還流の勇者伝説

なつき

還流の魔法使い・ルーティス

還流の魔法使い・ルーティス

 小さないかだが、嵐の波間に打ちのめされていた。いかだは巨人の手の中で揉み潰されるように、暴れ狂う。


 そのいかだの風を受ける三角帆の真下に小さな影が雷光に浮かび上がる。光をまとうかのような白い髪に透き通った闇色の瞳、まだ八歳ぐらいの少年で。これまた穢れの一つも無い純白のマントを羽織っている。しかし……いかだで冒険をするにはまだ、早すぎる年齢だ。


「……ふぅ、これは凄い嵐だね? 沈まないようにするのがやっとだよ」


 垂れ落ちて来そうな陰気な黒い空を見上げて、少年ーールーティスは呟く。年齢に見合う瑞々しい声。……だけど、幾千の時を重ねたかのような静寂を醸す響きが端々に宿る、妙齢の少年とは思えない声音だった。


(……何か、イヤな気分になる嵐だね? ……普通の嵐じゃないよ)


 マストにしがみつきながら、ルーティスは眸を細めて天を仰ぐ。

 ふと、何かが近くに見えた。自分のいかだがちっぽけに見える程の船体、高いマストのそれはーー。


「……帆船?」


 ルーティスの判断に間違いはなく、確かにそれは外洋航海用の大型帆船だった。


「でも何か、ボロボロだね?」


 改めて近くで見上げれば。帆船は帆も船体もかなり傷んでいて廃船寸前の代物だ。


「まぁいいや。ちょっとした嵐避けに居させてもらおっか!」


 ルーティスは独りごちると、何とか荒れ狂う風向きを読んで接舷し、足場になりそうなささくれを掴んで身軽に登る。


「よっ、と! すいませーん! ちょっと嵐を避けさせてもらえませんかー!!」


 甲板に飛び乗ったルーティスが嵐に負けじと叫ぶ。帆船だから時化をかわそうと水夫達が慌ただしく動き回っている筈だからだ。


「……? 誰も、居ないのかな?」


 それなのに、反応は無し。ルーティスは不審げに眉根を寄せる。嵐の嫌な予感に加えて、船体の荒び具合もいい感じはしない。……とはいっても、今はここしか無いし。


「あ、誰かいた!」


 ルーティスは足取りも軽く追いかける。服装からして水夫の筈だ。 なるほど、単に自分のいた場所に居なかっただけなのだ。


「すいませーん! ちょっと嵐をーー」


 呼びかけて、振り向いた水夫を見て。

 ルーティスは言葉を失った。


「遭難者?」


 宝箱が並ぶ木の机に本棚もある個室、船長室にて。椅子に腰掛けた船長と思わしき人物が呟く。


「ええ、こんな大時化の中をいかだで航海していた馬鹿なガキです。どうしますか?」


 水夫の言葉を吟味して、船長は答える。


「船倉にでも閉じ込めておけ」


「へい!」


「あぁ、待て」


 船長は退室しようとする水夫を呼び止めて振り返る。


「……そのガキ、一回オレの部屋まで連れてこい」


 振り向いたその顔には肉が一つも無く、眼窩がんかには空洞が空くばかりの。白骨死体だった。


 ◇◇◇


「よく来たな、オレの船にようこそ」


 例の白骨死体の船長が、ルーティスになるたけ友好的に挨拶をしてくれた。


「うんごめんなさい、嵐が酷いもので」


 ルーティスはと言えば、物怖じせずに船長の暗い眼窩を見上げて頭を下げた。


「まぁそうだろうな、こんな大時化にいかだなんぞで航海する奴ぁ命知らずの大バカ野郎だけだ」


「ひどいですよ? 僕が航海を始めた辺りではまだ嵐なんて来てなかったんだから」


「バカ野郎! 海をナメるな! 天気なんざ幾らでも変わるんだよ!!」


 思いっきり怒られたルーティス君だった。


(……なんだ、この船幽霊船だったのか。どうりで登った時から人の気配がしないと思ったんだよな)


 ルーティスはここに来るまでに見た水夫達や船長を見て、独りごちた。

 とりあえず、塩まみれの身体を何とかしておかないと。明日には身体がかゆくなりそうな気がしてならないと、ルーティスは胸中で嘆息した。


「ーーで? お前?」


「オールを漕ぐのは自信ありますよ。こう見えても前にも帆船に拾われたから。後、風を読むのも得意ですし回復と浄化も対抗魔法もちょっと心得がありますよ? 僕一応白魔導士ですから」


 何の気なしに返した返答に、船長の気配が変わる。肉体があったなら目を見開いた感じだった。

「ぼうず……何で解った?」


「だって帆船は皆で操るじゃないですか。無駄な人員は一人でも居たらいけないはずですよ」


「ふぅむ」


 船長はあごを撫でて呟くと、


「そんならちょいとオレの話し相手になれ。ここしばらく退屈していたからな」


「えっ? いいの?」


「何がだ?」


「僕、オールを漕いだり帆を動かしたりしなくていいの?」


「いや、白魔導士ならこの嵐だ。怪我人が出たら船医に混じって動いてもらう。嵐に飛び込んでデビス・ハーゲンの戸棚にしまわれちゃ困るんでね」


「海の藻屑にならないで、ってことだね。それなら解ったよ! 海賊の船長さん!」


「ふぅん、なかなかだな」


 からからと骨の音を奏でて笑う船長さん。海賊なりのジョークが通じて嬉しかったのだ。


 ◇◇◇


「なるほどな……。西の『不浄海』に向かうのか……」


 嵐に揺れる船内で、感慨深げに虚空を仰ぐ船長。


「うん、その海を浄化するお仕事を頼まれたんだ」


「そりゃまたずいぶんとキツい仕事だな? 不浄海はここ五百年間、ずっと腐り続けている海だぞ?」


「でも誰もやらないからね。僕にお鉢が回ってきた訳なんだ」


「そりゃますますキツいな」


「でもやるしかないんですよ」


 肩をすくめて嘆息したルーティス。


「そういやぼうず? 名前は?」


 今さらながら名前を聞いていなかった船長だった。


「ルーティス、『ルーティス・アブサラスト』。親しくなった人は皆縮めて『ルゥ』と呼んでくれるんだ」


 ほぉ……ラストネームまであるとは……。このぼうず、中々の名の知れた白魔導士かもしれんなと。船長は独り唸る。


 そしてふと、気付いた。


「アブサラスト……? ぼうず、アブサラストっていうのはあの伝説の『アブサラストの平原』のアブサラストか?」


「そうですよ」


 ルーティスのさばけた口調の解答を聞いて、ますます唸る船長。

 ーーアブサラストの平原。それはおとぎ話に存在する平原で見渡す限りの草の海、そして中央に天を貫きそびえ立つ『世界樹』と呼ばれる大樹だけが存在する平原らしい。


 伝説では。その平原にたどり着いて祈りを捧げた者には『神の力アバス』を手にする事が出来ると言い伝えられている。

 ……ま、おとぎ話だけどな。そんな物があったなら、オレはこんな生涯じゃなかったからなと。船長は自嘲気味に笑う。しかし……確か何のおとぎ話だったかな……。船長は遠い過去から思いを紡ぐ。幼い頃に誰もが憧れたいにしえの力の物語ーー。


(……そうだ、『還流の勇者』伝説だ)


 遥か昔から語り伝えられてきた、伝説。小さな勇者が魔王を倒す為に果てのない戦いを繰り返し続けている……らしい。詳しくは思い出せないが、確かそんな感じだった。


 実際のところ、この伝説は創作らしい。まぁそれはそうだろう。いくらなんでもあり得なさすぎる。


「船長! 大変だ! 仲間が大怪我をしちまったんだ!」


 突然水夫の一人が、他の水夫を担いで飛び込んできた。二人が怪我をした水夫を見たところ、足と肋骨の骨が粉砕していた。……明らかに重症だ。


「我が手に来たれ。アブサラストの光よ。彼の者に命の輝きを」


 船長に目配せしたルーティスが呪文を唱えた刹那、光が当てた右手に宿り。水夫の粉砕した足と肋骨を再生させる。


「せ、船長……。こいつはいったい?」


「あぁ……。話を聞いたら旅の白魔導士らしい。便利なもんだ」


 ふぅ……とルーティスは一息ついて、


「これで安心です。後は船医さんに任せましょう。ところで船医さんはどちらに……?」


 水夫と船長が同時に一点を指差す。

 ルーティスが見やると、そこには先ほど怪我を治した水夫らしき方が横たわっていた。


「……もしかしてこの嵐の中を怪我人治療に飛び回っていたの?」


 水夫が頷く。

「仕事熱心な人ですね」


 ルーティスはため息をついて、微笑んだ。


 ◇◇◇


 嵐はいつまでも続いている。その荒れ狂う船内でルーティスは治療の魔法を使い、怪我人を癒す。


 この船が全滅したきっかけは何だろうか? ルーティスは回復魔法をかけながら眉根を寄せる。疫病は論外だ、そんな痕跡は船の端々には残っていない。


 外は嵐が酷いね……。ルーティスは揺れる船室の中で独りごちて、ふと眸を細める。


(そういえばこの嵐……。さっきから嫌な感じだね?)


「――痛っ!」


 そんな時大きく揺れた船室の本棚から、分厚い本がルーティスの額を直撃した。


「これって航海日誌……?」


 涙目で額を擦りながら、本を開くルーティス君。


「えぇ~と何々……。『船を南へ向け新たな島を目指す』……『時化に捕まった、嵐が過ぎるまで待つことにする』……『嵐が過ぎない。今日でもう三日めだ』……『まだ嵐。いい加減にして欲しい』……『まだ嵐』……『嵐』……『嵐』

 ……! まさか⁉」


 ルーティスは自身の推測を確かにする為に、眸を鋭くして船室を飛び出すと甲板へと向かう。

 外は相変わらず酷い嵐。


「やっぱりこの嵐……。魔王の手下、『魔獣』が引き起こしていたんだな」


 ルーティスは嵐を見渡して、気付く。


「おぉぼうず!? 今はまだ時化が酷い! 船室で怪我人を手当てしててくれ!!」


 船員を指揮する船長さんに、ルーティスは言い返す。


「船長! この嵐は晴れないよ! 邪な者があなた達をつけ狙っているんだ!!」


「……」


「今からでも遅くはないから! どうか船を回頭してーー」


「出来ん」


 ルーティスは冷たく言い返されて、何も言えなかった。


「ぼうず……。オレの世界は……運命は嵐の中で動かせん、もうどうにもならん」


 ……だって判ったのだ。この船が幽霊船になったのはこの嵐に捕まり、二度と現在の海に還ってこれなかったからだ。


「悪ィな、ぼうず。巻き込んじまったみたいでな」


 申し訳なさそうな声で、船長は告げる。


「……帰りたいですか? 元の海に?」


「あ?」


「もう一度、あの海で眠りたいですか?」


 真剣な眼差しのルーティスに言われて、船長はひるんだ。


「そりゃ出来れば、な。しかしオレの世界はもうーー」


 それを聞いたルーティスの手のひらに。淡い白色の風が渦巻く。


「吹け、アブサラストの風よ。霧を雲を邪悪なものを払え」


 呪文を唱え始めたその時、嵐が鎮まりやがて風雨も弱まり雲が切れて月の光が射し込まれてくる。


 ルーティスは嵐を浄化していたのだ。とても美しい組み上げの魔法で、見る者全てを見惚れさせる力がある。まるで魔法と踊るかのように鮮やかに光を降らせて、嵐の海を凪の晴れた海に戻す。


 すげぇ……。船長が唸るがルーティスの顔は険しい。一点を注視していた。


「……来るよ」


 なにがだ? 船長が尋ねようとした刹那、『それ』が出現する。

 簡単に言えばそれは『巨人男性の人魚』だった。三ツ又の巨大な矛を肩に乗せて、ルーティスの前にいた。


「なっ何だありゃ……!」


「『海王・オルタス』……。魔王配下の魔獣で『上級魔獣』の一角で、この嵐を起こしていた魔獣だよ」


 ルーティスは振り返らずに答える。


『ーーそこの小僧、何も言わずにその船を置いて立ち去れ』


 脳内に直接声が響く。


「断るよ」


 もちろん、ルーティスは突っぱねた。気がつけばオルタスの背後には幽霊船が何隻も控えていた。


「……この人達も、その船団に引き込む気だったのかい?」


『そうだ』


 ルーティスの表情が険しくなる。


『その海賊船を手に入れたら次の船。そしてそれを手に入れたらまた次のーー。

 そうやって我は軍を揃えて魔王に挑む! そして魔王を殺して我は願いを全て叶えるのだ!!』


 ルーティスに向かって三ツ又の矛を、風切り音と共に突き刺す。


 だが。


 矛の穂先は途中で動かなくなる。

 ルーティスが矛先を握り、止めていたからだ。頬が浅く切れて鮮やかな赤い血が一筋、綺麗に流れ落ちる。


「海王・オルタス。あなたの願いは届かないよ」


『なんだと?』


 不機嫌に顔を歪めるオルタスに。


「あなたはここで敗けるんだ」


 矛先を握り潰しながら、ルーティスは冷酷に返す。


「僕に叩きのめされてね」


 不意に一陣の切れ味鋭い風が吹き、オルタスの頬を切り裂いた。傷の位置も形も、ルーティスの傷と同じ物だった。唯一の違いは傷の深さだけだ。オルタスの傷の方が若干深い。


『ほざくなガキが!!』


 矛を再度振りかざすオルタス。

 だがルーティスはかわすと矛を踏み潰した。

 そしてそのまま柄を駆け抜けて跳躍すると、勢いに任せて殴り飛ばした。

 小さな子どもに殴り倒された巨人。今時小説でも陳腐過ぎる光景が現実に起こっている。

 ルーティスは放出される魔力を足場にして海上に立つ。


「ーー終わりかな?」


『ふざけるなっ!』


 ルーティスの冷たく見下ろす視線に、オルタスは激昂して矛をーー既に矛先が無い矛だがーーを振るう。

 しかしルーティスは飛び上がり宙で一回転すると柄に右足から優しく降りた。

 そして跳躍、今度は顔横から蹴り飛ばして打ち倒す。


『くそ! 行け! 混沌の艦隊よ!』


 上体を起こして後ろの船団に命令するオルタス。

 しかしその時、淡雪のような光が降り注いで来たのだ。光は船団を優しく包むと。一隻、また一隻と霧が晴れるように消して行く。


「時の片隅、闇の垣間。永遠の回廊抜けて遥かなる先、光満ちる約束の大地へ。遠く遠く聞こえる歌、終わる暁の蒼空に飛び立つ鳥達よ」


 ぎくりと向き直るオルタス。

 そこにはルーティスが歌うように呪文を唱えていた。

 その呪文は浄化の上位版『消滅』魔法だ。幽霊の船団を癒して眠らせ、現世に二度と復活させない魔法だ。光の粒を受けて一隻、また一隻と船が消えて。


 やがて、船の無い晴れ渡った海が現れた。


「終わりだよ」


 ルーティスは攻めかかる。一瞬で間合いを詰めたルーティスは足の捻りを腰に伝え腰の筋力で増幅させて、威力を殺さずに腕まで伝えると。掌打で人体なら心臓部分を打ち抜いた。

 最小限の動作で最大限の威力を伝える拳の技。ルーティスが修得した拳技は衝撃波を操る。打撃は外面から破壊し、衝撃波は内面から破壊する。

 もちろん、どちらも出来るルーティスだった。

 衝撃波で内面を砕かれたオルタスは。かはっ……と血を吐いて海に沈んで消え去っていった。


「……おやすみなさい、オルタス」


 ルーティスは一礼して死者を弔うと。船へと戻っていった。


 ◇◇◇


「雨の雫が落ちる、虹に彩られし水晶の森。霧の恵み風の恵み太陽の恵み。理の内を巡り時の中を巡る」


 ルーティスは消滅の呪文を唱える。海賊船を消し去り、静かに眠らせる為に。

 鎮魂歌を奏でるかのような優しい呪文だった。送る魂を慰める呪文、弔いの……呪文。


「やがて還りし眠る魂、森を巡り大地へ命を還し水晶の中へ」


 呪文を織り込んで、歌は続く。ルーティスは魔法使いの技を最大限に使い、最高の鎮魂の魔法を組み上げる。


「妨げられない約束の眠り、止まりし時の内にて永遠の安らぎをその心に」


 魔法は形を成してゆき、海賊船は消えて行く。


「すまねぇなぼうず。迷惑をかけた」


 海賊船の船長が申し訳なさそうに返す。


 そんな彼らに、

「構いません、これが僕の生き方ですから。だからもう、おやすみなさい」

 ルーティスはにこりと笑って返す。さらにルーティスは魔法を完成させる為に呪文を唱える。


「さぁ安らかに眠れ。二度と起こされない聖なる闇の中で」


 完成した魔法は。海賊船をこの世から消し去り、無かった事にした。

 ルーティスはそれを見送るかのように、いつまでも空を眺めていた。

 やがて足場が無くなり、ルーティスは海上に落ちる。


 しかしそこには、彼が使っていたいかだがあった。ルーティスはその上に乗ると、また小さく呪文を唱えて花を生やす。


 そして花束を作ると、海に投げた。


「おやすみなさい」


 再度呟き、胸に手を当てて。ルーティスは一礼する。


「ーーさて、不浄海に行かないと! 早くあの海を癒して浄化しないとね!」


 ルーティスは帆を張って、風を受けて先へと進んで行った。

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