短編リライトの会参加作品
青瓢箪
オリジナル
ハレンチ学園演劇部オーディション
「次の方。どうぞ」
はい、と私――
同時にドアが開き、中から女の子が出てくる。
その女の子は涙ぐんでいた。
――かわいそうに、あの子、落ちたんだ。
私は憐れみを覚えながら部屋の中へと入った。
ガランとした進路相談室。
その奥にはパイプ椅子に座っている、鈴木先輩が見えた。
長身細身、学ラン、メガネ、髪型オールバックの麗しいクールなお姿。
入学式での私の一目惚れの君。
……はっ、ダメダメ、ぼーっとなんてしていられないわ!
先輩に見とれていた私は、自分を叱咤する。
ダメダメ、エリカ。
これから、入部テストが始まるのだから。
憧れの鈴木先輩とお近づきになれるチャンスなのだから。
そんな好機をふいにしてはいけないのよ!
* * *
鈴木先輩はこの
彼は気に入った部員には、かなり可愛がって特別扱いしてくれるのだと噂で聞いていた。
私もそんな存在になりたい。
鈴木先輩にベッタリと指導されたァァい!
そんな乙女な野望を胸に、私は本日の放課後、演劇部で行われる入部テストに来たのだ。
私は中学でも演劇部だった。
他の子よりも一歩、リードしてるはず。
絶対に受かってみせる。
……いえ、絶対に先輩に気に入られてみせるわ!
やるわ、やるわよ、エリカ!
「坂東エリカさん。中学でも演劇をしていたんだ、経験者なのですね」
「はい!」
私は元気に答える。
ああ、なんて落ち着いた甘い声なの。
痺れそう、鈴木先輩。
その声で
「坂東、違う!」
とか
「もう一回!」
なんて、厳しく貴方に早く指導されたい……。
熱い視線を送る私に鈴木先輩は事務的に言葉を続けた。
「それでは坂東さん。今から入部テストを行います。机の上の紙に書かれた事柄を自由に表現してください」
目の前にある小机の上には裏返しにされた紙が三枚並んでいる。
寸劇をしろ、てことね。
「考える時間は一分で、演じる時間は二十秒です。まずは一枚目、左からどうぞ。では……始め」
私は鈴木先輩の指示のままに、左の用紙をとる。
紙をひっくり返した私は目を疑った。
『ミレー作 チン毛拾い』
っ、チンッ……!?
私は思わず鈴木先輩の顔を見た。
先輩は涼しい顔でストップウォッチを眺めている。
な、なんなの、これは。
美術の教科書で見たバルビゾン派の代表的絵画。
フランス、フォンテーヌブローの森はずれの農場で、収穫後の麦畑に落ちた穂を拾い糧にする、貧しき人々の生きる姿を描いた『ジャン=フランソワ=ミレー』の作品『落穂拾い』……が頭にチラつくのだけれど、それとはもちろん違うのよね。
先輩はどんな意図でこんなお題を?
意表を突いたお題で、受験者の動揺を誘おうというの?
私の前にテストを受けた女の子の泣き顔が思い浮かんだ。
……ふふ、なるほど。面白い。
臨機応変に対応出来なかった者は落選というわけですね、先輩。
そう、舞台は何が起こるかわからない。応用が利かない役者は要らないのよ。
ええ、確かに驚きました。びっくりしましたわ。
まさか
ですが、これしきのことでは私は揺らぎはいたしません。
即興劇、寸劇の稽古なら私、中学でも散々、してきたのですから!
さあ、どうしようかしら。
どんなシチュエーションにする?
単純に考えれば、
でも、それならば通り一遍、私も彼女たちと同じそこらへんによくいるつまらない女と一緒になってしまう。
それにそれを求めているなら、ただの『
あくまでもミレーに忠実に。
命を繋ぐ大切な落ち穂を拾うが如く、感謝を持って
そう、愛する夫や恋人の寝床でのそれを拾うが如くよ。
例えば、鈴木先輩のそれを拾うかのような……キャッ、やだもう、想像しちゃった! エリカのエッチ!
「時間です」
鈴木先輩の声が響いた。
「準備はいいですか?」
「はい」
私は唇を引き締め、頷く。
冷ややかに私を見つめる鈴木先輩。
やるわ、やるわよ、エリカ。
先輩、この私を見てください!!
「では」
鈴木先輩は、パン、と手のひらを打ち合わせた――
* * *
――二十秒後、再び先輩の手が打ち合わされる。
……ふう、やったわ。やったわよ。エリカ。
私は脱力する。
やった、やってみせたわ。
シチュエーションは、和室の敷き布団。
昨晩の名残を愛おしむように。
布団を畳もうとする若奥様が
演じてみせたわよ。パントマイムで完璧に。
「……良かったですよ」
ぼそり、と呟いた鈴木先輩の声に、私の身体は歓喜で震えた。
よし、つかみはオッケー!
舞い上がる私に間髪入れず、先輩から次なるお題が下される。
「それでは、坂東さん、二枚目をどうぞ。考える時間は三十秒です」
だんだん時間が短くなっていくのね。
即興性を試されるんだわ。
私は中央の紙をとって、ひっくり返した。
『パコ太郎作
時事ネタ、キターーーーーー!
マズイわ! 私、詳しく知らないのよ、これ!
ああ、歌番組チェックしとけばよかったぁ!
ええと、とりあえず合体してたわよね、これ。全てを合体すればいいのよね、これ。ちがう?
混乱し、猛烈に焦りながらも私の頭はとるべきポーズをはじき出そうとする。
ペン、おっぱい、恥部アップ、ペン…………
え、恥部?
……恥部?
ちょ、ちょ、ちょっと待って、恥部アップゥゥゥゥゥ!?
「はい、時間です。始め!」
パン、と大きく打たれた先輩の手の音に。演劇部だった私は身体が反射的に反応し、エアーペンをすでに持ち上げていた。
「あい、はぁぶ……」
* * *
「やめ!」
先輩の手のひらが打ち合わされる。
私はズキズキする切ないような股関節付近の痛みを覚えながら、乱れたスカート、髪を正す。
……やってしまった。
身体の各関節を未知の可動域へと派手にトライしてしまったわ。
胸がドキドキしてる。
なんだか、このあいだまで中学生だった女子高校生にはあるまじき格好をしてしまったような気がするけど。夢中で鈴木先輩の眼前にあそこやそこらを披露してしまった気がするけど。
ああ、思い出すだけで赤面しそうよ。
でも、しょうがないわよね。エリカ。気にしちゃダメ。
だって舞台の上では別人だもの。
そこにいるのは私じゃない、その「役」なのだから。
「……身体が柔らかいのですね」
再び、ぼそりと呟く鈴木先輩。
私のあのような痴態を見ても、先輩は表情一つ変えなかったわ。
当然よね、だって彼は演出家なんだもの。
そんなことで心は乱されないわ。
そう思いながらも、あくまでクールな先輩に私は少し残念なような気持ちになって俯いた。
「これを今日、クリアしたのは……貴女が初めてだ」
先輩の言葉に私は顔を上げる。
どきん。
先輩が私を見つめていた。
その口元が少し微笑んでいるように感じるのは気のせいかしら。
私は先輩のその表情に不思議な陶酔を覚えた。
「それでは、
私は乱れた呼吸を整えながら、最後の右の用紙を表返す。
『太郎くん と 花子さんの 手による生殖行動』
だ ・ か ・ ら 。
わ た し は こ の あ い だ ま で 、 中坊 だ っ た っ て い っ て る で し ょ う 。
な ・ ん ・ な ・ の ・ よ 、 そ ・ れ 。
どないせえっちゅうんじゃァァァ!
ぅえーん、そんなの保健の教科書の静止画でしか見たことないわよぅぅ。
もしくは、テレビドラマのチラッとした濡れ場ぐらいよぅ。
詳しく分かんないわよぅぅぅ。
私、真面目に勉強と部活に打ち込んできた清らかな乙女だったもの。
見てよ、今も肩にぶら下がる
こんな私に知らないものを表現しろったって無理よぅぅぅぅ。
これ、鈴木先輩の
女優に無茶な要求をして楽しむ演出家の話、聞いたことあるもの。
鈴木先輩は少々
鈴木先輩の欲求を満たすためだけのテストなんじゃないかしら?
だいたい、なんなのよ、一人二役ってこと?
そして、太郎と花子、人間じゃねぇだろうがよ、完璧によ。
何人だよ。
触手かよ。
エイリアンかよ。
SFかよ。
タコか?
タコの交尾かよ。
「時間です」
ええ、そうよ。
今までたった十秒しか経ってないから!
「
先輩は試すような小笑いで私に聞く。
私は頷いた。
ええ、
それを貴方が期待するなら。
私に
挑戦的に私は先輩を睨みつけた。
ふ、と先輩は口の片端をあげる。
「では……始め!」
……私はすなわち、
* * *
――ハッ。
私は我に返った。
どうしたのかしら。
あらやだ、私ったら、白昼夢を見ていたみたい。
ここは、舞台袖なのに。
もうすぐ出番だというのに、私も大した
考えておかしくなり、私はふふ、と笑った。
懐かしいわね、昔のこと思い出しちゃった。
思えば、アレがすべての始まりだったのだわ。
あのあと、私は無事に演劇部に入部を果たし、鈴木先輩の秘蔵っ子となったわ。
私の中の才能を見出した彼の厳しい指導を受け、私は主役を何回も務めた。即興でエロネタを演じきる私は、エンターテイメント界での新星として目にとまった。
鈴木先輩とともに様々な大舞台をこなしたわ。
パコ太郎先生、
私のパフォーマンスは国内で留まらなかった。海外でも火がつき、各地でツアー巡業したわ。
そして、今、ついにここまで来たのよ。
ここ、カーネギーホールにね。
私の登場を待つ、観客の熱を感じる。
みんなが、私に期待している。
その中でも、群を抜いて激しい感情の主を感じて、私は心が満たされると同時に高揚した。
Mr. SUZUKI。
私の憧れの先輩。
いえ、今では公私ともにパートナーであり、ソウルメイトでもある私の夫。
あ、出番がきたみたい。
スタッフの合図に私は頷き、舞台へと歩き進む。
すでにそこに居た私の夫は、私の顔を見て試すような目つきで小笑いした。
貴方のその表情はいつも同じね。
だから私も貴方に応えてあげたくなるの。
そして、応えた私に送ってくれる貴方のとびっきりの笑顔が私をたまらなくさせるのよ。
あぁ、愛してるわ、貴方。
私は微笑み返しながら、電光板に書かれている彼が出したお題を確認した。
まあ、なんてレトロなフレーズ。
聞いたことあるわ。
これって私の両親世代が子供の時に流行ったフレーズではなくって?
……ふふ。そういうの嫌いじゃないわ。先輩。
私はスポットライトの眩しい世界に躍り出た。観客席の拍手が渦を巻いているよう。
さあ、今日もやるわよ。
貴方を満足させるために――
『キリンサンガ、スキデス。デモ、ゾウサンノホウガ、モオォットスキデス』
終
『刹那的女優 ERIKA の半生〜だから私は彼の言葉に応え続けた〜』より
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