2話 異世界の出勤


 健康食堂に出勤した橙也は、桃香と分かれて着替える。


 簡素な麻色の服から、料理人としての白い服へ。


 きゅっとエプロンを巻くと心まで引き締まる。そして気合を入れると、厨房へと出た。


「よし、今日もやるか」


 朝ということもあり、そこまで複雑なものを作らない。

 パンは契約しているお店から届いているので、橙也はまず玄米と白米を研ぐ。


(この世界に来て、まずほっとしたのは米がきちんと手に入るということだな)


 米は主食ではなかったが、サンティメールの港に輸入される食材の中にあったのをたまたま見つけたのだ。

 それからは、値段が安いということもあり、必ず仕入れるようにしている。



「異世界に来た時、二度と食べられなくなるかと思ったけど、お米のある世界でよかったね」

「桃香が頼んだんだろ? まったく、したたかな妹だよ」



 異世界トリップすることになったのは神様のいたずらみたいなものだった。


 事故と言ってもいい。

 そのせいか橙也たちを導いてくれた神様が――おそらく今もこの近くにいるのだろうが――ある程度、希望のどおりの世界を選んでくれたのだ。

 条件のすべては桃香が選んだのであるが。

 その中の一つに米がある、ということだった。


(本当にあった時は驚いたけど。ただ、今思えば俺のために桃香が条件を考えてくれたのかもしれないな)


 女子大生である桃香からしたら、もっと遊び心のある世界を選びたかったはずだ。

 RPG好きであるため、剣と魔法の異世界を最強の能力で無双できるような。


 なんでもかんでも条件を飲めるわけではないとは言え、料理関係に比重を置いてくれたのは桃香なりの兄への配慮なのだと考えている。



「兄さんは体力ないし、メンタル弱いし、彼女いないし、せめてご飯ぐらいはおいしく食べられるところじゃないと嫌でしょ?」



 とウィンクをしながら言われたことを思い出した。


「お米は日本人の命みたいなものだから、毎日食べられて嬉しいよねっ」


 桃香が米の入った袋を運びながら言う。


「この街の人たちにも少しずつ米文化が広がっているみたいだし、俺はそっちの方が嬉しいな」

「わたしは食べるのが嬉しくて、兄さんは食べてもらうのが嬉しいのか……。ふふ、面白いね」


 桃香がからかうように言う。


「変な言い方をするな。……聞いた話によると日本に近い文化の国もあるらしいけど、いつか行ってみたいな」

「兄さんの場合は観光じゃなくて、料理や食材が目的でしょ?」

「わ、悪いか?」

「悪くはないけど、もうちょっと料理以外のことにも興味持ってくれるといいんだけどな。これじゃ料理バカって言われるし、いつまでも経っても彼女できないよ?」

「彼氏のできたことのないお前に言われたくないな」

「う、うるさいっ。わたしには兄さんがいるから――」

「ん? なんて?」

「き、聞こえてないならいいの。それよりも早くお米を研がないとまずいんじゃない?」

「そうだった」


 桃香が持ってきた米袋から取り出し、研ぎ始める。

 あまり激しく洗いすぎると表面がそげて栄養価が下がるが、表面のホコリや汚れが残っている可能性もあるので、それを落とす方を重視している。

 汚れを落とさないと、お米の香りが立たないからだ。


 玄米と白米は、水に浸す時間や炊きあがりの時間が違うので、別々の鍋で炊くのだった。

 そうすることで、一緒に食べた時の違和感を減らすのが目的だ。


 ご飯を炊く間に、小鉢の準備へと移る。

 コンロが沢山あるのは様々な料理を並行して作れて便利だが、その分手際よくやっていかないといけない。


 コンロは魔石をエネルギーに動いている魔道具だ。魔石の道具ということで「魔道具」らしい。

 現代日本ほどとは言わないが、ものすごく不自由というわけではなく、このくらいの道具は普通に揃っている。これも妹が出した条件の一つ。



「今日の小鉢は何にするの?」


 定食につける小鉢について、桃香が興味津々に聞いてくる。


「モロヘイヤのおひたしだよ」

「わぁ、楽しみっ。作るところ見ていてもいい?」

「もちろんだ」


 水を入れた鍋を火にかけたら、まずはモロヘイヤを葉と茎に分けていく。


 葉の部分はそのままのサイズで茹でられるが、茎の方は長い。

 一般的に、茎の柔らかいものが美味しいモロヘイヤと言われている。


 また、種に毒性をもつ植物でもあるため、モロヘイヤの茎には毒を持つものもあるようなので、生産元が見えない異世界の場合はきちんと見極める必要がある。

 橙也は神様から授かった、とある能力で判断することでそれを防いでいる。


「次は……」


 とりあえず茹でやすいように茎をカット。


「兄さんって本当に手際がいいよね。長さも均等に揃っているし、汚れている部分や食べられないところは素早く処理しているし」

「別に難しいことしてないよ。それよりもお前も料理を覚えたらどうだ?」

「わたしは食べる専門なの。で、次はどうするの?」


 手早く包丁を走らせると、茎の方から順番へ鍋と投入。

 四十秒ほど茹でたところで、柔らかな葉の部分も鍋に投入し、更に二十秒茹でた。


「うん、ちょうどよさそうだ」

「きれいな緑色だね」

「ちなみに、モロヘイヤの葉はカットすればするほど粘りが出る食品なんだ」

「へえ、知らなかったぁ。覚えておこうっと」

「さ、茹で上がったし、ザルに上げよう」


 このままでは触れないため、冷水で粗熱をとっていく。

 何より、この作業を行わないと、エグミが残ってしまうのだ。


「今はそんなに出てないけど、この時、洗ってぬめりを完全に落としてしまわないようにするのが大事なんだ」

「どうして?」

「ぬめりにも栄養素があるから、それごと食べた方がいいんだ。胃粘膜を保護する意味があったりね。それに、βカロテンや食物繊維など、身体活動に嬉しい栄養素がたくさんある食品なんだよ。古来エジプトでは王様の病気を治してしまった、なんて逸話があるくらいで、健康食とは縁のある食材なんだ」


 触れるようになったモロヘイヤについている水をしっかりと切り、食べやすいようにざく切りにする。

 この店の常連客にはお年寄りの方もよく来るので、あまり大きすぎないように気をつけなければならないからだ。


 そして出汁、醤油、みりんをあわせた調味液に浸けた。


「調味料もあってよかったね」

「輸入品だけどね。……さて、米の方は」


 ご飯の方の火加減を調節して、もう少し待つ。

 メインは焼き魚やベーコンエッグ、オムレツだ。


 朝からがっつり食べたい人もいれば、朝は軽めに、という人もいるだろう。

 そう思って、選べるようになっている。


 これらは注文が入ってから焼いていくので、事前の準備は必要ない。


 ご飯が炊きあがり、調味液のよく絡んだモロヘイヤを小鉢に移していけば準備完了。


「これでばっちりだね」


 妹の太鼓判ももらったら、健康食堂の開店だ。



(今日も頑張るぞ!)



 橙也は心の中で気合を入れるのだった。

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