チョコレート

楓 双葉

「死にたい」って言う人たちのほとんどは、本当に命を断ちたいのではなくて、いま目の前にある問題を解決させる方法が『死ぬ』以外見つからないから仕方なく言うんじゃないかとわたしは思う。

「死にたい」「死にたい」って言葉にすると楽になれる気がする。麻薬みたい。

死にたい。

でも、たぶん、わたしは死なない。

死にたいと言ってしまう理由をママに話して泣かれて、パパに怒鳴られるか殴られるかして、弟に軽蔑の目で一生見られて、わたしはたぶん考えることを一切やめて、人生を棒にふるのだ。

ううん待ってもしかしたら、生まれてきた小さな命がわたしを変えるかもしれない。

棒にふるどころかめちゃめちゃ楽しいかもしれない。それでわたしは超良いママになって、子供に可愛い服着せて、インスタにのせて、それでそれで。ほら。

やっぱムリ。死にたい。

「生理がこない」ってわたしが言うと、蓮太朗は「へぇー」と答えた。

感心してる場合かよって思った。

蓮太朗はまだ結婚できる年齢じゃない。

学校やめて働く? 蓮太朗が? ムリでしょ。

たぶん今日も蓮太朗の家で、エッチするつもりだったんだと思う。

蓮太朗の家は立派な一戸建てで、両親は共働きで帰りが遅くて、大学生のお兄ちゃんは友達の家を転々と泊まり歩いてて、だからわたしたちは蓮太朗の部屋のベッドで何回もエッチをした。

せっかくエッチが楽しくなってきたのに、これから試したい色々なこともあったのに。

「お金がいるのかな……けっこうたくさん」

蓮太朗が繋いでいた手を離した。

後ろから車が来たから蓮太朗がわたしの肩をつかんで道路の白い線からはみ出さないように押してくる。夕日を背に浴びた蓮太朗の顔が泣いてるみたいでびっくりした。泣いてなかった。むしろ怒ってた。

「なんで?」ってわたしは訊いた。

「無理じゃん、だって」

「無理だよね」言いながら笑おうと思ったけどうまくいかなくて左の頬がひきつる。

どこかの家から焼けた魚の臭いが漂ってくる。お腹空いたなって思う。

「送るわ」と言って蓮太朗が引き返そうとする。

「一人で帰れるよ」

このまま別れるのかな。わたしたち。生理がこないこと、言わなきゃよかった。

「ちゃんと考えとくから」と蓮太朗は言う。ああお金のことねとわたしは思う。

考えとくのはいつもわたしの方だった。

付き合ってほしいって言われた時も、家においでって言われた時も、エッチしようって言われた時も、主導権はわたしにあった。わたしが蓮太朗を想うより蓮太朗がわたしを好きな気持ちほうが大きくて、有利なのだと思っていた。

今はなんか違う感じがする。

ちゃんと考えとくからって蓮太朗は言った。

蓮太朗が考えているあいだわたしはどうすればいいんだろう。

道が暗くなってきて、蓮太朗に送ってもらえば良かったって後悔した。

蓮太朗が告白してきた時のことを思い出しながら帰った。すごく昔のように感じるけど、たった3ヶ月しか経っていなかった。

ママはなんでわたしを生んだの?ってその夜訊いてみた。

ママはテーブルを拭いていた手を止めて優しい顔で言う。

「欲しいと思ったからってみんなが手に入れられるものじゃないのよ命って。理由なんてない、生みたいって気持ちしかなかったから」

「そうなんだ」ってわたしは答えた。ママがこっちを見てた。それがわたしの喜ぶ答えだと思っている顔だった。

自分でもびっくりするくらいその言葉がわたしの心に響かなかったから、ママに申し訳なくなって「ありがとう」と言ってわたしは自分の部屋に入った。それで、ベッドで布団にくるまって「死にたい」「死にたい」って何度も繰り返し言った。言っているうちに本当に死にたいような気がしてきた。


学校へ行って蓮太朗に会っても、話しかけないようにした。

蓮太朗を避けるのは難しいかと思っていたけど簡単だった。蓮太朗もわたしを避けたからだ。蓮太朗のことを考えなければ生理が遅れていることも忘れられた。このまま蓮太朗と別れて全てがなかったことにすれば、普通に生理がくるんじゃないかと思った。けれど何日待っても生理はこなかった。

生理が遅れて2ヶ月が経った日、学校の一番高いところから飛び降りるのが良いかもしれないと思って屋上に行った。鍵がかかっていて外へ出られなかった。どこか屋上へ出られる窓がないかしばらく探したけど無かった。諦めて階段を降りると、誰もいなかったはずの踊り場で将棋をしている男子が二人いた。わたしが階段を降りてから何かを話している声が聞こえて、わたしの噂話でもしているのかと耳を澄ませていると「斉木さん」と私を呼ぶ声がする。

驚いて下を見ると萌がいて、メガネの奥からわたしを睨み付けていた。

萌はゆっくり階段を登りながらこちらに近づいて、わたしの立っているところより数段下で止まった。

「なに」

「斉木さん」

こわい。萌は少し息があがっていた。走って追いかけてきたんだろうか。

「あたし、宇井くんに、チョコレート渡すから」

踊り場で将棋をしていた男子も萌の声をきっと聞いているだろうと思った。

「だからなに」

「斉木さんには、言っておこうと思って」

なにか意地悪な言葉を浴びせてやりたいと思った。今こんな状態だけど宇井蓮太朗は一応わたしの彼氏だ。これは宣戦布告に違いない。わたしから蓮太朗を奪うつもりなのだ。奪えるはずもないのに。蓮太朗は萌のことを陰で『肉まん』と呼んでいる。蓮太朗と萌は中学校が一緒だった。今はそうでもないけど中学のとき萌は太っていたらしい。何かのアニメの登場人物に憧れて度の入っていない伊達メガネを萌がかけていると教えてくれたのも蓮太朗だ。

蓮太朗が言っていたことを全部ぶちまけてやろうかと思った。

肉まんはブスで不潔でオタクだって蓮太朗が言ってたよって。

けれど将棋をしている男子が聞いている。絶対に、息を潜めてわたしたちの会話に聞き耳を立てているだろう。

あの男子たちに、わたしの悪い噂を振り撒かれたくない。

「好きにすれば」

わたしは吐き捨てるように言って、萌の横を通って階段を降りた。萌からバニラみたいな甘すぎる匂いがした。

それから放課後もわたしは、学校で死に場所を探した。探しながらわたしは本当は死にたくなんかないと思った。

今わたしの身に起きていることが萌に起これば良かったのに。

生理が遅れているのが萌で、妊娠の恐怖に怯えているのが萌で、蓮太朗より自分のほうが好きな気持ちが上回ってしまったのが萌で、死に場所を探しているのが萌。

わたしはそんな萌に言うのだ。蓮太朗を好きだという強い気持ちを持って。

「わたし、蓮太朗に、チョコ渡すから!」

中庭のウサギ小屋の影に座り込み、わたしは萌になったつもりで言ってみる。

笑える、と思ったけど笑えなかった。心と、お腹が痛かった。


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