第004話 静かなる怪人<前編>

『サイコブラック主題歌 ~五重奏~』

 闇を破る 漆黒のヒーロー さあ非の打ち所無い 平和のために いらないモノ全て 粛清するんだ! 悪しき者の企みある限り(裁きの時だ!)

 正義の実行者 サイコブラック! 彼は走る 正義の果てを追いかけ いらないモノ全て 粛清するんだ!

 弱き者の叫びがある限り(彼は往くんだ!)

 悪しき者の企みある限り(裁きの時だ!)

 正義の実行者 サイコブラック!

 弱き者の叫びがある限り(彼は往くんだ!)

 悪しき者の企みある限り(裁きの時だ!)

 さあ非の打ち所無い 平和のために いらないモノ全て 粛清するんだ!

 正義の実行者 サイコブラック!

 闇を破る 漆黒のヒーロー



 戦後処理の時間だ。

 濱口家の周囲を、サイコブラックと四人のバイカーが走る。

 主題歌五重奏を耳にしたのはこれが初めてだが、想像以上にひどい物だ。

 それぞれバラバラのタイミングで同じ曲を再生しているので、もはや歌詞の脈絡すら失われている。

 聴ける歌詞なら良いという物では無いのだろうが、一人で再生するよりは格段に聴く側の不快指数は高まるだろう。

 濱口弁護士は、危険な男だ。

 ああいう卑劣漢にしては、たまたま我が子への愛情が人並みにあった。今回、それがたまたまアキレス腱となっただけだ。

 先日の勝利は幸運に助けられた面も大きいだろう。万が一にも、再戦はごめんだ。

入念に処刑しておく必要があった。

 根から悪い人間では無かっただけに、本当はわかり合えたのではないかと、後ろ髪引かれる思いはある。

 ――結局、人は争うしかないのだろうか……。

 無念を噛み締めつつ、サイコブラックは違法改造マフラーを盛大に叫喚させる。

 今、彼は風と同化している。

 四人の朋友バイカーと、心を一つに同化している。

 落ち込む事もあるけど、良い高揚感だ。

 しかし、濱口の娘は気の毒だと思う。今年は受験生だろうに。

 真面目に勉学に励んでいる女子中学生が、変質者に部屋を荒らされた挙句、今はこうして騒音に眠りを妨げられている。

 家の周辺を、

「濱口ィ! 出て来いや! 濱口ィ! オラァ!」

 と叫ぶ暴走族が明け方まで循環する環境は、女子中学生には耐え難い恐怖だろうに。

 神は何故、このような試練を彼女に与えるのだろうか!

 彼女が一体何をしたと言うのか!?

 こういう時、サイコブラックは、正義のヒーローは本当は無力なのだと思い知らされる。

 ――僕には、あの娘を救う事は出来ないんだ……。

 ヘルメットの下で人知れず悲哀の涙を流しながら、サイコブラックは違法マフラーを噴かせに噴かせる。ヒャッハァ! と、勝鬨かちどきをあげながら。

 色々な感情が混ざって、サイコブラック自身にも処理しきれない。

 ただ。

 ――願わくば、少女がいずれ心の傷を癒し、前を向いて生きていけますように。

 あの、清らかな笑顔の少女を想って、サイコブラックは一心不乱に祈った。

 ヒャッハァ! と勝鬨をあげながら。


 濱口一家は、一週間後に引っ越し、二度と県内に戻る事は無かった。

 新天地にて、少女に幸があらん事を。サイコブラックの望みは、ただそれだけだ。




《お前らが濱口にした事を洗いざらいしゃべって、このクソみたいな店畳んで、シャバから消えろ。

 そっちがその気なら、上等だ。蓮池よ。お前も含めた店の奴ら全員、俺の仲間が車に拉致って――》

 バン! ドアを殴りつけるような音。

《そこまでだ、罪なき女性を脅かす、恥知らずの悪党どもめッ!》


 彩夏さいかは小さく息を吐きつつ、ノートパソコンの音声再生を停止した。

「これだけでは、脅迫の証拠にはならないですね」

 憂鬱そうに告げた視線の先には、香り高いブラックコーヒーを味わう白井真吾しらいしんごが居た。

「ヒーローも、困ったタイミングで突入してきたものだ。もう少し言わせておけば、三河だけでも脅迫罪で潰せたかもしれないのに」

 白井は、苦い物を口にしたような面持ちで言った。

「いえ。もし、三河様の脅し文句がこれ以上続いて、直子さんが折れてしまったら、最悪の事態も考えられました。

 三河様一人をどうこうした所で、それ程、影響は無かったでしょうし。

 何であれ、私も直子さんも、“こはく”一同は、サイコブラックに対して感謝の気持ちしかありません」

「……小耳に挟んだのだけど、濱口弁護士は色々と“不幸”に見舞われて、あの家を捨てたらしい。

 南郷組の庇護は全く無かったし、外様は所詮、外様かな。立派な邸宅だったのに。もったいないな」

 白井はまるで、見てきたかのように言う。

 一方で三河は、あの戦いの敗走の後、自宅に帰っていない。どうやら、南郷組系列の事務所を転々とし、寝泊りしているらしい。

 望田や濱口が追放された経緯を知った上での判断だろう。

 流石にヒーロー結社の後ろ盾があっても、サイコブラックが南郷組の縄張りを蹂躙するような軽挙は出来なかった。

 彩夏は、自分の髪の一房を指で摘み、離す。一条の黒が、音も無く流れ落ちる。

「三河様が、また“こはく”に何か行動を起こしてくる可能性はありますか?」

 白井は一考の態度を見せてから、

「……三河本人は、このままってわけにもいかないだろう。示しとか、そういうので」

「私どもとしては、次に来るのが三河様であろうが無かろうが、同じ事なのですが」

 彩夏の極めて平坦な声色に、白井は、わざとらしく肩をすくめた。

「凄い度胸だ。慣れって怖いね」

「申し訳ございません。長話が過ぎましたね。お腹が空きましたよね?」

 彩夏が、おもむろに話を打ち切って立ち上がる。

 モダンリビングにあつらえた、モノトーンカラーのソファから腰を上げて。

 そう、今二人が話していたのは、彩夏の自宅だったのだ。

「何か、すみませんね、押しかけたみたいになって」

 白井が、心から申し訳なさそうに、頭をぺこぺこ下げる。


 実際、客として“こはく”に現れた白井は、彩夏店主に、

「よかったら今夜、お食事でもどうですか?」

 と持ちかけたのだ。

 それがまさか、

「では、私の家でどうですか?」

 と返されるとは思わなかった。

 自分達はまだ三回・・しか会ったことが無いのだ。

 一応、白井じぶんは男で彩夏は女、という差異があるのだが……この底知れぬ経営者は、染色体XXとXYにまつわる原始的な摂理をどこまで理解しているのだろうか。


 何やら、油の弾ける音やら、オリーブとニンニクの香りやらがキッチンから流れ込んでくる。

 トマトの熱せられた香り、何かの沸騰する音、凄まじいテンポの包丁さばき。重ねて聞こえるジューサーの音、オーブンの音。 

 果たして、次々と食卓に並びたてられたのは、イタリアンのフルコースだった。

 それも外見ばかりを気取ったものではなく、家庭的なそれに独自のアレンジを加えたものだった。

 タコのカルパッチョ・バジルソース和え……トマト、タマネギ、水菜を惜しみなく投入し、タコの存在感を殺すことなく同居させた前菜。

 トマトとサーモンのブルスケッタ……バゲットいっぱいに具材を乗せた、豪快な一品。隠し味のライム果汁がアクセント。

 いんげんと季節野菜のサラダ……生だったり温野菜だったりするものをあれこれ盛り合わせ、カリカリに焼いたベーコンを添えたもの。

 ジェノベーゼパスタ……松の実、パルメジャーノチーズ、エキストラバージンオイルの三重奏が薫る。

 仔牛のコートレット(カツレツ)……仔牛肉まで使わせるとは、逆に申し訳なくなる。

 エビとアサリと三種きのこのアヒージョ……ガーリックオイル煮。これもバゲッドに合いそうだ。

 桃とキャラメルのパンナコッタ……名前の通りのドルチェスイーツ。至れり尽くせりである。

 そして供される酒は、マルサネ・レゼシェゾの赤ワイン。多分、それほど安くは無い。

 かくして、お店に“二回”訪れただけに過ぎないはずの白井真吾は、その店主から過分なもてなしを受けていた。

 正直、彼が予約しようとしていたお店が霞むような味覚と酒を堪能できた。

 ……ワインの酒気に意識を持って行かれないよう、気は張っておく。

「一昨日、防犯カメラの工事が終わりました」

 結局、サイコブラックの“要求”通り、店舗全体で一〇台のカメラを増設した。リースでは無く、購入と言う形で。

 サイコブラックは、約束通り、一〇〇万円以上の費用を全額負担してくれた。

 そして彩夏は、監視サービスを契約せず、“こはく”の従業員とサイコブラックに、モニタを任せる事にした。

 民間警備会社にも、南郷組の手が伸びてないとも限らない。ならば、より信頼できる人にモニタを任せるのが良いだろうと判断したのだ。

「まだ三日目ですが、目に見えた嫌がらせはほぼ完全に無くなりました。

 元々、三河様と濱口様が最後にいらして以降、店に目立った被害は無くなっていたのですが」

 このまま引き下がってくれれば良いのだが、今は小康状態になっただけだろう。

 これまで無抵抗だった“こはく”が、サイコブラックの協力を得て、急に能動的な反撃を行ってきた。南郷の連中としては、現場の状況が一変した為に、対策を練る時間が必要なのだろう。

 とはいえ、少しでも効果があったのであれば、サイコブラックとしてもカメラの増設に高い金を投資した甲斐があろうというものだ。

「この三日間、南郷の人間と思しき客はゼロ?」

 一応、白井は念入りに訊いて見た。

「皆無、とは流石に行きませんね。お金を払って頂いている以上は、お客様ですから。

 今の所は何もせずに帰って行かれるので、私どもとしても、何も言えませんし」

「……偵察と、出来る限りの嫌がらせって所かな」

「ええ。恐らくは」

 ある意味、南郷とわかっている人間が出入りする状況も、嫌がらせには違いない。

 過去にされた事を覚えている店員やネコ達にとっては、顔を見るだけでもストレスになろう。

 新規の客に影響が無いのが、まだ救いと言った所か。

「ただ、これに関しては、南郷さん達もかなりの忍耐を強いられると思います。

 望田様がひすいにした事や、三河様が直子さんにした事のように、目に見えた成果は挙げられないのですから……私達が迂闊に反応しなければ、その内に先方が痺れを切らすかと」

 希望的観測だが、それしかないのも事実だ。

 専守防衛を旨とするサイコブラックも、相手が何かをしてこなければ動きようがない。

むしろ、南郷さんの方々よりもネコ達が落ち着かない様子である事の方が重要な程です。恐らく、カメラを増やしたせいかも知れませんが……」

 言ってから彩夏は、一瞬口を止めて、

「いえ、今のは失言でした。サイコブラックの無償の善意を、非難する意図はありません」

 白井は、気にも留めない風に頭を振った。

「大抵の事にはデメリットも付きまとう。サイコブラックも、お店の変化はどんな小さな事でも知りたいだろうから、意見に忌憚は無いほうが良いんでないかな。

 むしろ、彩夏さんがようやく真っ当に店だけの事を心配出来るようになったのは、良い事なのかも知れない」

「ええ」

 彩夏はワイングラスを持ち上げると、口を付ける風でも無く、紅い闇色の液体を見つめる。

「……サイコブラックは、何故、私達を――“こはく”を助けて下さるのでしょう」

「ヒーロー結社から派遣されて来たんだろう? 仕事だろう」

 白井もまた、ワイングラスをくゆらせながら答える。

「大手暴力団の南郷組に嫌がらせを受ける、真面目なお店。ついにはネコを殺されかけ、当たり屋まで仕向けられたんだ。

 これで出動しなければ、僕はヒーローの存在意義を疑ってしまうよ」

 彩夏は、ほとんど舐めるだけのようにしてワインを口にすると、グラスをすぐに置いた。

「むしろ彩夏さん。あなたは、どうしてサイコブラックを信じられたんだ? ファーストコンタクトなんて、完璧に強盗犯そのものじゃないか」

 白井は、しれっと返す。

「あなたは、最初にサイコブラックを糾弾しようと思えば出来たんだ」

「それをすれば、望田様は今でも当店のネコを狙い、直子さんは事故の加害者として社会的に殺されていたでしょう」

「それは結果論だ。たまたま信じたサイコブラックが、たまたま、あなたの為になる行動を取った」

 目元が僅かに上気した彩夏は、柔らかく微笑を浮かべた。

「昔からの夢、だったからでしょうか。正義のヒーローが、いつか私の所に来てくれる事が。だから、サイコブラックの言う事が仮に嘘だったとしても、悔いが無かったんです」

 ……。

 ……、……、…………、…………。

 いくら待っても、それ以上の言葉が彩夏から出る事は無い。

 つまり、理由はそれだけ……という事か。

 白井は、用心深く思案する。

 実際、彩夏店主の機転と度胸のお陰で、これまでの仕事はスムーズに運んでいた。

 正義のヒーローと言うのも、現実にはなかなか認知度の低い業界だ。

 と、言うよりは“実在する筈がない超人”という、マイナス面での認知度の高さが災いし、信用されないのだ。

 自然、護衛対象へのファーストコンタクトは飛び込み営業も同然となる。

 だからサイコブラックは、始めに彩夏にしたような、襲撃じみた接触を好んで行う。

 信頼を得るために右往左往しているうちに手遅れになれば、本末転倒だと考えるからだ。手法上、どうしても脅迫と紙一重にならざるを得ない。

 だが、その要求が本人に全く損の無い内容であれば、訝しみはしても、被害者意識までは持たれないだろう。

 金品を脅し取ったのでもなければ、最悪、結社が無かったことに出来る範囲の罪状ではある。

 正直な所、カメラの増設そのものは、サイコブラックにとっては重要では無かった。当然、全額出資してやる、と言う言葉を鵜呑みにする者は居ないだろうから。

 店舗を攻撃されている状況から、カメラが多いほど仕事がしやすいと思ったまでであり、

 あの時の要求が「毎日うがいを欠かすな!」や「五円玉を財布に常備しろ!」でも別に良かったわけである。

 そうした意味では、彩夏店主の見せた素直で順応性の高いリアクションは、サイコブラックにすれば意外な程でもあった。

 理由をはっきりさせておきたかった。

 護衛対象の本心を知らないままでは、円滑な任務の遂行に支障をきたすかもしれない。

 だがまさか、ヒーローの到来に憧れていたから、と言う理由とは。

 もしそうだとするなら、確かに辻褄は合う。

 だが、辻褄が合うだけだ。どれだけ待ち焦がれていれば、咄嗟にそんな反応が出来るのか。

 彼女は、もう良い歳の大人なのだから、現実に即した物の考え方をしなければならないと、白井は思う。

 少し、肝を冷やしてもらわねば。護衛対象に自滅されるのだけは、ごめんだ。

 白井は、意を決したように、ワインを一息で飲み干した。

「あなた、少し他人を信じすぎなのでは?」

 そうして、真っ直ぐに据わった目付きを作り、わずかに身を乗り出す。

 彩夏と、顔を突き合わせる形になる。

 彼女は一瞬戸惑ったようだが、いつものあの冷静さで白井の次のアクションを待っているようだ。

「今更だけど、どこの馬の骨かもわからない男を家に招き入れてサシで飲むって、自分でかなり冒険してると思わない?」

 彩夏は、目をパチパチと開閉して、

「そうですか? お店のスタッフとも、よく二人きりになりますよ」

「店の従業員は、みんな女性じゃないか。僕、一応、大の男なんだけど」

「そうですね。どう見ても、白井さんは男性です」

 女を呼ぶのも男を呼ぶのも一緒くたに考えているのか?

 そうだとすれば、あまりに不用心だが……。

「僕、酒飲んだから、バイクで帰れないよね」

「では、今夜は泊まって行かれたらいかがでしょうか? 私は、家主として最初からその心算つもりでしたが」

 白井は、おもむろに彩夏の肩を掴んだ。

「えっとね。一緒に寝る? って僕が言ったらどうする気? 言われた通りにするのか?」

 彩夏の表情に、変化は無い。

「だったら、今ここで、襲ってもいいって事かな」

 メガネの奥から、彩夏の黒く透き通った瞳が白井の目を覗き込んでいる。

「私も、襲われて良い気分にはなれません。だから、誰彼構わず、この家に男性を招いて居る訳ではありません」

「僕なら良いって? だとしたら光栄だけど」

「だって白井さん、それは絶対に実行しないと思いますから」

 白井は、表向き、能面のような無表情になった。

 いや、無表情過ぎて、逆に――。

「白井さん、性に対してはあまり幸福と結び付けて居ないでしょう?

 普通の男性であれば、性行為そのものに強い執着――つまり、幸福を見出そうとする方が多いのですが……貴方からはそれが感じられません」

 折れそうに細い彩夏の手首を奪い取るように掴み、ますます身を乗り出す。

 彩夏は、表情筋一つ変えず、夜の水を思わせる眼差しを茫洋と向けてくるのみ。

 掌と手首、触れ合った面がそのまま融合してしまいそうな錯覚。

 彩夏の乱れひとつ無い脈動が、白井の指に流れ込んでくる。

 互いの血流が、つながったかのようだ。

 こけおどしは無駄か。

 と、白井は降参した。彩夏から手を離すと、ソファに腰を落ち着けた。

「凄いな。正解だ。どうしてわかるんだ」

「私を食事に誘って下さった時点で。

 こう言うと自意識過剰と思われそうですが、私程度の女でも雌としての機能は有しているので、これまでプライベートのお誘いを下さった方々にはそれを期待する際の幸福な気配が浮かんでいたのです。

 けれど、白井さんのお顔には、それが欠片も無かった」

 さらりと、さも事実を告げるように言って居るが……もしそれが本当なら、とんでもないセンスだ。

 男の顔に出る劣情を正確に検知し、分析するコツでも知っているのだろうか。

「だから、僕を家に招いても絶対に大丈夫だと?」

「はい。白井さんから少しでもその気が感じられれば、私も今回の食事は外食で済ませて居たでしょう」

「言っておくけど、僕にも多分、人並みの性欲はあるよ」

「でしょうね」

「なおかつ、ゲイでも無い」

「はい」

「学生の頃には付き合ってた娘も何人か居たし、経験もそれなりにある」

「白井さん、モテそうですしね」

「誤解しないで欲しいが、彩夏さんに性的魅力を感じないわけでもない」

「有り難う御座います。褒め言葉として解釈します」

「たださ、良くわからないだけなんだ。

 さっき彩夏さんが言っていた“普通の男性であれば、性行為そのものに強い執着を持つ”ってやつ。

 別に、相手が居なくても死にやしないじゃない。

 なのに、男ってやつは凄まじい行動力を発揮して、それを成し遂げるとトロフィーでも獲得したかのように、自分の成果を誇示するんだ。

 下手をすれば、既に相手が居るのに二人三人と関係を持って、そのどれもをぶち壊しにしたりする。社会的に良い位置に居る人が積み上げてきたものをダメにする事だってある。

 ひどく合理性を欠いている。僕からすれば、優先順位がおかしいんだよ。

 性行為を第一の目的として女を引っかけるのって、名店のスイーツを食べるのが待ちきれないからって先に並んでる人間を刺し殺すのと何が違う?

 彼らの行動に、そんな高尚な付加価値があるのか? 僕にはさっぱりわからない」

 白井は、素直に三大欲求を享受できる普通の人々が、漠然と羨ましかったのかもしれない。

 感性がズレてる事での孤独感もあったかもしれない。

 少なくとも、目の前の女は、否定はしてこない。吐露する価値は、充分にあると判断した。

「白井さんは、本能的に理性的を重んじる方なのでは無いでしょうか。

 アクセルが利かない、と言うよりは、ブレーキの感度が強すぎるというイメージを、私は抱きましたが」

「ブレーキか。それは良い」

 どこか皮肉げに、白井は頬を吊り上げた。

「確かに、それで彩夏さんとの関係をぶち壊しにして、この手料理を二度と作って貰えなくなるリスクの方を、僕は恐れたんだ」

 まあそれ以前に、サイコブラックがきっかけで知り合った女性に危害を加えたとなれば、白井は結社に連れ去られるのだろうが。

 その辺りの無粋な些事は、言わないでおく。

「お上手ですね」

 彩夏は、あの聖母のような微笑みを浮かべた。

「そうした言葉こそ、本来は性交渉に至る為の布石として使用されそうなものなのですが、白井さんは違うみたいなのですよね……。本当に、不思議な方です」

 これは相当な難物だと、白井は痛感した。

 結局のところ、護衛対象の腹を探るつもりが、逆に思い知らされた感じだ。

 元よりこの二人に、まともな男女にあるべき“甘い雰囲気の逢瀬”など実現できるはずも無く。

「白井さんがお望みであれば、添い寝くらいは出来ますよ?」

「あなたと僕が至近距離で入眠する事に関し、何ら実利的な意義を感じられないので、謹んで遠慮しておきます」

 本当に、底意地の悪い護衛対象だと思った。

 こんな類稀なるユーモアを持つ女性を無粋に痛めつけようとするヤクザ者どもは、有益なものを損ねスポイルさせる害悪だ。

 人類の最大公約数的利益の為に、彼等は一匹残らず死んだほうが良いとも思った。

 この“会食”により、正義の味方はより一層の決意を固める事が出来た。

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