kaleidoscope

AceMasax

カレイドスコープ


「自分がやられて嫌なことは他人にはやってはいけません。

 だってそうでしょう。あなたが嫌だと思うことは他人だって嫌なはずです」


 学校の先生がそうやって話していた。確かにそうだと思って、私は自分がやられて嫌なことはしないと誓ってそのように生きてきた。

 だけどその考えは揺らぎ始めた。生きていく中でいろんな人と触れ合うことで天秤のようにぐらりぐらり。


 私は大人というのは担任の先生が話していたように自分がやられて嫌なことはしないのだと思っていた。そういう風になることが大人になることだと思っていた。それらを出来ない人は社会不適合者なのだと。社会に適合出来ないからつまはじきものになるのだと。

 もしそうなら。自分がやられて嫌なことをするような人が大人ではないのなら──ほとんどの人が大人じゃないのだ。

 私は私がやられて嫌なことはしなかったが、私がやられて嫌なことはされてしまった。一度や二度なんかじゃない。何度も何度も。繰り返し繰り返し。

 もしかしたら私自身が社会不適合者なのでは?と悩んだ時期もあった。

 違うのだ。そうじゃないのだ。他人と自分は全く違う。人間という種で同じとは言え、全く自分とは違う生物。

 感じ方も捉え方も、物事の見え方も何もかもが違う。私がやられて嫌なことでも誰かにとっての嫌なことにはならないかもしれない。

 だけど、社会は進んでいかなければならない。世界は進んでいく。そのために必要な感じ方や考え方を主にして運営されていく。

 いわゆるつまはじきものにはしんどい世界だ。多数派が社会を運営していくために、少数派は我慢しなければならない。

 だから覚えていてほしい、多数派の人。

「あなた達の見える、見えている世界と私達の見える、見えている世界は違う」

 のだと。人によって世界が違うのは当然であり、誰にもわかりあえないもの。

 それだけの考えさえ共有できれば、私はつまはじきものでも社会不適合者でも構わないのだ。


 支離滅裂でも構わないでしょう?

 私が考えはこうなのだから。これが誰にも侵されぬ、私の世界なのだ。


 自分という世界は誰一人として同じものはない──”kaleidoscope”

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kaleidoscope AceMasax @masayuki_asahara

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