アンチヒーロー<中編>

「サイコブラック!」

 彩夏には珍しく、興奮気味に声をあげた。

 サイコブラックは、その凄まじい跳躍力で建物を飛び移り、ついに今、ここへと馳せ参じたのだ。

「話は聞かせてもらった!

 彼女の気持ちも無視して、私欲の為に罪なき店を責め苛んだ事。断じて許さん!

 それを恥じる気持ちは、貴様には無いのか!?」

 南郷は答えず、その代り、高らかに指を鳴らした。

 その瞬間、周囲の客やウェイトレス達が立ち上がり、円陣を組むように彩夏達を囲みだした。

 懐に手を入れて何を掴んでいるのかは、考えるまでもなさそうだ。

 ライフル弾を受けてもびくともしないサイコブラックだが、彩夏はそうもいかない。

「倉庫から薬を移したのはあなたですね? おかげで俺は、お父さんに大目玉でしたよ」

「事実無根だ。言いがかりはよしてもらおうか」

 サイコブラックのふてぶてしいまでの態度に、しかし、南郷は上品な笑みを崩さないまま、部隊長とおぼしき偽装客へ視線を移した。

「俺は一瞬だけ席を外します。皆さん、彼女達をここから出さないようにしてください」

 客や店員に偽装した部下達に乞うと、悠々と外へ出ていく。

 とりあえず、この包囲はサイコブラックにとっても想定内だ。

 さて。

 一瞬だけ席を外すという事は、南郷はすぐに戻ってくるつもりのようだ。

 サイコブラックとしても、南郷とはここで決着をつけておきたい。

 末端を排除し続けるだけでは対症療法にしかならない。

 やはり、統率者を引きずり出し、即時解決を目指すのが、最終的な“こはく”への被害が最も少なく済む事だろう。

 南郷愛次とは、話し合う必要がある。

 逃げるつもりは、毛頭なかった。

 しかし、わざわざ席を外すとは、どういう了見か。

 トイレだろうか。

 その時。

 変身ッ!

 という声が、ドア越しに聴こえた。

 直後、ドアが開いて店内に現れたのは。

「お待たせしました。サイコブラック」

 現れたのは、まさに特撮ヒーローだった。

 銀色を主体としている事を除けば、その姿はサイコブラックに似ていた。

 伸縮性の高いオペコット生地のスーツ。全身を硬質によろう外骨格。サイコブラックよりは丸いフォルムのヘルメット。

「貴様、ヒーローだったのか」

 サイコブラックが、どこか責めるように言った。

「いいえ。俺は、アンチヒーロー・サイコシルバー。

 同等のスペックを持つ俺が現れた以上、あなたは簡単には逃がしません」

 どうやら、サイコシルバーの目的は彩夏よりもサイコブラックにあるらしかった。

 確かに、確実に逃げるのであれば、サイコシルバーが現れる前の方が良かったようだ。

 答えがわかってからの結果論に過ぎないが。

 しかし、アンチヒーローとは、また酔狂な名乗りをあげたものだ。

 基本的にヒーロー結社は、実際の現場活動を個々のヒーローの自主性に任せている。

 任務の斡旋はしてくれても、それを受けるか受けないかの選択権はヒーローに一任されている。

 今回のサイコブラックは、自分の意思でそうしたいと思ったから“こはく”の防衛任務を受けたのだ。

 ヒーロースーツのみを得て活動をしない、名ばかりのヒーローがこの世に存在する事は、サイコブラックもある程度想像していた。

 だがまさか、それが南郷の若頭であったとは。

「結社を疑った事はそんなに無いが、貴様のような卑劣漢をヒーローとして選定した事に対してのみ、疑問を抱く」

 同じパワードスーツとは言え、サイコシルバーもまた、ヒーローの力で他人に危害を与える事は許されていない。

 そうなれば、南郷組はヒーロー結社と戦争をする羽目になるだろう。

 つまり、ヒーロースーツが一着増えた所で物理的な脅威は無いのだが……彩夏が周りの組員に狙われない保証も、どこにもない。

 一〇〇パーセント、相手の本心がわかるわけではない。

 コンマ数パーセントの確率でも、彩夏を射殺されるような事があれば、もう取り返しはつかない。

 そのコンマ数パーセントと彩夏の命を秤にかける程、サイコブラックは南郷の人間たちを信用して居ない。

 まして、南郷組の人間が市民に危害を加えたとしても、その罪はサイコシルバーのものでは無い。

 ヒーロー・サイコシルバーではなく、若頭・南郷愛次としての組の活動なのだ。

「あなたは、俺が何かを恥じなければならないと思っているようですが……俺が今回の事で悔やむべき事は、何一つありません」

 サイコシルバーは、平然と言ってのけた。

「彼女は店を畳まなければならない。それが出来ないと言うなら、南郷愛次と結婚するしか無いのですよ」

 ひどい思い込みだ、とサイコブラックは吐き気すら覚えた。

 まっとうな人間であれば「結婚するべきだ」と言っても、そこにある程度の本人の自由意思を加味するものだ。

 だがこのアンチヒーローの言い種は、まるで彩夏が自分と結婚する事を、宿命や摂理と同じ事のようにとらえている。

 もはや、変質者の哲理だ。

「貴様に少しでも道理を期待した、僕の失策だったようだ。帰らせてもらう」

 管理職と話し合いの場を持てれば、あるいは活路を見いだせると思ったからこそ、麻薬の件で南郷を揺さぶったのだが……人語が通じないのでは、無意味だった。

 サイコブラックは、サイコシルバーの挙動を注意深く見ながら、チャンスを探る。

 それがわからないサイコシルバーではあるまい。

 だが、銀色のヒーロー崩れは、まるで動きを見せない。

「何故、そうまでして彼女を護ろうとするのです? サイコブラック」

 穏やかなまでに、サイコシルバーが問うた。

 そんな事――、

「知れた事だ。何の落ち度も無い女性の経営する店が、卑劣な嫌がらせを受けて、誰が黙って見過ごせる?

 僕はヒーローだ。ヒーローとしての力があれば、それを阻止する事が出来る」

「それは、正義の為ですか?」

 そんな事――、

「当たり前だ。誰の心にも、正義はある。

 彼女が痛ましい思いをしているのを目の当たりにして、ヒーローの力を持っていて、見過ごすなど人間には出来ない事だ。

 義憤や偽善では無い。誰でも持っている、根源的な使命感。当たり前の感情だ」

 サイコシルバーが、ヘルメットの顔を小さく頷かせた。

「なるほど、良く出来ている。それが、あなたの考えなのですね?」

 そんな事――、

「当然だ」

 そんな事――、

「あなたは、人間が誰でも持っている当たり前の正義に基づいて行動した。

 力の無い一般人には出来ないが、自分には出来るから、そうした」

 サイコシルバーが、今一度、復唱してくる。

 そんな事――、

「その通りだ」

 そんな事――わからない。

「嘘ですね」

 サイコシルバーが、一言で断じた。

「……!」

「いえ、嘘と言うのは言い過ぎでした。

 あなたは、その“誰にでもある感情”を自らの中に創り出し、皆と同じである事を疑似体験しているに過ぎない」

 サイコシルバーの言葉には、何一つとして根拠がない。

 一言、否定すれば良いだけなのに。

「サイコブラック。あなたに他人の心はわからない。

 理解は出来ても、感じる事は出来ない。

 何故なら、あなたは生まれつき、そういう構造で生まれてきたからです」

「貴様が、僕の何を――」

「わかりますよ。あなたは常軌を逸している分、他の人よりもかえってわかりやすい性格をしている。

 あなたに人の心はわからない。だから、彼女や“こはく”を護ろうとする気持ちも、偽物だ。

 自分がそう思いたいから、自分に役を作って忠実に演じているだけ。

 だって、あなたがあなたとして振る舞っていたら、社会はあなたを受け入れてくれないのだから。

 この世の中は、あなたが羽を伸ばして生きれるような仕様では無い。

 あなたはいわば、定型外の人間なのですよ」

 定型外。

 一語一句同じ言葉を、別の場所で宣告された事がある。

「常人を完全に模倣して擬態しなければ、あなたは社会に異物として殺される所だった。

 だから、自己保全の為に、あなたは常人で居る必要があった。

 そして、それをどこかで納得しきれていない」

「変質者め」

「でもね、あなたのそれはもはや、ただの“トラウマ”なんですよ。

 ヒーローとして自活できるようになった今、あなたが他の人に合わせて生きなければならない理由がどこにもない。

 あなたも、何度か任務は失敗した事があるでしょう?

 その時、結社から何か、ペナルティはありましたか? 無かったはずです」

 そうだ。

 パワードスーツの力を傷害や殺人、盗みなどに使わない限り、ヒーローがデメリットをこうむる事は無い。失敗に対する叱責さえもない。

「あなたは、もう自由だ。

 他人の心がわからない事に、思い悩む必要が無い。

 だってあなたという人間の構造は、自分の利益だけを追求するように出来ているのですから。

 余人がそれを煙たがったとしても、それは僻みと、醜い同調圧力でしかないじゃないですか。

 あなたは“力を持った”と言った。なのに、未だに力が無かったときと同じように、他人に迎合する必要はないでしょう?

 自分を殺してまで、彼女や店を護る必要は、あなたには無い。

 あなたは物事に“理由”を重んじる方だ。だから、なおさらに」

「……」

「それでも、そうなろうとしたサイコブラックの心は本物だと、私個人は思いますが?」

 淡々と、いつも事実だけを告げるのと同じような冷知の声で言ったのは彩夏だった。

「サイコシルバー。貴男は、彼に対して“思い悩む必要はもう無い”と言った。

 けれど、彼が思い悩む事と、私達が思い悩む事の何処に貴賤きせんがありますか?

 所詮、全ての感情の“材料”とは、脳反応の集合体に過ぎません。

 彼のそれだけを否定し、わらうのであれば、私個人の“脳”は貴男を許さないでしょう。

 ……決して」

 これまでにかけられた事の無い言葉。

 きっと、どこまでも暖かい筈のそれに対し、サイコブラックの心は。

 残念ながら、動く気配が無かった。

 ――何だろう。今の文章から、僕はどう心を動かせばいいのだろう?

 ――確か、今までコピーしてきた周りの人間の情報を統括すると……照れたり、涙を滲ませて、彼女に全幅の感謝を抱けば良いのだっけか。

 ――全幅の感謝って、何だろう? 日本語としては理解できるけど、体感的にわからない。

 それに。

 今の物言いは、彩夏が自分を味方にし続ける為の方便かもしれないのだ。

 ここで判断を間違えてはならない。

「状況的に、サイコブラックに見限られて困るのは蓮池さんですからね。

 そのくらいの文章は、日本語が充分に喋れれば発音可能な事だ。

 そこに何の裏打ちも無い事を、あなたならわかるはずだ」

 サイコシルバーは、的確に同胞サイコブラックの最奥を突いてくる。

「それに。

 ねえ、蓮池さんが本心で望んでいる事が何か、知っていますか?

 俺にはわかりますよ」

 今や、サイコブラックに、彼の言葉を疑う気持ちは無かった。

 この男のいう事は、恐らく全てが真実だ。

 自分の、自分ですら自覚しきれていなかった真実をこうも引きずりだされては、もう疑う事など出来ない。

「彼女はね、自分のもとにヒーローが来てくれる事を待っていたんです」

 本心を引きずり出された彩夏は、しかし、眉ひとつ動かさない。

 この男に、この考えを話した覚えは無いのに。

「ヒーローそのものに憧れたのではない。

 自分がヒロインとして、ヒーローに来てもらう状況自体に、恋をしていたんですよ。

 まさしく、今の状況はそれだ」

「……」

 サイコブラックは、何も答えない。

「その人間にとって望ましい状況が出来上がっているという事は、それまでの経緯が偶然であるかどうかも疑わなければなりません。

 南郷組が“こはく”と対立する。

 社会通念上、嫌がらせとされる行為を受ける。

 その事態を察知したヒーロー結社が、ヒーローを派遣する。

 もし、それが蓮池さんの計算通りの事だとすれば?」

 サイコシルバーは淡々と、雑草を摘むかのように、サイコブラックに残された希望を芟除せんじょしてゆく。

仮初かりそめの正義感であっても、そうあろうとした気持ちは本物だ。

 なるほど、確かにそれも一理あるでしょう。

 けれど、そもそもが、護ろうとした女性の意図であったなら。

 それでもあなたは、その正義を貫けますか? 得はおろか、理由すら間違って居たのに」

 ――確かに、そうであれば。

 高周波発生装置や電磁波兵器・ADSの小型化をすんなり推理してのけた事にも合点がいく。

 地球の最先端では、一般人の知る何十年も先の技術が生まれている。

 良く言われている事ではあるし、ヒーローの存在を例にするまでもなく事実である。

 だが、それが一般に漏れると言う事態を前提に、大事な店の防衛を秤にかけられる人間が、どれだけ居ようか?

「蓮池さんは、非常に頭の良い女性だ。

 それはサイコブラック、あなたが一番肌で感じてきたはずです」

 彩夏は、何も弁明しない。

「彼女は、自分一人の非現実的な願望の為に、俺を利用してあなたを呼び出したんですよ。

 その為に、“大事な”店や、従業員や、愛猫、お客……全てを巻き込んだ上でね」

 彩夏は、何も弁明しない。

 出来ない、のだろう。

「あなたのしてきた事は、無意味だったんです。

 あなたにとっては俺が事の首謀者なのでしょうが、それと同じくらい、彼女も、今回の首謀者だったのです」

 サイコブラックが、ここにきてようやく身動きを見せた。

 少しだけ姿勢を正しただけなのに、大きく揺らいだようにすら見えた。

 多分、それまでがあまりに動かなさ過ぎたのだろう。

 つまるところ、サイコブラックを名乗るこの男は、人間ロボットだ。

 一時の感情に左右されない分、構造を理解してプログラミングしなおせば、正しい道に戻してやる事は簡単だと、サイコシルバーは看破していた。

 そうして、

「僕は」

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