北海道に向ける進路で待ち構えている。そんなところに入る愚を冒す必要などない」
セルゲイは北海道を断念した。だが、ここで大幅転進すれば日本軍の待ち伏せを回避して国後に上陸できる可能性もある。
「何をこの敗北主義者が!」
政治将校はトカレフTT33自動拳銃を抜いた。スライドを引いて初弾を装填してから銃口をセルゲイに向ける。セルゲイは彼に対して怒鳴った。
「貴様、艦内で拳銃を抜くとは何事だ」
セルゲイは政治将校を睨む。その眼光に政治将校は苛立った。
「五月蝿い!貴様みたいな敗北主義者は我がソ連には必要なし」
銃声が鳴り響く。セルゲイの頭に銃弾が叩き込まれ倒れた。そして政治将校は艦橋内に居る将校達を前にした。
「これよりこの艦隊は私が直接、指揮する。全速で北海道を目指せ」
参謀達は政治将校の狂気に恐れた。この狂気の下で動けば、艦隊は全滅する。そう思っていた。だが、誰もが政治将校の持つ拳銃に怯える。こいつは平然と同志を撃てる。そんな奴だ。
艦長は密かに乗組員に警備兵を呼ぶように指示を出す。そして、数分後には警備兵は短機関銃を持って艦隊司令室に入った。政治将校は彼等を睨んだ。
「警備兵が何事か?」
それに対して、艦長が返事をする。
「同志大佐、私が呼んだのであります。あなたは正常な判断が出来ない。よって拘束します」
艦長がそう告げると政治将校は銃口を彼に向けた。
「艦長!貴様までも党を愚弄するか!」
パパパパン!
艦橋に銃声が鳴り響き、短機関銃によって政治将校は射殺された。
「糞野郎は死んだ。セルゲイ艦隊司令の指示に従って、艦隊を国後に向ける」
参謀長が艦隊司令代理として命令を下した。
ソ連艦隊は大きく進路を変えた。北海道上陸を予測していた日本軍は限られた潜水艦の全てをそちらに回したために迎撃が難しくなった。鳳翔はソ連艦隊を逃さないように移動しながら監視を続ける。
「海防艦松、敵魚雷を受けて大破!」
鳳翔艦橋が慌しくなる。空母を守る艦艇がソ連潜水艦の攻撃を受けた。
「まずいぞ。鳳翔を意地でも守れ。哨戒機が出せなくなったらソ連艦隊を追えないぞ」
艦隊司令の叫びも虚しく、別の方角から放たれた魚雷が鳳翔の側面で水柱を立てた。船底に穴が空き、鳳翔は船体を傾けていく。すぐにバランスを保つ為に海水が入れられる。船体は沈み込む。そして鳳翔は速度を著しく落とす。
海防艦によって周辺に機雷が落とされ敵潜水艦の攻撃はこれ以後無かったが、鳳翔が10ノット前後まで速度を落としたことにより哨戒機の発進が難しくなった。
昼過ぎには最後までソ連艦隊を監視していた哨戒機が任務を終えて戻ってきた。鳳翔は本国に対してソ連艦隊は国後に向けて移動中という報告をするしかなかった。
この報告を受けた大本営はソ連艦隊が北方四島占領に作戦を変更したとして、すぐに北方四島防衛の命令が下される。この戦いでソ連がさらに南下を目指している事は間違いが無く、大本営は北方四島を防衛する部隊に死守を命じた。
転進後のソ連艦隊は日本軍の潜水艦攻撃を一度受けたが、軽微な損害を受けただけで北方四島へと迫った。損害を受けつつも、島へと突進していく艦隊。艦橋内では艦隊指揮を執る参謀長が緊張した面持ちで攻撃命令を下した。
「艦砲射撃で上陸地点を制圧しろ」
巡洋艦が初めて役に立つ時が来た。砲声が響き渡る。
海岸線を守るために設置されたトーチカが破壊される。
タコ壷と呼ばれる一人用の塹壕に身を縮めて日本陸軍兵士達が怯える。
ソ連の上陸艇が砂浜へと迫る。日本軍の野砲が撃たれるが数が足りていない為に、簡単に命中するはずが無かった。ソ連の上陸艇が砂浜に乗り上げ、前のランプが降りる。ソ連軍兵士達が飛び出した。そこで日本軍との間に激しい戦闘が始まる。だが、火力で分のあるソ連軍は日本軍を海岸から追いやって行く。戦車が揚陸されてからは更に日本軍は劣勢になる。それでも日本軍は最後の力を持ってソ連軍と対峙する。ソ連軍はここを橋頭堡として陣地を築き、北海道へ侵攻するつもりだった。
北方四島防衛のために配備されたいたのは元関東軍第一師団の猛者達だった。
中国戦線で激戦を繰り広げた彼等は貧弱な兵器を持ってソ連軍に挑んだ。ジリジリと前線を後退させつつもソ連軍の戦力を着実に削った。
ソ連軍は補給もいつになるかわからない状況で日本軍の精鋭と戦い続けた。
結果としてソ連軍が北方四島を制圧するのに1週間を掛けたために大和を旗艦とする日本海軍の第一機動艦隊が沖合に到着してしまった。
これで形勢逆転だと思われたが、スターリンがヨーロッパへの侵攻を見せたためにアメリカの具申により日本政府は北方四島奪還を諦めた。北方四島防衛の部隊の一部を救出して日本艦隊はオホーツク海まで退避した。日本政府はこの侵略を国際法違反だとソ連に抗議をしたが、その返答は無かった。
4月13日午前5時30分
数日間、対峙していたソ連と中国共産党軍には疲労の色が見えていた。
続々と集結する両軍は混乱していた。陣形も取れない有様のまま彼等は対峙をしていた。そんな緊張感が高まっている中、砲声が響いた。
砲弾が中国共産党軍の中で破裂する。これが契機だった。その場に集結した両軍合わせて10万人の兵力が戦闘を開始した。それは熾烈を極めた。だが、無尽蔵とも呼べる兵力を送り続ける中国共産党軍に対して、未だ主力のほとんどをヨーロッパに置いているソ連軍はじりじりと押されていた。
この戦闘は一週間に及んだが、スターリンが満州を諦めることを毛沢東に告げたことで終結した。
ソ連軍は満州から去り、中国共産党軍は満州を支配し、朝鮮半島に進もうとした。だがその時には連合軍の会議で朝鮮半島の民族自決を認める決議が協議されていた。
毛沢東はアメリカに抗議しつつもソ連との共闘が難しいことを感じていたため、朝鮮半島占領を諦めた。だが、民族自決に乗じて親米政権が出来ることを良しとしなかったため、アメリカがソウルを首都に建国を進める大韓民国に対抗して平壌を首都にした朝鮮人民共和国の建国を進めた。米中は互いに牽制する形で両国の建国は進む。
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