事件前日 (7)
「ひどいね」
「そうでもない」
実際、くすくす笑っている所を見る限り、コイツ自身も本気で酷いとは思っていないだろう。それにしても、布団の山から足だけ出てる様は不気味だ。
「随分荒れてたね」
コップにビールを注ぎながら、姫宮が言う。すでに炭酸が抜けているらしく、しゅわしゅわと心地良い音が聞こえない。
「飴のせいだろ」
「あはは。それにしても、だよ。僕が居ない間に何かあったのかな」
ビールに口をつける。コイツが自分から飲むのも珍しい。案外酔ってるのかもな。
「何があったかと言われると、何も無いな。それが気に食わないらしいけど」
言い終わってオレも缶に口を着けるが、もう残っていなくて唇を湿らせることも出来ない。
「成る程、合点がいったよ。そうか。そんなに退屈か」
「退屈どころか生きている意味がないそうだ」
ほう? と姫宮が身を乗り出す。
「僕はサボっている身だからね。そろそろ学校というものが恋しいぐらいなんだけど」
「行けよ」
中身が空と分かって、手持ち無沙汰になる。プルタブを前に押したり、後ろに押したりしているうちに千切れてしまった。
「うん、そうだね。明日は久し振りに勉学に勤しむとしよう」
姫宮の本棚に目をやる。
時代物やミステリもの(オレは本を読む方ではないので、この言い方が適当なのかもわからない)の古書が並べられている一角に、やたらと背表紙が眩しい本が有り異彩を放っている。それは学生のオレ達は毎日眺めている教科書だった。どうやら、家で勉強だけはしっかりしている、という訳でも無さそうだ。
「そういや、サボって何してたんだ」
「それこそ何も、かな。人様に誇れるようなことはしてないよ。それでも、言わせて貰うなら大抵は学校に居たかな」
「なんだそりゃ」
学校には居たけど、授業には出ていなかったのか。そんな面倒なことするぐらいなら教室で寝ていたほうがマシじゃないか。
勿論、今日の前守を肯定する訳ではないけど。
「僕等の高校って無駄に広いだろう」
「そんなこと考えたこともなかったな……他の高校をまず知らない」
納得のいく答えじゃなかったんだろう、姫宮が首を傾げている。
続きは? とでも言いたそうな表情で。
「……まあでも、確かに立ち入ったことのない棟とか、教室が有る……有った気がする」
「だろう。だからそういった所を物色――違うな。まあ、探索してたんだよ」
何が面白いんだ、寝てた方がマシじゃないか、とまたしても思ったが口にはしない。本人が面白いから面白いんだろう。
「収穫はあったか?」「美術室」
うおっ。被せられた。
しかし、美術室? そんなに珍しいモノとも面白いモノとも思えない。
「美術室って三階のか?」
「いや、そこじゃない。そこは面白くない。そうじゃなくて今は部室棟になってる旧校舎があるだろう。ケンが立ち入ったことがない棟が多分それだ。そこの五階――一番東側の美術室だ。今は物置になっていて、滅多に人が来ないんだ」
確かに興味を惹かれるし、なんなら前守も好きそうなシチュエーションだが……。
「よく入れたな」
「鍵、壊れてた」
さいで。オレは旧校舎への進入経路が知りたかったんだけど。
「本校舎の廊下とグラウンド、そして下校道が一望出来るんだけど」
区切ってビールに口をつける。長々と喋って喉が渇いたのだろう。
「何だかね、蟻の巣を眺めているみたいで面白いんだ。この虫みたいに見える生き物にもちゃんとそれぞれの人生が有って、近付くと僕より大きいんだよ。それでも、その時の僕には虫の大群が蠢いている様にしか見えない。そのギャップが面白くて暗くなるまで見ていることも有った」
「いつに無く饒舌だな」
「あはっ、そうだね。酔ってるみたいだ」
だろうな。顔が耳まで真っ赤になっている。オレはどうだろうか。
「だから、制服に袖を通すのは久し振りという訳じゃないんだよ」
「ふうん」
「しかし、授業か……。ちょっと待って」
姫宮が立ち上がり、淡い香りが鼻をくすぐる。何事かと思ったら、透明な液体の入ったコップを持って戻ってきた。まさか日本酒ということもあるまい。
「はい」
「どうも」
コップの半分ぐらい入ったそれを、一気に飲み下す。やっと喉の渇きが取れたような爽快感がある。
「あー生き返る」
「ふふふ。今まで死んでいたのかい?」
何がおかしいんだか。
「死んでいると言えば、死んだ様に寝ているコイツはどうするんだ?」
オレは布団から生えてる足に視線をやる。ぴくりとも動かないので、死んでいるという言葉が洒落になっていない。息は出来るようにしたはずだが。
「うん。今日は此処に泊まって貰うことにしよう。起こすのも忍びないしね。着替えは僕ので良いだろう」
入るかなぁと思った。いや、背は確かに前守の方がでかいが、胸の方は姫宮の圧勝だから良いのか、と訳のわからないこと考え納得する。オレも酔っているみたいだ。
立ち上がって頭を回すとふらふらした。帰るまでに事故に遭わなきゃ良いが。
「じゃあ、オレは帰るぞ」
姫宮は空き缶をビニール袋に詰めていた。申し訳ない。
「うん、明日学校で」
「前守なんだけど」
言ってふらふらする頭に手をやり、何とか言葉を紡ぐ。
「……胸ポケット、に例のアレが入ってる……はず。だから、寝る前に取っておいてくれ」
「ああ、『御守り』ね。さっきでケンが取っておけば良かったのに」
意地の悪そうに口角を上げる。小学生が悪戯してるときの表情にそっくりだ。
「馬鹿言え。いくら前守とはいえ寝てる女子の胸をまさぐったら問題だろう」
「どっちかって言うとまさぐるって言い方の方が問題だけどね。わかった。取り除いておくよ」
じゃあな、と返事を待たずに、扉を開け外に出る。この町で一番高いところに居るからだろう、満天とは言えないけど綺麗な星空が広がっていた。ふと、唯一知ってるオリオン座を探して見たが見つからなかった。あれは冬の星座だっけ、嫌でも去年の夏休みに見たような……こんがらがって来たので考えるのをやめた。
アルコールで火照った体に、夜風が気持ち良くて柄にも無くスキップをしながら帰ったので、傍から見たら痛々しかったに違いない。周りの目なんかどうでも良いぐらいに気分が高揚していた。そりゃそうだ。連続殺人事件なんかなくても、世界は適当に楽しいに決まっている。
いつの日にか前守もわかると良いな、なんて殊勝なことを思った。勿論その探究心はうらやましいと思った上でだ。
今日は気持ちよく眠れそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます