無血のヒーロー サイコブラック

聖竜の介

第001話 猫カフェの店主

 彩夏さいかと言う少女は、自分のもとに“正義のヒーロー”が来てくれる事を願っていた。

 少女から大人になり、自分の店を持った今でも――。

 ヒーローの来訪を待ち続けている。


 白井真吾しらいしんごは、子供の頃から曲がったことが嫌いだった。

 彼にとって、事を起こした理由は、それで充分だった。




『サイコブラック主題歌』

 闇を破る 漆黒のヒーロー 彼は走る 正義の果てを追いかけ

 弱き者の叫びがある限り(彼は往くんだ!)

 悪しき者の企みある限り(裁きの時だ!)

 さあ非の打ち所無い 平和のために いらないモノ全て 粛清するんだ!

 正義の実行者 サイコブラック!




 薄ら水色とオレンジと乳白色が入り交じる、朝焼けの時刻。

 小高い丘にある閑静な住宅地。そんな立地に立つネコカフェ・“こはく”。

 静寂は、唐突に破られた。全身、黒を基調としたフルフェイスメットの男が突入したのだ。

 フロントを掃除していた女性三人のうち、メガネをかけた長い黒髪の若い女を見定めると、男は速やかに組み付いた。

 悲鳴をあげさせる間も無い、鮮やかなまでの拘束だった。

 男は、店主である女の腕を掴んだかと思うと、そのまま背後に回り込んで関節を戒めた。

「全員動くな。その場で大人しくしろ」

 ガラスに仕切られた向こう側で、異常を察した何匹かのネコが騒ぎ出した。

 窓の向こう、棹立ちとなってこちらを覗き込んでくるネコも居る。

 パステルイエローのエプロンを付けた従業員二人は、声すらも失って言うままに立ち尽くすしかない。

 彼女達は、ここでようやく、男の容姿をはっきりと見る事が出来た。

 一言で言えば……そう、男の姿は特撮ヒーローだった。

 店主は一瞬、彼の姿に某ライダー系ヒーローを連想したが……平成ライダーはよく知らない。こんなデザインのものは居ただろうか?

 オペコットという合成繊維で作られた衣装は、硬質な光沢を帯びながらにして優れた伸縮性を備えている。外骨格のようにメタリックな装飾がオペコットスーツの回りを飾っているが、男の動作に動きづらさは全く感じられなかった。

 ヘルメットも、バイクのそれのように扁平なものではない。カブト虫やクワガタ虫のように、鎧兜のような鋭角・起伏を持ちながら、生物の顔としての有機的な気配も併せ持つ。

 ヘルメットとスーツに継ぎ目は見られず、まるで最初からそういう肉体であったかのようだ。

 パーティグッズではあり得ない、オーダーメイドのヒーローコスプレ。そんな格好をした男が今やっている事は、か細い女を必要以上の筋力で羽交い締めにする事だった。

 拘束された店主・蓮池彩夏はすいけさいかは、思いのほか平静な面持ちで、されるがままになっている。 

 店員の一人である、松任那美まっとうなみの表情には、彩夏とは対照的に火がついていた。顔を赤らめ、涙で目元を濡らし、何度もしゃくり上げる。

「なん、何なのあんた……」

「今から、僕の言う通りにしてもらう。いや、君達は僕の言う通りにするしか無い」

 およそ感情の抜け落ちたような抑揚で、特撮ヒーローは言った。

 彩夏店主の桜色をした唇が、ここに至りようやく小振りな動きを見せた。

南郷なんごうさんの、関係者ですか」

 彼女には、この店を襲われる心当たりがあった。

 この店は今、“ある筋”の人間に目を付けられ、立ち退きを要求されている。これまで、幾度となく犯罪まがいの嫌がらせを受け続けてきた。

 それが今日、とうとう暴力に訴えてきたのだろうか。

 そこまで推察出来ていたから、彩夏店主は、それほど取り乱さなかった。

 だが、

「僕は正義の実行者・サイコブラック。ヒーロー結社“ノワール・カダヴル”より派遣され、この店の平和を取り戻すべく参上した」

 男の言葉は、常軌を完膚なきまでに逸脱していた。

 具体的な組織名を挙げて信憑性を持たせているつもりなのだろうが、彼女達にしてみれば、半信半疑になる気すら起きない戯言だ。

 ――正義のヒーローが、こんな真似をする筈が無い。

 ――大方、私達に顔を見られない為の変装と言う事かな。

 彩夏店主は、男を地上げの一派とみなした前提の推測をつけていた。

 ――ただ、こんな格好だと逃げる時にかえって目立ちそうだけれど……。

 帰りはオペコットスーツを脱ぐつもりだとしたら、彼女達に脱いだ後の姿を見られるわけにはいかないだろう。

 目隠しでもされるのか……いや、自分達の目を覆ったとしても、監視カメラに男の素顔が残る可能性もある。

 カメラの存在に気付かれれば、最悪、ここで殺されるのかもしれない。

 彩夏はそうも考えた。

「要求は、何でしょうか?」

 店主の声は涼風のように透き通り、よく通った。磨き抜かれた宝石のようになめらかで、ささくれた所は全くない。

「このような行為に出たと言う事は、何か私達に求める事がある、と思いますが。聞ける範囲の事であれば、協力します」

 今の彼女に出来るのは、話を長引かせる事だけだ。引き延ばした時間で、活路を見いだせるかどうか。

「……僕が望む事はただ一つ」

 サイコブラックの視線は、天井を這っているようだ。

「この店の監視カメラを“増設”してほしい。欲を言えば、あと十台は欲しいな。

 費用は僕が全て出すから、心配はいらない」

 それだけを告げた。

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