第20話 女神王ヴィーナスの決断


「あーうー……あーうー……」


 雲のベッドをゴロゴロ、ゴロゴロ。


 天界の王宮――女神王ヴィーナス専用の豪華な寝室で、私はひとり、行き場のない感情を持て余している。


 パールホワイトとパステルピンクのかわいい王宮は、これまでずっと六芒の女神たちの栄光によって煌びやかに輝いていた。

 だけど六芒の女神が三人になってしまった今。

 その栄光は半減し、私の寝室はどんより薄暗くなっている。

 心なしか、壁や天井も煤けているような……。


「あーうー……あーうー……。悔しいよぅ……つまんないよぅ……」


 アルテミスのおっぱいを模した枕に顔を埋めて、私は雲のベッドを転がり続ける。

 そのうち、余裕で床を引きずるほどの超ロングヘアが、私のぺたんこボディにぐるぐると巻きついてきた。

 ……だけど、髪を直してくれるグルヴェイグやアルテミスも、抱き枕になってくれるペルヒタも、もういないのだ。


「ううぅ、ウソでしょ~……? まさか、グルヴェイグとペルヒタまで魔王ジュノに負けちゃうなんて……」


 勝負の行方は、遠見の魔法陣でしっかり観戦していた。

 だけど未だに信じられない。信じたくない。


「魔王ジュノめ、なんていやらしいヤツ……」


 だけど、ヤツのやる気は本物みたい。

 ヤツは本気で、この私から世界を――リリアヘイムを奪い取ろうとしているんだ。

 私は手のひらで顔をパタパタ扇ぎながら、


「ううぅ、でもなぁ……。魔王ジュノはめちゃくちゃ憎たらしいけど……アイツがいる場所って、やっぱり楽しそうなんだよなぁ」


 寝室に展開している巨大な魔法陣には、ペルヒタ教国のビーチが映し出されている。


 真っ赤に燃える太陽が、紺碧の海の彼方にゆっくりと沈んでいく――。

 そんなサイコーの景色をバックに、水着姿の魔王たちが祝勝パーティーをやっているのだ。もちろん、グルヴェイグとペルヒタも一緒に!

 グルヴェイグの水着はハイレグのワンピースタイプ。

 青系のグラデーションが綺麗だけど、お尻に丸い穴が開いている。……まるで獣人がしっぽを出すための穴みたいだ。

 対するペルヒタも、同じくワンピースタイプ。

 だけどこっちは天界のアカデミー仕様だ。

 生地は紺色。胸もとに大きく『ぺるひた』と書かれた名札が付いている。……あざとい。

 遠見の魔法陣から『乾杯!』の声が響き、キャッキャとした会話が聞こえてきた。

 魔王ジュノはワイングラスを片手に、


『フッ。ペルヒタ、グルヴェイグ、楽しんでいるか?』

『ダンナ様! このような催しにお招きいただき、誠にありがとうございます! すごく……素敵な時間です。ダンナ様のものになって、私、幸せです!」

『ごろにゃん……。みんなが仲よく笑ったり、仲よく喧嘩してる……。すごく、思いやり……感じる。ご主人様、魔界って、こんなに良いところだったんだね……』


 グルヴェイグとペルヒタは、満面の笑みを湛えていた。

 二人の顔をボーッと眺め、


「あの子たちって、あんなふうに笑うんだ……」


 私は一人、つぶやいた。

 広い広い豪華な寝室に、その声が溶けてゆく。

 魔王ジュノは、続けてアルテミスたちのところへ歩いていった。


『お前たちはどうだ? しっかり飲んで……ぶふぅ! ど、どうしたのだスピカよ!』

『うわぁぁんジュノ! 大変よ! 大変なのよぉ!』


 魔王に抱きつく金髪女。

 呆れた顔で彼女を見つめるのは、アルテミスとピンク髪のチビッ子だ。


『あー……ジュノ様? あんまり真に受けない方がいいですよ?』

『ですねー。もはや“いつものこと”といいますか……』

『黙りなさいアルテミス、リリス! 私にとっては一大事なんだからね!』

『――ハッ! もしや、【知力】か?』

『そうよ! 一七ってどういうこと!? いくらなんでも一七は酷すぎるわ!』

『……まったく。“水車の動力を利用したおしりペンペン”ならぬ“魔王の精力を利用したおしりパンパン”などと言っているからこうなるのだ』

『だ・か・ら! それを言って喜んでたのはジュノだけでしょう!?』


 そこに大きな笑いが生まれ、パーティーはますます盛り上がっていった。

 私は下唇を噛みしめる。


「…………。ちゅまんない……」


 ――魔法陣の中には、魔界には、私が失くした全てがあるような気がした。

 華やかな笑い声。

 思いやりに満ちた、優しい雰囲気。

 みんなの心が信頼で結びついていることが、端から見てもハッキリわかる。

 私は、グッと拳を握った。


「魔王ジュノ……許さない。どうして女神王ヴィーナスの私がこんな思いをしなくちゃいけないの!?」


 ありえない! ありえない!! ありえない!!!!


 ………………寂しいよぅ。


 枕に顔を埋めている間も、魔法陣の向こうからは幸せそうな笑い声が何度も何度も聞こえてくる。



「…………壊そう」



 涙を拭い、ついに私は立ち上がった。

 奥歯を噛みしめ、魔法陣の中で朗らかに笑っている魔王ジュノを睨みつける。


「さぁ、キミの出番だよ」


 心の中で降臨を命じた、その直後。

 寝室にキィン――と硬く、高い音が響いた。

 床に発生したのは、六角形の魔法陣。

 そこから一人の少女がゆっくりと迫り上がってくる。

 身にまとうのは、丈の長いボロボロのマント。

 目深にかぶったフードの向こうには、うつむき気味の美貌、結ばれた唇。


「…………」


 彼女は何も語らない。その表情は、無、そのもの。

 この子もまた、六芒の女神の一人――。


「ネメシス……今のキミなら大丈夫。キミなら絶対、魔王ジュノの快楽スキルにだって抗えるさ」


 私はネメシスの姿を見つめ、勝利を確信した。



 ――だって、ネメシス。

 キミは――――。



                                   〈了〉

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