心優しい聖女と生真面目な騎士団長(2)
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結局、私は聖女となって、神殿で暮らすことになった。
今までの生活が一変してしまった。
神殿には神殿の流儀があって、神殿には神殿の騎士がいる。
そのため当然、キーシは私付きの騎士ではなくなった。
私がキーシに懐いていることを知っていた父王は、キーシとの関わりが切れないよう取り計らってくれた。
神殿と王宮の連絡役。
使いっ走りのようなその役目を、生真面目なキーシはしっかり務めた。
聖女となってから何年も経ち、十二歳になったころ。
私は物思いにとらわれていた。
あと三年で、前回魔王が生まれた時から二百年となる。
魔王が異界からやってくるのは、二百年きっかりではない。
二年や三年ずれることは普通にあると、過去の記録を見ればわかる。
明日にでも現れる可能性だって当然あった。
聖女は一代限りの役職だ。
魔王がやってくるより前に任じられ、魔王を浄化したら解任される。
私が聖女に選ばれた時点で、いずれ近いうちに魔王が現れるのはわかっていたことだ。
それでも、覚悟をしていたつもりでも。
怖い、と思ってしまう自分がいる。
魔王が現れた際の聖女の役割は、聖剣と共に魔族を浄化することだ。
いざというときのためなのか、聖女は、世界中のどこにいようとも聖剣の声が届く者、聖剣の力を受け取れる者が任じられる。
ほとんどの王族は、王宮から、または王都から出てしまうと、王宮に安置されている聖剣とは意志の疎通が叶わなくなるらしい。
私は一度だけ王都を出て、辺境の地まで向かったことがある。正しく聖女としての力を持っているか、確かめるためだった。
その結果、遠く離れても聖剣の声ははっきりと聞こえ、私は聖女として認められた。
以来、神殿にて毎日のように訓練し、浄化の力を磨いてきた。
伝承に残る聖女たちにも劣らない力をすでに身についていると、優秀だと、周りは褒めそやかす。
聖女としての役割は、きちんと果たせるだろうとは思っている。私がやらなければならないことなのだとも。
聖剣とは毎日のように話し、親睦を深めている。同調率は悪くはないはずだ。
問題なのはそこじゃない。
魔王討伐の旅には、聖女も必ず行かなくてはならない、ということだ。
王都からほとんど出たこともないのに、いくつもの国を回る旅なんてできるんだろうか。
未知への恐怖が、私を不安にさせた。
「何か、悩みでもおありですか?」
そして、私が悩んでいることに一番最初に気づいたのは、やはりというかなんというか、キーシだった。
神殿の聖女のために用意された部屋。バルコニーから外を眺めていた私に、ご機嫌伺いにやってきていたキーシが、そう声をかけてきた。
王女らしく、聖女らしく。
感情を表に出さないことに慣れてしまった私の、ほんのちょっとした変化を、キーシはいつも目敏く見つけてくれる。
聖女としての自分から、ただのセーシエになる。
生真面目なキーシは、決して嘘をつかない。だから私も、偽りの姿を見せようとは思わなかった。
キーシの前では、取り繕うことのない自分でいられた。
「私は、きちんと役目を果たせると思う?」
是と答えてほしくて、私は問いかけた。
キーシなら、私の顔色をうかがったりはしないで、本心からの答えをくれるとわかっていたから。
「セーシエ様なら大丈夫です」
微笑みすら浮かべたキーシから、力強い肯定が返ってきた。
それは無条件の、全幅の信頼。
年月が育んだものでもあり、私がキーシに見せていたありのままの姿から生まれたものでもあるだろう。
私が王女だからじゃない。聖女だからでもない。
ずっと、私のことを見てくれていたキーシの言葉だからこそ、重みがあった。
信じてくれている、というだけで、胸が熱くなる。
「……不安なの。私は今まで、ずっと王宮や神殿で守られてきた。この王都から出ることが、不安でたまらない」
バルコニーから見渡せる城下町を眺めながら、正直に、心中にわだかまったものを吐き出す。
魔王がいつ現れるのかはわからない。今すぐかもしれない。十年後かもしれない。
旅に出るまでに時間があれば、心の準備はできるのだろうか。
そういう問題でもないような気がした。
「セーシエ様は俺が必ずお守りいたします」
その言葉に、外を見ていた視線をキーシに移す。
真剣そのものの表情。強いまなざし。
高く広い空のように、くもりのない瞳が私を映していた。
「……本当?」
どこまで本気なのだろう、と私は確認してしまった。
キーシが冗談でこんなことを言うわけがないと、わかってはいたけれど。
だって、私を守る、ということは。
魔王討伐の旅に同行する、ということで。
それが容易なことではないことくらい、キーシだって知っているはずだから。
キーシは真剣な表情のまま、私に数歩近づき、目の前で膝を折った。
片膝をつき、ひざまずいてそっと私の手を取る。
その手の甲に、軽く口づけが落とされて。
そうしてまた、まっすぐ見上げてくる青い瞳に射抜かれる。
「俺は今でもセーシエ様の騎士のつもりでいます。初めに交わした誓いを違えるつもりはありません」
きっぱりと、キーシは言いきった。
その瞳はほんのわずかも揺らがない。
本気で言っているのだと、確認する必要もなく理解できた。
『命に変えてもあなた様をお守りいたします』
今よりも若い、少年のキーシが幼い私に告げた言葉。
たった三歳の子どもに誓うには、ずいぶんと重い忠誠だ。
その忠誠心を、彼は今もまだ持ち続けてくれているのだという。
じわり、と目頭が熱くなってくるのを感じた。
まばたきしたら涙がこぼれてしまいそうで、私はただじっと、キーシを見下ろした。
「命に変えては、駄目よ?」
震える声で、私は言う。
キーシの命はキーシのもの。私だって、その考えは今でも変わっていない。
だから、それだけは絶対に約束してもらいたかった。
「ええ。俺の命も、共に守ります」
クスリ、とキーシは笑みをこぼしてそう告げる。
私が日々成長しているように、キーシも騎士として鍛えてきた。
今のキーシはかつての、若々しい気力に満ちあふれながらも、まだ未熟だった彼とは違う。
自分の力量をきちんと把握していることによる自信が見て取れた。
「魔王討伐の旅に一緒に行くには、国で一番強い騎士でなくては、みんな納得しないわ」
魔王討伐には、勇者と聖女以外に騎士と魔術師が一人ずつつくことになっている。
聖女である私は、彼らがどういった条件で選ばれるのかを知っていた。
けれどその条件をキーシに教えることはできない。聖女としての矜持がそれを許さない。
だから、今の私に言えることは、ごくごく一般的なことだけだった。
「あなたのために、一番になってみせましょう」
そう言ってのけるキーシからは、余裕すら感じられた。
自分にはそれができる、と確信しているようだった。
実際、キーシにはそれだけの実力がある。
現在キーシは王宮騎士団の中でも実力派として注目を集めている。
遠からず副団長になるのではという話もあるくらいだ。
大貴族の三男坊という肩書きが、まったく影響していないとは言えないだろう。
けれど彼の強さは、一度模擬試合を見れば誰にだってわかることだ。
「頼りにしているわ」
自然と私は微笑みを浮かべていた。
そうして、気づかされる。
私が心の底から頼れるのは、キーシだけなのだと。
素の自分を見せることができて、わがままも言うことができて、悩みすら隠すことができなくて。
それはすべて、キーシが特別で、唯一の存在だから。
融通が利かない、生真面目なキーシに、私は恋をしているのだと。
ずっとずっと、きっと出会ったその日から、彼に惹かれていたのだと。
そう、気づいてしまった。
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