県立おーかやま工業高校デザイン科 でざいんっ!

時雨秋冬

序章……『春風は薫風とともに祝福する。』

第1話 序章……春風は薫風とともに祝福する。

 これは桜の木が、可愛らしいピンクの蕾を少しだけ見せている若木の三月中旬のこと。



 とある県の、とある県立高校の屋外広場でのことだ。



 沢山の人々の黒い頭の向こう側に、年季を感じさせる木造りの掲示板がある。そこに貼られているのはAからGまでの七つのアルファベットと三ケタの数字が書かれた何枚もの白い紙だ。

 まだまだ幼い、といった顔立ちの様々な制服や私服を身に纏った群衆は、その紙を見ては喜色満面に笑ったり、さめざめと泣いたりしている。


 少年、吉田幹よしだみきのすぐそばを通り過ぎた学ラン制服の男子が、スマホ携帯を操ってどこかに連絡している。彼は直視するのも眩しい、満面のにこにこ笑顔を浮かべていた。



「――あ、母さん? オレオレ。うん、受かった、受かってたよ!」



 その会話が耳に入るやいなや、携帯電話の受話口に向かって家族らしき相手に何ごとかを嬉しそうに報告する男子に、幹は恨みがましい視線を送った。



 ……おのれ、中学生のくせにマイ携帯電話かよ。しかも最新型のスマホだな!? くそっ、おーい電波の向こうのお母さーん! その電話、『オレオレ詐欺』ですから気を付けてくださーい!

 ……なーんてね。ええねたみですよ、ひがみですよ。そんでもってそねみにすさみまくってますよーだ。ちぇっ、いいなー。スマホどころかガラケーでも文句は言わない。わざわざパソコン立ち上げなくて、手元で気軽にメール出来るのとかすっげー楽しそう……って中学時代は同級生たちが羨ましかった。

 『おれ』が携帯電話なんて高級アイテムの所持を許可されるのは最低でも高校に上がってからだと定められていて、しかも機種は父さんのお古のガラケーだ。


 …………そう。この高校に、合格しさえすれば…………。


 だから、いつまでもここに立ち止まっている訳にもいかない。


 幹が掲示板から十メートル離れたところに立ちつくしているうちに、腕時計の時間は前に見た時よりすでに三十分も経過していた。朝十時きっかりに貼り紙が掲示されてから、そろそろ掲示板前の群衆も少なくなってきた頃合いだ。


 幹は震える手を握りしめ、ぎゅっと拳を作って足を一歩前に踏み出した。そして掲示板へと一直線に進んで行く。

 立ち並ぶ七つの掲示板より五メートル離れた位置で立ち止まって深呼吸し、また歩みを進める。幹が見るべきなのは左から四つ目の、大きくアルファベットの『D』が書かれた紙。そこに自分の今後の人生……運命を決める合否が書いてあることは、掲示板から約三メートルの距離になった時点で幹には分かっていた。

 そして残り二メートル……一メートルと、幹は下に広がるアスファルト舗装の道を向いたまま進んだ。幹が自分の影を見ながら歩いていると、ふとその影に大きな四角い影が重なってきた。すっと手を伸ばすと、トン、と掲示板の堅い木板の感触があった。


 幹の十五年間の人生で、この時ほど緊張する瞬間はなかった。

 何せ受験モードで余計にピリピリしている自宅の食卓の席にて、


「絶対に受かってみせるから、滑り止めの私立高も受けなくていから、この高校を受験させて!」


 とまで家族全員の前で決意と嘆願の言葉を言い放ったのだ。

 そして現実、幹は本当に滑り止めを受けていない。もし落ちていれば高校浪人だ。


 そう……も・し・も・落ちていれば高校浪人扱いで、現在の家庭内どころか、ご近所でも肩身が狭くなることは目に見えているんだぞ、おれ! もしそうなったら他県に住んでいる麗しの伯母様宅に頼んで居候させてもらって、そこの公立高に中途編入するっきゃないか?


 けど、でも――それでもおれは……ここの高校の、『この科』に受かりたいんだ!!


 小さく畳んだ受験票の紙を握った拳の中で、嫌な冷たい汗が滲んでくるのが分かる。それでも意を決した幹は、大きく息を吸い込んで肚の中で留め、顔を上げた。


 四一五番……。四一五番……は「良い子(415)」なおれの番号だからきっとあるはずだ!!


 掲示板に書いてある数字を目で追っていく。四〇一から始まった数字たちは二つ、三つ飛ばすぐらいは当然のごとく、まるで因幡の白兎が鮫の背中を飛び移るかのように「ぴょんぴょん」と、時折休憩しているかのように足休めの合格者の数字で立ち止まる程度で大きな数字の空白地帯を作ってはまた飛び跳ねて行く。

 涙目になりつつも縋るような幹の視線が四一〇番台にまで来た時、そこから下の合格者番号を隠している、すらりとした白く細い指先が整然と並んで伸びている手の平があった。


 そこで幹の思考が「ハッ」と、現実へと引き戻される。その手の平を追って行くと……幹より数センチ低い位置に黒い頭があり、つややかな長い髪の毛を両側におさげにして結んでいる優等生然とした、幹と同じ中学校の女子制服であるセーラー服を身に纏った少女がいたからだ。


舞子まいこ……」


 彼女の名前を幹が呟くと、その少女はぱちりと大きくありつつも勝気そうに眦が少し吊り上がっている瞳をにやりと少し意地悪げに細めて、掲示板から手の平を離した。そして不遜げに胸を張って腕を組む。即座に幹は掲示板に目を遣る。少女の手の平のあった下の紙には――



 ――燦然と輝いて見える  『四一五』  の番号。



「とりあえず――おめでとう、と言っておくわ、幹。一般受験の日からここまでの一週間、推薦合格組のあたしはポンコツなアンタに一般入試の勉強教えてやってた所為で、本来あたしが担うはずのないストレスを抱えたり、不安で眠れなかったりして待ってやってたんだからね」


 口端を上げた少女の不敵な笑みに、幹は涙を流しそうだった顔を瞬時に晴らし、白い歯を見せて返した。



 幹は受かったのだ。


 毎年、推薦入試受験倍率一〇〇倍、一般入試倍率三十倍。

 一学年一クラスのみの定員は最大でも二十名。

 

 しかも公立高校の入試としては異例且つ異端なことに、一般入試でも『五教科の学科試験と面接』以外にある『実技試験での科教員による絶対評価』をクリアした者だけしか合格出来ない――実業高校としては県下でも最高ランクの人気と伝統を誇る『県立桜花山おうかやま工業高校』が擁する科の一つである――『デザイン科』に。



 これから幹の、とある『野望』に満ちた高校生活が幕を開けようとしていた。

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