第16話

「おい、カワウチ! カワウチってば!」


 皆と反対側、士官テントの方へとカワウチは向かっていた。突然場を去ったエミのことが気がかりで、追っていったのだろう。そんな彼の後をさらに追いかける俺は、よほどの物好きなのだろうが。


 俺は息を切らしながら、カワウチに追いついた。目の前には、俺が寝かされていたのと同じ個人テントが張られている。士官は個人で寝起きできるようになっているのだろう。

 十数個あるテントの中、がさごそと動くテントがある。ちょうどエミが入っていったところらしい。


「はあ、はあ……。待てよ、カワウチ……」


 俺は彼の肩を掴み込んだ。


「離してください! コウムラ隊長が!」

「待てってば! 今顔を合わせて、エミに何を言うつもりなんだよ!」


 突然、カワウチは動きを止めた。きっと何も考えていなかったのだろう。


「ど、どうしましょう、トウヤ殿……」


 こちらに振り返るカワウチ。目から涙を溢れさせながら、わなわなと唇を震わせている。


「そんなこと言われてもな……」


 今この場で、感情的になっていないのは俺だけだ。それに、エミには隊長としての責務がある。仕方ない。エミを説得して、同時にカワウチを黙らせるような感じで俺が動くほかあるまい。


「俺がエミと少し話してみる。お前は外で待ってろ」

「は、はあ……」


 カワウチは一応了承してくれた。流石に今の自分の手に負える事態ではないと察したらしい。

 俺はしっかりと地面を踏みしめ、わざと音を立ててエミのテントに近づいた。『誰ですか?』とでも訊かれた場合にすぐ答えてやれるように。だが、ジッパーが閉じられたテントからは、もう何の音も聞こえてこない。エミは何をしているのだろう?


「はあ……」


 俺は大きなため息を一つ。こちらから突撃するしかない、か。


「なあエミ、俺だ。トウヤだ」

「……」

「少し話がしたい。出てきてくれないか」

「……」

「嫌ならいいんだ。けど、皆困ってる様子だし、俺もお前を放っておくわけにはいかない気がしてな。どうだ?」


 その後、僅かな沈黙があった。小鳥のさえずりだけが耳に入ってくる。カワウチも沈黙を保ったまま、下手に口を挟もうとはしなかった。

 すると、テントの中、すなわちエミから声が発せられた。


「どうぞ」


 ふむ。俺にだけは話をしてやってもいいと思ってくれたらしい。俺はカワウチにその場で待つように言ってから、テントのジッパーを開けた。


「失礼しますよ、っと」


 エミのテントに入って真っ先に目に入ったのは、彼女の背中だった。体育座りをして、やや肩を上下させている。天井には蛍光灯が設置されていたが、点けられていないので薄暗かった。

 それだけの状況を確認してから、俺は靴を脱いでテントに踏み入り、内側からジッパーを閉めた。カワウチが不安そうにこちらを覗いていたが、『大丈夫だ』という意味でウィンクを一つ送るに留めておく。


「あ、あのさ、エミ、俺はお前を連れ戻しにきたんじゃなくて、ちょっと話を」

「影人のことなら問題ありません」

「え?」


 唐突な話題転換に戸惑う俺。だが、エミはきちんと補足してくれた。


「カワウチ上等兵や斥候隊の報告が正しければ、あなたが交戦した影人は、すぐさま魔術派に撃滅されるでしょう。心配は不要です」

「あ、ああ……」


 聞けば、暗黒派は時折そうやって単体の影人を送り込み、地上で戦っている連中の情報を集めたり、奇襲を仕掛けたりしているらしい。

 まあ、それはいいとして。


「不躾な質問で悪いんだが……。どうしてさっきはあんなに怒ってたんだ? ほら、俺がさ、平和に物事を収められないか、って言った時のことだけど」

「答える義務、ありますか?」


 んぐ。そう言われるとこちらとしては唾を飲み込むしかない。

 だが、そんな気まずさを長引かせるほど、エミは意地の悪い人間ではなかった。


「それはね、トウヤさん。人間は何故戦争をするのか、という疑問が愚問であるのと同じことですよ」

「?」


『突然こんなことを言っても分かりませんよね』――そう言ってから、エミは体育座りのままこちらに向き直った。再び眼鏡越しの眼光が、俺の目を射抜く。


「戦争をするのが人間である。それが人間の定義だからですよ」

「定義?」


 なんだ? 数学の授業か?


 ポカンと口を開けた俺を前に、エミは教え諭すように言葉を続けた。


「人間が戦争をするのは、戦争をするからこそ人間は人間でいられるからです。そう捉えるしかありません。こんなに紛争や争いが続いていることを鑑みれば、ね」

「うむ……」


 確かに、俺が元いた世界でも、『人類の歴史は戦争の歴史である』なんて言葉を聞いた覚えはあるが。でも――。


「でもそれって、寂しい考えじゃないか?」


 俺は小さく、呟くようにそう言った。あぐらをかいたまま、視線を落とす。しかしエミは逆だった。俺を見つめる眼力が、強くなったような気がしたのだ。


「それが……『寂しい』、ですか」

「ん? ああ。俺はそう思った、っていうか、思いつきっていうか、言ってみただけなんだけど」


 本当に、ぱっと浮かんだ考えを述べたまでだ。

 するとエミは微かに首を傾げながら、こんなことを言った。


「そんな考えをお持ちの方に出会ったのは初めてです」


『寂しい』ですか、と口元で繰り返すエミ。


「そうかもしれませんね。しかし実際問題、敵対勢力がいることは否定しようがありません。人間のあるべき姿、いえ、そうでなくてはならない姿について議論したところで、なんともなりません」


 今度は俺が黙り込む番だった。確かに、あるのは『実際問題』そして『現実』だけだ。まあ、元いた世界では俺は『現実』から逃げ回ってばかりだったのだけれど。


「もう一つ訊かせてくれ」

「はい」


 顔を戻すエミ。俺は真っ直ぐに彼女を見つめながら、尋ねた。


「そんな寂しい考えを持ちながら、どうしてお前が機甲派の指揮を執っているんだ? いや、お前の指揮能力を疑うわけじゃないけどよ……。でも、戦いの途中で妙な情が入っちまうんじゃないかと思って」

「部隊の士気を上げるためです」


 淀みなく、エミはそう言った。


「プロパガンダと言ってもいいかもしれません。私のような少女が矢面に立っている。それだけで、普通は成人男性が務めるべき士気向上の役割を、より効率よく行うことができるのです」

「プロパガンダって……。お前、宣伝のために隊長やってんのか?」

「まあ、簡単に言ってしまえばそういうことですね」


 エミはつと視線を逸らす。どこかで何かを諦めたような雰囲気だ。

 俺も自分の足元を見ながら、今までのことを振り返ってみた。

 サンの場合は、父親の後を継いで指導者になるという明確な『決意』があった。『責任を全うしよう』という意気込みがあった。


 だが、エミの場合はどうだろう? 自らなのか、他人に盛り立てられたのかは分からない。しかし、好き好んで指導者になったと言えるだろうか?


「私、これでも人望があったんですよ? まあ、今日みたいな感情の爆発がなければ、ですけど」


 ふっと息を吸って、エミは続ける。


「私より優秀な指揮者たちは、皆戦死してしまいました。その中には男性も女性もいましたが……。もう残っているのは私だけなんです」

「そんな!!」


 思わず、俺は大声を上げていた。


「お前、嫌じゃないのか? 敵のせいで仲間が死んで、その責任を取らされて……。そんなの、大人たちの勝手じゃねえか!」


 俺は思い出していた。カワウチの上官――確か階級は少尉だったな――が、呆れ半分の状態で臨時指揮を執り始めた時の態度を。

『これだから子供はあてにできない』。そんな不遜な態度ではなかったか。


「だったら……」


 少尉に直訴してやる。そう言おうと立ち上がりかけて、俺は昨日、武闘派の連中にかけた言葉を思い出した。

 俺は、この世界の流儀というものを知らないのだ。そんな身分で、エミの問題に口を挟む権利があるだろうか?


「ふん……」


 鼻を鳴らしながら、再び座り込む。

 

 その直後だった。緊急放送が流れ始めたのは。

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