光の幻想と闇の現象

夕暮 景司

1章

 人生なんてこんなもんか、いや、こんなもんでいいんだ。

 30を過ぎてから自分にそう言い聞かせる時が増えたと思う。平凡に生き、平凡に飯を食い、平凡に死んでいく。時折、今自分の置かれている環境が、他の人にとっては平凡に届いていないように見えるそうだがそれは間違いだ。それはそいつらが思い描くいたって平凡な「理想」であって、実際人々が生きているような平凡な「現実」ではない。

 一般的に言われる平凡な「理想」。手に職をつけ、1つの会社に奉仕し、30代頭にでも結婚し、ある程度の収入の中やりくりして子供2人を育て、家のローンを退職まで払って、老後を退職金と年金で賄い、孫の成長を楽しみながら過ごす。少し古い時代の平凡なのかもしれないが、今の時代こんな平凡を完璧に達成しているやつなんてどれくらいいるのだろうか。だから俺は世間がのうのうと喋るこの平凡を平凡な「理想」と呼んでいる。

 現実ってのはもうちょっとシビアだ。手に職をつけるにも就職難という言葉が大学生に突き付けられ、仕事をしても過労から転職や退職がちらつく。30代になろうが良い結婚相手なんて探す暇も手段もない。妥協して駆け込んで結婚しても急いでした結婚では離婚する確率は高いだろう。いつまでも賃貸暮らしが続く。年金なんていつまでもつか分からないし、老後の身寄りも今のところ無い。大体皆がこれらの中でいくつかの苦い現実にさらされている。これが俺の言う平凡な「現実」だ。呑気に人生を過ごすだけでは、幼いころ、手に入ると信じて疑わなかったありきたりの幸せなんて手に入りやしない。

 俺が持っている平凡な「現実」。それは結婚だ。結婚どころか恋愛もほとんどしていない。もう俺も35だ。今後も恋愛することはないだろう。

 俺は現在とあるある程度の会社で社内ITシステムを整備している。そんな小難しい仕事をしているのでまぁある程度収入はもらっている。お金持ちとはいかないが、未婚なので子供がいるはずもなく、お金には困らない生活は出来ている。この仕事は大学院卒業してからずっとやっているが、大学院卒業するまでに恋愛やら青春やらに現を抜かすことは無かった。小4からメガネをかけはじめ、クラスではおとなしいほうで目立つことはなかった。中学校は学校の端にある小さな武道館で活動している弱い男子剣道部に在籍していた。高校からは理系進学コースに進んだのでたいして周りに女子もおらず、受験に集中するため部活動にも入っていない。理系大学に進んだのでそんなにチャラい大学生のように青春できる環境でもない。なんで青春を謳歌しなかったのかとたまに聞かれるがたいした理由はない。キラキラした青春なんて自分の性格に合っていない。あとは、子供の頃にバブルが弾けたから就職するためには頑張って良い大学行かないといけないと心のどこかで思っていたからかな。そんな真面目一色の生活をしていたのでそりゃ大人になっても恋だの愛だのできるわけないよな。

 別に恋愛やら結婚やらが出来ないから俺は寂しいって言いたいわけではない。別にそんな「現実」は大して痛くもない。むしろ、独身貴族を楽しんでいるといえるだろう。毎日家に帰って地元のプロ野球チームの試合をビール片手に眺めているのが楽しい。昔の洋楽も好きで、ビートルズはもちろん、イーグルス、ローリングストーンズ、B・B・キング、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ルイス・アームストロングなどの歌手たちの名曲を一人の部屋で流しているのもなかなか粋なもんだ。たまに初対面の人にアイドルやアニメのオタクじゃないかと聞かれることもあるが、メガネの見た目では判断してほしくはないな。

 恋愛や結婚しないことで困ることもそりゃある。実家に帰るたびに両親にまず彼女を作れだのお見合い用意しただの面倒くさいことを言われる。妹が結婚して孫もいるので別に孫が見たいわけではないとは思うのだが。知り合いと飲むときにも「結婚しないなんてもったいない」だの結婚しないといけないという弁論を延々と聞かされることが多い。でもな、そういうやつに結婚して幸せかどうかを聞くと即答できなかったりするんだよな。あ、でも親しい友達が結婚してからあまり昔のように泊りで遊ぶとか朝まで飲み明かすとかできなくなったのはちょっと寂しかったかな。

 皆がしている結婚。そんなに羨ましくはないし、自分の時間やお金や自由が失われ、新たな悩みや課題が増える結婚した未来を想像すると別に結婚したいとは思わない。今の変わらない生活がなにより一番だ。時間、お金、自由にある程度の余裕がある、人がうらやんでくれるかもしれない生活を送っている。ただ、何かが足りない、何かに飢えている、そんな感情に取りつかれることがたびたびある。仕事も安定し、生活も安定しているのに、何かを求めている気がする。それが恋愛ってわけではないだろうが、何かこう…生きる目的がないような気が抜けたような感じがする。そんな時に「いや、人生なんてこんなもんだろうに」と言い聞かせ、いつもの平凡な自分を取り戻そうとするのだ。

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