第2話 二人の思い出
駅前は朝陽の住んでいる地域よりは栄えていて、大型のショッピングモールやハンバーガーショップなどの飲食店が立ち並んでいる。
朝陽たちと同じく登校日だったのか、制服を着た高校生たちをチラホラと見かけるようになった。この辺りにはカラオケ店なども立っているため、放課後にどこへ行こうかと迷えば、とりあえず足が向かう場所になっている。
二人が駅前に着いた頃には、もうお昼時を少し過ぎていた。
珠樹は突然ふと立ち止まり、反対側の歩道を指差す。
「やっぱり今日はあそこにしよ」
「えっ」
珠樹が指差したのは最近開店したカレー屋なんかではなく、ごく普通のファミレスだった。
カレーじゃなくてもいいの? と朝陽は聞こうとしたが、それより先に珠樹は理由を話した。
「話、長くなりそうだし。たぶん人気店だから、あんまり長居すると嫌な目で見られそう」
「たしかに、そうかも」
おそらく込み入った話になるだろうということは朝陽にも想像出来ていたから、素直に珠樹に従った。
ファミレスの中へ入ると、空調の冷気が二人の身体の熱を冷ました。店内はあまり混んでいなく、お客様の入店に気付いた若い女店員が、慌てて朝陽たちの元へ近寄る。
それから二人は窓際二人掛けのテーブル席に誘導されて、朝陽はミートドリアを、珠樹は明太子のスパゲッティを注文した。
しばらくしてから料理は運ばれてきて、スプーンでドリアをすくいながら、朝陽から話を切り出す。
「紫乃は、昔は身体の弱い子だったんだよ。ずっとベッドの上に寝転がってて、たぶん起き上がったところは見たことがなかったと思う」
「でも、結構元気そうだったよ?」
「完治したって言ってたからね」
スパゲッティの上にかけられた明太子をフォークで絡ませながら、珠樹は朝陽へ質問をする。
「何の病気だったの?」
その問いに、朝陽は首を振った。
「それが、知らないんだよ。聞いた記憶はあるんだけど、一度も教えてくれなかったんだ。そういうところ、隠しちゃう子だったから」
ただ身体が弱かっただけなのか、それとも重い病気を患っていたのか。その時の朝陽にも今の朝陽にも分からない。
一度珠樹はフォークでスパゲッティを巻き、口へ運んだ。美味しかったのか一瞬頬が緩んだけれど、朝陽の顔を見た途端、ムスッとした表情へ変わる。
「十年も前のことなのに、病気が治ってから朝陽のことを探し回るなんて、そんなにずっと会いたかったんだね。朝陽、子どもの頃になんかしたの?」
「何もしてないと思うけど……」
「いーや、朝陽のことだから絶対何かしたね。私には分かるよ」
何をしたのかは覚えていないけれど、そういえば自分のことを探し回っていた理由を聞いていなかったことを朝陽は思い出した。
心当たりは十年前にあるのかもしれないが、当時の記憶に自信のない朝陽は思い当たる節を探すことができない。
「何か、したのかな……」
「食べながら聞いてあげるから、二人のことを話してよ。覚えてる範囲でいいから。小学校とか一緒だったの?」
「いや、別々の小学校だったよ。というより、紫乃の通ってた小学校も知らないんだよね」
思えば、紫乃について知らないことばかりだった。
朝陽は記憶の糸を辿るように、十年前の出来事を一つ一つ思い返していった。
「紫乃と出会ったのは、本当に偶然だったんだよ。小学一年の頃に、空き地で友達とキャッチボールをしてたんだ。その時に投げた僕のボールが、たまたま変な方向に飛んでいって……」
「それたまたまじゃないじゃん、このノーコン。昔から運動音痴なんだね」
「もう、茶化さないでよ……」
相手が幼馴染である珠樹とはいえ、女の子に運動音痴だと言われた朝陽は、恥ずかしさから顔が熱くなった。でも実際のところ、朝陽の運動神経は珠樹と比べるまでもなく劣っているため、何も言い返すことができない。
一度コホンと咳払いをして、話を続けた。
「それで……僕の投げたノーコンの球が、偶然塀を越えて隣の家の庭へ入っちゃったんだ」
「その家が、東雲さんの家だったってこと?」
「うん」
東雲さんとかしこまって呼ぶ珠樹は、おそらくまだ紫乃へ心を許していないのだろう。
「僕が投げ入れちゃった球だったから、怖かったけど素直に謝りに行ったんだよ。そうしたら紫乃のお母さんが出てきて、事情を説明したら許してくれた。すごく、優しい人だったんだ」
「ん、なんとなくわかる。東雲さん、すごく人が良さそうだったし」
初めて珠樹の口から紫乃への好意的な言葉が飛び出したことが、朝陽は嬉しかった。相手のことを好意的に捉えられるということは、それだけで距離が近付くきっかけになるのだから。
「その時に、紫乃のお母さんが家の中に上げてくれたんだ。お母さんは娘の紫乃の話をしてくれて、僕が話してみたいって言ったら、少し迷ってたみたいだったけど、部屋まで案内してくれた」
「お母さんは、東雲さんについて何か言ってたの?」
「ちょっと体の弱い子で、友達ともあまり遊んだことがないから、変な態度を取っても許してあげてって。まあでも最初は怖がられたりしたんだけど、確かそれから何度か家に遊びに行って、絵本を読んだりするような仲になったんだよ」
それらの記憶は曖昧で、朝陽は断片的にしか思い出すことができなかった。だから、どうして紫乃が必死になって自分のことを探していたのか、やはり朝陽には見当がつかない。
話すことのなくなった朝陽は、目の前に置かれたドリアをスプーンですくい、口へ運ぶ。ほどよく熱の逃げたそれは、猫舌の朝陽にとってはとても食べやすいものとなっていた。
「まあ、東雲さんが朝陽のことを探してた理由、私にはなんとなくわかる気がする」
「えっ、わかるの?」
珠樹のその言葉に朝陽は驚き、口に運びかけていたスプーンを一度置いた。
「そんなの、決まりきってるじゃん。身体が弱くて外に出られなかったのに、朝陽は何度も遊びに行ったんでしょ?それだけで、必死に朝陽を探す理由になるよね。つまり、お礼が言いたかったってこと」
「お礼を言われるようなことはしてないと思うけど……」
「朝陽がしてなくても、東雲さんにとっては嬉しいことだったの! 分かれ! この鈍感!」
語気を強めた珠樹は、勢いよくフォークでスパゲッティをぐるぐる巻き、乱暴に口へ運んだ。
「女の子がそんなに乱暴な食べ方したらダメだよ。ほら、口元に明太子がついてるからこれで拭いて」
「ん」
朝陽の差し出した紙ナプキンで、珠樹は素直に口を拭いた。
そして先ほどまでのどこか不機嫌な珠樹からは一転、とても真面目な表情をして、もうなくなりかけているスパゲッティの上へフォークを置いた。
「朝陽にしては、なんともない普通のことだったのかもしれないけど、東雲さんにとってその出来事は、特別な思い出だったのかもしれないよ。だからきっと、朝陽は自分でも知らないうちに、東雲さんのことを救ってたんだよ」
「救ってた……」
未だそんな自覚は朝陽になかったけれど、もし無意識のうちに紫乃のことを救っていたのなら、それほど嬉しいことはないと思った。
「まあ、わかんないけど。ほんとに気になるなら、本人に聞いてみなよ。どうせしばらくこっちにいるんだろうし」
「あ、そうだね。しばらくこっちにいるんだよね」
旧友とまた話をすることが出来るのが、朝陽は素直に嬉しかった。以前は小さな部屋の中でしか会うことの出来なかった二人だが、これからは近場であればどこへだって行ける。
浜織は都会ではなく田舎だが、田舎だからこそある美しいものが詰まっていた。たとえば西の方へ少し歩けば、海へ遊びに行くことが出来る。
夏に開催されるお祭りでは、浜織神社で多くの出店が立ち並び、一年の中で一番の盛り上がりを見せる。そしてお祭りの最後には、夜空に打ち上げ花火が咲き乱れる。
朝陽にとって、この浜織はとても心安らぐ場所で、だからこそ紫乃にもその良さを伝えたいと思った。
そういう気持ちが、朝陽の顔に出ていたのだろう。珠樹はその朝陽の嬉しそうな顔を見て、表情を曇らせた。
「ねぇ、やっぱり、昔の友達の方がいいの……?」
「えっ?」
自分の思考に気を取られていた朝陽は、ようやく珠樹のことを見る。朝陽は知っていた。ハツラツで少し乱暴な性格をしている珠樹だけど、本当は人一倍寂しがりやな性格をしていることを。
だから朝陽は、珠樹が安心できるようにと微笑んであげた。
「どこか行くときは珠樹も誘うよ。紫乃とは昔馴染みだけど、珠樹といた時間の方がずっと長いし、一番の友達だからね」
「いやいや、そういうことじゃねーよ」
「え、違うの?」
キョトンと目を丸めた朝陽を見て、珠樹は大きなため息をついた。
どうしてそんなため息をつくんだろうと、首をかしげる。
「まあ、いいけど……でも遊びに行くときは私にも連絡してね」
「もちろんだよ。珠樹も紫乃とは仲良くなって欲しいし」
小学生のあの頃は病気がちで、部屋に引きこもりの生活だったから、今はいろんな人と触れ合って欲しい。
そんな朝陽の思いが通じたのか通じていないのか、珠樹は朝陽からそっぽを向きながら、スパゲッティをくるくる巻いていた。
「仲良くはなりたいけど。でも私部活忙しいし? あんまり遊べないかも」
「素直じゃないね」
「うるせー!」
足のすねを蹴られたが、それほど痛くなかった朝陽は、素直じゃない珠樹を見て再び笑った。
それからは、たわいのない話をしながら残った料理を食べ、精算をするためにレジへ向かった。朝陽は奢るつもりでいたが、結局珠樹に押し切られてしまい、自分の分は自分で、ということになった。
その後は珠樹が主導で雑貨屋などの適当なお店に入って、日が暮れ始めた頃に自分たちの家の方向へ向かった。朝陽と珠樹は家が同じ方向だから、二人揃って同じ道を歩いて行く。
いつも通り珠樹を家まで送り届けた朝陽は、自宅に帰るために来た道を少しだけ引き返した。
夜、自分の部屋で小説を読んでいた朝陽は、ポケットに入れていたスマホが振動したことに気付く。珠樹からだと思って取り出したスマホの画面には、「東雲紫乃」という名前が表示されていた。
メアドを交換したことを思い出した朝陽は、返信をするためにメールを開く。
『夜分遅くにすいません。東雲紫乃です。突然で申し訳ないのですが、明日、一緒に出かけることはできないでしょうか? お返事お待ちしています』
丁寧なその文面を見て、朝陽はくすりと微笑む。
明日の用事はなかったが、その前に朝陽は珠樹へ確認のメールを送った。空いていればいいなと思っていたが、帰ってきたメールは『明日は部活(泣)』というものだった。
「部活頑張ってね」という文面を送信した後、今度は紫乃へ返信をする。
「大丈夫だよ。集合場所はどこにする?」
『まだ浜織に詳しくないので、今日会った場所でいいですか?』
「うん、わかった。それと、敬語は使わなくていいからね」
今度の返信は少しだけ間が開いた後に『わかったよ』というくだけものが返ってきた。
それを確認した朝陽は、読んでいた本を棚に戻して早めに布団の中へ入った。
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