雪華後宮記~薬膳料理はほどほどに~

在原小与

第1話 薬膳料理はほどほどに

「どうしてもですか? ……私もお手伝いします」


 入り口に立ち、皇子様が住む静玉台ジンユイタイで働く、唯一の女官、林杏リンシンの肩越しに中を覗くが、チュアン(寝台)で寝ている風の姿は、当たり前だが見えない。

 外は雪が、ふわりと舞い降り、時折り吹きつける北風に手足がかじかむ。

 身体の体温を奪われるような凍てつく寒さだが、室内から流れてくる空気は暖かい。


「お嬢様、昨日も言ったように、これは雅風ヤァフォン様の指示です。お嬢様に風邪がうつらないようにとのご配慮ですよ。ここは、私に任せてお部屋にお戻り下さい。大丈夫です。雅風様ですもの、すぐに治ります」

 私を安心させるように、柔らかな口調で諭す林杏に目を伏せる。


 隣でふわふわと浮いて話しを聞いていた幽霊のリィリィは「やっぱりね」と腕を組み大きく頷いた。


シュエ、大人しく部屋に戻って林杏から出されている課題の刺繍でもしましょう。心配いらないわよ。身体が弱かった昔と違って今は丈夫な雅風だもの。雪は心配しすぎよ。医官も滋養の良い食べ物を食べて休めば回復するって言ってたじゃない』

 実の弟が苦しんでいると言うのに、姉であるリィリィは大事にとらえていないようだ。だけど、私は物凄く気まずくて申し訳ない。


 なぜなら、フォンが体調を崩したのは私のせいだから。


 ――事の発端は三日前に遡る。


 毎年のことだが、冬になると氷点下まで気温が下がり外は雪が降り積もる。その日は、珍しく太陽が顔を出し、その淡い光は、真っ白な雪をキラキラと輝かせていた。

 その光景を見ていたら、ずっと室内に籠っていた反動からか、リィリィが止めるのも聞かずに外へと飛び出し雪遊びに興じてしまった。

 

 膝まで埋まる雪の上に倒れ込んだり、雪を固め転がしたりと遊びに夢中になっていたら、そこへ風が呆れた様子で現れたのだ。

 そんな風も無理やり巻き込んで、雪まみれにした翌日、風は高熱で倒れ寝込む始末。私はと言うと、体調不良は一切なく元気なまま。


『本当に雪は丈夫よね。雅風よりも長く外にいたのに。ほら、早く戻りましょう。寒いのよ』


 寒さから身を守るように、自分自身を両手で抱き締めて震えるリィリィに首を傾げる。

 ……幽霊であるリィリィは寒さなんて感じないはずなのに。

 そう思いながら、私の目の前で微笑んでいる杏林に頭を下げ扉を閉めた。

 私のせいで風が寝込んでいるのに何も出来ないなんて……。

 落ち込みながら歩いていると、リィリィが私の周りをせわしなく飛び回り始めた。何事かと顔を上げるとリィリィが静玉台の門を指さしている。


 その先には、藍色の衣を身に付けた食医庫しょくいこの宮女が五人立っていた。

 それぞれ手に持っている籠や鍋には、白い布巾がかけられていて食材らしきものを持っている。

「食医庫から参りました。頼まれていたものでございます。炊事場まで案内を願えますでしょうか?」

 先頭を歩いていた女性が私の前まで来ると口を開いた。その丁寧な口調の女性に見覚えがあった。


……宮女試験の時に出会った女性だ。


「は、はい。こちらです」

 しばらくは、どうして良いのか戸惑っていたが、静玉台の、風の評判を下げてはならないと思い出し、慌てて炊事場まで案内を始めた。

 

 静玉台は、風の意向で仕える人がとにかく少ない。

 そんな中、総出で降り積もる雪をどかし、人、一人が通れる道を進みながら炊事場を目指す。

「こちらでございます」

 静玉台の正門から見て建物の裏手に位置する炊事場まで案内すると、見たことのある女性が「ありがとう」と私に礼を言うと中へと入って行った。


『雅風の食べる野菜や料理を持ってきたようね。でも、誰が食医庫まで頼みに行ってくれたのかしら? 天子でもない第九皇子のただの風邪に、食医庫の料理が届くなんて……』

 リィリィが不思議そうに首を傾げている。

 

 確かに、皇帝陛下や天子様、高位の妃賓達ならわかるけど、ただの風邪なら静玉台の料理人でも問題ないと思う。

 それなのに、わざわざ食医庫から来るなんて……なにかあるのかな?

 気になって開いている扉から中をのぞき込むと、先頭にいた女性が、持ってきた料理の説明をしている所だった。それを静玉台の料理人達が真剣に聞いていた。


「あれを食べて早く治ると良いな……」

『あら、珍しいわね。てっきり、雪もあの料理を食べたいって言うのかと思ったのに』

「そんなに食い意地はってないわよ」

 リィリィの意地悪な言葉に口を尖らせる。

 確かに、いつもは料理に目がいくが、風のことが気になって今日はそんな気分になれない。

天人合一てんじんごういつって言葉もあるからね』

 ……天人合一って、どんな意味だろう?

 聞きなれない言葉に、見習いの時に習っていたのかも知れないと考え込む。すると、リィリィが呆れた顔で私を見た。


『わからないのね。あのね、天人合一って言うのは…………二つを兼ねたら天に願いが叶うってことよ。この場合は、雪が雅風のために一生懸命料理を作って看病したら病気が良くなるって意味ね』

 ……そうなんだ。初めて知った。なら、私は頑張って風のために料理を作って食べて貰おう。

「それ、いいかも。私、お願いしてくる!」

『えっ? ちょっと、雪! 誰にお願いしてくるのよ。それよりも、雪は料理できるの?……雪!』

 いつもとは違う私の落ち込んでいる様子が気になったのか、リィリィが珍しく良いことを言った。

 戸惑うリィリィをおいて炊事場に入ると、中にいた全員が私を一斉に見た。


「あの、私に風邪に効く薬膳料理を教えて下さい!」





「そこの大根も全部抜いて。そして、洗って」

「…………はい」


 ぜいぜいと肩で息をしながら、雪で覆われている畑から雪をかき分け紅芯こうしんダイコンを掘り出す。

 紅芯ダイコンは、一般的なダイコンとは違いコロンとした丸型で、表面は白と緑だが中は紅色。食べると甘味が口の中で広がる冬の定番野菜。


「これは、どうやって食べるのですか? ズー様」

「……基本的に食材は全て加熱しますが、これは生でも食します。熱邪による咳、淡、吐き気、消化不良などに良いとされますよ。シュエ、あちらの畑にある白菜も採りましょう」

「はい!」

 張り切って返事をすると、何とも言えない顔をしながら紫様が私を見た。


 宮女試験でヒントをくれた食医庫の女性は、紫依ズーイー様。後宮の食医庫で、皇帝陛下や皇太后様などの宮廷料理を作る料理人達の監視をしているらしい。

 もちろん、紫様自身も料理の腕は一級品だと耳にした。


 そして、もう一つの顔は毒味係……。


 普段は後宮の食医庫にいるが、一カ月に数回だけ他の二つの食医庫を周り、指導と監視をしているらしい。

 その数回に私は運良く巡り合い、何とか頼み込むと風の病気が治るまでと言う期限つきで料理を教えてくれることになった。ただし、料理を教わることと引き換えに、私は紫様の手伝いもすると言う条件付きだけど。


 毒味係りの紫様が、食医庫以外の宮女に料理を教えることは基本的にはないらしい。奇跡だと、一緒に野菜を採っている食医庫の宮女達から教えて貰った。

「雪、雅風様の好きな食材や料理を知っていますか? 好きな食材の方が食が進むでしょう。まだ、熱が下がらないと聞いています。さっきは解熱効果のある物や消化に良いスープ。食べやすい果物類を渡しましたが、夜は雅風様のお好きな物が良いと思いますよ」

 

 紫様に言われ、ダイコンを掘り出しながら考え込む。


 実は、風の好きな食べ物をまだ知らない。

 一緒に食事をする時も、私は何でも食べるから好き嫌いはない。風も出されたものは何でも食べていた気がする。

 迷った末に宙で行儀悪く寝ころんで私を見下ろしているリィリィに目で訴える。

 すると、私の視線に気づいたリィリィが興味なさそうに口を開いた。


『なんでも食べてたと思うけど。雅風は好き嫌いがないから。雪と同じでね。内攻師は何でも食べるんじゃない?』


 まったく参考にならない……。しかも、内攻師をなんだと思っているのか……好き嫌いがないって素敵なことだと思うのに。

『あ、そう言えば、林檎が好きだった気がするわ。母上の宮で、良くかぶりついてたもの』

 それだ! さすがは風の姉上! 頼りになる。リィリィありがとう。

 満面の笑みでリィリィを見ると、なんでか私を見て引いてる気がしないでもない。


「紫様! 皇子様は林檎が好きです」

 張り切って答えると、紫様は一歩下がり「そうですか」と言ったあと頷いた。

「それなら問題ありません。ちょうど、林檎がありますから……それと、白菜で作りましょうか」

「林檎と白菜でですか?」

 どんな料理が出来るのか想像出来ない。

「ええ、私は後宮の食医庫に用があります。あとで戻ってくるので、雪はその間に野菜を頼みますね。あとのことは、食医庫の宮女達に教えて貰いなさい。わからないことも全部聞くこと。良いですね」

「はい。お任せ下さい。張り切って洗います」

 風に早く元気になって貰いたいと、紫様を見送ると作業に戻る。



「…………これで終わりよ。野菜の洗い方を教えるわ。行くわよ」

 あらかた採り終ると声をかけられた。

 額に滲む汗を拭うと、籠に一杯になった白菜を抱える。

 予想よりも、ずっしりと感じるその重さに腕が痛い。

 私の他に、食医庫の宮女が四人。藍色の衣を身に付け、腰に白い前掛けをしている。髪は紫様と同じくきっちりと結い上げていた。

 私が抱えているよりも大きな籠に、大根や白菜、他にも野菜を入れると相当な重さだ。

 それを二人一組で持ち歩き出した。私もその後を追い駆ける。


 慣れているからか、四人はスタスタと歩き私との距離は広がって行く。

『……雪は力持ちだから良いけど、普通の宮女は、その重さを持って、この距離歩くの不可能よ。しかも、雪で足場も悪いのに……大丈夫?』

 私の畑作業を、のんびりと見ていたリィリィが、眉間に皺を寄せ心配そうに私に声をかけてきた。

 前を歩いている四人に私の話声が聞こえないように、小声で話し出す。

「私、宮中に来る前は、よく父様の畑仕事手伝っていたから体力には自信があるの。これくらい大丈夫よ」


 にっこりとそう答えると、リィリィは、ほっとしたような顔をした後、迷うように私を見た。

「どうしたの?」

『ううん。なんでもないわ……無理しないでね』

 何か言いかけたリィリィが気になったが、前を歩く四人に声をかけられ、小走りになりながら急いだ。

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