第17話 午後の労働
食後は、ほぼ全員、道路にそのまま横になり寝ていた。僕もそれに倣って疲れた体を道路に横たえた。疲れ切った体に何とも言えない心地良さと、安ど感が流れ込む。まさに至福の時間だった。
―――しかし、幸せは長くは続かない。そんな穏やかな時間は当然のごとくあっという間に終わった。ちょっと、うとうととした頃には、時間が来て、もうみんな立ち上がり始めていた。僕も重い体と心に鞭打って立ち上がった。
午後からも早速、僕はあの崖を上らされた。しかし、午前の仕事ですでに完全に疲れ切っていた僕は、午後の仕事を始めて一時間程でもう、肉体的、体力的限界に来ていた。
「しょうがねぇな」
あまりの疲労した表情の僕に、現場監督は呆れ顔で言った。
「もういい。お前はそこに立って、コンクリート車が来たら、誘導しろ」
そう偉そうに言われ、いきなり打って変わって立っているだけの楽な仕事に変わった。コンクリート車などめったに来ることはなく、ほぼ立っているだけの仕事だった。
急に暇になり、やることもないので何の気なしに、僕は周囲の他の労働者たちの仕事振りを見回した。僕と一緒に連れて来られたおっちゃんたちは、朝の無気力さはどこ吹く風で、別人のように汗を掻き掻き精力的に働いている。僕と同じように崖に上ったり、崖を削ったり、ワイヤーを吊るしたり、過酷な肉体労働を一生懸命でこなしている。頑張っているおっちゃんたちに比べ、立っているだけの自分が情けなくなるほどだった。
しかし、一方それとは引き換えに元請けの職人たちは、道路端で煙草を吸ったり談笑ばかりしているのが目についた。実際、元請けの職人たちは一切自分で働こうとはせずに、偉そうに指図だけして、実際に働くのは僕たち日雇い人夫ばかりだった。しかも、危険な高所作業やしんどい力仕事ばかり。
「てめぇ~、ぼさっとしてんじゃねぇぞ」
その時、突然、僕の背後でコーンが跳ね飛んだ。見ると、いつの間にかコンクリート車が、僕の背後で待っていた。
「す、すみません」
「ぼけっとしてんじゃねぇぞ」
僕は慌てて謝ったが、しかし、コーンを蹴り上げた金髪の若者は、なおも突っかかってくる。
「テメェ、ぼさっとしてんじゃねぇぞ。なめてんのか」
若者はなおもものすごい剣幕で僕に迫ってくる。その隣りでは、更に若いまだ少年みたいな男が、ニヤニヤとバカにしたように僕を見ていた。二人とも、まだ十代半ばか二十歳そこそこといった感じのあどけなさの残る若者だった。多分、元請けの職人たちの仲間なのだろう。
僕は突然のことに、頭が混乱して、何も言えなかった。しかし、確かに自分が悪いのだが、なんで、こんな若い奴に偉そうにそこまで怒鳴られなきゃいけないのかとも頭の片隅で感じていた。
若者は更に僕をものすごい形相で睨みつけて来る。その隣りでは、やはりニヤニヤといやらしい薄笑いを浮かべ、僕を面白そうに少年のような若者が見つめている。それが無性に、屈辱的で腹が立った。普段喧嘩なんかしたこともない気の小さな僕も、ふつふつと怒りを感じ、さすがに黙っていられなかった。
僕の表情が瞬間険しくなり、相手の若者の目の奥に、少し緊張が走るのが分かった。しかし、全く引く様子はない。僕の中にも緊張が走った。
周囲の人間も、作業の手を止め、僕たちを見ているのが分かった。そんな中、若者とのにらみ合いは続いた。緊張感が高まり、もう引くに引けなかった。
その時だった。
「まあまあ」
そこで、誰かが僕たちの間に入って来た。
「もうええやろ。なっ」
やっさんだった。やっさんは怖い顔をする若者を覗き込むように、にこやかに笑った。
「・・・」
若者はまだ僕を鋭く睨みつけていたが、やっさんのなんとも言えない人懐っこい笑顔に困惑し、しぶしぶ引いた。
「助かりました。すみません」
金髪の若者が去って行くと、僕は、ほっとしながらやっさんにお礼を言った。
「僕が悪いんですけど、なんかむかついて」
「まあ、ここじゃ、いつものことや」
「はあ」
「やたらと血の気の多い奴おんねん。ここは。まあ、気にせんことや」
そう言ってやっさんは笑った。そして、また自分の仕事へと戻って行った。
僕は再び、立ち番の仕事に戻った。今度は十分コンクリート車に気をつけながら。
しかし、やっさんが間に入ってくれて救われたが、あんな年下の奴に怒鳴られたのは、すごく腹が立った。それに隣りでニヤニヤしていたあのガキのむかつく顔が僕の頭にこびりついて離れない。しばらく経っても、僕の中で怒りの興奮がまだ冷めずに続いていた。
いろんな意味で過酷な仕事なのだと、僕は改めて思った。仕事が辛いだけでなく、ああいう柄の悪い人間たちもいる。世の中の厳しさを強烈に突き付けられたような気がした。
「ふーっ」
後半は立っているだけだったが、長い長い一日の厳しい肉体労働が終わった。
ふと見ると、何やらおっさんたちの列ができていた。そこには仕事中の険しい雰囲気とは違った、何か別の雰囲気が漂っている。
「なんだ?」
何事かと覗くと、何やら茶封筒を、朝、僕らを運んできたあの強面のトラックの運転手の男が一人一人日雇いのおっさんたちに渡している。
「ほれっ、兄ちゃんのや」
「あっ」
ぞんざいに渡されたのは茶封筒だった。それは紛れもなく現金の入った袋。
「そういえば取っ払いと言っていたっけ」
僕は興奮を抑えきれず、慌ててすぐに中を開けた。
「ああ」
そこには夢にまで見た、現生が入っていた。
「やったぁ~」
僕は叫び出したい気分だった。
「ん?三八〇〇円・・」
しかし、喜び勇んで渡された現金を数えてみると、それしかない。何度数えてもそれしかない。何かの間違いかと、封筒を何度ものぞくがそれ以上のものはやはり入っていない。
「・・・」
何かの間違いかと、封筒を渡したあの怖いおっさんの顔を見つめる。しかし、何か文句を言える相手ではない。
「・・・」
あれだけ、働き、命までかけ、しかも朝六時からこんな山奥に連れてこられ、しかもこれからここからまた帰らなければならないのに、三八〇〇円・・。時給換算で一体いくらなんだ・・。僕は呆然とした。
「昼飯代なんか、もろもろ引かれとるわ。しっかりと」
いつの間にか僕の隣りに立っていたやっさんが、僕の思いを見透かすように笑いながら言った。
「足元みとるわ」
やっさんはそう言って、笑いながら僕の肩を叩いた。
「・・・」
やっさんたちは、この条件でこれまで働いてきたのだ。そんなやっさんにそう笑顔で言われては僕はもう何も言えなかった。
しかし、手に持つ現金の威力は凄まじかった。僕は帰りの車中、それでもまさに天にも昇る夢見心地だった。
「現金、現金。金、金、金」
僕は遂にやったのだ。遂に夢にまで見たお金を手に入れたのだ。いろいろ辛いことむかつくこといっぱいあったが、遂に手に入れたのだ。急に未来が開けたようなそんな気がした。帰りのトラックの荷台での過酷な旅もまったく気にならなかった。
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