第2話 薬膳料理はほどほどに

「ねぇ、もっと丁寧に洗ってよ。こうやって……大根は葉も使うから痛めないように冷水にくぐらせるの……あ、井戸水汲んでよ」

 私の隣で同じように、腰を下ろし大根を洗っている女性の手元をじっと見つめた。


 野菜の洗い方を教えてくれるのは、四人の中で身分が高いのか、料理の腕が良いのかわからないけど、その女性は厳しく教えてくれる。

 私と同じような年齢にも見えるが……名前も何も教えてくれないから、何と呼べば良いのかすらわからない。


 「ごめんなさい……」

 違うと言われる度に落ち込みそうになるが、一生懸命に大根に向き合う。

 ゆきの舞い落ちる中、大きなたらいに井戸水を汲み上げ、そこで野菜を洗っている。気温が低く、手が物凄く冷たい。

 思ったよりも、洗う野菜の量が多くて、げんなりするが、これを毎日やっている食医庫の宮女達を尊敬する。


 ……暑い時も寒い時も大変だわ。この作業。なのに、文句一つ言わずに黙々とこなす所が凄いわよね。


 感心していると、私、以外の四人が立ち上がった。

「私達、中でやることがあるから残りをお願いね。終わったら全部まとめて、あそこにある貯蔵庫に運んでおいて」

 そう言うと、私の返事を待たずに四人が建物の中へと入って行った。

 洗っていない残った野菜を見ると、意外とまだ数がある。


『あーあ。押し付けられたわね。シュエは気が付いてなかったようだけど、あの子達、畑の時から何気なく意地悪してたわよ。私、見ていたもの。シュエに泥や土が多くついた野菜を洗わせたり、井戸水全部くむように言ったり……一人で重い野菜運ばせたり酷いわ』

 口を尖らせて、私の代わりに怒ってくれるリィリィが何気に可愛い。


「いいわよ、別に。どこでも、こんなことあるもの。宮女見習いの時だって色々あったのよ。気にしていたら胃が痛くなるわよ」

 作業を再開すると、リィリィが頭上で愚痴り始めた。


『悔しくないの? こんなに寒い場所で一人でやれだなんて……本当なら、雅風の宮で暖かい部屋でお茶を飲んでる時間なのに』

「リィリィ、私は元々宮女なの。風の宮でお茶を飲める身分ではないのよ。だから、気にしないわ。それに、いきなり来た私を不快に思うのも仕方ないと思うの。だって、それぞれの部署で長年一緒にいると仲間意識は強いもの。いきなり来た私は部外者だから、少しくらいの意地悪気にしないわ」

 口ではそう言っても、一人はやっぱり寂しい。


 陽が落ちて来ると暗くなり、寒さが増す。

 吐く息も白くなり雪が強くなってきた気がする。


「早く終えないと……雪に埋もれてしまうわね」

 私が寂しくないようにと気をつかって話かけてくるリィリィに頷きながら、何とか最後の一個を洗い終えると、辺りは真っ暗だ。

 貯蔵庫に野菜を運び入れていると声をかけられた。


「……食医庫の宮女達はどうしました? 一人でやっているの?」

 振り返ると、怪訝な顔をしたズー様が大切そうに白い包みを抱え立っている。

「あ、皆さん、やることがあるみたいで、私が残りを引き受けました。大丈夫です。もう、終わりましたし」

 行儀悪く鼻水をすすりながらそう答えると、紫様の瞳に鋭さが増し狼狽えてしまう。


 なにか失敗したかな。教えて貰った通りに全部出来たと思うけど……。

「……終わったなら中に入りましょう。来なさい」

 紫様が、困惑している私の手を掴むと、建物の中へと連れて行かれた。


 入ると、そこは別世界かと思うくらい暖かくて、ホッとした。いくつもある竈には火がくべられ、食医庫の上級女官達が料理の腕をふるっている。

 中々見ることの出来ない、その光景を食い入るように見つめていると、さらに奥へと連れて行かれた。


 「そこに座りなさい」

 言われたのは、一段高くなっている床。

 すぐ近くには、お湯を沸かしている鉄鍋が置かれた小さな竈がある。

 言われた通りに座っていると、紫様がどこかへ行ったと思ったら、盆の上に茶杯を二つのせて戻って来ると、私の隣に座った。

「身体が温まるわ。紅茶ホンチャよ」

「ありがとうございます」

 まさかお茶を淹れてくれるとは思わず、嬉しくなりながら一口飲む。ほっとするようなお茶は、冷え切っていた身体を温めてくれる。


「時間があまりありませんから、雅風様の料理を作ります。手伝えますか?……手が」

 紫様が何を言いたいのかわからず、じっと見られた自分の手を見ると、確かに酷かった。

 寒さと冷水で、指の感覚がなくなっていたと思っていたら……ところどころ切り傷のような、あかぎれが出来ている。

「……明日になると血が出ますよ。食医庫では良くあることですが、宮廷宮女のあなたがその手では困るのではありませんか?」

 厳しいと思っていた紫様は優しいらしい。

「大丈夫です。私は今、雅風様の宮にいますので、他の妃賓様達の元へ行くことはありません。ですので、お目汚しはないかと」

 確かに、この痛々しい手で煌びやかな妃賓の前へは出る訳にはいかない。宮廷宮女は、立ち振る舞いはもちろん、服装や肌も美しくなければならないのだから。


「……そうですか。では、さっそく始めましょう。料理をしたことはありますか?」

 紫様が立ち上がると、近くに控えていた女官が包丁を渡す。

 いつの間に用意をしていたのか、目の前には食材がずらりと並んでいた。しかも、料理を作っていない宮女達が、自分の作業をしながら、こっちをチラチラと伺っているのが見てとれた。


 ……なんで、こんなにも注目されているんだろう。


「あ、はい。宮中に入る前に母から少し教わりました」

「そうですか。では、あなたには林檎と白菜の漬物を作って貰いましょう。これなら簡単に出来ますから」

 まさか、紫様自ら教えてくれるとは思わなかった。

 緊張するけど、やるしかない。頑張ろう!

 紫様の隣へ立つと、まずはお手本を見せてくれるらしい。


「白菜は、清熱除煩せいねつじょはんと言って、熱邪による咳や喉の渇き、それに暑さや胸の苦しみなど緩和させるはたらきがあります」

 紫様が食材の説明をしてくれる。それを、出来る限り覚えようと耳を澄ませた。

『雪、大丈夫? 意外と難しいのよ。薬膳って……私は興味がないのよね。覚えやすいように書く物があれば良いのに』

 リィリィは、調理法や効能に興味がないようで、呑気に欠伸をしている。

 ……こうやっていると、まったく公主様に思えないわ。


 リィリィの行儀の悪さに呆れていると、次に林檎のはたらきについて説明が始まった。


「林檎も、発熱やのどの渇き、空咳や消化不良に効きます。始めましょうか。まず、白菜の芯の部分を縦に切り塩をふり揉みこみます。りんごも棒状に切り塩を少しふります」

 紫様の手元を覗き込んでいると林檎の甘い香りが鼻腔にとどく。

「そして、これは……檸檬です。一昨日、某国から献上された品です。いただいてきました」

 さらりと「いただいた」と言うが意味がわからない。献上品と言うからには皇帝陛下への献上品だろう。それを貰える身分の紫様に驚いた。


「貰えるんですか。そんな珍しい品。私は見たことがない食べ物ですけど……」

 目の前に置かれた黄色のコロリとしたそれが、どう料理になるのか気になってしまう。


「ええ、問題ありません。しかも、食べるのは第九皇子である雅風様ですから、普通にいただけましたよ。皇太后様から」

 顔を引き攣らせ怖々と聞くと、まさかの皇太后様が出てきて、もう何も聞けない。

「檸檬は酸味が強く爽やかな香りが楽しめます。これだけでは、酸っぱくて食べられません。この檸檬を絞り数滴入れて、皮もすり下ろします。そして、切った白菜や林檎も一緒に混ぜて油を数滴。これは、胃に優しい希少な油です。よく混ぜて出来上がり。さあ、やってみて」

 元気よく返事をして、言われた通りにやってみる。

 

『あら、意外ね。本当に雪は料理が出来るのね』

 林檎を切っていると、宙で寝そべっていたリィリィが、驚いた顔で私の手元を覗き込んだ。

「お母様以外にも……どこかで料理を習っていたのですか?」

 隣で見ていた紫様の感心したような声に、嬉しくなってくる。

「最初は母に習いました。その後は父に」

 実は、母様は、そんなに料理は上手ではなかった。どちらかと言うと、父様の方が料理が上手で、包丁の扱いも味付けも父様からほとんど教えて貰った。


「そう、筋が良いわ。私は別の料理を作ります。ここは任せましたよ」

 紫様の声に大きく頷いた。

 風に食べて貰うの楽しみ……。美味しいって言ってくれるかな。

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